クズ羊毛
バルタサール様とマティアス様に、私がアルヴィース様だと教えられたキムさんだったが、彼の態度は相変わらずだった。子供相手としては礼儀正しく、地位のある人間としては砕けた態度だった。
私だって、畏<かしこ>まられたらやりにくいし、よかったよかった。
「ところで、キムさんはどこに行っていたの?」
「私かい?」
「畑から帰ってくる所だったんでしょ?」
「いやいや」
なるほど、ヨエルが言っていたことは当たっていたようだ。
「で、その話の件なんだけどね、ちょっと外に出てくれるかな?」
「外?」
キムさんに手を引かれて外に出た。
外には、荷馬車が3台も停まっていた。どの荷馬車にも幌がかかっており、なんだか西部劇の世界が脳裏を過ぎった。
「えーっと……行商人さんたちが来たの?」
そう、お祭りに不可欠な噂の武闘行商団のことが思い出された。でも、ちょっと腑に落ちないのが。各荷馬車から降りてくる御者が、何だか農夫のように見えるんだけど?
「違う違う、彼らはこの先南にある村とその先にある村の人たちだよ」
「?」
どう言った理由で、その隣村の人々がここにいるのかさっぱり検討がつかなかった。隣村は、ここから2時間も南に行ったところだと前に聞いたことがあった。
「今日は朝早くから、近在の村を回って集めてきたよ」
「集めてきた?」
「ほら、捨てるはずのクズの羊毛を」
「えっ?」
なんと、キムさんは私たちが《禁忌の森》に入っている間に、近在の羊を飼っている家から捨てるはずのものを回収してきてくれたというのだ。
「じゃぁ、この荷馬車全部?」
「そうだよ。何せ、ここの村長さんの話では、この地域で羊を飼っている家は、今は毛刈りの時期だって言うじゃないか。捨てられないように、早めに手を打たないとと思ってね」
さすが、動きが素早いではないか。確かに、冬支度のためにある程度の金銭が欲しいのは、雪に閉ざされるこの地域の人、共通の思いだ。とくに、雪に閉ざされてしまう期間が長いこの地域では、まさに今が毛刈りのシーズンだ。捨てられる売れない羊毛は、ミケーレさんの家ではまとめて討伐の時に《禁忌の森》に穴を掘って埋めるのだと言っていたが、他の人々がどうやって処分をしているのかは調べていなかった。
御者台から降りてきた農夫は3人で、そのうちの1人が近づいてきた。その人物は、老人と言うには若そうに見えたが、髪は真っ白で豊かな顎髭も真っ白だった。もしかしたら、そのせいで老人に見えてしまうのかもしれない。だって、この世界にはオレンジ色の髪があるくらいだ、生まれた時から髪の毛が真っ白の赤ん坊がいてもおかしくない。
「キムさん、このお嬢ちゃんかい?」
「ええ、そうです。テグネール村の村長宅のエルナ嬢です」
「そんな紹介の仕方しないで〜」
「あははは、だって『ちゃん』は可笑しいだろ? ここから先は商売の話なんだからね」
「ああ、そうか。この羊毛を買い取ると言う話ね」
「こんな捨てるようなものを、本当に買ってくれると言うのかね」
「はい、勿論です」
「エルナちゃん、こちらはネレム村で羊を飼っているトミさんだよ」
「はじめまして、エルナです」
「これはこれは、はじめまして。ネレム村で羊を飼っているトミと言います」
「羊毛を売ってくださってありがとうございます」
「いやいや、ワシらこそ助かるよ。どうせ捨てるものだから」
「で、おいくらですか?」
私がそう尋ねると、トミさんはキムさんを見た。
「いや、それが急いでいたんでちゃんとした重さは測っていないんだよ」
「では、さっそく測りましょう」
その後は大騒ぎになった。まずは、ニルスに頼んでダニエルとブロルを呼んできてもらう。その間に測りを用意して、アーベルに1つ1つの袋の重さを測って、それを記載してもらった。
ちなみに、荷馬車3台に積まれた羊毛は、近在の4件で集めたものらしい。トミさんの村では、これらを廃棄するのに随分と荷馬車で遠くへ運ばないといけないと言う。何せ、近場には狩りをする小さな森と畑があるので、それに影響を与えない場所に行くには随分と離れた場所を探さないといけないと言うのだ。そして、トミさんたちはそんな場所で燃やすそうだ。いちいち埋めていては、場所がなくなると言うのだ。
「点在しているとは言え、私たちがこれらを燃やす場所は隣村と堺のわずかな場所しかないのです」
「それは大変ですね」
「これらを捨てるだけで2日の作業ですよ」
「うわ〜」
廃棄にも時間と労力がかかるのね。
トミさんたち3人をふくめ、アッフとアーベルで次々とゴミ屑だった羊毛の目方が計られている。そして、測ったものから空いている倉庫へと次々運ばれていく。3台分の荷馬車に満載された羊毛は、とにかく空いている場所に詰めていった。
「で、キムさんはこれは1キロいくらで買うと言ったんですか?」
「1キロで銀貨2枚だよ」
その金額は、私がこの村で羊を飼っている家から買い取っている金額だ。恐るべしキムさん……いつのまにそんな情報を手に入れていたのか。
が、キムさんの話には続きがあった。
「ただし、この村への運搬料が含まれているけどね」
「え?」
「この村に品物を運ぶのは、彼らの負担にしたんだ」
「えっ? どうして、ここの村の人からは運送の費用はかからないけど、そんな計算で商品の価格をみてないのよ。不公平じゃない」
「まぁ、そこはお隣金額と言うことで、いち早く商品を入手できるということで」
「それで、トミさんの負担にならないの?」
「そこだよ!」
どこだよ!
「これは、効率の問題だ。自分のところだけで、荷馬車半分の荷物をここまで運ぶのでは効率が悪い。そうなると、彼らは考えるだろ? どうしたら安い運搬費用で多くの荷物をここに運べるか」
「なるほど、周囲に声を掛け合って運搬費用を折半するという手ですね」
「それだけじゃないよ、いずれ、率先して売れない羊毛をまとめて保管をする人が出てくる。羊毛を生活の生業にしている家だけが羊を飼っているわけじゃない。人によっては衣類のために数頭の羊を飼っている人や村もあるんだよ」
そうなると、1回で出る1袋くらいのゴミになる羊毛までかき集めることができるではないか! さすがキムさんだ。良く考えられているではないか!
「お嬢ちゃん、この南にまっすぐ続く道の先を知っているかい?」
「この道?」
テグネール村からまっすぐに南に続く道は、オリアンへ行った時に使った道だ。あの時はただひたすかにこの道を12時間かけて進んだところにオリアンがあった。そしてその道はまだ先へと続いていた。
ただし、まっすぐと言うのはそう感じただけで、本当は緩やかにカーブになっているかもしれないけど……。
「オリアンに行ったことはあるけど、その先も道は続いていたけど……聞いたことはなかったな」
「この道は、オリアンへ続いていて、ヒミン湖の西岸をたどりながら、フレドホルム領地の最大の街、フレドホルムへと至るんだよ。でも、そこで終点ではなく、ヒミン湖から海へと流れ出るスヴィーウル川にそって、そのまま海へと至るんだ」
「この道、海まで続いているのね」
「そして、海の途中にはノルデンショルド領地の最大の街があって、領地は南部最大の羊毛の産地なんだよ」
どのくらいの距離があるのか私にはわからないのだが、この道の先が想像できるようになると言うのは、何とも冒険心をくすぐられるではないか。
「情報は、道沿いの街には素早く伝わるからね、そのうちノルデンショルドの領地から羊毛が届く日が来るにちがいないよ」
「なるほど……」
私の幸運は羊毛の産地として有名なその領地が、テグネール村と1本の道でつながっていると言うことだった。そして、自然とゴミとして扱われていた羊毛がこのテグネール村にいるだけで集まってくるというシステムを考えたキムさんの存在だった。
「キムさんが知り合いで良かったです」
「それは、大変光栄です」
ニコリと笑うキムさん。
その笑顔は、素直な笑顔だったから、ちょっと驚いた。ここは、ちょっと黒さを滲ませての『ニッコリ』じゃないと……。
フェルトのマットレスや座布団を『売れる』と判断し、材料になるクズ羊毛が品薄だと知り、即座にそれを集める方法を思いつく。それも、その先も自然と集まる方法であり、こちらが運搬費とやらに煩わされる必要もない方法だ。
だって、きっと一番遠くの人は一番近い人にそれなりの金額で売り、その人はさらに一番テグネール村に近い人に売って、どんどんとテグネールに押し寄せる。そして、もっとも運搬費用が少なくてすむ地域が、クズ羊毛を運搬してくる一大集積地となるのだろう。
まぁ、途中で利を得ようとしてズルする人間が出てくるかもしれないけど……。
「問題は、金額の割に嵩張ることなんだけどね」
キムさんはそう呟いた。
もちろん、私もその点は考えたが、ここにはビニール袋みたいに気密性の高いものは存在しない。それがあれば、運搬費用はずーっと少なくて済むのに……と、思うのだが、今ここにビニール袋があっても、それを作る素材や技術が無いんだよね。それでは意味がない。
全ては、ここにある材料だけで、どう工夫してそれに近いものを作れるかがキモだ。
「で、これだけあれば、どれくらいのマットレスができるのかな?」
「うーん……これを洗って、それでも使えないものが出てくるんで、なんとも言えないです」
「……では、単純に重さで引き取るのはもったいないのかな……」
考え込むキムさんに再び驚いた。
私の言葉で、瞬時に何のことか理解したのだ。なぜ、クズ羊毛として捨てられるのか。それは、毛玉のように解くのに時間を要する部分や、排泄物や草などがついたものが混じっているからだ。その不純物は、ある程度の量にはなるので、多くの排泄物が混じっているとそれだけ純粋な羊毛を得ることができないのだ。
それを瞬時に理解したからこそ、単純な量で金額が決められないと言っているのだ。
だが、こちらとしては、捨値のような金額をそもそも設定しているので、純利益は痛くもかゆくもない金額だ。だって、この村でクズ羊毛を提供してくれたケネトさんやヘルゲさんなんか、『処分してくれるの? ありがとう!』てな感じだった。だから、最初は無料で頂いたのだが、製品にして売ることになったので購入させてもらうことになった時など、なかなかお金を受け取ってくれなかったのだ。
「もともとは、『ください』と言っても『どうぞ!』って言って感謝される物ですが、こちらはそれを商品にして売るわけですので……」
「なるほど……」
理解が早くていらっしゃる。
しかし、理解するということは、もし、それらのクズ羊毛を無償で得て利を得たなら、文句を言う人、もしくは、良い印象を持たない人がこの世界に存在すると言うことだ。
が、ここはニヤリと笑ってみせると、キムさんも同じようにニヤリと笑う。
そんなこんなの会話をしているうちに、無事に全てのクズ羊毛の総量の集計を終えて、トミさんにお金を渡し終えたのだ。その総額は金貨3枚になり、驚いて顔を青くしているトミさんに手渡された。こちらも、1.5tと言う凄まじい量が手に入ったのだった。
「トミさん、これからもお願いします」
「はっ、はい……こちらこそ……」
「毎回の毛刈りでこれだけ出るわけではないですよね」
「はい、無精して3年は貯めていた者もいますね」
なんて、ラッキー!
「しかし……こんなに頂いてよろしいのでしょうか……」
「それは、正当な価格です。普通の羊毛が売れるように、これからはこのテグネールでは捨てるはずだった羊毛も売れるようになっただけですから」
「ありがとうございます」
トミさんは申し訳なさそうな顔をして、頭を下げてくれた。
いやいや、そんなことをする必要は……と言いかけると、アーベルが手に御者台に敷いて使っていた長い座布団を持って乱入してきた。
「これ、トミさん使ってみてください」
「これは?」
「御者台に置く座布団です」
「サブトン?」
アーベル広報部長は、せっせと商品の売り込みをしはじめる。
私の出る幕がないではないか!
そして、わが工房の主力商品になるであろう御者台座布団は、予想通り『うお〜』と言う驚きの声とともに迎えられた。テグネール村の人も素朴だけど、近在の人々もあまり変わらないようだ。そういえば、町だと言うオリアンの人々もあまり変わらなかったことを思い出す。
いい大人が、子供みたいにはしゃいでいるのを見ると、微笑ましく感じるのだ。この驚いたり喜んだりして、目をキラキラさせて、『どうなっているの?』って驚く人を見るたびに微笑ましく感じるのだ。そんな顔をテグネール村を沢山見た。
そうそう、最初はアーベルだったな。あの早く忘れたいラード湯に、刻んだチーズを入れたスープを飲んだ時だ。
今では、アーベルが人を驚かしている。そして、その商品に大きく携わっているのだ。
「彼……アーベルくんだっけ」
「そうよ、うちの広報部長」
「コウホウ……それ何?」
「自分ところの商品や商売を広める人よ」
「ほぉ……それは面白いな」
広報部なんてあるわけない。そもそも、商人には関係なく生産者側のものである。それでも商人側でも売りたいものをより売れるようにと、キャンペーンをしているところもあるので、一概にはそうとも言えない。
この世界では、売り出しの宣伝は、生産者側がするのだろうか、それとも商人なのだろうか?
私なら間違いなく、キムさんを営業部長に任命するよ。