ダニエルとブロルの報告
家に帰ると、ダニエル、ブロル、ヨエルが我が物顔で昼食をとっていた。それも、何の悪巧みをしているのやら、額を突き合わせている。
「嫌な予感がする……」
そう呟いたのはアーベルだ。
私もそんな気はするんだけど、今はこのワンコたちの食べ物をどうするかを考えねばならない。そう言えば、ボーとグンは何を食べているのかな?
「ねぇ、ボーとグンは何を食べているの?」
「ヤケイの肉とか、豚の肉かな……いつも骨ごと上げているよ」
「それは、やめておいたほうがいい」
「レギン……」
アーベルが言うには、肉を削げ落とした後の骨と、硬くて筋張っている肉をあげているらしい。うちのワンコにはハードルが高すぎるだろう。レギンもそう思ったのか、すかさず反対した。
そもそも、あれは何ヶ月くらいの子なのだろうか。
「ちょっとまってろ」
レギンはそう言うと、外へと出て行った。何か思いついたことでもあったのだろうか……。
私は大人しく待つことにして、ニルスと一緒にじゃれつくワンコの相手をした。
「名前は?」
「えっ……ああ、そうか……名前か……」
名前……それは随分と難題な問題だ。私の頭に犬の名前が浮かぶとすれば、チビ、クロなどのちょいと昔に多かった名前だ。その次に出てきたのが、梅吉とか太郎とかの和名だ。
だが、間違いなくこの世界の人には、名前を聞いても意味が解らない。いや、犬の名前の意味なんて、よほど好奇心旺盛な人か犬好きな人にしか興味をもたないのだが、だが、そう言う人たちは必ず聞いてくるのだ。『どういう意味ですか?』と……。そうなった時に説明が面倒だ。
『犬の名前は?』
『太郎です』
『タロウですか……どういった意味ですか?』
面倒臭い……。
「ニルスだったら、なんて名前をつけるの?」
「……スキュンディとクンバ」
ニルスにしては即答に入る返答だった。
「どっちがどっち?」
すると、活発に動き回っている女の子を指差して「スキュンディ」と言う。当然、暖炉の前のカーペットの上でウトウトし始めている男の子を「クンバ」だと言うことだ。
「どう言う意味があるの?」
「ノート神の眷属で、早く夜を連れてくる……」
「?」
「ソール神の眷属で、暖かさを伝える」
「??」
ノート神とソール神は、宗教関係だとはすぐにわかるが、残念ながら私の知識の中で、最も詳しくない分野だ。よく、ミケーレさんやレギンが食事の前に『ソールとノートに感謝を』って言うのは知っているので、その二柱<にはしら>なのだとは分かっている。
ところが、その神に眷属と言うものがいて、どっちがどっちなのかわからないが、それがスキュンディとクンバだと言うことだろう。眷属といえば、神様の御使<みつか>いとか言われるもので、日本でも狐とか鹿とか鶏とかあるけど……もしかしたら、眷属は動物なのかな? でないと、不敬すぎやしないか?
ここで、束の間考え込んでしまう。
宗教は神の存在や人の存在意義など、びっくりするくらいの矛盾を帯びていることが多い。故に? 宗教の問題は、私の国ではあまり触れないことが賢い生き方だった。何せ、此の世で最も間違いが起きると人が多く死ぬ事象だ。
だから無意識的に宗教の話はタブーにしている人が多い。私もその一人だ。
だから、つい、質問をどのようにするか逡巡<しゅんじゅん>している間にその機会を逸してしまった。それに、お昼ご飯で皆席についていたし、私はもちろん、ニルスもお腹が空いているだろうと、この問題は後回しにした。ちょうど、レギンが戻ってきたところでもあるし。
レギンが差し出したのは、豚の骨つき肉だったが、鼻っ面にそれを近づけても、匂いを嗅ぐだけで食べる素振りも見せない。
「う〜ん……困ったね……」
「そうだな……」
早々に諦めたレギンは、その肉を持ったまま裏から外へ出て行ってしまった。そして、指笛が鋭く響いたのを聞いた。
レギンが何をしようとしているのか、なんとなく解った気がした。牧草地で口指を吹くのはボーとグンを呼ぶためのものだ。グンだってまだお腹に子供がいる状態だから、お乳はでないだろうし……いや、これは私の固定概念だ、この世界の犬は出産前でもお乳が出るのかもしれない。
レギンは、グンを連れてやってきた。もちろん、その後ろからボーが着いてきている。
最初に仔犬たちに気がついたグンは、鼻を近ずけて匂いを嗅いでいる。それに気がついた2匹は、大きく尻尾振ってグンの周囲を歩き回り、時々グンの匂いを嗅いだ。そして仔犬たちのお尻の匂いを嗅いで、グンは満足したのかカーペットの上で寝そべった。
「今朝、グンのお乳が出ていたんで、もう生まれてくると思っていた」
ナイスタイミングとは、このような時に使う言葉なのだろう。仔犬たちは、迷うこともなくグンからお乳をもらっている。
「グンは初めてのお産?」
「いや、これで2回目だ」
初産でないのならそんなに心配をすなくても様ようだ。ちょっと安心した。
「さぁ、エルナは手を洗って食事をしてきなさい」
「レギンは?」
私の問いに、食卓でワイワイしている一群を見つめて言ったのだ。
「もうすぐ、ダニエルたちの食事が終わりそうだ」
大変助かります。
そう、きっと、ダニエルたちは仔犬の存在に大騒ぎをするだろう。その時にちゃんと見張っている必要がありそうだ。
最近は、私が食事の前の手洗いを口うるさく言うことが多くなり、尚且つ、食事を前にして建物の外にある水場まで手を洗いに行くことがどんな苦行なのか実体験をした今は、台所でいつでも手が洗えるようになっている。
私が大きな桶の前に行くと、すかさずエーミルくんが手に少し水を注いてくれて、石鹸を手渡してくれる。私が手を石鹸でゴシゴシし終わると、手の上から水を注いでくれる。そして、最後にタオルと呼ぶにはあまりにも心もとない布を渡してくれるのである。
普段は、水仕事をする女性はエプロンで済ませるし、男性は服で手を拭いてしまう。
「だから、すげー盛り上がっていたから、ちょっと話を聞いたんだって」
「しかし、そのようにこっそり忍び寄って人の話を盗み聞きするのは危険だ」
バルタサール様がダニエルにそう注意をしている時、私は食卓に着いた。又もや嫌な予感をがする。
「今度は何を企んでいるの?」
「なんだよ、エルナまで」
「だって、バルタサール様に注意されていたでしょ」
「だから、心配ないって。俺たち、客に料理を出す手伝いをしていたんだから、その辺をウロウロしたって別に怪しまれないよ」
ダニエルの話を要約するとこうだ。
昨夜、ブロルの家に遊びに行って、イーダ叔母さんに捕まって食堂の手伝いに駆り出されたと言うのだ。今は、祭りのために行商人や商人が宿屋に滞在しているので、宿屋では夕飯時には人でが足りなくなると言うのだ。
この村には食事をするのを生業としている場所は無い。故に、宿屋に滞在する人々の食事は宿屋が提供する。そして、村人も時々顔を出すこともあるので、この時期の宿屋は忙しいと言う。
ダニエルとブロル、ブレンダとハッセが客に食事を出し、厨房ではイーダ叔母さんやクヌートさん、オーサが忙しく立ち回っていたと言うのだ。
そんな普段より人が多くいた食堂に、面白い2人組みが居たと言う。それが、王都からやってきた見繕屋のキムさんとローリッグさんだった。2人は大変盛り上がっていたと言うのだ。
「でさ、何の話をしているのかと思って近ずいてみたんだ」
「それで?」
「最初は商売の話をしてたんだ。どんな商品がどんなところで売れるのかみたいな話」
「そーそー、キムって言う商人は、最近王都で流行っているものとか、そんな話をしていたんだ」
「ブロル、お前もそのような危ないことを……」
「何を言っているのさ、宿屋の息子が盗み聞きをするなんて朝飯前だよ」
まぁ、ブロルなら盗み聞きを咎められても顔色を変えるようなことは成さそう……でも、ダニエルは盗み聞きをしていたことがすぐにバレそうではないか。
「そのうち、パルムの話になったんだ」
「パルムと言うと隣国の?」
「そう、パルムは他の国との商売で大きくなった国だろ? この国に無いものを売るって言っていた」
「そうだ、主に塩などが有名だが、宝石の装飾品や絵、彫刻された家具などが有名だな」
「それに、紙も多くこの国に流れてくるし、確か、造船も盛んだと聞いた」
バルタサール様とマティアス様も情報を追加してくれた。
「それでさ、何だか治療師の話になったんだよな」
「そーそー、その時、ちょうど母さんに呼ばれてさ俺居なかったんだよね」
「俺はばっちり聞いていた。あのキムって言う人が聞いたんだよ、エッバお婆さんの腕前はどうかって」
私の正面に座るニルスの目が光るのが見えた。
「あっと言う間に回復したって言ってた。多分、自分は《禁忌の森》で何日も遭難してんだろうって。ズボンがゆるくなっていたんで、多分食事もあまり取れていなかったんだろうって」
「それで?」
「エッバお婆さんは護符を使てなかったて言ってた。そうなのか、ニルス」
「食事が取れなかったから衰弱していただけだ」
「ふう〜ん。まぁ、とにかく料理が上手くて、体型がすぐに戻ったって言ってた」
「まさか、その流れで話がエルナになったのか?」
「うん」
バルタサール様の剣幕とは正反対に、素直に何てこともなく頷いた。
「何て言っていた」
「ちっちゃいのに凄いってさ」
「それで?」
「随分かわいい子だって」
「……で」
「将来はきっと」
「もういい!」
「?」
よくわから無いが、バルタサール様は私への賛辞の言葉が連なるのがお嫌いのようだ。まぁ、私も聞いてて気持ちの良いものではない。
「それで、結局は何が問題なのだ?」
今まで黙って聞いていたマティアス様がそう言葉を発して、話が再開された。
「あのローリッグって言う人、護符を初めて見たって言ってた」
「なに?」
「キムってやつが、それは護符の記憶が無いのかって聞いたら、多分見たことも無いはずって言っていた」
「……」
私の考えを言わせてもらえば、ローリッグさんの記憶が無いのが本当か嘘かは解らないのだが、記憶が無いことにしているとしたら、それはそれで良いと思っている。こちらも、そうローリッグさんに対する意識を統一できるからだ。
が、もし、本当に記憶がなかった場合が問題なのだ。もし、ローリッグさんの記憶が戻り、私を攫った一味の人なら、記憶が戻った時にそれを再実行しないとは言い切れ無い。そして、その記憶はいつもどるの? そして、それに気づく人がいるのか?
いつまでも、ローリッグさんを警戒すれば良いのかという大きな問題が発生する。
「それと、記憶のどの部分が無いのかって話があって、初夏の頃に王都近くに居たように思うって言っていたぞ」
「初夏……王都の近くか……」
「ほら、ソール神の宴ってのを見た記憶があるって言うんだ」
「すると雷の月か……」
それが、何を示すのか私にはわからなかった。でも、マティアス様とバルタサール様には何か思案することがあるらしく、難しい顔をして黙ってしまった。
「でさ、ブロルに言わせると、あのローリッグって奴は夜になるとブロルん家にくるらしいから、見張たほうがいいんじゃないかって」
「ダメ!」
「なんだよエルナ」
「そんな危険なことはダメ。もし、私を攫った人の一味なら、あの人はとんでもない人だよ。ダニエルが弱いとか子供だからって言っているわけじゃないの。あの人は、こっそりと人に近づいて殺すことを訓練されている人なの」
ダニエルはプーッとむくれた顔をした。
「もちろん、私のことを案じてくれて嬉しいけど、だけどダニエルに何かあったら嫌よ」
「……」
「だから、危険なことをしないで」
「よし!」
私がダニエルを説得しているなか、急にバルタサール様は決心したように立ち上がった。
「ブロル、キムは宿にいるのか?」
「ええーと……多分広場か雑貨屋にいると思う」
「それでは、ダニエルとブロルとヨエル、キムを探して私が呼んでいると伝えてくれ」
「どうするんだ?」
「案じるな……」
その後のセリフで、私はすぐさま『案じるよ!』と言わねばならなかった。
「ローリッグを探るのをキムにさせる」