私への贈り物 1
私は今、レギンに抱きかかえられて村と《禁忌の森》を隔てる壁の穴から、既に壁を乗り越えて待機しているバルタサール様へと渡されていた。
まぁね、この体では壁に空いている穴の位置ですら届いていないんだから、この方が皆さんには都合が良いのは理解できるんだけどね……29歳としての矜持<きょうじ>はどうよ。もう、いろいろとズタボロですよ。
「ん?どうした」
受け取ったバルタサール様にも解るような表情をしたくもなるってもの……。
「……抱っこ嫌い」
「ぷっ!」
「『抱っこ』などという言葉を使う子供には、この方がいいと思いますよ」
私のセリフに、アーベルが吹き出した。そして、屈辱的なマティアス様の言葉に、顔が真っ赤になるのがわかった。だって、この状況を『抱っこ』と言わず何というのだ!
『抱き上げられるのは嫌』? そんな冷静なコメント、言えなかった。
「もう! だって、こんな上から何を探せるのよ!」
「その場所に行ったら下ろしてやる」
バルタサール様は、断固として私を下ろす気はないとばかりに断言した。
『そんな過保護な……』とは思うのだが、《禁忌の森》の危険度について、私は理解できてないので、反論はできないのだ。
そんな会話をしている間に、レギンが壁を乗り越えて、ニルスが穴から体を出した。
今回の探検メンバーは、バルタサール様、マティアス様、レギン、アーベル、ニルスである。本来なら、ニルスはメンバーに入っていなかったのだが、私が是非に参加させるように進言した。もちろん、《禁忌の森》で私の痕跡を探り出すのが一番確かだと言うこともあるが、それよりも、私がもしあの場所で神様からの贈り物やらを見つけたとして、それは、本当にアン・キャドなのか? 特に植物のことは解らないのだ。
もし、私が見知った植物を見つけたとしても、この世界に存在しているのか否か解らない。道具であれば、マティアス様が判断できる。ならば、植物はこの森を良く知っているニルスが必要になると思ったからだ。たとえ、私がその植物を認識できなくても、きっとニルスなら見慣れない植物をちゃんと教えてくれるはずだ。
レギンを先頭に、《禁忌の森》を再び進んでいく。
あの時は、本当に混乱していたので、壁までの距離もピンときていないし、どんな様子だったのかも全く覚えていない。初めてやってくる場所と言っても過言ではない。
「ここも、あの場所と全く区別がつかんな」
「そこも、《禁忌の森》の怖いところなんです」
バルタサール様の感想に、アーベルが答える。そう、まだあの壁が見えるのだが、それが無ければ方角が解らなくなる。絶対に。
「確か、討伐を行うと聞いたが、皆はどうやって奥に入っていくのだ。皆、無事に出てこれるのか?」
「えーっと……普通は5人一組で入るんですけど、その内の一人が毛糸玉を持っていて、入った場所の木に結ぶんです」
「アリアドネの糸ね」
「えっ?」
「えーっと……ある迷宮にミノタウルスという怪物がいて、その怪物に毎年人間を生贄に送り込んでいたのね」
「なんと、野蛮な!」
「と、バルタサール様が言ったようなことを思ったテーセウスという人が、その生贄の人間に混じってその迷宮に入り、ミノタウルスを退治しようとしたお話。その時、テーセウスが使った方法が、糸を入り口の扉に結びつけて、糸が切れないように迷宮を進んだって言う話よ」
「そのテーセウスは、ちゃんとミノタウルスを退治できたのだな」
「うん、そして迷宮から無事に出てきたよ」
「ならば、良し!」
いや、話が逸れまくってますよ。重要なのは、糸なんですよ!
「ここでは、毛糸玉を使って奥に入るのね」
「うん。まぁ、ニルスには必要ないんだけどね」
「ええっ? ニルスには何が見えているの?」
「……」
バルタサール様の前を進むニルスは、名前を呼ばれると私を見たが、特に何か言葉を発することはなかった。と言うより、どう説明して良いのか解らないという感じに思えた。
「そっか……説明するのは難しいか……」
私はそれ以上追求するつもりはなかった。これはきっと感覚みたいなものなのだろう。それを言葉にして説明するのは、どんな弁が立つ人物でも難しいだろう。
「この方角の奥に、何かあるのを感じる」
ニルスは、《禁忌の森》の奥を指差してそう言った。
「何か?」
「……いつも、気になる」
「う〜ん……それって、怖いもの?」
「違う、力みたいな……そんな感じ」
「ピリピリ感じる?」
「……そんな感じ」
ニルスは頑張って説明をしてくれた。それによると、ある方向から何か感じるモノがあるらしい。それは、ピリピリと緊張させられる何かのようだ。
「それは、お家にいるときにも感じるの?」
「感じようと思えば……でも、森に入るとすごく感じる」
「どこから感じるのか、調べたことある?」
「ある……でも、すごく奥だった」
「……この森って、どのくらい奥まであるの?」
「……」
誰も何も答えなかった。
この村ができたのは、80年前だという。それから、《禁忌の森》の縮小を目指して討伐を行ってきたし、森の伐採も進めてきたという。
当初、森と《禁忌の森》を隔てる壁が、ミケーレさん家のところにやっと達したような長さに、ちょっと遅いんじゃない? と思ったが、森を伐採するたびに、壁を奥へと作り直すのだから、それは壁が伸びないはずだと知った。
「僕は、森は1日歩き続けると山にぶつかるって、昔お祖父さんに聞いたことがある。父さんもそんなこと言ってたよ」
「1日……山って、村から見えるすごく高そうな山?」
「そう聞いているよ」
「討伐ではどこまでいけるの? 半分?」
「いや、討伐しながらだから……3分の1も行けないと思うよ」
「そっか……」
そんなことを話している間に、レギンが立ち止まっていた。
そこが、私が手をついた場所だというのだが、『そうなの?』って感じだ。その場所は、《禁忌の森》のどことも特に変わった何かがあるわけではなかった。
「随分荒れているね」
私たちには見えない何かを見て、ニルスはそう言った。
「ここで、クイネを迎え撃った」
ニルスの言葉に、レギンが答える。
「5頭くらい?」
「そうだな……」
「殺してないの?」
「……今思えば、本気じゃなかった」
「本気じゃない?」
ニルスとレギン、私がこの世界に来て言葉を交わした人間の中で、寡黙な人間のトップ2だ。その二人の会話と言ったら……これは、会話になっていないよね。
こんな時には、二人と長い付き合いのアーベルだ。
「ええ〜っと……それはどう言うことなのかな。兄さんは、クイネたちがエルナを本当に追いかけていたんじゃないって言うの? それとも、兄さんに本気でかかってこなかったと言うの?」
「そうだ」
「そうだって、どっち? エルナを追いかけてなかったってこと、それとも」
「両方だ」
「だから、クイネの死骸がないんだね」
えっ、私追いかけられていたんじゃないの?
その時のことを思い出してみると、確かに走ってる途中で意識が切り替わった感じがした。この世界で私が最初に感じたのは、私は走っていると言うことだった。そして、後ろか吠え声のような唸り声が聞こえたのは、その後だったように思う。
「で、ニルス。エルナはどっちから来てるの?」
しゃがんで、今まで地面を見ていたニルスが、アーベルの問いに指をさす。
走って逃げていたなら、まっすぐが普通なのだが、私はレギンとクイネが争った場所を起点に45度ほど南に進路を変えていた。
バルタサール様は無言で私を下ろすと、改めて周囲を警戒し、剣の柄に手を添えた。
「では、進んでみるか」
「そうですね……ここには、何か変わったものも落ちてないと思うし……」
私は辺りを見回してそう判断した。
そもそも、落ち葉が溜まる地面から所々顔を出す根っこや、高さ10センチくらいの低木が所々。ただし、今は晩秋(?)なのか、殆どの葉が落ちてしまって、白っぽい絡まるように密集した枝が残っているだけだ。
私への贈り物が隠れる場所はどこもなかった。
私はニルスに手を引かれて、先頭を進む。
ニルスは周囲を見回し、地面を見つめながらゆっくりと進んで行く。とても真剣な眼差しだったが、私が数枚の落ち葉で見えなかった木の根の上に歩みを進めて、バランスを崩すようなときには、握られた手がギュっと素早く力が入り引っ張ってもらったりした。
他の皆は、いつでも剣を抜けるように構えながら森を進んでいる。追跡はニルスにお任せで、3人は周囲に気を配ることに専念していた。
この前の痕跡は、随分と時間が経っていたが、今回は30日以内の痕跡だったためか、ニルスの足取りは普通に進んでいるようだった。警戒をしながら進んでいるため、誰も話しをしなかったので、《禁忌の森》の静けさが余計に不気味に感じる。
「随分と、静かなのだな……」
つぶやくようにマティアス様の言葉が聞こえた。
そう言えば、森ってこんなに静かだっけ?
「ここには、鳥がいないのです」
「ああ……獣の気配なぞは、私には良く分からないが、普通の森では、鳥の囀<さえず>りが聞こえてくるものだがな」
「だから、《禁忌の森》はとても不気味に感じます」
アーベルは、辺りを窺うように見回してそう言った。《禁忌の森》に入ることは厭わないのに、こうして落ち着かない表情をするアーベルは、どこかで《禁忌の森》が恐ろしく危険な場所なのだと信じているのが良くわかった。
多分、自分から好んで《禁忌の森》に入ろうなどと思う人間は、この村には誰もいないのだろう。私がこの世界に来て、その翌日の明るい時間に、私を見つけた場所に一人レギンが向かったという例外を除いて、温泉騒ぎの時に私が同行したこともあったのだろう、ニルスに私を任せて3人で入った。私が関わらなければ、レギンは一人で《禁忌の森》に入ったかどうか怪しい。
特に何事もなく、進む。かれこれ500メートルは進んでいるだろう。
何事かがあると困るのだが、だが、本当に何もなくただ歩いている。あるとすれば、ニルスが追っている私の進んできた形跡だ。
「これは……面倒なことになってきたね」
つぶやいた私の言葉に、ニルスは顔を上げた。が、何も言わない。
「何かあったか?」
「いや……これだけ何もないのに、私の痕跡だけあるとすると、どこまで進まなければいけないのか……諦め時が難しいです」
「まぁ……魔獣も出てこないのも気になるが、確かに何処まで進んで良いのやら」
「……バルタサール様は、もしかして魔獣を期待してます?」
「いっ、いや、そんなことはないぞ」
怪しい……。
「とりあえず、真上までは進めるのではなか?」
そう、すきっ腹を抱えていいのなら、正午までは進める。そこから帰るのはもっと早く帰れると思う。途中で、何か手間がかかるような事、例えば魔獣が襲ってくるとかが無ければ……。
しかし、こうも森の奥だとすると、私ではない何者かの意思で歩いてきたと言うことだ。それとも、私はその間の記憶をなくしているのか? だが、自分の直感を信じれば、それは違うように感じる、記憶をなくしていたとすると、何が切っ掛けだったのか分からない。犬に追われて恐怖で? 悪いがどんなに怖い犬だろうと、それが魔獣だとしても、私の犬好きな部分はブレなかったと思う。
「では、四の鐘がなったら戻るとするか」
「そうですね」
いつのまにやら、バルタサール様とアーベルでそう決められてしまった。
四の鐘とは、午前10時だ。この森に入ったのは二の鐘と三の鐘の間、午前7時ころだった。これから3時間も歩くのかと思うと、バルタサール様じゃないが、何か起こらないと良からぬことを考えてしまう。何せおしゃべりをしながらともいかない。
いや、危険とか別として無理でしょ、隣はニルスだ。
私への贈り物を探す道のりは、ものすごーく長くなりそうだ。
「ひま」
これが、何度目の呟<つぶや>きだろう。
本当にほとんど会話もなく2時間が過ぎた。
そして、何もない……贈り物らしきものも無ければ、魔獣が襲ってくるようなアクシデントもなかった。
「そなた、そればかりではないか」
私の呟<つぶや>きは最早呟きを超えていた。
《禁忌の森》に響く私の言葉は、皆に聞こえていた。
「こんなに何もないの?」
「これほど進んでも魔獣の1匹も見当たらないのは、普通のことなのか?」
バルタサール様は、アーベルに振り返って尋ねる。ようやく、バルタサール様もアーベルの便利さを理解したようだ。
「ありえません。こんな……こんなに魔獣に出会わないなんて」
「そうだろうな……でなければ、年に1回も魔獣討伐を行うことは無いのだからな」
「エルナは暇だって言うけど、僕は緊張でクタクタだよ」
余りにも魔獣が見当たらないので、逆にアーベルは気疲れしてしまったようだ。
「でも、最近家の周囲に魔獣が見当たらないって言ってたじゃない。ニルスだって、ここのところ静かだった言ってた」
私がそう指摘すると、アーベルは『まぁね』なんて言ってはいたが、本当はしゃべるのも億劫なのではないかと、その表情は疲れ切っていた。
そろそろ潮時だね。
「ねぇ、そろそろ戻りましょうよ、今回はこんな長丁場になる予定が無かったし、今度は」
『今度はちゃんと準備してきましょう』と言いかけた途中で、ニルスが立ち止まり、私に静かにするようにと自分の口元に人差指を当てた。静かにしろと言う仕草は、この世界も私の世界も同じなんだな〜なんて思っていた。
静かにしろと言うには、何か聞きなれない音がすると言うことだ。私たちは誰もが耳をすました。
ええ、何も聞こえませんよ。
異変は、ニルスがいち早く気づくのはわかっていたが、その異変はしばらくしても誰も感知できなかった。1分は過ぎただろうか、次に気づいたのはレギンとバルタサール様だった。
「魔獣か?」
バルタサール様はそう呟いただけだった。
魔獣が近づいてくる足音でも聞こえるのだろうか? 私には相変わらず何も聞こえない。
3分くらいたったころ、私にもやっと聞こえてきた。何かが枯葉を踏むような音が……。
「歩いてない?」
「……」
私の質問に、ニルスが頷いた。
確かに何かが歩いているようだった。人間が一歩一歩落ち葉の上を歩くような、明確な音ではなく、獣の4つの足が落ち葉を踏みしめるような騒がしさでもなく、いや、もっと騒がしい。ガサガサという音の後に、再びガサガサと言う音だ。
ニルスが正面を指差した。
バルタサール様が剣を抜いて私の前に立ちふさがる。そのおかげで何が来るのか分からない。ちょっとはしたないけど、バルタサール様足の間から覗き見る。何かちっちゃなものがやってくるのは見えたけど、よく分からない。あの大きさなら、兎だろうか?
「ええーっと……なんだっけ……ラパン?」
「違う」
鋭くニルスに否定されてしまった。
それぞれが剣を抜いて微動だにせずに構える中、私はバルタサール様の足の横から顔を出して、その生き物を見極めようとした。
あの日、レギンが私を追いかけてくる魔獣に、剣を向けた時に聞こえたのは、キャンと言う悲鳴だった。あれは出来ればもう二度と聞きたくはない。たとえ魔獣だとしても……。
「随分小さいな……」
「でも、ラパンだったら油断してはダメです!」
アーベルが、マティアス様の後ろを守るように、後方にも注意を向けていた。レギンは、マティアス様とバルタサール様の間で警戒している。
そんなことはお構いなしに、何の生き物か知らないが、それは確実にこちらに近づいてきていた。