アン・キャド
「このハーブの名前って……この国では共通なの?」
唐突の質問は私。
何故なら、先ほどの話の最中に思ったことで、ハーブの名前にとっても馴染みがあったからだ。まぁ、タイムと言われても私の世界と同じタイムとは限らないが……。
エッバお婆さんは、私の質問の意味が良く分からないのか、首を傾げた。その様が、先ほどのニルスと似ているので、ちょっと可笑しかった。
「それは、どういう意味だい?」
「ほら、違う場所ではその地方の呼び名みたいなのがあるのかなって……」
「そうだね……古い時代の頃に呼ばれていた名前みたいのはあるかもしれないけどね。こんなにハーブティーが普及したのは200年前くらいだからね、もう昔は何と呼ばれていたのかなんて、誰も覚えていないだろうさ」
「200年前……その前は、お茶を飲む習慣がなかったの?」
「ハーブティーは、もともとは治療の一環だったからね。病気を治すのに使ったり、体調を整えたりするために治療師が処方していたんだよ」
「でも、今ではどの家でも自分でハーブを採って、自分でお茶を作っているよね。その200年前に何があって、みんなハーブティーを飲むようになったの?」
そう、この世界の人々はハーブティーはそれぞれの家で作っているのだ。以前に、食後に飲むハーブティーがなくなりそうだったので、オロフさんの店に売っているものだと思っていた私は、アーベルに笑われたのだ。今は、バルロブさんにお任せしているが、最初の1つは私もアーベルに教えてもらって作ったのだ。
何せ、ハーブには多く摂取すると体に悪いものもあるし、ハーブによってはドライハーブの方がいいと言うモノもあれば、生のハーブを使うものもあると言う。ハーブティーと一言で言うが、実は奥がとても深いものなのだ。
そして、理解したのだ。共有林の隣にある畑に、あんなに多くのハーブが植えられている理由を。
「それは、アールヴィース・ボエル様のことだろうか?」
私の問いに答えてくれたのはマティアス様だった。
「ボエル……様?」
「200年前に、アルヴィース様として目覚められたボエル様は、治療師が飲ませていたハーブが、実は普段から飲むことによって健康を保ち強い体を作ると言うことを立証したのだ」
「立証って、どうやって?」
「彼女の生まれた町は、数年前に疫病が流行って孤児が多くいた。その孤児の世話をしていた彼女は、何かにつけて孤児たちにハーブティーを飲ませていたのだ。そんな時、いつもの年より厳しい寒さの冬がやってきて、町の人々が体調を崩すなか、孤児院の子供は一人として病にかからずにいたそうだ」
孤児院なのだから、みんな栄養状態はギリギリだっただろうし、暖をとるのにも苦労しそうな生活なのだろうが、それでも大きく体調を損なう者がいなかったというのは、あっと言う間に近在に知れ渡ったと言うのだ。
「アルヴィース・ボエル様は、私たち治療師の先駆者なんだよ」
「その人が、普通の人でもハーブを飲めるように広めたの?」
「そうだね、そう言っていいと思うよ。彼女はこの国中のハーブを調べてね、どんなハーブにどんな効果があるのか、そしてどんな風に飲むのがいいのか、そんなことを治療師だけではなく普通の人にも広めていったんだよ」
「この国の……全部調べたの?」
「そうらしいね……」
この国がどんなに広いかなんて全く解らないのだが、ある地域の植物をすべて調べると言うのが、どんなに大変なことか理解はできた。ましてや、その薬効などを調べるとなると……。
「ボエル様はハーブの花や葉を精油にして、傷や火傷を治す薬を作ったりすることも広めたんだよ」
「……アロマテラピー……」
「ん?」
「なんでも無いです。……じゃあ、その精油というものは売っているの?」
「まさか、自分で作るんだよ」
なんと、蒸留装置がエッバお婆さんの家にあるのだろうか。まさか、魔法で? なんてことも無いとは言えない……。
蒸留装置なるものがこの世界にあるとしたら、焼酎とかもあるのかな?
「ミントとか、タイムって言うのもその人が名前をつけたの?」
「う〜ん……それはどうだったかねぇ〜……」
エッバお婆さんが、何かを思い出そうと黙ると、マティアス様が助け舟なのか、そのことに関係あるかのような言葉を発した。
そう、聞き捨てならないことだ。
「エッバさん、もしかしてそれはアン・キャドだったのでは?」
『アン・キャド』
全くもって想像のつかない言葉に、マティアス様に尋ねた。
すると、それは思ってもいなかった事象のことだった。
「アン・キャドって何?」
「アン・キャドとは、アルヴィース様がこの世界にやってくるときに、神からアルヴィース様に送られる物だよ」
「それは……どんなものなの?」
「色々だよ。アルヴィース・ボエル様の時にはタイムやカモミールなどのハーブだった」
「そっ、それは全てのアルヴィース様に?」
私は身を乗り出した。座っている私はちっちゃくて、足がブラブラな状態だが気持ちは過去にない程の前のめりだ。
そう、それが本当だったら、私にも神とやらから何か贈り物があるはずなのだ。いや、そうではなく、その贈り物があると言うことは、私がアルヴィース様だと言う動かぬ証拠にはならないだろうか?
「そうか……エルナがアルヴィース様だとしたら……」
「マティアス、そのアン・キャドとやらはどこにあるのだ」
バルタサール様はマティアス様の言葉に、何が起こっているのか理解した。そして、私の気持ちを代弁するかのように、卓の上に身を乗り出した。
「あたしの記憶だと、ボエル様の時には、家の周囲の草の中からそれらは生えていたと聞いたことがあるね〜」
「以前話しに聞いたところによると、アルヴィース・シモン様の時は、見たこともない道具が生家の畑で発見されたと聞いた」
「それでは、何の手がかりにもならないではないか」
「だが、その全てはアルヴィース様の近辺で発見されており、そのモノの重要性はアルヴィース様でないと解らないという共通点がある」
この世界で賢者様と呼ばれている人々は、間違いなく私の世界からやって来た人々だと思っている。とすると、もしも私がアルヴィース様だとしたら、私の近辺でもこの世界の人には見慣れないモノが発見される可能性があると言うのだ。
「でも……、そのアン・キャドは私がいた場所にあるの? それとも目覚めた場所にあるの?」
「それは……」
私の質問に答えられる人は誰もいなかった。
私が元いた場所は不明だが、今日の《禁忌の森》での捜査ではそれらしき物は見つけられなかった。いや、正確に言うと見られなかったと言うところだろう。だって、そんな目であの場所を見てはいなかったのだ。もし、何か特異な植物が生えていたとしても私は気がつかなかったし、自然界に無いもの……たとえば、あの小さな輪っかの鎖みたいなものも見つからなかった。
後者に関しては、皆も意識して探していたから見つかったのだと思う。
アルヴィース・ボエル様は、もともとハーブの知識があったようで、この世界に無かっと思われる精油などを普及させたと言う。
方や、マティアス様が言っていたアルヴィース・シモン様は、何か道具が発見されたというが、今の段階でこの方が何の専門家か私には聞き覚えがなかった。私が覚えているのは、前にアーベルから聞いたアルヴィース・ペッテル様は獣医だったと言うことだ。彼の周囲でも、治療に役立つ器具などが発見されたのだろうか? 残念ながら、マティアス様は知らなかった。
もし、私がアルヴィース様であったら、私の目覚めたあの《禁忌の森》に何かあるのだろうか? それとも私の仕事道具が発見されるのだろうか?
私がアルヴィース様ではないのか? そんな疑いが浮上した時から謎であった、この世界で賢者様であるアルヴィース様と呼ばれるほど、私には得意なことは何なのか? 何のために私がこの世界へやって来たのか?
見つかれば、何かわかるのだろうか?
本来なら、今日中に見ておくはずだったあの場所、レギンとアーベルに出会ったあの場所に、明日、朝一番に向かうことになった。
この家のすぐそばにある、あの壊れた塀の向こう側。
空には大きな月が出ていて明るい夜だったが、レギンがニルスとエッバお婆さんを送り届けに出て行った。ダニエルとブロルは今晩はヨエルとアーベルの部屋に転がり込んでいる。
バルロブさんたちの手伝いをし、片付けを何となくしていたのだが、もう遅い時間だからと笑顔で追い出され、エーミルくんには「子供はいつまでも起きてちゃダメだよ」なんて言われる始末。まぁ、私の世界でも7時には布団に押し込まれているだろう。
本来、子供の体の私はもう眠くなっていていいはずなのだ。同い年と思われるエイナとフランシスはもう寝ていると言うのだから。
まだ、眠くないんだけど……と思いながら、私は部屋に戻って服を脱ぎ始める。
今日、判明したことは多かった。
私は誰とも知らぬ者達によって、どこかから攫われてきたのだ。そして、《禁忌の森》のあの現場で、目覚めた私は森へと逃げ込んだ。その現場に居合わせたミケーレさんとエイナには本当に気の毒としか言いようが無いが、その者達は私とエイナとを間違えて、そこからミケーレさんのエイナの追走劇が始まった。
当の私はと言うと、《禁忌の森》に逃げ込んでやり過ごすことに成功したが、その後、私がこの体で《禁忌の森》で目覚めた。
だが、その間の60日間は相変わらず謎だ。
しかし、何があったにせよ、私がアルヴィース様としてこの世界にやってきたのは、間違いないように思われる。バルタサール様とマティアス様の証言で証明されたブレスレットの存在。アルヴィース様の器となる子供たちがしていると言うブレスレットが、私の腕にあることが何よりも私=アルヴィース様だという最も有力な証拠なのだ。
解ったとは言え、まだまだ全容解明のほんの一歩だったのだと、まだ山のようにある謎の事柄に、ただただため息が出るだけだ。私が本当は誰なのか、何をなすべきことなのか、何も解ってい無い今はただひたすらに、日常を淡々と過ごして行く他は無いと結論を出している。
「私への贈り物って……何だろうな……」
そう独り言を言いながら、ちょっと、楽しみにしているのだ。
いいモノをくれるといいな……なんて思いながら、しかし、この世界に私を連れてきたのがその神だとしたら複雑な心境だ。
そして、私はいつの間にか眠りについていた。