アーベルの誕生月祝い
「アーベル、おめでとう!」
私が一人で料理をテーブルにセッティングしていると、ドアが勢い良く開いて、一人の少年が飛びこんで来た。呆然とする私と、「あれ?」という表情で立ち尽くす少年との間で、どれくらいの時間がたったのだろう……。
「ノア!」
アーベルが嬉しそうに駆け寄るが、少年の表情は変わらずに私を見ていた。私も急に入って来た少年を、視線をそらすこともできずにいた。勿論、人が急に入って来たことは驚いたが、それだけではなく、少年の髪の毛がオレンジ色だったからだ。
パンク少年? 最初に思ったのは染めているのではないか? だったが、この世界の生活様式で染めるということは無いだろう? いやいや、これもまた、私の固定観念なのかもしれない。とすると、このオレンジ色は地毛なのか?
とにかく、いろいろな考えがグルグルと頭の中で渦を巻いていた。
「ノアも噂に聞いているんだろ? エルナだよ」
「はぁ」
「エルナ、俺の親友のノアだよ」
「はぁ」
間抜けなことに、2人で『はぁ』と言う挨拶の言葉(?)を交わした。この異変に気づいていないのか、アーベルは会話を続ける強者である。
「なんて顔してるんだよ」
「バカ面って、あーゆーのを言うんだね」
「あははは」
二階の手すりから聞こえる笑い声で、私とノア少年は通常に戻った。
「あっ、アッフが一番乗りか!」
「アッフって言うな!」
「お前たち、椅子を早く運べよ」
「今運んでるだろ!?」
アッフたちがそれぞれ椅子をもって2階から降りてくる。
「俺は、ノアだ。お隣さんだ」
「エルナです、よろしく!」
オレンジの髪のノアは、改めてそう言った。やっと人間の挨拶ができた。
「お隣さんって、家、見えないけどな」
アーベルは、拳でノア肩を打つと、2人で笑い合っていた。
ドカドカ音をまき散らし、アッフたちはテーブルに椅子を並べる。そんな時、レギンが帰ってきて、ノアとアッフたちの意識がレギンに移った。ノアがレギンに挨拶をして、アッフたちもその輪に入る。何やら、ヒツジの話しをしているようだ。私は、その輪に入らずに、テーブルに食器を並べた。
「エルナ」
名前を呼ぶ声に、私は振り返った。そこにいたのは、思いもしなかったブロルだったけど。
「ブロル……」
「君、記憶が無いって本当?」
「ん」
「その割には、いろいろ知っているよね」
ブロルの問いに、いよいよ来たかと思った。ダニエルの妹、スサンについて町長に色々と進言した。『どうしてそんなことを知っているの?』と、その場で言われても可笑しくない状況だった。だから、今までに一緒にいた時間が長く、聡いアーベルが最初に尋ねてくるかと思っていた。でも、アーベルやレギンからはそんなことを問いかけられなかった。
聞かれるだろうと思って、いろいろな言い訳を考えていたけど、問われる人物がまさかのブロルだとは思わなかった。ゆえに、アーベルとレギン用の言い訳が通じないような気がする。
「私……」
「何やってるんだよ、ブロル!」
「アーベルが早く食べたいんだって、僕もだけど」
思わぬ援軍、ダニエルとヨエルだった。それでも私たちの空気が不穏だったのか、ヨエルは少し身を引いた。ダニエルは、何も気がついてない様子だったけど。
ブロルもぐいぐい来るタイプなのか? ダニエルは最初からぐいぐいと近づいて来たが、いかにも大人しそうなニルスやヨエルとはまだちゃんと話したことない。なのに、いきなり確信をつく質問に、お姉さんは一瞬ひるんでしまったよ。
ブロルがダニエルとヨエルに連れ去られるのを見送って、さて、どうしたものかと思いながら、私はスープをお皿に入れ、サラダを盛り、パンを出したりした。アッフ4人組に手伝ってもらいながら……。
小さな鍋に、ニルスとエッパお婆さんの分を選り分け、ニルス少年に持たせた。
「ありがとう」
「ご飯終わったら、ここに戻れる?」
「?」
「お菓子を作っているから、食べにおいで」
「……わかった」
そう言うと、いつの間にか、空が夕暮れのオレンジと、薄墨のような夜の色が重なっている外へと出て行った。そして、帰って行ったニルス少年と入れ替わるように、色々な人々がやってきた。
最初にやって来たのは、ブロルの家族だった。宿屋の主人クヌートさんと、レギンたちの叔母であるイーダさん、ハッセとブレンダの双子の兄妹、ブロルの双子の片割れオーセと、イーダに抱かれたデニスだった。
叔母のイーダさんは、レギンとアーベルを少し乱暴に抱きしめ、ヨエルの頭をぐじゃぐじゃと乱暴に撫でた。随分と、豪快な叔母さんのようだ。
「あなたが、エルナ?」
「はい……エルナです、よろしくお願いします」
「あははは、これは随分と丁寧に」
そう笑うと、私の頭をヨエルのように乱暴に撫でた。
「叔母さん、ご飯食べてきたの?」
「いや、うちからも一品持ってきたけどさ、ちょっと楽しみで来ちまったよ」
「僕も楽しみなんだ」
アーベルは、イーダさんとともにテーブルに並べられた料理を見た。『楽しみ』って、村長あたりから漏れたのか? とも思ったが、アーベルの誕生月の祝いに多くの人がやってくるのは、アーベルにとっては良いことだと思うから、客寄せになるのなら満足だ。
「アーベル、ご飯にしていい? 冷めたらもったいないよ」
「そうだね」
誰言うとなく、おのおの好きな場所に座りはじめる。レギンは足りない椅子をどこからか持って来て並べ、ヨエルと私は増えたお客様の分の料理を並べた。
本当に挨拶はそこそこだな。なんて思っていたが、レギンが食事前の「ソールとノートに感謝を」の言葉の後、『美味しい!』の騒ぎになった。
「なんだいこりゃぁ」
「なっ、すげー美味いだろ?」
「ダニエル、何でお前が自慢しているんだい」
「お肉が柔らかいよ!」
「ヨエル、口についてるよ。しかし、本当だね……これはヤケイの肉かい?」
「そのようだな。白いから牛乳で煮たのかと思ったけど、そんな感じはしないな」
「おいひぃ〜!」
料理の分析に、イーダさんとクヌートさんが首を傾げる。笑顔で美味しいと言う子供たちには、何が入っていて、どうやって作ったのかどうでもいいようだ。まぁ、わかるけどね。誰が何を言っていたのかなんて、騒がしくて判別がしずらい。
まぁ、ホワイトソースが受け入れられるなら、小麦粉でパスタを作って、グラタンなんかも好まれるかもしれない。そう言えば、パスタなんてあるのかな? 私は私でそんな事を考えていた。
「シチューで驚いてちゃぁダメだよ、叔母さん、サラダを食べてごらん」
「ん? これはカッテージチーズかい」
最初にイーダさんが口に入れる。数回の咀嚼で『むぐっ』と言う、奇怪な音を発して無言で食べた。何人かはイーダさんの行動をじっと見つめる。
「美味しいじゃないか! なんなんだい、このサラダにかかっているモノは?」
「それは、マヨネーズです」
「マヨネーズ? 聞いたことないね。何で作ってあるんだい?」
「卵と酢とオリーブオイルです。あぁ、少し塩も入れてあります」
「それだけ?」
「それだけです」
「?」
イーダさんの『美味しい』に、最も手を出す気のなかったダニエルが、興味にかられて口に入れる。そして、ヨエルとブロルも続く。そして、彼らも大騒ぎをするのだが、ハッセやブレンダ、オーセなど野菜が得意でない子供たちが大騒ぎをしている。
イーダさんをさらに驚いた顔にさせたのは、あっと言う間にサラダを間食してしまったオーセの様だった。後で聞いたのだが、オーセは偏食家で、特に野菜はほとんど口にしないらしい。そのせいか、風邪も良くひくし、肌艶が悪く、湿疹が治らないのだそうだ。ビタミンの欠乏が原因だ。
早速、イーダさんにマヨネーズの作り方を請われ、私とアーベルで材料と作る手順なんかを教えた。最後に、このマヨネーズを宿屋でも提供して良いかと問われ、私は快く承諾した。
料理で大騒ぎになり、アーベルにお祝いの言葉を述べ、プレゼントの話しをしたり、村で起こったことを面白可笑しく話し、笑い合ったりして時間は過ぎて行く。いつまでも騒ぎが続く原因は、話しや笑いが一段落ち着きそうになると、お客が登場するからだ。
今朝出会ったエルランド親方のように、バターを作る臼のような道具をプレゼントするだけで帰ってしまった人がいたり、ちょっと顔を出すだけだと、プレゼントを渡しに来たダーヴィッド村長さんや、ちょっとつまんだ唐揚げが気に入って、入り浸ったオロフさんなど、入れ替わり立ちかわりやってきた。
やってきた人々を、いちいち紹介してくれるのはいいが、とてもじゃないが覚えきれない。銅製のボーの置物を持って来たハンスさんや、雑貨屋のオロフさんの息子のランナルさんは、ぼろぼろの本をもって来てアーベルを大喜びさせた。あまりにもアーベルが大喜びするので、ランナルさんを覚えた。
途中から、私は無理に覚えるのはやめてしまった。子供の体なので、要領オーバーなのか、疲れてしまっていた。最後の方は、レギンの横の椅子に座り、ブロルの姉のブレンダやオーセが話しているのを、レギンとほぼ黙ったまま相づちを打っていた。
「おい」
「……」
「おい」
トンと指でつつかれて仰ぎ見ると、ダニエルだった。
「お前、アーベルに何をプレゼントするんだ」
「ダニエル、エルナは今日はじめて知ったんだ、あの美味しい晩餐で十分だろう」
レギンの初めて聞いた長い台詞だった。
「大丈夫、アーベルへのプレゼントはちゃんと用意してあるよ」
「そうなのか?」
「うん、でもニルスを待っているの」
「そうか」
「何で、ニルスを待つんだよ!」
レギンはすんなり納得したのに、ダニエルが食いついて来た。なぜに?
「だって、戻ってくるって言ってたし……」
「だから何でだよ」
っとにメンドクサイ……。
「なんでも」
「なんだよそれ」
「後のお楽しみ」
そんな無駄な会話を数回したころ、やっと解放された。当のニルスが戻って来たのだ。
私は、眠い眼をこすりながら、椅子を降りた。プリンは蒸されたまま、火の落ちた釜に入ったままなはずである。ちょっとふらふらしているが、レギンに付き添われて、釜の所に行く。
「レギン、この水に浸かっているのをテーブルにもって行って、私、取り皿をもって行く」
「わかった。大丈夫か?」
「うん、もう用意はしてあるの」
私は食料庫から、取り皿と木製の匙をあるだけもって行く。いつから居たのか、ダニエルが代わりにもってくれた。
「アーベル、エルナからのプレゼントだ」
レギンがそう言うと、テーブルに私の世界で言うところの『耐熱容器』をテーブルの中央に置き、使用済みの皿を重ねて片付けはじめた。
アーベルは、火の無い暖炉の前で、ハッセとノアと座っていたのだが、眼を輝かせて立ち上がった。私が何か美味しいものを作ったのが解ったみたいだ。
「エルナまでプレゼントだなんて、そんなの良かったのに!」
「そんな訳いかないよ、アーベルは私にとても優しくて親切だもん」
私がそう言うと、アーベルは、はっとした顔をしたが、すぐに照れたように笑った。
「アーベル、座って座って!」
アーベルを座らせると、私は取り皿に、大きめにプリンをすくって入れた。アーベルは『ありがとう』とお礼を言って、プリンを躊躇うことなく口に運んだ。
アーベルは、何も言わなかった。大きな驚いた眼をして、黙々と食べた。気が利くことに、イーダさんがハーブティーをアーベルのそばに置く。レギンにプリンを取り皿にいれて渡し、次々にプリンの入った取り皿は持ち去られた。
幸せそうに食べるアーベルを見て、料理は独りで食べるためにするもんじゃないなと思った。一人暮らしの人間に、不健康で不経済だと自炊を進めるのは罪だ! とも思った。
そんな事を考えながら、最後にプリンを数口食べたのが、私の最後の記憶だった。
《エルナ 心のメモ》
・アーベルの親友は、オレンジ色の髪の毛をしたノア
・ブロルの家族をコンプした
・ボーの置物がハンスさんからプレゼントされた
・子供用のかぎ針を作った、ランナルさんと知り合った。