お昼ご飯
家にいてもわかった。遠くで鐘がなった。実は、この鐘の音は、ちょいちょい聞いていた。でも、今回の鐘は長かった。
目の前で、冷たい甘い牛乳を飲んでいるアーベルに、尋ねようとしたが私が尋ねる前にアーベルは言った。
「あぁ、真上の鐘だ」
「真上の鐘?」
「太陽が真上にきた時にならす鐘だよ、ちょっと長かっただろ」
以前、心のメモに書いておいたニルス少年の『真上過ぎたら』と鐘の謎が判明。この鐘が聞こえると、正午だと言うことだ。ようやく時間を知ることができた。そして、正午=真上は同義語だったのだ。
「この村では、三番目の鐘、五番目の鐘、真上の鐘、七番目の鐘、夜の鐘は長いんだよ」
「それぞれの鐘の間は、同じ時間なの?」
「そう、二時間に1回鐘が鳴るよ」
今、二時間といいましたか? 時間区分がちゃんとしていると言うの?
この家には、時計のようなものが見あたらないけど、鐘を鳴らす人は持っているのか?
「鐘を鳴らしているのは誰?」
「ダーヴィッド村長じゃないかな」
村長は、時間が解る道具を持っていると思われる。今度聞いてみようと、エルナの心のメモに記載した。
「もう、お昼の準備は出来た?」
「うん!」
「じゃあ、準備しちゃおうか、すぐに兄さんたちも戻ってくるからね」
私はアーベルと、食事の準備をしはじめた。
コップとフォークとスプーンをそれぞれの場所に置き、真ん中にまな板として使っていた板を置いた。その上に、釜からオニオンスープ+パン+チーズをアーベルに出してもらう。
平皿には、焼いた鶏肉に煮詰めたトマトソースを掛け、添え物にフライドポテトを置いた。大きな平皿に、ちょっとスペースが開いているように見えるけど、その部分には、オニオンスープの進化系を置いてくださいと思っている。
えっ? アーベルが静かだって? 実は、『良い匂い』『美味しそう』『これは何』の3単語が飛び交ったが、五月蝿かったのではしょりました。
「ニルスも呼べばよかったよ」
「ん?」
「真上過ぎたら来るって言っていただろ?」
「そっか……そうだね」
ダニエルには意地悪言うアーベルだけど、ニルスはお気に入りなんだなぁと感じた。
コップに甘い牛乳を入れ終わると、ぞろぞろとレギンたちが裏口から入って来た。
アーベルも五月蝿かったが、掛ける3倍になるとやかましい。
「何だこれ!」
「これ、トーマート?」
騒ぐ2人を、レギンが早く席につくように言う。みんなが席に着いた頃にレギンが言った。
「ソールとノートに感謝を」
レギンのその台詞をみんなが復唱する。そして、一瞬だけ目の前で手を組んだ。何やら、食事前のお祈りみたいだった。ソールとノートとは、神のことだろうか? とすると、ここは多神教のようだ。
「うわ〜、なんでヤケイの肉がぱさぱさしてないの?」
アーベルは、いつも私が考え込んでいると、それを邪魔する。でも、気に入ってくれたようで嬉しいし、アーベルには色々教えてもらえているのだから、やっぱりアーベルはそのままでいいかな。
「これ、本当にトーマート?」
「ホントに酸っぱくない!」
「これも食べる?」
私は靴を脱いで、椅子に立ち上がると、オニオンスープ+パン+チーズを、隣のアーベルに切り入れた。さっそくアーベルは口へと運ぶ。
「これ、朝のスープ?」
「うん、それに、パンを入れてチーズを掛けて焼いたの」
「オニオンの切り方が同じだからそう思ったけど、でも、全然別のものだ」
「チーズを焼くって、美味いな」
ダニエルも満足そうだ。そういえば、ヨエルもトマトが酸っぱくないと言っていた。とりあえず、3人からは好評を得たようだ。
「レギン、美味しい?」
「ああ、美味しいよ」
穏やかな微笑みでそう言うレギン、ますます年齢詐称疑惑が膨らむ。
滞りなく昼食は進み、皆が満足する頃には、結構多めに作ったにもかかわらず、一欠片も残らなかった。
「なぁ、エルナの料理は美味しいだろ?」
自分のことのように自慢するアーベル。まったくブレない。
問われたダニエルは、立ち上がると凄い剣幕で言った。
「この料理の作り方を教えてくれよ!」
「えっ?」
「これなら、母ちゃんも元気になる」
思わぬ台詞に戸惑って、アーベルを見ると悲しそうな顔をされた。と、同時に思い出した。ダニエルの母親は、具合が悪いと言っていたことを。
「ダニエルのお母さんは、どうして具合が悪いの? 病気なの?」
「スサンが産まれてから、寝たり起きたりしているんだ」
「ブリッドもかんばっているんだけどなぁ」
産後の肥立ちが悪いようだ。産後の肥立ちとは、子供が産まれてから、体がもとに戻ったり、傷ついた箇所が治ったりするのだが、それが思わしくないということ。または、単に栄養状態が悪いためとも考えられる。
赤ん坊は産まれると、2時間おきに授乳が必要だ。24時間そうなのだから、母親の睡眠も長くて2時間という計算になる。が、そう単純ではない。食の細い子は、満腹になるまで30分以上もかかる。でも、お腹をすかせる体内時計は、きっかり2時間なのだ。そうすると、母親の睡眠が短くなるのだから厄介だ。
良く、母親が『うちの子、食が細くて』という愚痴も、食べるのに時間がかかるという意味と、時間がかかる故に、食べるという行為に飽きたり、赤ん坊の場合は、吸う行為だけで疲れて眠ってしまったりするのだ。
ダニエルの母親を、単純に休ませて栄養を与えるだけで済むのか解らない。そして、ブリッドって誰だ?
「じゃあ、お家からお鍋を持って来てくれる?」
「鍋?」
「美味しい(栄養のある)スープを家族のぶん作るよ」
「本当か?」
「うん」
「わかった、今から持ってくる」
「ちょっと待って!」
慌てて今にも飛び出そうとするダニエルを止める。
産後の肥立ちが悪い場合、周囲が手伝うことが重要だ。例えば、家事をする者、母親に代わって授乳をさせ者等。それが出来ていないのでは、それをまずやってみることが必要だと思った。
とにかく、何よりも現状がどうなっているのか知るべきなのだが、ダニエルが全て答えられるのか解らない。それと、これから先の情報は、言っていいのかわからない。子供らしからぬ知識で、尚且つかなり言動がそぐわなくなること請け合いだ。
この時代と、私の知っている時代を比べ、きっと産後の肥立ちで悪くて亡くなる人は多いはずなのだ。体が弱っていると、風邪や食中毒を起こしたら、まず間違いなく……。人の命がかかっているのだから、言いたいのだが……。
「良く聞いて、絶対に忘れないで」
「?」
「お母さんをベッドに押し込んで、もうベッドにいるのが辛いと言うまで出さないこと」
「うん」
「起きても、重いものを運んだり、階段を何回も登ったり降りたり、息が切れるとかの仕事は絶対にさせちゃダメ」
「うん」
「ご飯はちゃんと3回食べること」
「うん、エルナは、ずーっと食事を作ってくれるのか?」
2家族分の料理? 一日中料理してないといけないぞ!
慌ててアーベルを見る。
「そうだ、毎日ブリッドが、鍋を持ってここでエルナと料理を作るって言うのは?」
だからブリッドって誰?
「ねえちゃんに頼む!」
ああ、お姉さんなのね。まぁ、それなら助かるかな。
「それと、夜に赤ちゃんにお乳をあげるのは、ダーヴィッド村長さんにしてもらってください」
「はぁ?」
この『はぁ?』は、ダニエルとアーベルの合唱だ。いや、父親から乳は出ないのは知ってますよ。そんなイタイ人を見るような眼はやめて!
「哺乳瓶ってあるのかな?」
「何それ?」
ああ、無いんですね。じゃあ、作るしかないじゃない。思い当たるものを探す。
「皮の水入れはある? 旅で使うようなヤツ」
「そう言えば、あったような……」
「それが欲しいです!」
少し考え込んで、レギンは立ち上がった。どうやらある場所の検討はついているようだ。
「アーベル、ヤギがいるって言っていたよね」
「ああ、5匹いるよ」
「ヤギのお乳はある?」
「あっ、今はまだ。もうそろそろ子供ができるからそれまでは無理だ」
「この村にはヤギのお乳は手に入らない?」
「ヨエル、ブロルの所に行って。聞いてきて」
「ついでに、少しもらってきて!」
「うん!」
アーベルがヤギ乳が手に入る方法をブロルという人物に丸投げした。言われたヨエルは、食料庫に入って、陶器の入れ物を持って出てくる。
「急がなくていいから、気をつけてね」
「うん」
私の言うことに、何故か素直に従っている。彼は彼なりに、叔母さんが心配なのかもしれない。
「牛乳じゃダメなのか?」
「ほら、牛乳って飲み過ぎると、お腹こわす人いるでしょ? 赤ちゃんならお腹壊しちゃうよ」
「そっか……」
「へぇ〜、ヤギの乳はお腹を壊さないのか」
ちょっと気になる言い方だけど、言い訳もすでに考え済みだ。どーんと来い!
まぁ、その前にレギンが戻って来てしまったのだが……。
「エルナ、これでいいか?」
「あー、それは……胃袋?」
「ああ」
レギンが持って来た皮の水筒は、この時代の旅の必需品だ。ヒツジやヤギの胃袋などで創られていて、それを乾かして水を入れて持ち歩くのだ。
「アーベル、スサンは産まれてからどれくらいたつの?」
「え〜と……」
「豆の月の1番目の……」
「水の日! じゃあ、今は色の月の一番目の命の日だから25日目かな」
豆の月と色の月? これは月の名前なのか?
まぁ、あとで計算してみれば、月の日数とか解るかもしれない。
「ここからが最も大事なことだから、忘れないでね」
「うん」
「スサンは良くお乳を飲む子?」
「わかんない」
解んないのかよ!
ダーヴィッド村長さん求む!! そう心の叫びを聞いたように、アーベルは鋭い声でダニエルに命じた。
「ダニエル、お家に行って、お鍋と村長かブリッドを連れてきて」
「うん!」
なんて明るい笑顔で答えるの? うわぁ〜、これは責任重大だ。
「何でダニエルは覚えようとしないのかなぁ。だから文字をいつまでも覚えないんだよ」
プーっと頬を膨らまして、アーベルはぼやく。
しかし、心で叫んだのがアーベルに解ったのか、少しどきりとした。
エスパーですか?
「他にすることはあるか?」
「ううん、村長さんに説明するだけだから」
「そうか」
レギンはそう言うと、炉の近くにあった、私がすっぽりと入るような大きさの桶を持って来た。
何が始まるのかと見ていると、その中に食事に使った皿やスプーンを入れ出した。私も慌てて食器を入れる。アーベルもつられて鍋を両手に持つ。
これから、水場で洗う作業をするのだ。
「これからは、どんな仕事をするの?」
「俺は、壁の修理と柵の点検だ」
「僕は、ヒツジ小屋の掃除と寝わらの交換」
「チーズは出来た?」
「上手く出来たよ」
そんなことを話しながら水場に向かう。私も取りあえず、村長が来るまでは暇なので、アーベルかレギンを手伝うつもりだ。
しかし、あんなことをぺらぺらと喋った割には、レギンもアーベル無反応で、少し肩すかしを喰らった気分だ。
最低でも、アーベルから『どうしてそんなことを知っているの?』くらいは覚悟をしていた。子供の知る知識ではないし、私は記憶喪失ということになっているのだ。
水場に到着すると、早速鍋を洗ったのだが、この石けんはなかなかの優れものだった。油なんか簡単に落とせないだろうなぁと思っていたが、たっぷりと石けんの泡があれば、あっという間に落ちてくれる。
これなら、洗濯物でも使えるかな?……あぁ、気がついてしまった。
「服の洗濯はしないの?」
「今日はしない」
「今日は? と言うことは洗濯物があるの?」
「だから、今日はしないよ」
「私がやろうか?」
「ええっ! エルナは小さいから無理だよ」
どんな洗濯だよ。それとも大量に溜めているいるのか? 明日は、是が非でも洗濯をしてやると、心の誓った。
《エルナ 心のメモ》
・2時間という言葉がある
・2時間ごとに鐘が鳴る
・三番目の鐘、五番目の鐘、真上の鐘、七番目の鐘、夜の鐘は、長く鳴る
・鐘を鳴らしているのは村長さん、村長さんは時計を持っている?
・「ソールとノートに感謝を」と食事の前に言う、今日の朝はそんなこと言わなかったよな
・ソールとノートは神の名前なのか?
・ダニエルの母親は、スサン(弟? 妹?)を産んで産後の肥立ちが悪い
・スサンが産まれたのは豆の月の1番目の水の日から、今日、色の月1番目の命の日の間が25日
計算してみたら、色の月は30日だった。
・バカにしていた石けんは、とても優秀だった
・洗濯は重労働なのか、それとも大量に溜め込んでいるのか?