自家製のあれこれ
家に着くと、レギンとダニエルとヨエルは、敷地のスミで剣の稽古をはじめた。ヨエルは村長の家から荷物を持って、勝手に帰ってきていた。
私の眼から見ても、ダニエルの剣はまだまだだった。力一杯で打ち込むが、まだ体幹が弱い。だから、ちょっとでも抵抗されると、すぐにバランスを崩す。まぁ、9歳なんだよね。
私はと言うと、早速天然酵母を作ることから始めた。家にあった陶器を煮沸消毒し、水車小屋でもらった小麦の殻を水と混ぜ、冷えた陶器に入れて布の蓋をした。これを、失敗した時のために3つ作って、第一段階終了。
その後、アーベルと共にチーズ、バター作りをした。木製の臼のようなものに、置いてあった牛乳の上澄みを入れて、残りを3つの木材が支える鍋に入れた。
私が木製の臼に、お風呂をかき混ぜるような棒で中の牛乳を撹拌した。これがなかなか重労働だった。その間、アーベルは鍋の下で薪を焚き、すぐさま私と交代してくれた。
温めはじめた牛乳を、大きな杓文字のようなもので、ぐるぐるとかき混ぜる。湯気が出てきた頃を見計らって、アーベルは鍋に何やら液体を入れた。
「それは何?」
「シトロンの絞り汁だよ」
シ、シトロエン? 車の絞り汁? なんて思わないけどさ、どうにかならないかな、この言葉が入れ替わったり、他言語だったり、ちょっとズレていたりするの。だって、舐めた感じはレモン汁なんだもの。フランス語でレモンだと思い出したよ。
レモン汁を投入すると、再びゆっくりとかき回した。鍋の中ではバターみたいな固まりが浮いてきた。これは、チーズなのかな? なんて思っていたけど、何か白いなぁ〜。
近くでバターを作っていたアーベルは、いつの間にか出来上がったものを陶器に入れている。
「エルナが鍋をかき回してくれるお陰で、チーズとバターを一緒に作れるよ」
「これ、チーズなの?」
「カッテージチーズだよ、あんまり保存できないんで、もっぱらウチと宿屋でしか食べれないんだよ」
「このカッテージチーズは、どうやって食べているの?」
「茹でたポテトに乗せたりするな。あと、スープに入れたりするよ」
ここの世界でもあまり食べ方は変わらないようだ。私は、パンに塗ったりもするけど、ここのパンの固さでは、歯が欠けること間違いない。やはり、ふわふわのパンを作らなければ……。
アーベルは、バターを陶器に詰め終わると、私がかきまぜていた鍋から、上に浮いたカッテージチーズを掬い取る。それを布を敷いた目の荒いカゴに入れてた。水分を抜くために、重しを置くと作業終了だ。
重労働だったが、アーベルの手際がよすぎて、私は言われるまま作業をするだけだったので、楽と言えば楽だった。久しぶりに、何も考えずに人の指揮で動くということを体験してしまった。
「さて、これから僕はゴーダチーズを作るから、エルナはお昼の準備をしてくれないか?」
「うん」
「そうだ、牛乳は使うかい?」
「うん!」
「ハムやウィンナーは?」
使いたい食材の場所を聞き終えると、小さな蓋つきの金属の入れ物に牛乳を3リットルを入れてくれた。それほど重くはなかったので、アーベルのお手伝いを断って、えっちら抱えて作業小屋から家へと歩いて行った。
家の横で3人は剣の練習をまだやっていた。ダニエルは汗びっしょりで、息もかなり上がっている。
私は、迷うことなく牛乳の缶を小川に浸けて冷やすことにした。3人には冷たい牛乳を飲ませようと思ったのだ。さっきの話しからすると、ダニエルはレギンを目標に『大きくなる』と言っていた。過度の牛乳接種は、身長をのばす妨げになるけど、運動の後に牛乳を飲むのが一番体に吸収され、骨が丈夫になるのだ。『夏休みの自由研究シリーズ 第6巻家庭科2』を作った時に学んだ。
「一人で大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
レギンは私に気がつくと、そう声を掛けてくれた。本当に良く気がつく。
さっさと牛乳を冷やすと、私は家にとって返した。昼ご飯の準備をするのだが、ちょっと安心したことがあった。この昼ご飯という観念は、地域や時代によって異なる。例えば、日本では三食が今の食事形態だが、室町時代以前は2食だった。スペインでは未だに5食という地域もある。中世ヨーロッパは朝と夜だけの2食だった。
アーベルは、『朝ご飯』という単語を今まで使っていない。『昼ご飯』も『晩飯』、『夕飯』も使っていない。『お昼のごはんが楽しみ』だと言ったので、昼食があることは解ったし、夕食は苦い思い出のラード湯がある。朝は無事に済ませた。この世界は、1日3食だと判明した。これにプラスして、実は4食の可能性もあるのだが……。
後は、どの時間のご飯がメインなのか解ればいいけど……。日本では、夕飯は最も手の込んだものだが、ドイツでは昼食が一番ボリュームが多い。食べ盛りの子供を理由に、手探りで見つけるしかない。
問題の昼食だが、朝の残りのオニオンスープをどうするか、タンパク質摂取のお肉料理をどうするか考える。ついでに、道具や器など、何があるのかを確認するために、あちこち探索する。ついでに、帰って仕込んでおいた酵母はどうなっているのか、確認をしてみた。天然酵母が入った3つの陶器は、開けてみると独特の匂いがして、ちょっと膨れていた。今の所問題なく育っているようだ。
引き続き、パンを焼いたり、グラタンを焼くための金属のパレットを探した。食糧庫にある棚は、保存食の棚、調味料の棚、そして上部は保存食用の未使用の容器が入っており、下の棚には、わけの解らないものばかりが入っていた。金属製のものから木製のもまで色々で、放置されて久しそうな雰囲気だった。
が、私が気になったのは、アーベルがバターを入れていたような陶器の壷(?)があった。その陶器の壷には、布製の蓋がしてあり、何か入っているようなのだ。中に何も入っていなければ、わざわざ布で蓋をして紐で縛ってあるわけがない。
「……蓋を開けると、カビの大群だったりして……」
そう思いながらも、中身を捨てないと容器として使えない。あっ、でもこれはすごーく大事な何かが入っているのかもしれない。重さはそれほど無いようだし、ちょっと振ってみても音はしない。
とにかく、これは何なのかアーベルに聞いてみようと、その陶器を持って外に出た。途中でカッテージチーズを持って来たアーベルに出会った。
「どうしたの、エルナ」
「あのね、食糧庫の中にある棚からこれが出てきたの」
「保存食?」
「ううん、保存食が入っている棚じゃなくてね、下が扉になっている棚の扉の中にあったの」
「ええ〜、あそこは開けることはないのに、そんな所に?」
「アーベルは知らないのね」
「ちょっと待って、兄さんに聞いてくるよ」
アーベルが持っているカッテージチーズと、私が持っていた謎の壷を取り替え、アーベルはレギンの所に向かった。私も、歩きながら後を追う。
「兄さ〜ん、食糧庫のがらくた棚に、これ入れた?」
「?」
レギンは首をかしげた。ヨエルも同じように首をかしげる。なんだよぉ〜、この家の人間は誰も知らないの? やっぱりカビの大群ですか?
「ああ〜、それ!」
答えは思わぬところから出た。この壷に反応したのは、ダニエルだった。
「それ、それ!」
「これは何なの?」
「ほら、ニルスが言ってたヤツだよ、ヨエル!」
「……ああ、果物を放っておくと腐るのに、壷に入れて蓋をすると腐らないってヤツ!」
で、実験したのか。でも、結果を見る前に忘れたって話し?
「この中身はなにが入っているの?」
「え〜っと、ブルーベリー」
「丸ごと入れたの? 洗わないで?」
「洗ってない。ちょっとつまみ食いをしたから、皮も入ってる」
「捨てろ!」
アーベルが、ダニエルにヘッドロックをかける。と言うことは、この中にはカビにまみれたブルーベリーが入っているのか? 匂いは特別にしない……いや、何か嗅いだことのある匂いだった。
アーベルの静止も聞かずに開ける。中には、何やら茶色の液体が入っていた。勿論、ブルーベリーだったのが解る残骸もあった。そして、どこにもカビなど見当たらない。
「これ、他に何か入れた?」
「だから、ブルーベリーだけだって」
「でも、これ……発酵しているみたいだけど……」
そう、なんと、アッフたちの実験は、すっかり忘れられてたおかげで、ブルーベリーが酵母菌に変身していたのだ。
私は、ヘッドロックをかけられているダニエルの頭を撫でた。
当然、私はパン作りをすることを決心する。
その後、アーベルに教えてもらったのだが、なんと、炉の台の横に釜があったのだ。四角い台のように煉瓦作りの炉は、今までそんな仕掛けになっているとは思っていなかった。ここで、パンやピザなんかが焼けそうだ。
鍋を温めるために、何故にこんな高い煉瓦作りの台になっているのか不思議に思ってはいたが、オーブンも作られているのを見て納得したよ。
オーブンに薪を入れてもらい、私は金属の深いパレッドに、四角に切った固いパンを敷き、朝のオニオンスープとチーズをたっぷりとかけて焼いた。チーズの表面に焼けたこげがつけばいいだけだから、それほど時間がかからない。でも、中身を入れたこの金属のパレッドは重かった。
「もう、釜があったらパンを焼けるでしょ?」
「えっ?」
「パンはパン屋さんに持って行って焼くなんて言うんだもん」
「……エルナはパンが焼けるの?」
アーベルくん、私、ふかふかのパンのために、水車小屋へ行ったよね? その上、思わぬ宝も手に入れたよね? パンを焼く所も聞いたと思うけど? と憮然と仁王立ちしていた。頬を膨らませる私に、アーベルは驚いた顔で頭を掻いた。
「えーっと、エルナはパンの種が作れるの?」
「作れる」
「焼くのも出来るの?」
「出来る」
何を聞いているんだか、さっぱり解らなかった。それらが出来ないと、ふわふわのパンができないではないか。そのようなことを言うと、アーベルはさらに眼を大きくして言った。
「えっ、柔らかパンは、パンの種を作る時にするの?」
ああ、そうか……。酵母の存在を知っても、どの段階でどのように使用するのかを想像しろって言うのは無理だよね。
ごめんごめん。
私はアーベルに、酵母の使い方を簡単に説明した。それでようやく納得してくれた。アーベルの家では、母親がパンの種を作り、時間があるときに釜で焼いていたそうだ。その母親も、エイナが産まれた後に、風邪をこじらせて亡くなったらしいのだ。それ以降は、パンを購入するだけで、パンの種を作ることもしなかったそうだ。どうやら、パン作りは難しいとの認識しているようだ。まぁ、私も簡単だとは言えないけどね。
オニオンスープ+パン+チーズを釜で焼きながら、もう一品を作ることにする。
タンパク質は失敗の無い鶏肉、すなわちヤケイの胸肉にした。タマネギを刻んで、飴色になるまで焼き、そこにトマトを入れる。崩しながらワインを入れて煮込込んだ。その横で、底の浅い鍋に油を引いて、塩と胡椒をした肉を焼く。ワインを入れて蓋をしたから、皮はパリパリで、中はしっとりになるはず! 焼けたら火の上からずらして放置だ。
思いのほか早く仕上がったので、私はパンを作りはじめることにした。私が良く作っていたコッペパンだ。作り方は、薄力粉100gと強力粉150gが必要なのだが、こちらでの小麦粉でだいたい250gで代用、そして、水を使うのだが、ここでは水と牛乳を半分ずつ使うことにした。アッフの酵母は少し水分が多いので、それを見越して水の量は調整した。
パン種の発酵は2回とも濡れた布巾をかぶせて炉の近くに置いた。こうなると暇である。尚且つ、朝が早かったので、時間が長く感じているのか、まだ誰も『おなか空いた』と帰ってこない。
手持ち無沙汰になり、私は家の裏へと出て、レギンたちの様子を見てみた。今では、レギンvsダニエル&ヨエルになっていた。しかし、良く飽きずにやれるなぁと感心する。男の子は時代も場所も無視して変わらないんだなぁ。なんて、変に感心する。
私は家にとって返すと、匙とコップを3つ持って戻る。冷えた牛乳を3人に与える為に。
「ちょっと休憩してくださ〜い!」
私が声をかけると、3人はとりあえず動きを止めた。
「汗をかいているんだから、水分をちゃんと取ってください」
「何だこれ」
私は冷えた牛乳の入ったコップを渡す。木製のコップなので、冷えているのか気がついていないと思う。
「これ、牛乳か? うえぇ〜、水で良いよ」
ダニエルは顔から遠ざけた。『良いから黙って飲め』の威圧を込めて、ダニエルの口元にあったコッブの底を押し上げる。仕方ない顔で、ダニエルは恐る恐る飲んだ。
最初はいやいや、怖々だった。でも、飲み終わるのはあっという間だった。
「何だこれ、冷たくて甘い!」
ダニエルの驚きの声に、つられてヨエルも飲み始める。レギンも遅れて飲む。
冷たいのは、小川に入れていたからで、甘いのはそれぞれのコップに、少しお砂糖を入れていたからだ。私は、小川に浸けていた牛乳を引き上げると、家に持ち運んだ。お昼でも出そうと思っていたからだ。しばらくすると、アーベルが飛び込んで来た。
「冷たくて甘い牛乳て何?!」
まったく、この食いしん坊さんめ!
《エルナ 心のメモ》
・チーズを固めるのにレモン汁を使った。カッテージチーズの時だけかもしれない
・1つの牛乳で、バターとカッテージチーズを作った
・ゴーダチーズは別に作る模様、作業工程は今は不明
・1日三食
・家に釜があった!
・レギンとアーベルの母親は、エイナが産まれた後、風邪をこじらせて亡くなった。
・パン作りは母親の仕事だったので、母親が亡くなった後は、もっぱら、パン屋で購入していた
・冷たい牛乳は未体験で、砂糖を入れて甘くするという発送はなかったみたい
・やっぱり、アーベルは食いしん坊さん