困った客、2人の子供
すみません!
1話分、ぶっとばしてしまいました。
ダークは、自慢の金色の髪をはためかせて船首に立っていた。目の前に広がるのはスヴィーウル川で、海では無い。
川で注意するべきことは、上流で降る雨量だ。今いる場所でどんなに晴れていようとも、上流で豪雨が降れば、あっと言う間に舵も効かない濁流に流される。下手をすれば上流から流れてくる大木の餌食になって、船が大破するのだ。
が、海の航海とは困難の度合いが違う。海に出れば、信頼できるのは自分の嗅覚だけだ。静かな波が、いつの間にか高い波になり、一瞬の天候の変異を逃せば、嵐のど真ん中にいることになるのだ。
だが、ダークは海が好きだった。どこまでも続く青い海原と空、潮の匂いを運ぶ風が好きだった。それがいつ牙を向くか知らないとは言え、よりどころとなる避難場所が遥か遠くで黙視できなくても、それでも晴れて丁度良い風が吹く海を走らせることは、何ものにも代えられないものがあった。
が、ここは海じゃない。気が晴れることと言えば、航海が終わって、大騒ぎしながら笑う仲間の顔を見ることだけだ。
王の命により、第4騎士団を乗船させた。貴族などに関わると、録なことが無いと思っていたダークは、今でのその考えを変えるつもりはなかった。
第4騎士団の騎士団長は、貴族ながら船の中ではダークの意見を無視するようなことはなく、至ってマトモな貴族だった。船の中では、船長の命令は絶対だ。その命に従えないのであれば、船を降ろされる……だけなら良いが、川や海に放り投げられることもある。まぁ、貴族相手にそんなことをしたという話しは聞いた事が無いが……。船の中では、船乗り達の領分なのを、団長であるランバルドは良く理解しているようだった。
問題なのは、団長ではなく副団長の方だった。副団長なのだから、マトモな貴族の団長が牽制してくれるかと思いきや、この団長は副団長にめっぽう甘いのだった。
この副団長は、かの有名なアレクシス・ノルドランデル侯爵の息子なのだと言う。ノルドランデルと言えば、先の大戦の折りに国民の為に、王に諌言をして、貴族位を返上して魔獣の討伐をしたという英雄である。
そのアレクシスの弟の孫である、もう1人のアレクシスは、前の騎士団の最高責任者であり、騎士団での武勇は本当の話しにしろ、噂にしろ、多いに国民の話題になった。その人柄は、弱気を助け強気を挫く騎士の中の騎士であり、祭りに飛び入り参加して、領民とともに飲めや歌えの宴会を繰り広げるという、国民にとって最も親しい貴族の代表だ。
その息子である、副団長のバルタサール・ノルドランデル子爵は、父親同様に貴族らしからぬ貴族であるのは間違いはない。が、そのベクトルは、全く違う方向を向いているのだ。
とにかくじっとしていない。『暇だ』と連呼して、船内の所構わず歩きまわる。そのうえ、船員の仕事を見ていたかと思うと、いつの間にか手伝いをしている始末だ。
かと思うと、団員たちと剣の稽古だと言って、刀を振り回す。まぁ、団員の殆んどが船酔いでやられているので、これは未消化で終わってくれた。が、この未消化のお陰で、宥め役であったのは団長や、団員ではなのだ。子供を2人を連れた謎の男を相手に、稽古をするようになってしまった。
「申し訳ない……が、アレは誰にも止められない厄災なのだ……」
顔を引きつらせながら、そう謝ってくるもう1人の貴族は、騎士とは全く違う人物だった。最初に見た時は、女かと思うほどの美貌に驚いた。
しかし、厄災とは言い得て妙だった。
金属と金属が激しく打つかる音が響き、あれこれと思い出していたダークの思考を現実に引き戻した。
「また、始めたか……」
「そのようだな」
気がつくと、近くに疲れた表情を僅かに見せるウルフだった。普段は、厳しい表情を変えることはないのだが、今回の航海は、さすがに参っているようだった。が、ウルフが参っているのは、バルタサール子爵の意味不明な行動ではない。
「で、お嬢ちゃんとお坊ちゃんはどうしたんだ?」
「シトロンの砂糖付けを与えて巻いてきた……」
「なんと、我がシャイン号の航海長が、シトロンの砂糖漬けを人に与えるとは……」
戯けて言ってみせるダークに、益々疲れた表情を見せたウルフは、揶揄に反論しなかった。それに気がついたダークは、本当に参っているのだと理解した。
シトロンの砂糖漬けは、ウルフが必ず航海の時に船に積むものだった。長い海の航海では、水が腐ってしまい、喉を潤すものが酒だけになる事もある。が、ウルフと酒は愛称が悪いようで、航海中に飲むと陸で飲む時より酔いが増すのだと言う。そんな時、シトロンの砂糖漬けを口にした所、甘さとシトロンの本来の酸っぱさで、唾液によって酒に手を出すことが減ったと言うのだ。
以来、ウルフは航海では必ずシトロンの砂糖漬けを離さないのだ。
そのシトロンの砂糖漬けを子供達に与えて追い払ったと言う。今ごろスヴィーウル川の上流では豪雨になっているのでは? と脳裏をかすめた。
ウルフが頭を痛めているのは、子供たちだった。明らかに第4騎士団とは無関係そうな、それでいて、バルタサール子爵に面差しが良く似た男が連れている子供。エイナとフランシスという悪魔が、ウルフを悩ましているのだった。
我が、最良の相棒は、奇麗な顔をしている……が、とても親しみやすいと言える表情ではない。女子供が好き好んで関わろうとしない強面なのだ。いつも眉間に皺を寄せて不機嫌で、鋭い眼光で睨め付ける。そんな表情をしている。
が、エイナとフランシスは、気がつくとウルフの後ろをついて歩いているのだ。ウルフも最初は、厳しい口調で注意をしていたのだが、どんなに恐ろしげに言ってみても、2人の態度は変わらなかった。
「はぁ〜……」
2人同時に溜め息をつく。
「王都まで、あと何日だ?」
「……5日だろう……」
再び溜め息が出てしまうのだった。
ミケーレは不思議で仕方ないことが幾つかあった。
目覚めたエイナは、特に変わった所も見当たらず、元気だった。それはそれで良かったのだが、目覚めたエイナは「どうして船の中にいるのか」と尋ねた。そして、「あの怖い人たちは居なくなったの?」と……そして、最後に尋ねられたことは、「いつ、家に帰れるの?」だった。
エイナの中では、数ヶ月の記憶が無いのだ。勿論そうだろう。何せ眠らされていたのだから……。エイナは、ミケーレと一緒に村から北に半日行った村で、ヒツジの購入をし合う相談をしてーー同じ牧場で繁殖を繰り返さない為に、新しい血を入れるために、お互いの牧場のヒツジを入れ替えるのだ。そして、村に帰るところだったのだ。それが、北の街道で恐ろしい目にあって、気がつくと船に乗っているのだから、エイナではなくても尋ねたくなると言うものだった。
エイナが何を知りたがるのか、攫われたことをどれだけ覚えているのかミケーレには解らなかったが、どんな質問をされても辛抱強く説明をするつもりだったのだ。だが、覚えてないのであえば、それはそれで不満は無い。父親から引き離され、知らない男たちに攫われた記憶など無い方がいいのだ。
が、エイナは肝心のことを聞かなかった。それがミケーレには不思議で仕方なかった。
「フランシス、またパンをこぼしてる……」
そう言って、エイナはテーブルにこぼされたパンの屑を手でかき集める。フランシスはどうやっても、パンの柔らかいところを探して、固い所を捨ててしまうのだ。そのせいで、いつもパン屑がフランシスの前に散らばるのだ。
「スープに漬ければ、柔らかくなるよ」
「ん……」
頷いてはみるが、フランシスはスープはあまり口にしない。口にするのは、パンと果物くらいなのだ。
喋ることの出来ないフランシスは、それでもミケーレとエイナの名前は覚えた。それと、自分が食べたいものの名前。
「シトロン」
「うん、あれは美味しかったね」
エイナは、2人で通じる事柄になのか、クスクスと笑った。
ミケーレが不思議だと思っているのは、目覚めた時に隣のベッドにいたフランシスのことを、「誰?」とは聞かなかったことだ。それがまるで、フランシスがそこにいるのが当たり前のように接したのだ。
そして、フランシスが何を言いたいのか理解できることだ。
「お家にはね、シトロンだけしゃなくって、ストロベリーやブルーベリーの砂糖漬けもあるのよ。私が作ったんだから!」
「ストロベリー……ブルーベリー……」
「凄く美味しいんだから!」
端で見ていると心和む会話なのだ。それを見ていると、そんなことはどうでも良いと思えてしまうのだ。そもそも、ミケーレは、理解できないことを深く考えることはしない男だった。しかし、それは投げやりなのではなく、人の心の有り様などは、想像が出来たとしても、当の本人にしか解らないと思っているのだ。だから、それはそう言うものなのだと理解することにしているのだ。
「あ……う……」
「もう、お腹一杯なの? じゃぁ、ウルフさんの所に行こうか」
「うん」
そして、またしても謎なのが、普通の男でも恐ろしくて近寄らないと思われるこの船の航海長、ウルフに何故か2人が懐いていることだ。
ウルフという人間が、悪い人間とは思えないので、ミケーレは、「迷惑にならないように」と言い聞かせて、特に子供達に注意することはしていない。これでも4人の子供の父親だ、子供の感性は大人には計り知れないのを理解していた。
この船、シャイン号は王命により、王都から自分たちを迎えに来た船だと教えられた。いろいろと段取りが良すぎると思えたし、何故、第4騎士団が自分たちを追っていたのか、それをちゃんと説明されてはいない。王が動いていると言うことは、平民である自分には知り得ないことが起こっているのだろうと思うだけだ。
ただ、彼らはエイナを連れ去った男達に興味を示しており、自分と言うよりは、その男達を追っていたのだろうと推測していた。
フランシスの手を引いて走って行く2人が楽しそうなことに勝ことはなかった。王が何を知りたいのか、男達が本当はどんな目的でエイナを連れ去ったのか、そんなことはどうでも良いと思えた。今はただ一向、あの長閑なテグネールの村に帰りたいと言うことだけだった。