フェルト工房始動
昨日も今日も、ただひたすらに羊の毛を刈る日々が続き、変わったことと言えば、台所に蒸し器が導入されて、料理のレシピが増えたことだけだ。
が、今日は久しぶりにアッフたちが顔を合わせて、私の料理を目当に羊の毛刈りを手伝っている。どうも、ヨエルから温野菜やら、昨夜食べたブタを薄く切ったものとキャベツを蒸して、お酢と醤油で食べたことを話したらしいのだ。
今日も蒸し器が大活躍することになるらしい……。
蒸し器の反響は、思いのほか早く村に伝播したようだ。野菜を食べない子供を持つ母親や、目新しい料理に興味を示すブロルの父・クヌートさん、野菜を作ることに人生を掛けているイェルドさん等々。
シーラさんの所に、注文が殺到していると言う話だ。ブロル談。
「父さんなんかは、シーラさんが釜で焼いて失敗した時のために作った予備の蒸し器を買って来たよ」
これは、お祭りで宣伝しなくても広まるだろうなぁ〜。
しかし、クヌートさんってば、凄い行動力だ。
「なおかつ、家の大鍋に合うサイズのも注文したって……うちは、暫く野菜が沢山出るんだろうなぁ〜」
深い溜め息をつくブロルも、お肉連合の一員だ。
「そう言えば、シーラさんの所で作っている蓋のある壷って知っている?」
「蓋のある壷……ああ、家ではきゅうりを漬けているよ」
「それの小さいのを作ってもらうんだけど、それにマヨネーズの材料を入れて振ると、もう少し簡単にマヨネーズが出来るんだけど……」
私の話しに、ブロルは暫く考えていた。が、すぐにニコリと笑って、マヨネーズ量産計画を立て始めた。
シーラさんの仕事が繁盛してくれるのは嬉しいけど、私だって色々と作って欲しいんだから、手加減してくれると嬉しいなぁ〜。村の皆さん。
せっかくアッフたちがいるので、アッフたちには、売れない羊の毛を洗ってもらった。今回の羊の毛で、みんなに学校で使う座布団を作ると約束したのだ。
大人数で、いろいろと作業をしていると、何だか楽しいと感じるのは何故なのだろうか。共同作業から来る一体感なのだろうか? 1人で黙って仕事をするよりも、無駄な軽口を言い合いながらの作業の方が、見ていても楽しいのだ。
こんな時は、外でみんなと食事をするのは楽しいのではないかと思い、今日のお昼は、サンドイッチを沢山作って外で食べた。
そーそー、この前の雨の日に寒かったから、いろいろな場所に酵母菌を置いて実験してみたのだが、全く変化がありませんでした! お陰で酵母菌が大量に出来上がったので、余分にパン屋さんと宿屋さんに譲って、尚且つ、パンを作れると言っていたブリッドにもお裾分けをして……さらに余ったので、捨てる覚悟で放置しています。
結果……2日後でも使えました。さらに3日、4日と実験中です。
溢れかえった酵母菌の消費に、サンドイッチを大量に作れてよかったよ。
そんなことを考えていると、家の方から「お〜い」と声が聞こえてきた。アーベルは、家の方へ戻りながら、私を手招きする。
私の知っている人? と思いつつ、素直にアーベルについて行った。
「エルランド親方だよ」
「おお、木工工房の親方だね」
「きっと、頼んでいたものが出来たんだよ」
頼んでいたものは、紙作りにおける簀桁のフェルト版を作ってもらうことになっていた。枠の中に毛糸を敷き詰めていき、ぎゅうぎゅうと手で押したり、くるくる巻いて、さらに押したり、そして出来上がると底板が抜けてそのまま乾かせるようになっている。だから、底板もそれぞれ20枚ずつ注文している。
「エルナ、注文してた商品を持って来たぞ」
エルランド親方と、荷車を引いた若い男の人だった。この若い人は、お初なのだが……でも、どっかで会っている気がするのだ。
「親方、随分と早かったね」
「久しぶりで大口の仕事になったんだ、とっとと終えて、早くワインを買いに行かないと、今年は値が上がっているからな」
「そういえば、サムエルのルレザンの木が病気になったりして、今年は不作だったんだって?」
「昨年は、川の反乱や街道が土砂崩れにあったりして、運搬費が嵩んだしな」
「ワインが高いと、エールなんかも高くなるよね」
「そうだな……今年は、米で作った酒が良い出来だったらしく、安くなっているらしいぞ」
に、日本酒! 欲しい……喉から手が出るほど欲しい……。でも、私は子供だ……アルコールの摂取は危険すぎる。
「親方……これはどこに持っていけばいいんだよ」
アーベルと親方の相場談義に入れないのか、荷車を引いてきたと思われる、どこかで会ったことがあるような……無いような若い男は、不満顔だった。
短い茶色の髪と、茶色……否、太陽の下では緑に見える瞳は、くりくりとまん丸で、ちょっと愛嬌のある顔をしている。
「やぁ、ランナルさん」
アーベルは、彼をランナルさんと呼んだ。どこかで聞いたような……。
「やあ、アーベル。その子が、エルナかい?」
「うん……。エルナ、ランナルさんだ。オロフさんの息子さんで、エルランド親方の所で働いているんだよ」
「ああ!」
なるほど、どこかで見たことがある顔だと思ったのは、オロフさんに似ているからだ。名前を聞いたのは、ブリッドから子供用かぎ針をランナルさんに作ってもらったと言って、ブリッドから譲り受けたのだった。
「ちっちゃいな〜」
遠慮なく、頭をぐりぐりと撫でられた。遠慮ない行為だけど、何だか憎めない。
「エルナです……私、小さい?」
「う〜ん……ブレンダもブロッドもこんくらいだったっけ?」
「僕に聞かれても困るよ、僕もブレンダと同い年なんだからさ」
「そうだっけ?」
「もう、ブレンダとブリッドを猫愛いがりするから、クヌートおじさんに、『うちのブレンダはやらん!』なんて言われるんだよ」
「だって、俺んち男兄弟ばっかりだからさ。まぁ、ブレンダもブリッドも妹みたいなもんさ」
そう言えば、ブレンダもブリッドも近所の子になるんだな。
「で、この荷物はどこに置くんだ?」
ランナルにそう訪ねられ、荷車に積み込まれた荷物を見て、座布団用を4つとマットレス用1つをその場に降ろしてもらい、後は、一階のミケーレさんの寝室に運び込んでもらった。
「しかし、こんなもんで何を作るんだ?」
「マットレスと座布団だよ」
「それは……なんなんだい?」
「荷馬車の荷台に座る時に敷いたり、寝る時に敷いたりするんだよ」
「……で?」
「ええ〜っと……残念、今は実物が無いから、説明しずらいよ。近いうち、マリー=ルイスお婆さんにプレゼントしに行くよ」
「そっか、じゃぁ、楽しみに待ってるよ」
ニコリと笑った顔が、またオロフさんにそっくりだ。だから、いつか『がははは』って笑って! とお願いしてみたい。
エルランド親方とランナルさんが帰ると、早速、アッフ達に洗ってもらったゴミとなるはずだった毛で、自分たちの座布団を作ってもらうことにした。
私も、レギンたちのためにマットレスを作ることにした。アーベルがアッフたちを呼び集めた。
「今日からフェルト工房の活動を始めるからな」
「何それ〜」
「お前たちに、フェルトを作る手伝いをしてもらうけど、それには賃金を払います」
「賃金って?」
「働いたらお金をくれるって」
ダニエルに、ブロルはそう答えた。そう聞いたダニエルの目は、キラキラと輝いおり、ブロルは冷静だった……ように見えるが、頭の中では算盤を弾いているのだろう。
「お駄賃ってこと?」
「馬鹿、そんな金額なわけあるか」
「そう、ブロルの言うとおり、1日、大銅貨3枚を払います」
「すげー!」
ダニエルの声、ブロルとヨエルの息を飲む音。日当大銅貨3枚は、子供にとっては大金なのだ。
「ただし、毎日仕事があるわけじゃないので、仕事がある時は声をかけるな」
「おお!」
「質問!」
「何だいブロル」
「今日なんかは、真上過ぎた時間だろ? そういう場合はどうなるの?」
「今日みたいな場合は、大銅貨1枚と銅貨5枚を払う」
「半分ってことだね」
「そう、それで……ダーヴッド叔父さんやイーダ叔母さんやエッバお婆さんに相談してからだから、その間は僕がお前たちのお金を管理する」
「ええ〜!」
子供に急に大金を与えるのは怖いと思うのは、どこも同じのようだ。直ぐさま、ダニエルやヨエルから非難の声があがり、思いのほかブロルは無言を貫いていた。
「勿論、お前たちが何かを買いたいと思ったら、言ってくれればすぐに出すよ」
そんな事を言われても、好きにできるわけではないので、反応は鈍い。そうだよなぁ〜、子供がお金を手にいれて買うものと言ったら、食べ物とかだろう。まして、この世界にはゲームや漫画なんかは無いんだから。
今一、不満が残る中、アッフたちはフェルト作りを始めるのだった。
フェルト工房の始動初日としては、なかなかの成果になるのではないか?
「エルナ、そろそろ支度を始めないとだよ〜!」
「そうだぞ、野菜が美味くなるんだろ」
ヨエルが、夕飯の支度の時間を気にし始めた。アッフたちは、それぞれ自分の座布団を仕上げた後、もう一枚を作成し始めた。
私の成果は3枚だ。しかし、3枚と言うのは、レギンのマットレスの半分なのだ。道のりは長い……。
「じゃぁ、ご飯の支度に行って来るね」
「おお!」
泡だらけのダニエルの元気のよい声に見送られ、私は夕飯の支度のために家へと戻った。今日は、ヤケイのお肉と人参やジャガイモ等を一緒に蒸して、ホワイトソースを掛ける予定だ。その他にはオニオンスープを作る予定なのだ。
そんな中、カロラさんとリータさんが訪ねてきた。
用件は、2つほどカバーを作ったのだが、これで良いのか確認をしてほしいとのことだった。何せ、初めて聞く作りかたなので、不安で仕方なかったらしい。
受け取った座布団のカバーは、良くできていた。商品として何も問題はなかった。
「作っていて、何か困ったことや面倒だったことはありませんか?」
「いえ、特に縫うだけですから……」
「そうね……私は、一辺を縫うたびに、糸を切るのが大変と言うより、面倒だったかしら」
「カロラは、一辺ごとに糸を切っているの?」
「え?」
2枚の布を縫い、そのままもう一辺に別の布と縫い続けて……と繰り返すやり方をリータさんはしていたらしい。でも、カロラさんは、そうすると糸が布を引っ張ってしまって、布が引き攣れてしまったのだと言う。
「そうね、上手くやらないと、布が引き攣れてしまって後で治すのが大変になるわね。私は、縫う場所の角度が変わる所に、ピンをとめて、そこに糸を一周掛けるとこにしたの」
「ああ、それはいいわね」
なるほど、生活の知恵でいろいろとやり方を工夫しているのだ。
「あの……返し縫いって知っていますか?」
私の問いに、2人は首を傾げる。
「名前が違うのかもしれないけど、この布の角に糸が来た時に一度、前の縫い目に針を通して、もう一度同じように1つの縫い目を作る方法なんですけど……」
それを聞くと、カロラさんもリータさんも布切れを出して、そこに奇麗に並んで刺されている糸のついた針と、ピンが見えた。
なんと危ない!
そう思ったが、その布を受け取り、糸の付いた針を取り、返し縫いを実際に縫ってみせた。
「こうすることで、糸が引っ張られなくなりますよ」
「まぁ……」
「凄い……」
なるほど、この世界の裁縫は直線縫いオンリーなのだな。まぁ、洋服も立体的ではないものが多いようだしね。
アーベルに頼んで2枚分のカバー代金を支払った。ある程度の量を持ってきてからで良いと、2人は恐縮していたが、今は、なるべく小分けにして支払ってあげたほうが、村人のために良いだろうと判断した。
カバー2枚で、大銅貨4枚。大銅貨4枚で、ジャガイモやタマネギなどの良く使う野菜が1キロほど買えておつりが来る。1日に2枚は作れると言うのだから、これで少しは冬支度が楽になるはず……。そのうち、フェルト作りに参加してくれれば、合計大銅貨7枚の稼ぎになるはずだ。
「後は、ちゃんとした場所の確保だね」
2人を見送って、私とアーベルは顔を見合わせて微笑み合った。
いよいよ、フェルト工房も動き出しました!