灰色の足音
昨日に続いて、僕はまたどこをどう歩いたかわからないうちに気付けば家に着いていた。
そしてドサッと座椅子に座り込む。
(何かがおかしい……)
帰り道からずっと僕は考えていた。雪希の引越し、おばさんの態度、そのどちらもあまりに不自然すぎる。なんともいえない違和感。まるで魚の小骨が喉に刺さっているような……そんな気分だった。
(雪希はなんで引っ越す必要があったんだ? 僕と別れたから? 僕が雪希の家を知ってるから?)
だがそれも妙な話だ。仮に僕が雪希の家に今日のように行ったとしても、別れたんだからもう来ないでくれと言えば済む話なのではないか? わざわざ高い費用をかけてまで引っ越す理由とは思えない。
(それにおばさんも様子が変だった……)
僕のうぬぼれじゃなければ、おばさんは僕と雪希のことを応援してくれていた。それに昔から付き合いのある僕のことを、まるで自分の家族の様におばさんは接してくれていた。そんなおばさんが、いくら雪希に口止めされたからといって雪希の行き先を僕に教えてくれないなんて事があるのだろうか?
(あるいは僕はおばさんからも信用を失うくらい雪希にひどいことをしてしまったか……)
でもそれだと、あのインターホン越しのやりとりは成り立たないのではないだろうか?
(……駄目だ)
喉に刺さった骨は取ろうとすればするほど、喉の肉にぐいぐいと食い込んでいく。
僕は一度考えるのを止め、冷蔵庫に飲み物を取りにいく。冷蔵庫を開けると、缶コーヒーの横にある缶ビールが視界に入る。そこで僕はフッとあることを閃く。
(そうだ、こういう時は幸輔に相談してみるか……)
俺は高校時代の友人、森田幸輔のことを思い出していた。卒業してからはお互い仕事が忙しくてなかなか会えていないが、それでも雪希と付き合いだしてからも何かと相談に乗ってくれた、僕の数少ない貴重な親友だ。
時計を見ると12時22分。丁度休憩中だろうか? 僕はスマホをポケットから出し、『今日の夜、飲みにでも行かない?』と送信する。
『ピロリロ~ン』
2分ほどで返信が返ってくる。僕は受信ボックスを確認する。
『おお、いいね~。こっちも年末のドタバタも落ち着いて、飲みにでも行きたいな~と思ってたんだよ! じゃあ、17時15分にいつもの駅前で待ち合わせでいいか?』
僕は了解とメッセージを送る。するとすぐにまた返信が返ってくる。
『OK、OK! まあどうせまた雪希ちゃん絡みだろ? たまにはそれ以外でも飲みに誘えよな! じゃあまた後で^^』
昨日に引き続きまた心を見透かされてしまった。僕はそんなにわかりやすい人間なのだろうか?
(あっ、そういえば……)
僕は昨日のRasnという人物のことを思い出していた。あの、人を見抜く力と考えの深さ……男か女かはわからないが、きっと切磋琢磨した立派な大人の人なんだろうと勝手に想像する。
(Rasnさんも今頃休憩中かな?)
昨日会ったばかりで、しかもあれだけ迷惑をかけた相手なのに不思議と僕はRasnさんに今日のことを話したくてしょうがない気持ちになっていた。この感情はそう……小さい子供が近所の頼りになる年上の人物になんでも困ったことを相談してしまうような、そんな感情だ。
(要は甘えたいだけなんだろうな……)
自分の甘ったれた精神にうんざりしながらも、僕の指はそんな想いとは裏腹にSNSサイトにログインし、Rasnさんに向けてダイレクトメッセージを打ちこんでいた。
『シャイン≫ Rasnさん、こんにちは^^ 昨日はありがとうございました。今日、予定通り彼女の家に行って来ましたが、既に引っ越した後でした。これからどうするか正直途方に暮れていますが、でも諦めずに頑張っていきたいと思います!』
送信する。いつも思うことだが、新しく知り合った人とメッセージのやりとりをしている時の、この待ち時間はどうも心臓に悪い。もし返事が来なかったらどうしよう? なにか気に障ることを書いていたらどうしようなど、待っている時間中ずっとマイナスなことばかり考えてしまう。
(まあ、昨日あんなメッセージを送った僕が考える筋合いはないか……)
心の中で苦笑する。
そういえば雪希と付き合いだしたばかりの頃、雪希に対してどう接していいかわからず、嫌われないよう変な気を回しすぎて雪希に怒られたことがあった。
『誰に対しても優しくて気配りができるのは夏輝のとってもいいとこだと思うんだよ? でもね、私に対してまでそんな気を使わなくてもいいんだよ? 私はいつもの夏輝が一番好きなんだから! 大体、夏輝は見た目だってかっこいいんだから、もっと人に対して積極的に行っても……って今は駄目だよ! 私だけにせっきょく……って、はっ! 私は何言ってんの!?』
顔を覆って真っ赤になっていた雪希を思い出し口元が緩む。そんなやりとりがまるで昨日の事のように思い出される。
(……雪希)
『ブゥゥゥッッ!!』
感傷に浸っているとメッセージを受信し、スマホが激しく振動する。一瞬ビクッとなるが、すぐに返信が来たことに気付き、僕はメッセージを確認する。
『Rasn≫ シャインさん、こんにちは。引越しされてしまった件、私も非常に残念に思います。ですが、どうか気を落とさないで下さい。落ち込んでいるときは何かといろいろな事をマイナスに考えがちになってしまいます。笑う角には福来たると言います。辛いかもしれませんがここは笑って、涙は次にいいことがあったそのときまで、笑い涙としてとっておきましょう!』
昨日と変わらずRasnさんは僕の欲しい言葉を的確に綴っていた。
(昨日も思ったけど改めてすごい人だな……ん?)
スクロールしていくと、まだ下にメッセージが続いている事に気付く。
『追伸1……明日からしばらく私用で忙しくなり、返信ができないかもしれません。申し訳ありません。 追伸2……私個人としては新しい恋を探すのもアリだと思います。シャインさんの気持ちもわかりますが、新たな一歩を踏み出すのもまた一つの選択肢かもしれませんよ?』
そうか、明日からしばらく忙しいのか……。メッセージを送るのはしばらく控えたほうが良さそうだ。
(それと……新しい恋、か……)
雪希以外の女性と恋仲になる……想像もつかなかった。
(Rasnさんは結構僕たちのこと応援してくれてると思ってたけど……まあ、視野を狭めるなってことなのかな)
ふと時計を見ると13時2分。もやもやを少し発散したおかげで心に少し余裕ができ、それと同時に激しい睡魔が襲ってくる。
(幸輔との約束の時間まで、まだ時間もあるし……少し寝るか)
僕はそのままベッドに横になり、アラームをセットするとそのまま布団に沈み込むように眠りの中に落ちていった……。
………………
…………
……。
「雪希ちゃんと別れた!?」
店の中に幸輔の大声が響き渡る。その声に皆、何事かとこちらを見ている。
「こ、声が大きいって……」
僕は慌てて幸輔をなだめる。
あれから僕は幸輔と落ち合い、よく来る駅前の居酒屋の個室で幸輔に悩み相談をしていた。
「あ、ああ悪い。でも雪希ちゃんと別れたって……一体どういうことだよ?」
幸輔はバツが悪そうに座りなおすと、改めて僕に聞いてくる。
「それが……」
僕はここまでの経緯を幸輔に話す。幸輔は時折考え込むような仕草を見せながら、僕の話を静かに聞いていた。
「で、雪希ちゃんは今の家から引っ越しちまって、雪希ちゃんのおふくろさんはだんまり……と」
「うん、大学に直接行ってみようかとも思ったんだけど……」
僕がそう言うと幸輔は眉間にしわを寄せて言う。
「それは難しいだろうな。大学の中に入ることはできるだろうが、あの大学結構広いしな……。外を歩き回るくらいはできるだろうが、建物の中に入るのは無理だろうし。かといってその辺の奴に雪希ちゃん知りませんか? って聞いて回るのもな~……時代が時代だ、下手すりゃストーカーに間違えられて終わりだ」
そう言うと幸輔は生ビールをグーッと一気に飲み干す。
「おね~さ~ん! 生二つ追加で~!」
幸輔が勝手に僕の分まで注文する。
「こ、幸輔……僕はそろそろ……」
ザルの幸輔と違い、どちらかというと酒が弱い僕は生ビール2杯ですでに結構フラフラしていた。
「何言ってんだよ! お前の話に俺は付き合ってるんだぞ! だからお前は俺の酒に付き合うんだよ!」
どこのパワハラ上司だよ……。
「学校側に事情を説明して……無理だな~。彼女探しなんて誰が信用すんだよ……」
幸輔が腕組みをしてウンウン唸っている。
僕はそんな幸輔を見て、改めて僕は幸輔が親友で良かったと思っていた。
(ホント昔からこいつは……人の悩みでもまるで自分の事みたいに悩んで、考えて……)
僕がそんな事を考えていると僕の顔を見た幸輔がジト目で僕を睨んでくる。
「おい、何ニヤニヤしてんだよ! 夏輝のことで俺がこんなに悩んでるってのに!」
そう言うと幸輔が俺の両頬をムニ~ッとつねる。
「ご、ごめん、ごめん……」
俺は苦笑いで謝りながら、幸輔の手を逃れる。
「ったく……。はぁ~、まあしょうがない。こうなったら大事な親友の為にここは一肌脱ぐ事にするか……」
幸輔が溜息を吐きながら言う。
「えっ? 一肌脱ぐってどういう……」
僕がそう言うと幸輔がニヤ~ッとイタズラっ子のような顔で笑う。この顔は……。
「まあまあ、家宝は寝て待てって言うだろ。いいから夏輝は大人しく待ってろって! 多分一週間くらいで答えがでると思うからさ!」
(幸輔の奴……また何か企んでるな……)
幸輔があの笑いをして、更に話をうやむやにして誤魔化すとき……それは大体決まって良からぬ事を考えてるときの昔からの癖だ。
高校時代、世に言う暴走族だった幸輔。いろいろな縁があって親友と呼べる存在になったが、当時もこの幸輔の笑顔のせいで何度職員室に連行されたことかわかったもんじゃない。
「深くは聞かないけど、あまりやりすぎないでよ……。後、雪希の家族には絶対迷惑かけないでよ……」
「わかってるって!」
ものすごく不安を掻きたてる返事を返される。だが僕には他に頼る人がいないのも事実であり、またこういうとき、必ず幸輔は期待に答えてくれるのもまた事実だ。手段を選ばないのがネックだが……。
(ここは幸輔に任せるしかないか……)
僕は深い溜息を吐く。
「よし決まりだな! おね~さ~ん! 生もう二つ追加で~!」
僕の二日酔いもこれで決まったのだった……。
……幸輔との話し合いから丁度一週間が過ぎた。
あれから一度だけRasnさんにメッセージを送ったのだが、最後に来たメッセージの通り返事はなかなか返ってこず、結局返事が来たのは二日後だった。さすがに悪いと思い、あれからメッセージを送るのは自重している。
肝心の幸輔ともあれ以来連絡が取れず、この一週間期待と不安でやきもきしながら過ごしていた。
そして今日……バイトが休みの僕の元に幸輔からの電話が鳴り、僕は朝の6時に叩き起こされる。
「……はい、もしもし……」
半分以上寝ぼけたまま僕は電話にでる。
「夏輝か! 今どこにいるんだ!?」
電話の向こうから珍しく幸輔の慌てた声。ただならぬ気配に僕の頭は一気に覚醒する。
「今は家にいるけど……どうしたの……?」
僕の頭をとてつもなく嫌な予感がよぎる。無理やりその予感を振り払い、僕は恐る恐る幸輔に聞き返す。
「夏輝……落ち着いて聞けよ……。絶対取り乱すなよ……!」
鬼気迫る幸輔の声。なんだかわからないが、とりあえず何かとても悪い事があったのは確かだ。……雪希の身に。
「大丈夫だよ。で、何があったの?」
手が震えてスマホを落としそうになるのを必死に堪え、僕は今にも破裂しそうな心臓を抑えながら必死に動悸を静める。
「雪希ちゃんな……今、かなり重い病気で入院してるみたいだ……」
ガシャン、と床にスマホが落ちる。遠くから『夏輝!? おい!』と幸輔の声が聞こえてくる。
色づく視界はパラパラと崩れ落ち、あの時と同じ白黒の世界が僕を包み込んでいった……。