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途切れた足跡

(あれから2年か……)


 雪希の家のドアに寄りかかりながらハーッと真っ白い息を吐く。

 あの後、案の定僕は大学入試を失敗し、今ではめでたくしがないフリーター。雪希は僕とは違い、ちゃんと志望の大学に入った。

 大学に落ちた僕はこれ以上親に迷惑はかけられないと思い、実家から2駅離れた土地で1人暮らしを始めた。雪希もまた母子家庭の母親にあまり負担をかけたくないのと、妹が高校受験というのもあり妹が勉強に集中できるようにと、家から数百メートルのこの場所に家を借り、大学に行きながらバイトをして自活をすることにしていた。


(この2年間、思えばあっという間だったな……)


 初めてのデート、初めての二人きりのクリスマス、初めてのキス、初めての旅行、そして初めての……。

 就職が決まらず落ち込む僕を雪希はいつもあの暖かい笑顔で励ましてくれた。僕はこの2年間あの笑顔に支えられていたからこそ挫けずここまで来れた。でも僕はその支えを唐突に失ってしまった。なにもできてないまま、なにも返してないまま……。


(人という字は支えあってできている……か)


 昔のドラマの台詞を思い出す。そう、人は支えあって初めて成り立つことができる。支えあわなければそれはただの1と1、1人きりだ。そして1人きりでは支えがないとあっけなく倒れてしまう。

 そんなことを考えているとカンカンカンと階段を上ってくる音が聞こえてくる。誰かが2階に上がってきているようだ。


(もしかして雪希?)


 心臓がドクンと跳ね上がる。だが現れたのは雪希ではなく、ふくよかで人の良さそうなオバチャンだった。……確かこのアパートの大家さんだ。


「あら? もしかして雪希ちゃんの彼氏さんじゃないの?」


 心の中でがっかりする僕をよそに大家さんが嬉しそうに話しかけてくる。


「どうも、お久しぶりです」


 大家さんに軽く会釈する。


「はいどうも、相変わらずの礼儀正しいわね~。しかもいい男だし! 雪希ちゃんがホントうらやましいわ~」


 オバチャン独特の会話に心の中で苦笑する。僕は話題を変えるべく少々引きつった笑いを浮かべながら大家さんに話しかける。


「今日はもしかして家賃の集金とかですか?」


 差し障りない話題を投げる。


「そうなのよ~、もうこのアパートの人達ったらこうやってまめに集金にこないとすぐ使い込んじゃう人達ばっかりだから~。あっ、でも雪希ちゃんは1度も滞納したことはなかったわよ~」


 ……? なんだろう? 今一瞬違和感を感じたような……。

 

「ほんとに今時珍しい、しっかりした子よね~。おまけに美人で性格もいいし! あんな子そうそういないんだから、大事にしてあげないとダメよ~。な~んて、私が心配するまでもないわよね~。あなたとっても優しそうだし!」


 僕に違和感を考える時間を与えないほど大家さんは絶好調だった。そして悪気は全くない大家さんのその言葉は的確に僕の傷に塩を塗りこんでいた。


(大事にしろか……。大家さんの心配は見事に的中していますよ)


 心の中でそう呟きながら僕は苦笑いを返す。


「そういえば彼氏さんこそどうしたの? 何か忘れ物でもあったのかしら?」


 まただ……。また僕は違和感を感じる。なんだろう? 何か、言いようのない不安をヒシヒシと僕は感じていた。


「ああ、えっと……雪希に用事があったんですけど、留守みたいで……。ここで待たせてもらってるんです」


 僕がそう言うと大家さんがキョトンとした顔をする。そして急にニヤニヤしながら手をパタパタと手を振る。


「いやぁね~、もしかして幸せボケってやつ~? 雪希ちゃんなら昨日『引っ越した』じゃない」


「えっ!?」


 思考が全て停止する。頭をバットで殴られたような感覚に陥り視界がチカチカとフラッシュする。


(引っ越した……? 雪希が……?)


 停止した脳という糸車を無理やり動かすが、僕の思考という糸は既にぐちゃぐちゃにからまっており、糸車を動かせば動かすほど更に糸はからまり混沌を極めていく。


「あら? もしかしてホントに知らなかったの……?」


 僕の顔はよっぽど呆けた顔をしているのだろう、大家さんが気まずそうに目を泳がす。


「はい……えっと、雪希の、引越し先、わかります、か?」


 電池切れのおもちゃの様に途切れ途切れに僕は大家さんに問いかける。


「さ、さあ……。私もそこまでは聞いてないのよ……」


 先ほどの饒舌はすっかり影を潜め、まるで悪いことを咎められている子供の様に目を逸らしながら、言い訳をするように小さな声で大家さんが話す。


「そう、ですか……。ありがとう、ございます……」


 糸車がうまく動いていないせいで、決められたことしか喋れない合成音声の様な喋り方になってしまう。


「ま、まあ若いんだからいろいろあるわよね! 大丈夫よ、オバチャンはあなた達のこと応援してるから! じゃあね!」


 そう言うと大家さんは引きつった笑顔を浮かべたまま身体を翻し、逃げるように階段を下りていった。


(引っ越した……、雪希が……、ここからいなくなった……)


 家主のいなくなった部屋の前で僕はまるでその部屋を守る門番の様に、吹きすさぶ冷たい浴びながら微動だにすることなく立ち尽くしていた……。

 するとからまった糸が1本、混沌を抜けスルスルっと糸車に吸い込まれていく。


(そうだ、雪希の実家!)


 ここから雪希の実家までは歩いて5分くらいだ。僕は階段を飛ぶように下り、雪希の実家に向けて走り出す。

 学生をやめてからの運動不足がたたり、すぐに息があがる。ただでさえ半ばパニックになりかけの脳に更に酸素が足りなくなり思考はますます働かなくなる。そんな脳という糸車が唯一紡いでいる糸は早く雪希の実家へ! それだけだった。


「ハァハァ……!」


 全力で走ること3分。脇腹に鈍痛を抱え、完全に肩で息をしている僕の前に見慣れた平屋の家……雪希の実家が建っていた。

 完全に絡まった思考の糸の海と化していた僕の脳が、なんて言って会おうとか、お母さんが出てきたらどう言おうとか、そんな過程を全て飛ばしてほぼ条件反射の様にンターホンを押す。


『ピーンポーン』


 インターホンを鳴らし、待つ間に息を整える。


『はい?』


 少しするとインターホンの向こうから雪希のお母さんの声がする。

 息も整い多少冷静になれた僕は自分の早まった行動を少し後悔する。が、もう後には引き返せないので僕は恐る恐るといった感じでインターホンに向かって話しかける。


「こんにちは……えっと、夏輝です……」


 僕がそう言うとインターホンの向こうから独特の穏やかな喋りでおばさんが言葉を返してくる。


「ふふっ、やっぱり来ちゃったのね……。そうよね、夏輝君……本当にあの子のこと大切にしてたものね……。いきなり別れてくれなんて言われても諦められるわけないわよね……」


 おばさんの声にはどこか諦めのようなものが含まれていて、まるで最初から僕がここに来ることを知っていたみたいな口調だった。


「すみません……。でもやっぱり僕には雪希が、雪希しかいないんです……」


 幼い頃からの勝手知ったる仲とはいえ、当人の母親に対して我ながら大胆な発言をしてしまY。でも今の僕には言葉を選ぶ余裕も、相手を気遣う余裕も無くなっていた。そしておばさんはそんな僕の発言を聞いてインターホンの向こう側で嬉しそうに笑う。


「ふふっ、知ってるわ。夏輝君ったら昔からそうだったわよね。いつもは優しくて、穏やかで、他人の前だといつも自分を引っ込めちゃうのに、あの子が絡むと人が変わったみたいに怒ったり、泣いたり、笑ったり……。ふふふ、それは大人になった今でもあんまり変わってないみたいね」


 僕はその言葉を聞いていて嬉しくもあったが、どちらかというと恥ずかしさの方が強くて一気に顔が熱くなる。だが僕はブンブンと頭を振って恥ずかしさを吹き飛ばす。今の僕には恥ずかしがっているような余裕はないのだ。


「雪希は……何処ですか?」


 意を決して僕がそう言うと、インターホンの向こうでしばしの沈黙。そいSてハァーと深い溜息が聞こえる。どうやらおばさんの方もここから先の話をするのはそれなりの覚悟がいるようだった。


「本当にごめんなさい……。それについては、私の口からは言えないの……」


「っ!?」


 予想外のおばさんの言葉に僕は息を飲む。一瞬怒鳴り散らしそうになるが、インターホンから聞こえるおばんさんの辛そうな声は本当に申し訳ないという気持ちが嫌というほど込められていて、僕はグッと思い留まる。


「理由は……聞いても大丈夫ですか?」


 僕はなるべく平静を保ってインターホンに話しかける。


「あの子から固く口止めされてる、としか私の口からは言えないの……」


 足がガクガクと震え、僕は膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか堪える。必死になって追いかけた雪希の足跡がまさかここで途切れるとは正直予想していなかった。


「夏輝君……本当にごめんなさい……」


 立ち尽くす僕に悲痛ともいえるおばさんの声が頭の中を山彦のように何度も木霊していた……。


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