君のことが好きだから
それから約一ヶ月、サンタがこの街にやってきて、古い年も終わり、新しい年が始まっていた。僕はあれ以来雪希に会っていない。うまいこと冬休みも絡み、卒業できるだけの出席日数もあったので僕はあの日以来高校に行かなくなっていた。ただ大学受験はもう絶望的な状況だった。
あれから僕はずっと家に引きこもってゲームばかりしていた。必死に勉強する必要がなくなった僕に机に向かう理由はなかった。
それにノートや教科書を見ると嫌でも思い出してしまう。そう……雪希のことを……。
雪希と同じ大学に行く為、必死になって勉強していた時に使った教科書や参考書は最早、僕の罪を思い起こさせるただの十字架でしかなかった。もうこいつらが押入れの奥から日の目を見る日が来ることはないだろう。
そんな惰性的な生活を送りそして今日は1月5日。……雪希の誕生日だった。
この日僕はある決意をしていた。机の中にしまってある小さなプレゼント箱。僕はあの全てが終わりを告げた日の3日前、雪希の誕生日プレゼントを購入していたのだ。
家でこの箱の存在を思い出したときいいきっかけだと思った、最後に雪希に会う為の……。
(雪希に会って、謝って、それで、最後にしよう……)
卒業したら僕は遠くで1人暮らしをしながら働く予定でいた。ただこの街からいなくなる前に心残りだけは取り除いておきたかったのだ。
今更謝ったところで許されるなんて思ってない、一度吐いた唾はもう飲むことはできない。
ただ僕のせいで、雪希が人と付き合うということに恐怖を持ってしまっていたら……、それだけが気がかりだった。傷つけるだけ傷つけて、そして僕が雪希の前から消えた後も、僕は雪希の足枷として存在し続ける……。
(そんなの許せるわけが……いや、許されるわけが、ない……)
雪希のことを大切に思うこの気持ちだけは裏切りたくなかった。
時計の針が午前9時を過ぎた頃、僕は雪希に今日会いたいこと、駅前のベンチで待ってるというメールを送り、手早く着替えを済ませると机の中のプレゼントを持って家を出た。
歩くこと15分、目的の場所に着き、僕はベンチに腰を下ろす。
年が明けてからまだ間もないせいか駅前はたくさんの人で賑わいを見せていた。
親子、友達同士、そしてカップル……そのどれもが新たな年を喜び、皆幸せそうな顔をして僕の前を通り過ぎていく。
でもそんな町並みも今の僕にはただの灰色にしか見えなくなっていた。
僕の心はあの日から何をしてても、何を食べても、感じるのは味気ない灰色だった。この世界に色を感じなくなり、見るもの全てが昔の白黒写真のように見えていた。
(雪希が僕にとってこの世界の色だったってことなのかな……)
でもそれも納得だった。振り返れば今まで……好きだという気持ちを抱く前だって僕の感情の原点にはいつも雪希という存在があった。
雪希が嬉しいから嬉しい、雪希が泣いているから悲しい、雪希が楽しそうだから楽しい、僕の感情には思えばいつも雪希という存在がいつも一緒にいた。
(雪希……、雪希が隣にいないだけでこの世界はこんなにも味気ないものになったよ……)
空を見上げる。曇っているのか、晴れているのかわからない灰色の空。僕は駅前の時計を見る。
(10時16分……)
僕はハァーッと息を吐く。
吐いた息はそのまま灰色の空へと溶け込み、消えていった……。
………………
…………
……。
駅の備え付けの時計を見ると23時57分。後3分で雪希の誕生日が終わろうとしていた。
ここで雪希を待ちつづけて既に14時間が経とうとしていた。いつの間にか降り出していた雪はすっかり僕の頭や肩に積もっている。寒さの感覚は既になく、僕は最初からそこにあった置物のように微動だにすることなくただ雪希を待ち続けていた。
予想はしていた。今更僕になんか会いたいわけがない、冷静に考えれば分かることだ。
(雪希は、来ない……)
認めたくない現実が脳裏をよぎる。すると頭上から電車の停車する音が聞こえる。僕は大きく息を吐く。吐いた息はすぐさま白い水蒸気に変わり、灰色の空に吸い込まれていく。
(終わった……)
頭上から響いている電車の停車音はこの駅の最終電車の音だった。0:00着の最終電車の……。
終電から降りてきた酔っ払いやカップルが次々と僕の前を通り過ぎてく。新年会や初詣の帰りの人たちだろうか、思いは違えど皆それぞれが小さな幸せを噛み締めるようなそんな表情をしている。僕という影の存在に気付くことなく……。
世界でたった一人取り残されたような気分になる。僕はその人たちに着いて行きたくて、気付いてほしくて、仲間に入れてほしくて……、今まで微動だにすることなかった顔を上げる。
そして僕は見つける……絶対に見間違えのないその姿を。
行き交う人々の群れの中……僕という影を明るく照らしてくれる光。人の流れに逆らいながらその光は真っ直ぐに僕に近づいてくる、そして……、
「積もった雪くらい払いなよ……」
先ほどまで泣いていたのだろうか、両の目を真っ赤にした雪希が僕に積もった雪を優しく払ってくれる。
「銅像と間違えられて犬におしっこかけられちゃうよ……」
雪を払いながら雪希が薄く笑う。
ジワーッと僕の冷え切った心と身体が温かくなっていく感覚。雪希の声、雪希の瞳、雪希の匂い、雪希を創る全ての要素が、太陽の光に当てられて浮かび上がる月のように、曖昧になってしまった僕の輪郭を浮かび上がらせていく。
「誕生日……おめでとう、雪希……」
僕は寒さで震える唇を必死に動かす。
「憶えてて、くれたんだ……。あはは、ありがとう……、といっても2分くらい過ぎちゃったけどね。ってわたしのせいか……」」
雪希は一瞬驚いた顔をした後、動揺をごまかすように苦笑を浮かべる。
「これ……プレゼント……」
ポケットからプレゼントを取り出そうとするが、まるで錆付いたロボットの様に間接が固まり、なかなか取り出すことができない。ギギギッと音が出そうな動きで僕はゆっくりとプレゼントを取り出す。するとプレゼントを持った手を雪希の両手が優しく包み込む。
「ごめんね……、こんなに、冷たくなるまで……、夏輝のことほったらかしにして……ひっく、ごめん……ごめんね夏輝……」
雪希の暖かい手に大粒の涙が降り注ぐ。雪に反射してキラキラと輝く世界一美しい宝石を眺めながら僕はこんな自分を激しく呪った。
(なんで……、なんで雪希が謝っているんだ……、また泣いているんだ……。謝るのは僕だ……雪希は何も悪くない。僕なんかのためにこれ以上、謝ることも傷つく必要もないんだっ……!)
必死に声を上げようとする。寒さと乾燥でカラカラに乾いた喉から絞り上げるように僕は言葉を紡ぎだす。
(ごめん雪希、雪希は何も悪くない……、悪いのは全部僕だ。だからどうか……、どうか僕なんかのせいで苦しまないで……。人を嫌いにならないで……)
心で思っていることを必死に音にする。
「雪希のこと……好きだ……」
雪希の手がピクッと震える。
心の声とは裏腹に僕の口は僕の胸の中に無理やり押し込んだ想いを吐き出す。
「雪希のことが好きなんだ……、どうしようもないくらいっ……!」
止まれ! 止まれ! と必死に命じる。こんなこと今言ってどうなる! 雪希をこれ以上傷つけてなんになるんだ!
「ホントは、昔からずっと好きで……守ってあげたくて、ずっとそばにいてほしくて……。だから……雪希が他の男の話をしてるとき……、悲しくて、苦しくて……それで雪希に酷いこと言って……!」
寒さで上手く動かない僕の口は、胸の中に一生留めておくはずだった僕の本音を箇条書きの様に読み上げていく。
「ごめん……ごめん雪希……。許してもらおうなんて思ってない……。ただ雪希が楽しそうに、幸せそうに笑っていてくれれば……、僕は……」
ふっと身体の重力が増す。雪希の甘い香りが肺いっぱいに広がる。見ると雪希が僕のことを包み込むように抱きしめていた。雪希が僕の肩に顔を埋めながら嗚咽を漏らす。
「ダメだよ……夏輝が隣にいてくれなきゃわたし笑えないよ……。わたしだってずっと前から……夏輝のとこ、大好きだったんだから……!」
雪希の言葉が身体に染み込んでいく……。
モノクロだった僕の視界がスーッと色を取り戻す。赤い郵便ポスト、青に光る信号機、街を照らすオレンジのライト……、味気なく感じていた白黒の世界はこんなにも色で溢れていることを思い出す。
「雪、希……? それって……」
鮮やかな色に囲まれながら雪希が埋めていた顔を離し、その純粋で真っ直ぐな瞳が僕の瞳を捉える。
「お互い……ずっと回り道ばっかりしてたってことだよ!」
これまで見たことがないくらい、嬉しそうな顔で僕の世界一大切な人が笑う。
その笑顔を見たとき僕は強く思った。
(ああ、もし神様がいるんだったら僕はもうこれ以上幸せは要りません……。だから……)
--- だからどうか、命尽きるその瞬間まで、雪希が笑顔でいられるように…… ---