後書き
最終話を書いたのに、「小説家になろう」サイト様にそのように認識されず、「?」と思っておりましたら。
最終話を投稿する際、「これで完結」という選択肢を選んでおかなかったのが原因のようです。
後からどうにかならないかと思って試行錯誤してみましたが、上手く行かず、この「後書き」(ブログに書いておりました)を最後の投稿として、完結としたいと思います。
まずは、長いお話に最後までお付き合い下さったことを深く感謝申し上げます。
本当に有り難うございました。
そして言い訳を2点。
第2部で「文化による支配」がどうのこうの、というお話を書きました。
私は大学で社会科学系の分野を専攻していたのですが(大学院も中途半端に通っておりました)、
その頃は、ミシェル・フーコーや、カルチュラルスタディーズというものが大流行りでした。
別にそれらを専門にしていた訳ではないのですが、しょっちゅう耳にしていたので、今回お話に取り入れてみた次第です。
もし、文化(思考枠組)を乗っ取るような支配・権力という考え方にご興味があれば、そういった文献をお読みになれば面白いかもしれません。
(ただ、もう所謂”流行”ではないかもしれません。だからといって、”流行遅れ”で済ませるべきとは思いませんが)。
それらの一流の学者さんたちでも、その権力性や支配力を指摘するにとどまり、「だからどうしたらいいの?」という提案は(私が知っている限り)はっきりとは無かったと思います。
当然、私ごときに目覚ましい結論が出せるわけもなく。
「文化による支配」の具体例の描写が面白い(というご感想を頂いたことがあります)のに対し、ネルヴァの言葉で表現される対抗策が中途半端に終わってしまったのは、忸怩たる思いがありますし、ご期待いただいた方々には申し訳ありません。
お話の中で上手に書けませんでしたが(書き手としての力不足です)、ただ登場人物が「生きて」対峙していく、し続けることに解決策を探す道があるのかなというようなことを思います。
これは今回の「あとがき」の最後に書くことに通じる話かと思います。
言い訳その2
光一が変化・成長していくプロセスをもっと掘り下げて詳しく書くべきだっただろうと思います。
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」も、小野不由美さんの「十二国記」も、ビルドゥングス・ロマンとして、登場人物の変化にしっかりと照準を合わせていらっしゃいますよね。
私も、始めからもっとその点を意識すべきだったと思います。
ぶっちゃけて言うと、これを書いていて最後の辺りは本当に書くのに疲れてしまって(要するに力量不足)。プロットを消化するのに精いっぱいでそれ以上踏み込む力がありませんでした。
本当にお恥ずかしい限りです。
ただ。これは後付けで思ったことなんですが……しかしながら、光一はそんなに変わる必要があったのか?という気もします。
変わるべきは、イジメなんて卑怯な犯罪行為を働く側であるはずです。被害者である光一ではなく。
光一が変わらなければならないとしたら、今居る学校だけが世界の全てではないということを知ること、そこから外に踏み出す勇気を持つこと(逃げる、ということと同じだとしても)だけではないかと思います。
光一が、自分の知らなかった世界で、心優しく真面目で誠実なだけが取り柄の青年のままでも、そこを人から認められ、女の子から頼りにされ、敬意を以って遇される。この体験で、自分の惨めな境遇を相対化できれば、彼にとっては十分ではなかったかと思います。
いや、後付けで思ったんですけれども。
最後に。
これも書き終わってから発見したことなんですが。
このお話。登場人物の誰も「幸福」になっていない……。
マイアは最後ああでしたし、よってゲルガンドも大切な人を失ってしまう。スヘイド・リザの最期も散々です。ティードリーアとティウもああだし、ミツルも光一も別れを告げるしかない。
なんでこんなことになったんだか、書き手も分からないんですが。気が付いたらこんなことに。
「幸福」の定義によるかと思いますが、私自身の生活の中で、見ようによっては「不幸」「不運」と分類されうる事態が多かったので、それが影響したのでしょうか。
そんな中でも、とりあえずは生きていかねばならず、生きて行くこと、が最優先課題だったというか。
その中で、ただ生きて行くこと、それだけに、何らかの意味を持ちたいと心の底で願っているのが、お話作りに反映されたのかもしれません。
もし、この私の作った長ったらしいお話に、キャッチコピーをつけるとしたら
「幸せじゃなくても生きて行く」
というものになるかなと思います。
本当に、拙く長いお話に最後までお付き合い下さり本当に本当に有り難うございました!
改めて感謝申し上げます。
もし、また何か書き始めたら、その時は宜しくお願い申し上げます。
末筆ながら、皆さまがお元気で、実りある生活をお送りになられますよう、お祈り申し上げます。