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水の砂漠の魚たち   作者: 鷲生 智美
人の旅路

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決戦の時

 初秋の朝。その清澄な空気を引き裂くように、ゲルガンド軍の進軍ラッパが鳴り響く。


 それに続いてウォーと雄たけびを上げながら、ゲルガンド軍四万の兵士が、皇宮の前に陣取る三万の三角陣に向かって駆け出していく。


 敵兵も、その時を待ち構えていたように動き出し、やはり地響きのような叫びと共にゲルガンド軍に向かっていく。


 そして両者は激突し、戦争が始まった。




 その時、皇帝スヘイドとリザ皇女は同じ部屋にいたが、お互い目も合わさなければ口もきかなかった。しかし、両軍のぶつかる大きな音に気付いて、二人揃って顔を上げた。


「ゲルガンド将軍が私たちを滅ぼしに来たわ」

「彼には妻子がいたそうだな。妻をお前に殺され、さぞかしお前を憎んでいるだろう」

「満足しているわ」

「なに?」

「かつて、自分の野望にかまけて妻に関心を向けなくなったお父様のことを、お母様はこう言ったそうよ。『愛情の反対は憎悪じゃなくて無関心よ』と。ゲルガンド将軍はずっと私に無関心だった。それが今では私を激しく憎悪しているわ。彼の頭の中は私のことで一杯でしょうね。生まれて初めてのことだわ、恋する相手の心を占めることが出来たのは」


 スヘイドは娘を不憫に思った。娘から妻への裏切りを責められて以来、反目を続けているとはいえ、スヘイドから娘への愛情が消えたわけではない。


「これからどうするつもりかね。私に従う者もいないわけではないが、皇軍の大多数がゲルガンド支持に回っている。ここが攻め落とされるのも時間の問題だろう」

「ええ。お父様の王朝もこれで終わりね」

「……そうだな」

「お父様の命をその辺の雑兵などにはくれてやらないわ。お父様はお母様や私への罪をまだ償っていない」

「……お前の手で私を殺し、その償いとするのか」

「殺す、だなんて汚らわしい真似など、神聖なる皇統にあるものは犯さないわ」


 皇女は依然無表情なまま、びしっとスヘイドの心の臓の辺りを指差した。


「妻を幸せにすることも出来ず、娘に幸福を与えることも出来ずに、無駄に生きた無力な皇帝スヘイドよ。お前にもうこの世での役割はない。魚の姿になるがいい」


 ――バサッ


 皇帝の纏っていた衣が椅子の中に崩れ落ちた。


 ――ピチピチ


 その椅子の上の、皇帝の衣の抜け殻の中で、一匹の小魚が跳ねまわっている。皇女はその小魚の尾ひれを指先でつまみ上げた。そしてその魚に一瞥をくれてやっただけで、それを持ったまますたすたと歩き始めた。


 王の居城の側で、「海の源流」から流れ出た水の流れが小さなせせらぎとなっていた。皇女はそこへ無造作に小魚を放りこむと、踵を返して居室へ向かった。


 その小魚は長い間、水の流れに抗してそこに留まっていたが、やがて、すいっと水の流れとともに海へと流れて行った。




 ゲルガンド軍四万の兵士が敵の三角陣とがっつりと組んで戦っているのを確認しつつ、ゲルガンド軍の残りの兵士は三角陣を右に迂回しながら、皇宮を目指す。三角陣の敵兵達はゲルガンド軍の別働隊を見ても、特に陣を崩さず、持ち場を離れない。


 ほぼ誰にも邪魔されずに皇宮の門についた残りのゲルガンド軍は、皇宮を護衛する敵兵を次々と倒しながら、皇宮の中へ入って行こうとする。


 ところが、皇宮の建物の中から奇妙なモノが群れをなして出て来た。それらは一応は「人」の形をしている。しかし全身が透明で、動く度にその身体がぷるるんと震えるのだ。


「なんだ? あれは」

「水……、水なんじゃないのか?」


 確かにそれは巨大な水滴が人の形をとっているのだった。


 ゲルガンド軍の兵士は、その異様さに思わず足をとめていたのだったが、中から血気盛んな若い兵士が躍り出ると、その水の兵士に襲い掛かった。


「とりゃあ!」


 兵士は、水でできた兵士の横腹を斬った――はずだった。しかし斬れない。水の兵士はそのままだ。ゲルガンド軍の兵士はもう一度、今度は相手を袈裟がけに斬ろうとした。しかし、やはり斬れない。


 剣で水を斬ることはできない。刃は水中を動くことができるだけで、水を斬り裂くことはできないのだ。


 それに気づいて呆然とするゲルガンド兵に対し、今度は水の兵士が片手を振り上げた。その手には剣が握られている。


 ――だが、あれも水なら、せいぜい相手を濡らすことができるだけなんじゃないのか。


 ゲルガンド軍の殆どの者がそう思った。しかしその剣は、ゲルガンド兵の剣と何回か打ち合った後、ゲルガンド兵の腹部を突いた。ゲルガンド兵の腹部から鮮血が吹き出る。


 誰かが叫んだ。


「ちくしょう! 氷だ! あいつら、剣だけは氷でできてやがるんだ!」


 そのころ。リザ皇女は塔の上の自室で、自分の椅子に優雅に腰掛けていた。傍らの円卓には大きな水差しが置いてあり、リザ皇女はそこから、花柄のティーカップに水を注ぐ。


 そして、そのティーカップを傾け、床に落ちようとする水滴にふうっと息を吹きかける。すると水滴は、氷の剣を手にした水の兵士となり、立ちあがるとすたすたと部屋から出ていくのだ。


 リザ皇女はこうして次々と自分を守る兵士を作り上げていく。




 皇宮の建物から一人また一人と水の兵士が現れる。ゲルガンド軍は諸将の号令のもと、退却を始めた。


 しかし、その中でただ一人、後に退かない男がいた。ティウである。水の兵士などという未知な相手に関して何か話し合ったところで、結論がすぐに出るとは彼には思えなかった。それに、おそらくリザ皇女の呪術で生み出されているであろう水の兵士をこれ以上増やす前に、一気にリザ皇女を始末する方が大事だと彼は思った。もちろん彼の心情としても、一刻も早くリザ皇女の息の根を止めてやりたい。


 もっともこれは危険な賭けだ。不死身の敵兵の刃の下をかいくぐってリザ皇女のもとまでたどりつけるかどうか。だが、ティウはたとえ全身傷まみれになろうとも、這ってでも皇女のもとに行きついてみせる、と決意し、自らの剣を鞘から抜いた。


 その時、剣がぼうっと光った。ティウは驚いてそれを見つめる。そして閃いた。


 ――この剣はワレギアの『精霊の信仰』という異教の呪が施された剣だ。この剣なら、『河の信仰』の呪を破ることができるのではないか。


 きっと剣はそれを告げてくれているのだ。ティウは馬を降り、皇宮の建物目指して駆け出した。もちろん水の兵士も襲い掛かってくる。カキーンと相手の剣を払い除けた後、すばやくティウは相手の胴を払った。


 ギャ。短い叫び声と共に水の兵士はただの水塊となり、その場に潰れ落ちた。地面がそこだけぐっしょりと濡れている。


 ――よし、この剣は斬れる!


 ティウは再び疾走しはじめる。次々に水の兵士が行く手を阻むが、それらを一人一人斬り捨てていく。『浜辺の者』と蔑まれても、武芸だけはゲルガンド軍随一と呼ばれるティウの面目躍如だ。


 建物の奥に階段があった。そこから新たな兵士が降りてくる。


 ――皇女はこの上か。


 水の兵士たちを次々と斬り捨てながら、彼は階段を駆け上る。階段はらせん状になっていた。塔の中を昇っているのだ。階段の上から一人、また一人と水の兵士が現れる。その度に切り結んでは、彼らを水塊に変えつつ、ティウは階段を昇って行く。


 階段を昇りつくと扉があった。その扉に近づこうとした時、ちょうど水の兵士が中から出て来た。ティウは素早く剣を突きたてる。相手は水となって床に滴り落ちた。


 その水の兵士が半開きのままにしていた扉を、ティウは足で蹴って大きく広げ、部屋の中に入った。



「お前は誰?」


 黒い服に身を包んだ女が、椅子に座ったままティウに問うた。ティウは無言のまま女に近づいた。女は眉を寄せて再び言葉を発した。


「珍しい顔立ちね。お前は誰? 何故私の術を破ることが出来る?」


 ティウは女の前で立ち止まると、憎しみに燃える瞳で彼女を睨み据えた。女は彼の表情など一向にお構いなしといった調子で続けた。


「ひょっとしてお前は賤しき『浜辺の者』なの? だからそんな顔をしているの? それに私の術を破るとは、お前は邪教の術でも使っているの?」


 女は首を振った。


「いずれにせよ、皇女たる私の前からは下がりなさい。汚らわしい。お前に捕えられるくらいなら、私が自分でゲルガンド将軍の許にいきます。おどき」


 そう吐き捨てるようにリザ皇女は言うと、椅子から立ち上がった。


 ティウは腕を動かした。剣を握っている方の腕を。次の瞬間、彼の剣はリザ皇女の腹部を貫いた。


「……!」


 リザ皇女は、信じられないという風に自分の腹に剣が突き刺さっているのを見つめた。ティウが冷然と言葉を発した。この部屋に入って始めて発する言葉だった。


「『賤しい』だの『邪教』だの。そんなことを決める権利など、あんたにはない」


 彼は剣を引き抜くと、顔色一つ変えずに皇女の首を落とした。首を失った皇女の身体は、数瞬の間、失われた首を探し求めるかのように血をふきあげていたが、やがてそのまま後ろに倒れた。血は止むことなく、床に血だまりが拡がって行く。


 彼の足もとに、驚愕の表情を張り付けたままの皇女の首があった。彼は再び憎しみの色を瞳に宿すと、片足を上げ、それを踏みつけた。


 踏みにじり、蹴りあげ、また踏みにじる。彼は人の首がただの肉塊となるまでそれを繰り返した。


 その間彼は無言だった。そして止める時も、部屋から出ていく時も無言だった。彼の瞳から憎しみは消えることなく、さらに疲労と悲しみが加わっており、彼はもう今後一切他人と口を利くことなどないかのような、陰鬱な貌で階段を降りはじめた。


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