罪の罰
皇軍は長期間の駐屯中、丸太を組み立てて櫓を作る。その日もその櫓の上に歩兵が一人、遠眼鏡を覗き込みながら駐屯地の見張りをしていた。
歩兵は遠くから近付いてくる砂塵を見つけた。馬だ。馬が数騎走ってくる。おそらく妻を迎えにいったゲルガンド将軍がお戻りなのだろう。歩兵はそう思って更に遠眼鏡を覗き込む。
しかし、おかしい。確かにゲルガンド将軍とその姫君の姿はあるが、妻らしき女性の姿が見当たらない。何故だろう。歩兵は不思議には思ったが、ともかく櫓の上から駐屯地に響き渡るような大声で、将軍の帰還を告げた。
将軍たちを前列に、駐屯していた兵士たちがゲルガンド将軍を出迎える。ただ、彼らも一様に不思議そうな表情を浮かべざるを得ない。戻って来た人々は、出かけた時と全く変わらぬ顔ぶれだったからだ。しかも……。ゲルガンド将軍もミツルも暗く沈んだ顔をしている。
皆を代表してトゥーム将軍が、馬を降りたゲルガンド将軍一行に声を掛けた。
「お帰りなさいませ、ゲルガンド将軍」
「うむ」
とゲルガンドは一つ頷き、周りの将軍や兵士たちに向かって言った。
「私用で留守をしていて済まなかった。私の留守中のことを報告して貰いたいので、各将軍は皆私の天幕に集まってきてくれ」
「あの……?」
ティルバが不審げな様子を隠すことなく尋ねた。
「ゲルガンド将軍、将軍の奥方様はいったいどうされたのです?」
ゲルガンドは答えた。今まで誰も彼の口から聞いたことのないほど陰鬱な声で。
「……死んだ」
「ええっ」
集まっていた人々から一斉にどよめきが起きる。その中にはティードリーアの上げた声も含まれていた。彼女は普段は軍人らしく低い声で話すが、この時の声は驚きのあまり、女性らしいやや高めのものとなって目立つことになった。
そのとき。今までゲルガンドの側で俯いて立っていたミツルが顔を上げた。そして列の後方にいたティードリーアを見つけると、そちらの方にむかってつかつかと歩みより始めた。
ミツルの瞳には怒り――というよりも憎悪の色が浮かんでいた。ミツルとティードリーアの間にいた人々は、ミツルの気迫に押されて彼女のために道をあける。
多くの人同様言葉もなく立ちつくすティードリーアに、ミツルは言葉を用いなかった。
――ぱあぁーん。
乾いた音が辺りに響いた。ミツルがティードリーアの頬を力いっぱい張ったのだった。ここで初めてミツルは声を上げた。
「貴女のせいじゃないの! 貴女が悪いのよ! どうして母さんのことを黙ってたりなんかしたのよ!」
駆け寄ってきたゲルガンドがミツルの肩を抱いた。
「やめなさい、ナイア」
ミツルは視線をティードリーアからそらさず、未だ興奮した口調で続ける。
「だって、この人のせいで、私たち家族は十七年間もバラバラだったのよ。もしこの人が、母さんのことをちゃんとゲルガンド将軍に伝えていればこんなことにならなかったわっ」
「ナイア、そんな『もし』を行っても仕方ない。今回の件で直接憎むべきはリザ皇女だ」
この言葉にミツルは唇を噛み、目を瞑った。涙が一筋、二筋と零れおちる。
事情が分からず困惑する人々を代表するかのようにティルバが尋ねた。
「ゲルガンド将軍、ぶしつけな質問ですが、奥方様はどうして亡くなられたのでしょう?」
しばらくの沈黙の後、ゲルガンドは重苦しいため息とともに答えた。
「私たちが『浜辺の村』に着くと、そこには何もなかった」
「何もない?」
「いや、何人か生き残った者が右往左往していたな。――私とナイアが村に到着する半日ほどまえに、巨大な波が押し寄せ、人も家も飲み込んでしまったそうだ」
ドゥームが声を絞り出す。
「将軍の奥方様もその波に飲み込まれてしまったのですか……」
「ああ。私は『浜辺の村』に留まり、生き残った者達をとりあえず一か所に集め、簡単な住処をつくるところまで指揮してきた。そして妻の行方も聞いて回ってみたのだが……。同じ村の者が、妻が波に追いつかれその中に吸い込まれていったのを見たそうだ」
ゲルガンドの言葉のあと、しばらく鉛のような沈黙が続いた。
それをティルバの声が破る。
「あの、その巨大な波とリザ皇女との間に何か関係があるのですか?」
「皇家嫡流の者は『海の源流』から流れ出る河、そしてその先にある海に対して『呪』を掛けることができる」
「そうなのですか……。それでリザ皇女の仕業だと……。しかし、動機は……動機はやはりゲルガンド将軍の奥方に対する嫉妬ですか?」
「そうだと思う」
「だとしたら、やり方が無茶すぎる! だって浜辺に巨大な波が押し寄せてきて奥方様だけが流された訳ではありますまい」
「その通りだ。何万もの民が流されその大半は行方知れず……。いやおそらく永遠に行方は分からないだろう。生き残った者は怒りと嘆きの声を上げていた」
ここで憤然とした若い声がした。
「だったらティード将軍が悪いわけじゃないっ!」
ティウの声だった。彼はミツルを睨みつけながらそう言った。が、ミツルも彼を睨み返した。
「でも、そもそも私たちが生き別れになっていたのはその人のせいなのよ!」
「だが、ティード将軍は真実を打ち明けたじゃないか。そのためにティード将軍はどれほど苦しんだと思うんだ!」
ティウはこう言い返すと、今度はゲルガンドを睨み据えた。ミツルとティードリーア、この二人の女性の父親であるゲルガンドは、しかし、二人の娘を見ようとしなかった。
このティウという若者の言い分がもっともなのもわかる。ゲルガンドも今まで考えていたのだ。何故ティードリーアはマイアの行方を自分に知らせなかったのだろうか、と。そして、それは、マイアに逃げるよう伝えるための使者にティードリーアを選んでしまったせいだと理解していた。
無神経だったと思う。自分が悪かったのだとも。それにさっきミツルに言ったように、今直接憎むべきなのはリザ皇女であってティードリーアではないことも彼はわかっていた。
しかし、永遠の妻と思い定めていた女性の死に対する悲しみと怒りは理性では抑えられない。だから、この時、彼の口からティードリーアを庇う言葉はとうとう出てこなかった。このことを彼は終生悔いることになるけれども。