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水の砂漠の魚たち   作者: 鷲生 智美
人の旅路
65/82

出撃の報酬

 ジガリが、牢から解かれたティウの天幕を訪れた時、この若者はジガリをかなり不愉快そうに迎え入れた。


 元々ティウは、ティードリーアがまだ少女だったころとはいえ、彼女にほのかな恋心を寄せていたジガリに対して、今でもある種の警戒感を持っていた。


 それに、ティウはジガリが来る前から相当に苛立っていたのである。


 ティードリーアが、自分とティウは想い合って結ばれたのだと申し出てくれたのは嬉しくはあった。しかしそれでは自分の献身は無駄になってしまう。


 このままではティードリーアは軍から放逐される。それにゲルガンド将軍との縁も切れるだろう。本当に彼女にはたった一つ、ティウの恋人という立場しか残らない。


 ティードリーアはそれでもよいと思ったから、事実を明かし牢屋の人となろうとしたのだが、ティウはこれにしつこく抵抗した。


「ティード将軍は部下思いの方だ。私を庇ってそのような嘘をつかれるのだ」


 と頑なに言い張り、牢屋の天幕から出るのを拒んだ。ただ、いつまでもそのようなわけにもいかず、無理矢理自分の天幕に連れ出されたのだった。


 軍隊内で「情を通じた」場合、上官は追放されるが、残った方も軍での栄達は見込めない。ティウはこの先ずっと、「浜辺の者」の雑兵として扱われることだろう。ティウは自分の自尊心の上でもそれが嫌だったが、それ以上に、ティードリーアに最後に残された恋人がそのような惨めな存在であることが嫌だった。


 「浜辺の者」がどれほど蔑まれるかティウは身をもって知っている。一国の王女として生まれ、気高く生きてきたティードリーアが、自分の妻となることで自分同様に貶められるのは、彼にとって我慢ならない。


 ――しかし、一体どうすればいいんだ。


 くそっ。ティウは時折机を拳で叩いたり、天を仰いだりして自分の生まれを呪っていたところだった。


「ご用事は何です? ジガリ将軍」


 自分にもこの男のようにほどほどの出自と、将軍の地位があれば良かったのに。そんなことを思いながらティウはジガリに来意を尋ねた。


「ティード将軍の代わりに、当面私がティード軍の指揮を執ることになった……ああ、そんな顔で睨まんでくれ、ティウ准将」

「准将? 私をそう呼んで下さるのはティード将軍だけです。准将などという階級は元々存在しないし、私はもうそんな特別扱いを受けられる立場ではない」


 ティウはそっぽを向き、相手の許しも得ないでさっさと椅子に腰かけた。ジガリ将軍は苦笑しつつ、卓を挟んだもう一つの椅子に腰をおろした。


「ティウ准将、僕も君のことを准将として扱うつもりだ。君は本来なら将軍になるべき実力の持ち主だと、私も思っているからね」


 ティウが口を開く前に、ジガリはティウを真正面から見据え、年長者らしい威厳とともに、くっきりとした口調で言った。


「武勲をたてたまえ、ティウ准将」

「武勲?」

「先ほど、緊急の幕僚会議があった。蛮族たちは三角陣を取ろうとしている」

「とうとう兵糧が尽きて、谷間から出て決戦を仕掛けざるをえなくなった、ということですか」


 ティウの顔つきも武人のものとなる。


「そうだろう。もし皇軍全体を用いるのであれば、彼らが谷間から平野部まで出てくるのを待って迎え撃つことで彼らを殲滅できるだろう。ただ、現在全軍を指揮するゲルガンド将軍がおられない。更に将軍の一人、ティード将軍もその地位にいない。そもそも、今回は蛮族を追い払えばそれでよいのだから、そんな大規模な戦いをする必要もなかろうということになった」

「では……」

「彼らが谷間にいる間にこちらから攻撃を加える。その役目は私が自軍とティード軍を率いて行うことになった」

「はん。主のいなくなったティード軍を危険に晒そうというわけですか」

「そんなにひねくれて受け取らんでくれ。これは私から言い出したことなんだ」

「貴方が?」

「そう、そして君にティード軍を率いて先陣を切って貰いたい」

「私に?」

「そうだ。ティード将軍から聞いている。君は、谷間で彼らを攻撃する作戦を持っているはずだ。君なら最小の負担で最大の成果を上げることが出来ると私は思っている」

「なぜ私に?」

「武勲をたてたまえ、ティウ准将。ティードリーア姫の未来の夫にふさわしい武勲を」

「あ……」


 ティウの瞳に輝きが戻り、しだいに顔が紅潮していく。若者の身の内に瑞々しい闘志がみなぎり始めたのを、壮年のジガリは少しばかり眩しげに見つめた。


「君が羨ましいよ、ティウ准将。あの女性の心を見事手に入れたのだからね」


 ティウは先程まで自分がジガリを羨んでいたことも忘れ、また、ジガリという一人の男のほろ苦い胸中を忖度することもなく、ただまっすぐと自分が采配を振る戦いのことだけを考えながら、力強く宣言した。


「必ず敵軍を蹴散らして見せます。いや、それ以上のことを私はやってみせる……」





 まだ夜も明けきらない頃だった。蛮族の陣の側方の山、その森の中に多数の兵が見え隠れする。彼らは前日山越えしてきたティード軍だった。正確に言えばティード軍の三分の二が歩兵として、森の中の木陰に潜み、敵への攻撃の時が来るのを息を殺して待ち構えている。


「そろそろだな……」


 一番隊長バダンが、夜の底がほんの僅かに白みがかっているのを見やって呟いた。この歩兵隊を率いるのが彼の役目だった。こんな多勢の人数を動かすのは彼にとって初めてで、彼は緊張のあまり、昨夜以来何度目かになる胴震いをひとつした。


 しかし、この作戦で行けば必ず敵を蹴散らすことができる。ティウ准将はそう説いていた。そしてそうすればティード将軍をお救い出来るとも。


「うむ。頑張らねば」


 バダンはかつて人生に躓き、賭博に溺れて借金に首が回らなくなり、自棄になって河に飛び込もうとするところをティードリーアに救われた。自分の恩人を助けるためだ。ここで怯んでなぞいられるか。彼は息を大きく吸い込み、一気に大声で命じた。


「出撃!」


 ティード軍の歩兵隊が全速力で敵の陣へ駆け出していく。敵軍の大半は天幕の中でまだ眠っているらしい。さあ、彼らが本格的に動く前に、こちらが先手を打たなければ。


 ティード軍は敵の天幕に踏み込み、一人また一人と敵兵に襲い掛かる。ここで多くの敵を仕留めることが出来たが、しかし蛮族の方も枕元に剣を用意しており、目を覚ました者はそれで反撃してくる。白兵戦の始まりだった。


 寝起きの蛮族の動きは鈍かったが、だんだんと身体が目覚めてくる。一方、一晩山を越えて徹夜したティード軍は、白兵戦が長引くにつれて身体が重くなってくる。


 形勢は、敵の寝込みを襲ったティード軍の圧倒的優位から、徐々にどちらが優勢ともつかなくなってきた。蛮族たちは、自分たちが優勢に立とうとしつつあると思い、ますます意気が上がる。もっとも、ティード軍の士気も衰えていない。彼らは次の展開を知っていた。


 バダンは後方で、自らも一人の蛮族と闘いつつ、味方全体を叱咤激励していた。そしてちらちらと谷間の向こう、皇軍の陣地の方に目を向ける。そして近づいてくる土煙を認め、声を限りに叫んだ。


「来たぞ!」


 その声を聞いたティード軍の兵士たちが、うおーっと大声で吠える。蛮族が怪訝な表情を浮かべるが、そのうち彼らの耳も多数の蹄の音を捉えた。


「騎馬隊の到来だ!」


 ティード軍の残り三分の一。三番隊長ペペラを先頭に、彼らは馬に跨り、歩兵同士の戦いの中に割って入る。


 馬の脚で敵兵を文字通り蹴散らし、馬上から刀を振り下ろす。歩兵隊の者達も友軍の到来に疲れを忘れて、活気を取り戻した。蛮族達はもはや向きを変えて敗走しはじめていく。


 ここで攻撃を止める。元々のティウの作戦ではそうなっていた。敵軍を追い散らせば、それでティード軍の役割は十二分に果たしたと言える。ティード将軍を欠き、ジガリ将軍の手も借りず、隊長レベルでここまでやり遂げたのだ。ティード軍の名誉は更に高まることになるだろう。


 だがバダンもペペラも攻撃の手を休めない。彼らはティウ准将の新たな作戦のために、出来るだけ敵兵の勢力を削いでおきたかった。




 谷間を挟む、高い方の山から下りて来た歩兵と、中央から駆け付けた騎馬兵とが、蛮族達と闘っている間。谷間の反対側の丘の上を、駆け抜けて行く馬があった。


 たった一騎、灌木の茂みの中を疾走していく。乗り手は美しく若い男、ティウだった。彼が「自分は単騎で行動する」と各隊長に告げた時、彼らは反対したものだ。危険すぎる、と。


 ――だが、危険を冒さなければ大きな成果は得られない。


 そして今のところ彼の目論見は外れていない。彼は敵に見付かることなく丘を降り、敗走する蛮族たちの先頭に近付くことができた。そのまま、彼は剣を抜き、片手で馬を駆って敵軍の中に近づいていく。


 蛮族から奇声が上がった。ティウを指差し、何かを怒鳴っている。そして一斉にティウに向かって矢が射かけられた。


 次々と飛んでくる矢はティウの鎧に跳ね返されるが、内何本かは彼の身体に突き刺さる。だが、ティウは痛みはさほど感じない。そんなことより、こいつらの頭目はどこだ? 彼は矢の雨の中を更に前進していく。


 見つけた! 敵の集まり具合を見ればどこがこの集団の中心か見当がつく。中心にいたのは、他の者より派手な鎧をまとった初老の男だった。他の兵士と違って、威厳のようなものを備え、そして馬上から周囲に何かを命じている。こいつが蛮族の頭目に違いない。


 ――つっ。


 矢が彼の右ほおに刺さった。彼は痛みから、というより、矢羽が視界の中で揺れ、邪魔だからそれを抜き取った。そして敵の頭目目がけて更に馬を走らせる。


 蛮族たちは怯んだ。いくら矢を射かけても、近づく速度を落とさない男。頬の矢傷から血をだらだらと流しながら、鬼気迫る表情でまっすぐ自分たちの頭目目がけて襲い掛かってくる猛将。蛮族の頭目を守る兵士の何人かは、ティウのその姿を見ただけで圧倒され、逃げ出して行った。


 残った兵士は勇敢ではあったが、帝国軍の中でも実力だけは一目置かれるティウの相手となるには僅かに及ばなかった。少々手間取り、さしものティウも疲労を感じながら、一人また一人と敵を斬り捨てていく。


 ほぼ一人となった初老の頭目も剣を抜いた。一合、また一合と剣と剣がぶつかる。勝った。ティウは早い段階で自分の勝利を確信した。初老の頭目の目に諦めを見出したからである。


 ――やあっ!


 初老の男の隙をついて、彼は敵の腹を力いっぱい剣でついた。蛮族の鎧は帝国式剣の威力に敵わなかった。ティウは確かな手ごたえとともに、剣を引き抜いた。


 初老の頭目は、ドサリと地に滑り落ち、残っていた兵士は一目散に逃げて行った。


 ティウは馬から降り、息絶えた敵の頭目に近づくと、剣を振り上げた。


 ――ザクッ。骨を斬る鈍い音に一拍遅れて、敵の首級が足元にごろりと転がる。


 彼は武勲を手にしたのだ。

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