ティード将軍の思案
ミツルの瞳をあれこれ詮索する人々をよそに、ティード将軍、副将アチェ、そして准将ティウのティード部隊の首脳陣は、重大な案件に直面していた。
ゲルガンドは行軍中、常に斥候を放っている。そして、つい先日その斥候が重要な情報を持ち帰って来たのだった。それを受けてゲルガンド将軍は、ティードリーアを含む将軍たちを集めて指示を出した。
自分の部隊に戻ったティードリーアは、副将のアチェと准将のティウを自分の天幕に呼び寄せた。ティード部隊において、副将アチェは人心掌握に優れているので主に人事面を担当している。
本来副将は各部隊に最低二人はいて、それぞれ役割を分担する。ティード部隊の場合、武芸の腕前・指揮官としての能力が抜きんでているティウが、軍事面の副将として担当するのが自然であった。しかしながら、「浜辺の者」が将官に就くことに対し、主に他の部隊の将軍たちからの反発が強く、ティードリーアは彼に「准将」という非公式な階級を与えることで幕僚に迎えていた。
ティードリーアが二人の部下に説明する。
「アチェ、ティウ。二人ともこの辺りの地理は既に頭に入っていると思うが、この先メイドウに向かう手前に、街道が帝国領の境界近くを通るところがあるだろう? ゲルガンド将軍によれば、そこに大規模な蛮族の集団がいるらしいんだ」
アチェが質問した。
「メイドウからの知らせは?」
「ない。つまりメイドウと我々とを結ぶ街道は、蛮族に既に押さえられ、封鎖されているということだ。そして斥候の報告によれば、我々皇軍がやってきているという情報を向こうは掴んでいるらしく、蛮族は既に我々を迎え撃つ陣形を敷いているらしい」
今度はティウが質問した。
「いったい蛮族の意図は何です?」
「正確にはわからない。ただここ近年この辺りの湧水の量は減少傾向にある」
その前の数年間はむしろ増加していた。この辺りに限らず帝国全体で湧水の量が不安定に増減している。ティードリーアは以前ゲルガンドと二人で居るときに、彼がその原因を、皇女が「海の源流」で怪しげな「呪」を用いるからではないかと推測するのを聞いたことがある。
ティウが大きく息を吐いて言った。
「はあっ。水が欲しくての蜂起か。これは切実なだけに相手の戦意も高いでしょうな」
アチェが疑問を呈する。
「だけど水が欲しいなら狙うのはルキアだろうに。なんでこんなところに陣を敷いているんだろうね」
これにはティウが答えた。
「確かに我々の向かっているのはメイドウで、その先まで行く予定はない。けれども蛮族の方はそれを知らないんじゃないか。彼らは我々の軍勢を見てルキアの警護に来たのだと考えたのかもしれない」
ティードリーアが、なるほど、と頷いた。
「となると、敵がここに布陣する理由は分かるな。一つはここが街道の中でも最も国境に近く、彼らにとって侵入しやすかったこと。そして二つ目は、我々がメイドウに入って、メイドウ駐留の帝国軍と合流することを防ぐこと。この二つだ」
ティードリーアは続けた。
「斥候によると、彼らは相手を迎撃する布陣をとったまま動く気配はないそうだ。つまりはこちらが近づくまであちらから積極的には襲いかかってこないということだ。ゲルガンド将軍からは、『各部隊は行軍の速度を緩め、時間を稼いで戦闘に備えよ』という命があった」
アチェが顔を引き締めて言った。
「ここいらの蛮族は手ごわいからね。慎重にいかないとね」
この地域の蛮族は、勇猛果敢なことで知られていた。
「兵士たちにも、実際に戦闘に入る前に十分訓練をさせておかないと」
と真面目にアチェが言っているのを、ティウが楽しげな表情で引き取った。
「そうそう、訓練を入念にやらないとね」
「ニヤニヤしながら、何考えているんだい。ティウ」
「軍事訓練の担当は私だからね。訓練の度に、私は我が愛しの女将軍と打ち合わせをする機会が増える。有難き幸せだ」
アチェは、こめかみのあたりを指でおさえつつ釘を刺した。
「二人っきりになったからって妙な真似をするんじゃないよ、ティウ」
答えたのはティードリーアだった。
「大丈夫だよ、アチェ。ティウは口ではこんな冗談を言っていても、実際には真面目に必要なことを打ち合わせてくれるから」
ティウはうんうんと首を縦に振る。
「そうとも、アチェ。ティード将軍を蛮族からお守りしないといけないんだからね。確実に勝利するよう、打ち合わせは念入りに行うよ。ただ誰にも邪魔されずに、ティード将軍だけのお顔を見、お声を聞けるのが私には嬉しいのさ」
「はいはい」
アチェは敢えてそっけなく答えて、話題を変えた。
「そう言えば、新入りの二人には非常用の鎧をまだ支給してなかったね、ティード」
「ああ、コーイチとミツルか。そうだな、早急に手配してやってくれ」
「ミツルと言えば……」
ティウが口を挟んだ。
「ちょっと面白い噂が立っていますよ」
こうしてティードリーアは、ミツルがこの辺りの王族の姫君ではないかとささやかれているのを知った。
この噂のために、来るべき戦闘に加えて、ティードリーアの思案の種が一つ増えたのだった。
「今日もありがとう」
ベッドメーキングを終えたミツルにティードリーアは声を掛けた。
「いえ……ではお休みなさいませ」
そう答えて、部屋から下がろうとするミツルを、ティードリーアは呼びとめた。
「最近、このあたりのどこかの王族の末裔ではないかと言われることが多いそうだね」
「ええ、そうなんです。この赤い瞳のせいでそんなこと言われて……。そう言われても困るんですけど」
本当にミツルは困惑した態で答えた。
「『じいや』から聞いたのだが、これを機会に父親を探してみようという気はないそうだね」
ティードリーアの問いにミツルは頷く。
「ルキア王家の血をひいていなくても、稀とはいえ赤い瞳の子供は生まれることがあると聞いています。私もその類だと思いますし。それに……」
「それに?」
「『じいや』さんにも言いましたが、私、私たち母娘を捨てた男なんか興味ありません」
相手がティードリーアでなければそっぽを向くような調子で、ミツルは言い捨てた。
「『じいや』も言っていたと思うが、大人にはいろいろ事情がある。ミツルのお父さんが、お母さんと別れてしまったのにはなにかよんどころない事情があったのかもしれないよ」
「ですけど……」
「ミツルらしくないな」
ティードリーアはからかうような笑みをミツルに向けた。
「どうも今一つ歯切れが悪い。それに――」
ティードリーアの笑みは更に大きくなる。
「本来のミツルなら、『自分たち母娘を捨てた男を探して、見つけ次第思う存分文句を言ってやるわ』くらいの、威勢のいい啖呵を切ってみせるように思うのだけどね」
「あ……」
ミツルは片手で口元を押さえた。
「その発想は無かったです」
「はは。それに、父親が見つかったら今までの養育費も分捕ってやればいい。花柄の服と書物がたくさん買えるぞ」
からから笑うティードリーアにつられて、「それもいいですよね」と賛成しつつミツルも笑った。そしてひとしきり笑ったあと、少ししんみりとした口調でこう言った。
「私、真相を知るのが怖かったのかもしれません。本当に、私と母さんが、父親という人間にとって邪魔だったから捨てられたんだったらどうしようって思って。それじゃ私や母さんがみじめだなって。だから本当のことを知るのが不安だったんです」
でも。明るい表情でミツルは続ける。
「捨てられたって分かったら、怒ればいいんですよね。無責任だって責めてやったらいいんですよね」
「そうとも。だいぶ意気が上がってきたな。不安で戸惑っているより、こっちの方がずっとミツルらしいぞ」
「私ってそんなに気が強く見えます?」
「気が強いっていうか……。まあ、元気あってこそのミツルだな」
「コーイチにも似たようなことを言われました。元気が良すぎて『姫君』なんて柄じゃないって」
ミツルはそう言ってふくれっ面をした。そして何か思いついたように両手をポンと叩いた。
「そうだわ。もし私が本当にお姫様だって分かったら、光一にひと泡吹かせてやれるわ」
あっはっはとティードリーアは大笑いした。ミツルも笑う。
笑いが落ち着くとティードリーアは優しく言った。
「ミツルの瞳のことは民の間では噂になっているが、王族たちにはその噂は届いていないかもしれない。私がこの近辺の王族と話す機会があれば、誰か行方知れずの姫君に心当たりはないか、尋ねてみることにするよ。いいかい? ミツル」
「はい。あの、有り難うございます。私のことそんなに気にかけて下さって。嬉しいです」
「いや。これで父親が分かればいいんだが。ああ、長話ですっかり遅くなってしまったな。済まないね。早くお休み、ミツル」
「ティード将軍も。お休みなさいませ」
ティード部隊は、「彷徨える皇軍」の中でも、最も団結力が強いとされている。それはティードリーアが、ティウやミツルのように行き場の無い者を拾ってやり、入隊した後も細々と気をまわしてやるため人望が厚いからだった。
ティード部隊の兵士たちは「我らが女将軍」への敬愛の念で固く結ばれている。部隊のみんなは、ティード将軍のもとでは兄弟のようなものだった。
ティードリーアはミツルが出て行った後も思案にふけっていた。父親がどんな人間であれ、実際に現れればミツルの人生の選択肢が増える。
どこかの王族の姫君とわかって、その国で大切に遇されればそれが一番良い。何か事情があって父親の許に引き取れない場合でも、血の繋がった父親にミツルに対する愛情があればミツルも心強いだろう。心理的な援助だけでなく物質的な援助も受けられるかもしれない。――まあ、何はともあれ父親の人柄とミツル母娘と別れたいきさつ次第だが。
ティードリーアは、ミツルの整えてくれたベッドに身を横たえた。
――赤い瞳か。
ティードリーアはふとゲルガンドの母親を思い出した。ルキアから来た赤い瞳の老貴婦人。同じ王族出身だから、ということで彼女はティードリーアを実の孫のように可愛がってくれた。軍人になってからも、女らしい綺麗なドレスを度々誂えてくれたのには少々閉口したが。でも、それを彼女の目の前で着てみせると、「まあ、なんと美しいこと」と目を細めて喜んでくれ、その心づくしがティードリーアは嬉しかった。
数年前に訃報が届き、実の息子のゲルガンドには及ばないとはいえ、ティードリーアも心の底から悲しんで喪に服したものである。
――!
がばっとティードリーアは寝台上で跳ね起きた。いるではないか。赤い瞳をした元ルキア王家第一王女の、行方知れずになっている孫が! ゲルガンドの子を宿したと言っていたあの女の腹の子が!
――まさかミツルが?!
ティードリーアは寝台の上掛けを、我知らず力いっぱい握りしめていた。ミツルなら年周りもちょうど合う。それに母親が「浜辺の者」に身を沈めてまで隠れ住もうとしたのも、ミツルがゲルガンド将軍の子だと世に知れれば大変なことになるからだ、と考えれば合点がいく。
――でも。
ティードリーアは上掛けの上で指先を緩め、片手で額を押さえるとふうーっと長く深く息を吐きだした。
そもそもあの女の赤ん坊が女の子であったとは限らない。それに何といっても名前が違う。あの女は言っていた。男の子であればゲルガンド将軍に、女の子であれば自分に似せた名前をつけるのだ、と。
マイア・トゥーべレン。ただ一度聞いただけなのに、あの女の名前はティードリーアの脳裏に焼き付いて消えることがなかった。彼女は忘れてしまいたかったのだが。
ともかく。ティードリーアは思った。「マイア」と「ミツル」とでは全く似ていない。こうも名前が違う以上、ゲルガンド将軍の子ではないはずだ。
やはりこの辺りの王族が身分違いの恋でもして、周囲の反対にどうにもならなくなって母娘と別れざるを得なかった、というのが真相だろう。反対派があまりに執拗で、それでミツル母娘も浜辺にまで落ち延びてしまわざるを得なかったのかもしれない。
とにかく人違いなのだ。そう自分に言い聞かせて、ティードリーアは今日一日の思案を終え、眠りについたのだった。