レイザアジュー
祝日をそれとなく過ごし、一日ぶりに出社して目にしたいつもの光景に、白井田は違和感を覚えた。そして、その正体がなんなのか掴めないまま自分の席に腰を下ろして腕を組んだ。
しばらく考え込んでいると、男の同僚である佐田が出社してきた。佐田は白井田の隣にある机の上にゆらゆらと寝惚けた様子で荷物を放り、椅子に腰掛けるとすぐさま、自らの腕を枕代わりに、机に突っ伏して寝始めた。
「おい、どうした」
「ん、ああ」
白井田が訪ねても佐田は曖昧な返事を漏らすように呟いて、それだけだった。しばらくすると、また顔を埋めて眠りにつくのだった。
昨日の祝日に徹夜で呑み明かしたのだろうかと白井田は思ったが、しかし佐田は取り分け気持ち悪そうに悶えている様子もなかった。単純に、露骨な気だるさを呈しているだけだ。白井田はしばらく顎に手を当て考え、やがてあることに気がついた。
人が明らかに少ないのだ。
周りは閑散としていて、もともと配属されている人数の少ない白井田の部署に関しては、白井田と佐田を含めて四人しかいなかった。他の部署に目を配ると、やはり人の密度は薄く、縁日の終わった後のように物憂いた雰囲気を醸していた。
それも、出社してきている者は皆一様に佐田と同じような状況に陥っていた。パソコンに顎を乗せて不貞寝する者、椅子に深々ともたれて欠伸をかます者、それぞれがそれぞれ、祝日の延長を演じていた。
「なんだこの活力の無さは……」
白井田が佐田を横目にそう言って頭を抱えると、向かいの席から後輩の高坂が喋りかけてきた。
「皆、やられたのですよ。“レイザアジュー”に」
「レーザー銃だと」
「レイザアジュー。商標名なので、レーザー銃とは発音が異なります」
「なんだそりゃ」
「知らないのですか」高坂は意外そうな顔をした。「大手玩具メーカーが昨日発売した、良く出来た玩具です。発売以前から物議を醸して注目を浴びた、レイザアジュー」
説明を受けても白井田は合点がいかない様子で額に皺を寄せた。
「なんだそりゃ」
同じ言葉を繰り返す白井田を見て呆れるように首を振ってから、高坂は説明を始めた。
「意志を反転させるらしいですよ、どうも。脳波を刺激する光線を出して云々。まあ、細かい理屈は聞いても分からんでしょう。多分、理工学部の名誉教授とか、そこらへんの人にしか分からない法則で作られた、奇々怪々極まる代物です」
「馬鹿な、そんなことが可能なのか」意志を反転させる、というフレーズに白井田は反応した。「不気味じゃないか」
「実際に今、そうなってるじゃないですか。ですから物議を醸したのです。より高い士気を抱いていた企業戦士ほど、その志は深い沼に堕ち、出社すら怠る者もいます。分かるでしょう?新人の若い社員は殆ど欠勤しています」
高坂が言うように、どの部署も部長レベルの中年社員は必ず何人かまばらに居たが、社会人になりたての若い社員のデスクはいずれも空席だった。
「しかし、なぜ、皆そのレイザアジューというものに撃たれたんだ?誰が、何の必要があって、そんなものを使ったんだ」
「自分で使ったんでしょうよ。来世に思いを馳せてリストカットする自殺者と同じです」
高坂の意外な答えに白井田は少し驚いた。
「自分に卑屈な人が多いんですよ。自分は怠けているとか、自分は甘いとかって。だから変わりたいと思う。レイザアジューを使って」高坂は嘲るように言ってから、何の気なしに笑った。「だけど違う。皆、自分が思ってるより必死なんです。全力なんですよ、割と」
高坂は皮肉めいた口調で、必死なんですよ、と繰り返した。
「そういうわけだから、レイザアジューを使った時、大抵の人は、本当に怠けた者へ堕落するのです。本末転倒というか、滑稽というか、僕にはなんとも不思議ですがね。しかし、稀有なパターンもあります」
高坂は左に居る平井川を指差した。平井川は熱心な様子でパソコンと向き合い、軽快にタイピングをしている。白井田は、さっきから不自然にキーボードを打つ音が聞こえていたのを不思議に思っていたが、納得した。
「しかしこのままでは会社が潰れてしまうぞ」
「大丈夫、言ったでしょう?レイザアジューは玩具です。まあ確かに、これは少々危なっかしいですが、効力はせいぜい一日です。娯楽か、あるいは現実逃避のツールなんです。勤務を終える頃には、皆元通りになっているはずです」
「そうなのか」白井田は胸を撫で下ろして安堵の溜め息を漏らした。「しかし、今日一日は、まともに機能しそうにないな」
「折角ですから我々もゆっくりしましょうか」
「それもいい。しかし平井川が久々に無我夢中で仕事に取り組んでいるのに、それを傍目に見ながらくつろぐというのは罪悪感に駆られる」
そう言って苦笑いを浮かべながら白井田が平井川に目を向けると、丁度平井川が出来上がった書類を手渡してきた。
「これ頼む、明日の取引に必要な書類だ」
口数少なめにそう告げて、平井川はまたパソコンを睨み始めた。白井田は了承して書類を自分のデスクに置いた。
「そういえば高坂。お前は、そのレイザアジューとかいうもの、使ってないのか?」
「まさか」高坂は苦笑した。「あ、でも、持ってますよ。妻が買ってきたみたいでして」
高坂は自分のバッグを探り、すぐに奇妙な形のそれを取り出した。未来的な配色とデザインで、どことなく幼稚だった。銃身には小さくロゴが彫られている。
「そんなものが本当に人間の意志を反転できるものなのか」
「文明とは常に進化しますからね。そうだ、白井田さん、これ使ってみます?」
「遠慮しておくよ」
「良いじゃないですか、どうせ皆も同じ状態なわけですし」
白井田が「おい、よせ」と手を振って拒むのを尻目に、高坂は「えい」と引き金を引いた。謎の光線が放出された。
翌日、白井田は盛大にヨダレの垂れた書類が原因で、いつも気性の荒い上司に大層な怒号を飛ばされた。
なんかこう、星新一的なものをイメージしながら書いたのですが、まあものの見事に外しましたね。