第三章 第16話「濾過凝縮武闘体」
ビカムが〝黒鬼士〟と渡り合う一方、こちらも鎬を削る戦いが展開していた。
紅蓮の刃。
黒鉄の拳。
凄まじいエネルギーが空中で衝突し、火花を散らす。
リンとマーカス、二人の戦いはまさに互角、趨勢は拮抗したまま動く気配がない。
リンは果敢に打ち掛かりながら驚嘆を禁じえない。
(この男……外見はどう見ても老人なのに身体能力はまるで別!)
(加えてあの鎧も――)
〝鎧素徒【調伏】〟
空気中の魔法を阻害する効果を備えた恐るべき鎧。
だがマーカスがその力に溺れている様子はない。自らの能力に対する圧倒的自信。道具はあくまで己のポテンシャルを引き出すものに過ぎないと一線を引くがゆえに、驕りや慢心は探す方が難しい。
――対するマーカスも、リンと拮抗している状況そのものに違和感を覚える。
少女こそ強化外骨格を装着しているが、拳から伝わってくるパワーはそれを加味しても強力。さらに、リンダリアル世界で〝黒鬼士〟を急激に追い詰めた時と似たようなパフォーマンスを発揮している。
加えて厄介なのは武器を変えていること――チキュウ産の高周波ブレードではなく、未知の金属を鍛造した紅色の刀をいつの間にか得物にしている。
マーカスは戦闘中、リンへの直接攻撃以外に武器の破壊も同時に試みていた。剣身の横っ腹に掌底を叩き込みフックを見舞ったが、彼をして叩き折れる気が微塵もしなかった。
ということは、そもそも最初から折れないのだろう。
自分が出来ないというのはありえず、つまり『剣が折れる』という前提が間違っているので、ならばこれは不壊の素材で打たれた異世界の剣……それ以外ありえない。
「シン・シャドー・スタイル:プロミネンス・グルマ!」
――そんな事を推し測りながら、リンの怒涛の連撃をマーカスは危なげなく捌いていく。
「シン・シャドー・スタイル:アヴァランチ・ヅキ!」
雪崩のごとき勢いの突きも最小限の動きで回避する。
「シン・シャドー――!」
「――耳障りだ」
マーカスは紅の刀が振り切られる前に懐へ飛び込み、前腕部をリンの手首にぶつけて封じ、少女のがら空きの胴体に寸勁を叩き込む。
辛うじてリンは空いている手を間に差し込むことで直撃は免れたが、代償に左腕の強化外骨格が破壊される。
リンの顔が驚愕に歪んだ。
(ありえない、技の起こりで潰された。事前に知っていなければ、こんなの――)
導き出された恐るべき推論を口にする。
「そんな、まさか……貴方もアイアン・ワタナベ師範に教えを授かって、シン・シャドー・スタイルを……ッ!」
「一緒にするな。不愉快だ」
心底から嫌そうに吐き捨てるマーカス。
全てにおいて完璧を体現する彼に、敵を侮るという思考はない。リンダリアル世界における〝黒鬼士〟との戦闘記録から、リンがシン・シャドー・スタイルなる剣術を使用することは把握済み。
であるならば事前に調査していないはずがないのだ――この男に限っては。
「あのようなもの、一度見れば極められる。リン・ツカモト、貴様が挙げる唯一の戦果は、くだらんウェブ講座を私に視聴させ、低俗さのあまりに吐き気を覚えさせたことだけだ」
「くっ、全35回のレッスンを最後まで視聴したというのね……!」
Okay! C'mon! Let's go! ――アイアン・ワタナベの声がリンの脳裏に蘇った。
シン・シャドー・スタイルの深奥はマーカスに筒抜けになっている。
されど、手の内を明かされたことに対する打開策がリンには無い。実質的に技が封じられる以上、純粋な剣技をもって対抗する他ないのだ。
異世界で死と隣り合わせの実戦を経たリンの剣は間違いなく一線級に達している。以前は数に苦戦した暴走アンドロイドの群も今なら容易く斬り伏せられることだろう。
そんな彼女をもってしても……マーカス・ハーディとの戦闘は荷が重いと言わざるをえない。
人生において大なり小なり数多の選別の機会があるとして、その全てをクリアしてきたのがこの男。
広大な砂漠の砂を篩に掛け続け、最後に残った奇跡の一粒。人間が内包するあらゆるステータス項目全てを上限に到達させた臨界者。これら比喩の体現者こそマーカス・ハーディなのだ。
拮抗しているかに見えた戦いも、戦況はシティの支配者に傾いていく。
苦悶の表情を色濃く浮かべるリンに対し、マーカスは苛烈な攻めを継続したまま淡々と論理を布かんとする。
「私には人類再興のために楽園を造り上げる大義がある。身分や富貴に関わらず誰もが同じ人間だと言うならば、少数を切り捨てることで大勢を生かす合理に逆らうはずがない。だが貴様は些少の犠牲を受け入れられず、皆で腐り果てる道を選ぼうという」
「…………!」
「その名を何というか教えてやろう。自滅だ。個人的感情が大局観を鈍らせ、自ら滅びの道に突き進む」
「――ッ――!」
「それが貴様と私の差だ。優れたる人間は感情を服従させ、大義のために常に正しき選択を取る。――心底軽蔑しよう。感情の犬に堕した貴様がこの私を倒すなどと、その身の程知らずさ加減を」
マーカス・ハーディの動きは、明らかに何らかの武の理を修めた人間のそれである。
だがその動きに型のような共通点は見出せない。千変万化に移ろい、しかし状況から導かれる最善の動作を出力している。これが最もリンを苦しめる。動きにパターンが無いということは行動を予測することも、行動の隙を突くことも難しいからだ。
リンがシン・シャドー・スタイルの技名を叫んで気合いを入れるのとは対照的に、マーカスは黙々とタスクを処理するように戦う。
ひたすら堅実で、徹底して合理……それはあらゆる武術をインストールしたがゆえに至った境地であった。
無数の武術、さらにその武術が内包する膨大な流派まで、マーカスは修め、束ね、錬磨していき――その果てに型や技すらも不純物として削ぎ落とした。大量の原料を圧搾してわずかな成分を抽出するかのごとく、それらのエッセンスだけが体に残される。
濾過凝縮武闘体――全武術の集合体と呼ぶべき存在がリンの前に立ちはだかった。
(いったい私は何と戦っているの――)
(勝てるイメージがまったく浮かばない)
マーカスの蹴りが強化外骨格の右足部分を吹き飛ばす。
何をどうしても通じない敗北感。あらゆる点で己より上位である絶望感。暗い感情が手を鈍らせていき、それが不利な戦況をより傾けていく。
そうして焦りがミスを生む。
「シン・シャドー・スタイル:――レクイエム・ダイジョーダン‼」
通じないと分かっていながら一発逆転の大技を無意識に選択してしまう。
上空からの渾身の振り下ろしは、マーカスの眼前で両掌に挟み取られる。
――ブレード・シラハドリ……全35回の番外、エクストラ・レッスンで理論のみ示された、常軌を逸する危険な技。
失敗すれば致命傷は必至のハイリスク・ハイリターンな行為。そうせずとも避ける手段はいくらでもあっただろうに、マーカスは躊躇しなかった。
それが最も効果的で、失敗などするはずがないという自負ゆえに。
驚愕に身が硬直する。紅刀を手放さなかったことは褒められてもいいだろう。
瞬間、マーカスの正拳が腹部に叩き込まれ、リンは床を跳ね飛ぶように転がった。
「……か、ぁ……ッ‼」
込み上げてきた血が口端から溢れる。
揺れる視界の端、マーカスは既にいなかった。リンの頭上に影が落ちる。
「死ね」
クリティカルヒットを受け満身創痍の敵に悠々と歩み寄る愚をマーカスは犯さない。
たとえ相手が身の程知らずの小娘であり、自身の勝利は揺らがないと確信していても、彼は油断や慢心を忌み嫌う。
正拳を撃ち込んだ直後、リンの予測静止地点へと跳躍、落下の勢いを乗せた拳を再度撃ち込む――それで終わり。
数秒後に自分の命を男の姿が、リンの瞳にスローモーションで映る。
〝――……リン……〟
懐かしい声。忘れることのできない声。
一秒を争う刹那に蘇った、この記憶を走馬灯と言うのなら――




