9話
「ふぃー! いい湯だったー!」
湯気が立ち上るほど体が温まったクリスがリビングへ向かうと、そこではすっかり打ち解けたアイナがブライトと談笑していました。
「いやー、すごい。ブライトさんは本当にすごい魔術師だ!」
アイナはそう言いながら、皿の上の柿をひとつ口に放り込みました。そして、口に物が入ったままの状態でクリスに話しかけます。
「クリス先生、私は驚きましたよ。この奇妙な形の家は、すべてブライトさんがお一人で建てたそうじゃないですか」
クリスは誇らしげに頷きました。
「そうなんだ。父上の土魔法は一級品なんだ。何度も見てきた私でさえ驚くほどにな。私はスパニッシュ国に三年ほど修行に行っていたけれど、父上よりもすごい魔法使いは一度も見なかったよ」
「やはりそうか!」
アイナが感心しきった声を上げると、ブライトは顔の前で手を左右に振りながら、困ったように笑いました。
「一人で建てたわけじゃないよ。窓や扉なんかは大工に頼んで付けてもらったんだ。私はただ、彼らに言われるがままに屋根と壁を設置しただけなんだからね」
「とんでもない! それがどれだけすごいことか……」
アイナがさらに食い下がろうとする横で、クリスは立ったままテーブルの上の柿をひとつ手に取ると、ぽいっと口の中に放り込みました。
「美味そうな柿だ……」
「ああ、そうだクリス。お土産のクッキー、ありがとう」
ブライトがそう言うと、クリスは急に申し訳なさそうな顔をしました。
「すみません、父上。本当はもっとたくさん買ってきたのですが……途中で、つい食べてしまいました」
「……いいんだよ。それにしても、この雨の中、馬を使わずに走って来るというのは無茶が過ぎるね」
ブライトの指摘に、クリスは気まずそうに視線を逸らしました。
「すみません。手土産を選んでいるうちに、すっかり夜になってしまったので、いっそ走った方が早いんじゃないかと思いまして。雨だけが計算外でした」
「何もそんなに焦らなくても良かったんじゃないか?」
「そうですね……。今思うと、そうだったかもしれません」
「次からはちゃんと考えて行動するんだよ。クリスだけならともかく、アイナさんが風邪を引いたら大変だ」
「はい……」
クリスは殊勝に頭を下げた後、ふと思い出したように辺りを見回して尋ねました。
「ところで父上……。新しい母上は、どちらですか……?」
ブライトは頭をぽりぽりとかきながら、困ったような顔で言いました。
「そのことなんだが……ジュリアさんはお前と会うのを不安がっているんだ」
「どうしてですか?」
「どうしてと言われてもな。普通はそういうものなのだよ。私とは歳の差があるし、急に結婚と言われても、家族が受け入れてくれるかどうか不安なのだ」
クリスは不思議そうに首を傾げましたが、すぐに真面目な顔で頷きました。
「そういうものですか。私は全然気にしていません。最初は驚きましたが、そうなってしまったからには、そうなってしまったのです」
「……器が大きいのはお前の利点だよ、クリス」
ブライトは苦笑交じりにそう言いました。
「どうぞ、怖がらずに出てきてください」
クリスは家中に響き渡るほどの大きな声ではっきりと言いました。
その裏表のない真っ直ぐな声に、家の空気が少しだけ和らいだようでした。
「ほら、ジュリアさん。息子もこう言っているから、こっちへ来てはどうだ?」
ブライトが優しく促すと、しばらくの沈黙の後、奥から一人の女性が俯きながら姿を現しました。
ハムスターのように小さな歩幅でやって来たのは、クリスとそれほど年齢が変わらなそうな、赤茶色の髪をした背の高い女性でした。
彼女はエプロンの端をぎゅっと握りしめ、緊張した面持ちでクリスの前に立ちました。
クリスは真剣な眼差しで相手を真っ直ぐに見つめながら言いました。
「お初にお目にかかります。私の名前はクリスと申します。父上ともども、今後ともどうぞよろしくお願いします」
クリスが深々と頭を下げると、俯いていたジュリアはゆっくりと顔を上げました。その瞳に宿っていた不安の色は驚きへと変わり、やがてぱっと花が咲いたような嬉しそうな表情へと変わっていきました。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
彼女は蚊の鳴くような声でそう言った後、恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、再びキッチンの方へと小走りで去っていきました。
「随分とシャイな人なのね……」
アイナは拍子抜けしたような顔で言いました。もしかしたら彼女の頭の中では、愛憎入り混じるドロドロの家族劇が始まると期待、あるいは覚悟していたのかもしれません。
「これから少しずつ打ち解けていくだろう」
ブライトは息子の真っ直ぐな態度に安堵したようで、穏やかな表情でそう言いました。そして、リビングの空気を切り替えるように姿勢を正し、二人を見つめました。
「さて、クリス。そしてアイナさん。あなた達は私に何か聞きたいことがあって、この雨の中をここまでやって来たのだろう?」
「そうです! 私にとってとても重要な話なのです!」
「だけどその前に、夕食はいかがかな? ふたりとも王都からここまで走って来たから、さぞかしお腹が空いているだろう。ジュリアさん特製の角煮が良い具合に仕上がっているんだが」
「是非頂きます! 重要ではありますが、ご飯を食べるくらいの余裕はあります」
アイナは良い顔で頷きました。
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