17話
昼食を終えた一行は、王都の華やかな中央通りを離れ、平民たちが身を寄せ合って暮らす下宿街へと向かいました。
そこは、ひとつひとつの建物が軒を接するように密集し、路地には洗濯物が干され、生活の匂いが色濃く漂っています。
この場所でひとたび火の手が上がれば、瞬く間に通り全体が火の海に包まれてしまうであろうことは、火を見るよりも明らかでした。
そんな生活感あふれる通りの一角に、ケント先生の住む下宿先がありました。
「皆さん、一体……。アイナ君まで、どうしてこんな大勢で」
階段のきしむ音を響かせて現れたケント先生は、眼鏡をかけた知的な優男でした。しかし、その体つきは引き締まっており、隠しきれない一流剣士の気配をまとっていました。
「アイナ君、どうして……」
突然の来訪に驚くケントに対し、レードン警部が「以前、アイナさんと共に襲撃された事件の経緯を聞きたい」と切り出しました。
アイナは我慢できず、身を乗り出して問いかけます。
「先生、どうして急に学院を辞めてしまったんですか? 本当の理由を教えてください!」
「それは……」
ケントは口をつぐみ、それ以上の言葉を発しませんでした。
「アイナさんの安全のためにも、教えていただかなければなりません」
ブライトが、これまでにない静かで威圧感のある厳しい口調で言いました。ケントの視線はゆっくりとアイナへと移り、しばらくしてから観念したように重い口を開きました。
「……実は、あの事件の後から、何度も不審者に襲われているのです」
驚く一同を前に、ケントは力なく続けました。
「何か手を打ちましたか?」
「いいえ、特に何も。警察に相談しても何もしてくれないことは分かっていますから……」
一同の視線がレードン警部に集まりましたが、彼は申し訳なさと諦めの混じった苦笑いを浮かべるだけでした。
「あなたには、犯人の目星がついているのではないですか?」
「……王立学院の生徒でしょう」
「名前は?」
「カズヤ・フォン・グラナード。グラナード侯爵家の長男。そして、その取り巻きでしょう」
*
ケントの答えに、アイナの体が反応しました。
「事件直後からカズヤは学校に一度も姿を見せていません。あの夜、私が負わせた手傷が原因でしょう」
「それは疑う根拠になりますな」
「カズヤは授業態度が悪く、以前に私が一度厳しく注意したことがありますが、彼はそれを逆恨みしていました」
「そして事件によって手傷を負わされ、怒りに火がついたと……」
「先日などは、ついにこの家に火を放とうとしてきました。幸い小火で済みましたが、もし本格的な火事になれば、他の家族まで犠牲になっていたはずです」
「どうして……どうして私に相談してくれなかったんですか!」
アイナは悲しそうな声を上げました。
「私は先生だからね……」
「先生とか生徒とか関係ない! 困っていたなら言ってくれれば、私がぶん殴ってやったのに! それか父に頼んで、そいつらに罰を与えてやったのに。そうすれば、先生が辞める必要なんてなかったのに!」
ケントは寂しげに微笑みました。
「王立学院は最高峰の学び舎ですが、アイナ君のように素直な生徒ばかりではないのです。親の権力を笠に着て、私のような一般市民を塵としか思わない者もいる。……私は、もう疲れました」
「これから、どうするつもりですか?」
ブライトの問いに、ケントは遠くを見つめるような瞳で答えました。
「田舎に帰ります。この地を離れれば、さすがに相手も諦めるでしょう。幸い、王立学院で教鞭を執った経歴があれば、田舎で職に困ることはありません。あいつらを許せない気持ちも、アイナ君に稽古をつけたい思いもありますが……私には今、何よりも守らなければならないものがあるのです」
「守らなければならないもの?」
ブライトが問いかけると、ケントは隣の部屋の扉に向かって優しく声をかけました。
「入ってきなさい」
現れたのは、長い髪の美しい女性でした。彼女のゆったりとした服の上からでも、そのお腹が大きく膨らんでいることは誰の目にも明らかでした。
「私のパートナーです。見ての通り、お腹には私たちの子が宿っています」
リビングにいた全員が、言葉を失いました。
「突然の退職で多大なご迷惑をおかけしたことは、本当に申し訳なく思っています。ですが……私は何よりも、この新しい家族を守らなければなりません。どうか、ご理解ください」
ケントは深々と、長く頭を下げました。その姿には、一人の剣士としてではなく、一人の男として、そして父親としての揺るぎない覚悟が宿っていました。
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