天才の挑戦
眠気と戦っていたら授業がいつの間にか終わっていた。授業が終わったと知らせてくれる奴は何人もいたと思う。何度も空返事をした記憶がうっすらとある。真っ白なノートに急いで黒板を写す。写し終わったころにはもう、教室には誰もいない。独りぼっちに斜陽がさしている。
書き終わったころ、端っこの文字に目が行った。
透真へ。板書したら消しとけ。あと黒板けしもクリーナーで掃除しておいて。
きっと誉だろう。あとで感謝のメッセージを入れておこう。
僕は黒板消しで板書を消す。チョーク特有の湿った粉っぽい匂いに鼻がかゆくなる。白と黄色と赤の粉が粉受けに落ちる。こぼれた粉がきらきらと舞って教卓に落ちる。
白と、赤と、黄色に汚れた黒板けしを掃除機みたいな音がするクリーナーで掃除をする。
うまく吸ってくれない。どうせフィルターの掃除をしていないんだろう。
僕は外の窓を開けて、黒板けし同士を叩いた。
「うっ、、ぶへ」
風向きが悪くて僕のほうに落とした粉が返ってきた。
しょうがないから、黒板けしを外の壁にたたきつけて汚れを取る。壁に色が付いたが気にしない。この時期なんだからいつかは雨が降るだろう。
黒板の横の今日の日付。明日の日付に変えておこう。隅にある二種類の白で書かれた文字に黒板消しをこすりあてる。消える文字と消えない文字の摩擦を手だけで感じられる。
今日よりも明日の字が歪んでいる。
「まだ帰ってないの?」敬ちゃんが入ってくる。真っ白な野球のユニフォームを着ていた。
「うん。似合ってるよ」
「ありがとう」恥ずかしいのか野球帽を深くかぶる。
「忘れ物?」 教室の後ろのロッカーを探す敬ちゃん。遠目から見てもロッカーの中は整頓されていた。僕とは大違いだ。
「日焼け止め」探し当てたものを僕に見せてきた。
「曇ってるけど、それでも焼けるの?」僕は敬ちゃんに聞いた。
「太陽の活動は変わらないから。しかもここ日本で一番紫外線量が多いからね」
「しみになるの?」
「皮膚がんになるよ」
「知らなかった」
「透真君。賢くなれたね」
「誉みたいなこと言わないでよ」
「そうだね。今日、日直だっけ?」
「最後まで板書してたから消してるだけだよ」
「偉いね。日付も直したの?」
「そう」
「下手だね」敬ちゃんが是々非々に僕の文字を評価した。
僕自身も同じことを思っている。
「うまく届かないよ」
「じゃあ書いてあげる」そういって敬ちゃんは白いチョークを持った。
「お願いするよ」
「だから下は透真君に任せるよ」
「先に書いていいよ」敬ちゃんがチョークで黒板に触れたまま固まる。
「一緒に書こうよ」敬ちゃんはこっちを見た。
「なんでさ?書きにくいでしょ?」当然の疑問を僕は敬ちゃんに投げかける。
「一緒に書くのがいいんだよ」
「そうなの?まぁ、わかった。」
僕らは同じ黒板の違う場所に書く。カツカツとするすると音がする。僕の頭に粉が落ちてくる。
「髪白いね」敬ちゃんの声が上から聞こえてきた。
「敬ちゃんのせいだよ」
「あはは」そう言って敬ちゃんは僕の頭に息を吹きかける。
「くすぐったいよ」僕は黒板から少し離れて、髪の毛に付いたチョークの粉を手で払う。
「だろうね」
敬ちゃんの字はまっすぐにバランスが良かった。ノートの字もきれいな敬ちゃんが黒板の字までうまいとは。たぶん敬ちゃんは力の加減が上手なんだろう。
誉はノートの字はきれいに見えるけれど、黒板に書くとなると途端に下手になる。力加減が難しいのか、新品の長いチョークをぽきぽきとへし折っていたことを思い出す。
「敬ちゃん、がんばってね」
「うん」気恥ずかしいのか、遠慮がちな返答が返ってきた。
「ケガには気を付けてね」
「大丈夫だよ。体は丈夫なほうだからね」
「人間いつ体を壊すかわからないんだから休むことも大切だよ」
「やれることはやってみたいんだ」
「かっこいいね」
「そう思う?」
「誰かのために 頑張ってみるってかっこいいよ」僕は敬ちゃんに対して思ったことを素直に評価した。
「ありがとね」
「どいたま」
「その略し方だと僕の感謝が減る気がする。雑に聞こえるよ?」
「それでいいと思う。僕は感謝されなくていいから。敬ちゃんの行動がもっと評価されるべきだよ」
「うれしくないの?」
「そりゃうれしいよ。友人の活躍だからね。でも僕じゃない。敬ちゃんだよ」
「ふふふ、優しいね」敬ちゃんは口に手を当て笑った。
「そうだろうとも」
「じゃあね」
「うん。ばいばい」
手で小さくさよならした敬ちゃんが教室から出ていった。
僕もここに用はない。早く帰ろう。
「あ、そうだ透真君。言い忘れてた」敬ちゃんが戻ってきた。扉に手をあてて、体半分が見える態勢で敬ちゃんに呼びかけられる。
「?」
「余計なお世話かもしれないけどさ、早朝、遅れないでね」
「わかってる。いつも起きてるでしょ?」
「じゃあ心配いらないね。最初はとっても大変だと思うけど、頑張ってね」
「うん。頑張るよ。敬ちゃんもね」
僕の応援に静かなガッツポーズをして教室を去っていった。
誰もいない教室。机の天板にたまたま刺した夕日が反射する。 確かに日焼け止めの必要性を理解した。
本当にかっこいい姿。ずんぐりむっくりな僕ではあんなふうには成れない。筋トレすれば成れるだろうか。いいや、無理。スリムには成れるだろうが身長はどうにもならない。
父親が高身長だからまだ望みはある。一応努力はしておこう。
僕は席に戻って帰り支度をする。
やればできるとか、努力は報われるとかそんなまやかしが叫ばれている。
あんなの生贄を集めるプロパガンダに過ぎない。強者を作るためには、できなかった人間、負けなければならない人間が必ず必要だからだ。
誰もが主人公。
こんな甘い言葉に僕のような人間は吸い寄せられる。希望を吸われて我々は子供から大人になる。大半が通過する儀式。今のところ僕も通らざるをえない。
窓からグランドを見る。敬ちゃんはもうそこにいた。素振りをしている敬ちゃん。どうやらほかの子たちに教えているようだ。
敬ちゃんは野球が上手だ。見ればわかるし、一緒にやったからよくわかる。
ただ教えるのも上手なのだろうか。伝説級の選手成績を残したプロ野球選手は伝説的な監督になれるわけではい。
たぶん、敬ちゃんは後者だろう。背中で見せて学ばせること以外に自分のプレー理論を教えられるだろうか。そしてご教唆を素直に受け入れてくれる環境だろうか。
天才のことを知らない僕だが、凡人のことは痛いほどよく理解している。
自分の努力を否定する存在の加入を純粋に喜べるほど素直に成れやしない。
その間で起きる軋轢を僕はとても期待している。
僕は二人で書いた文字を見る。
僕が書いた日付を消してから教室を出た。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




