天才の弱さ
街灯も車のライトもまばらなオレンジの夜。行く人来る人、表情が違う。
機械ですら統一できないこの時間は、他人と僕と他人の差がはっきりと見て取れる。活力のある朝では見えなくしているものが、疲れや満足によって見える人のありのまま。
ただ突き詰めてしまえば二種類に分類できる。今日を思い出す人、明日を思い出す人。思いが千差万別なだけで、出来事を自分の中で消化した人間とそうでない人間の差。時間がたてば皆同じ場所を通るのだ。
それをきょろきょろとかいつまんで見る僕の前を、威風堂々と正面を見据える敬ちゃんは奇麗に歩いている。僕の今日はまだ終わらない。本番はこれからだ。
『この時間って妖怪が出やすい時間なんだって』と小話でも始めようと思ったが、今日の敬ちゃんの後ろは空気が思い。ダーティーエアみたいだ。スーパーカーの後ろで大衆車がふらふら運転している。
しゃべりだす活力が出ない。少し歩いただけでなくなってしまう。体力の容量が少ないのか、燃費が悪いのか。でも今日は明確に違う。苦手な事に付き合い過ぎた。
余力がない。余裕がないのだ。
しかしこのまま赤べこのように首を動かすわけにいかない。
「どこに行きたいの?」僕は敬ちゃんに並んだ。あまり考えていない一言。どう転ぶか。反応速度には自信がある。プロドライバー級だと、自信をもって自負している。
「誰もいない場所」こちらを見るそぶりはない。向こうを向く敬ちゃんの声は少し小さい。
「じゃあ種子島?」
「なんで?」敬ちゃんがこっちをちらっと見る。
「ここから一番近いロケット打ち上げ施設だから」
「宇宙に行きたいと思われてる?」
「誰もいない場所って言ったら宇宙でしょ」
「そんなすぐに宇宙に行けないよ。訓練しなきゃ」
「じゃあどこに行くの?」
「みんなを不幸にした場所」
天才らしい言葉を吐いて、その場所へ向かっている。
少し歩いて見覚えのある公園についた。前回は南から、今回は北から入ったので直前までどこに行っているのかわからなかった。この辺の土地勘はない。
「どうしてここに?」僕は敬ちゃんの背中に聞く。
「話をするならこの場所が適切でしょ。その話をするために僕に会いに来たんだからさ」
「それだけじゃないよ。それもあるだけさ」
「座らない?」ようやくこっちを向いた敬ちゃん。指の先には街頭で照らされたあのベンチがあった。
「敬ちゃん。どれがいい?」僕は既定のコースを外れて自動販売機の前に立った。
お金を入れた僕は紅茶花伝とジョージアのボタンに触れる。
「なんでその二つなの?」
「敬ちゃんが好きそうだから」
「同時に押して出たほうでいいよ」
「わかった」
「えい」
『がッタン』
「はいジョージア」僕は取り出し口のスチール缶を手渡した。
「透真君は何にする?」
「とびきり甘いの」
「コーラでいい?」
「紅茶でいいよ。」
『がったん』
「あ、押しちゃった」申し訳なさそうに敬ちゃんは僕を見た。
「じゃあコーラでいいよ」
「嫌いなの?」かがんで取ったコーラを僕に渡してくれた。
「魂はペプシしか受けいらないんだ」僕は心臓をとんとんと叩いた。
「じゃあ飲めないじゃん」
「魂は胃袋に入ってないからね」
「じゃあどこで魂はペプシに触れるのさ」
「確かに…」
「透真君がぼろを出すなんて珍しいね」
「敬ちゃんが鋭いんだよ」
「あそこ座らない?」
「いいよ」毒にも薬にもならない言葉の掛け合い。会話の下地は出来上がった。
ベンチに並んで座ってぱしゅっと音を立ててペットボトルを開ける。
一口。ちょうどいい刺激がのどを通る。今日は一日不健康なものばかりを摂取している。
もう町中の街灯も車のライトも全部ついたころに一息ついている。遠くから車のクラクションが聞こえた。街の真ん中にある静かな場所にいる僕ら。
「思ったより元気でしょ」缶コーヒーを開けず両手で持ち、くるくるしている。
「想像通りだよ。めそめそ泣いている性格じゃないでしょ」
「そうね」
「敬ちゃんは一日で元気になるからさ」
「元気なふりだよ」敬ちゃんはスチール缶に着いたプルタブをかちかちと爪ではじく。
「そうかな?」
「あの人僕にそっくりでしょ」嫌な自虐が敬ちゃんの口から飛び出す。
「まだ元気になってなかったね」
「どうだった?」母親そっくりに聞いてきた。
「一人しか知らないけど、僕の母親とは違ったよ」
「親は選べないね」敬ちゃんは自虐的に言った。
「そう…」とげのある言い方。その言い方をとてもつまらなく聞こえる。
「あの人、昔はもっとまともだったんだ。でもお父さんがいなくなってからおかしくなっちゃった。心ここにあらず、見たいな?透真君の言った『母親役』って言うのが的を射ていたよ」
「聞いてたの?」僕は驚いてコーラを少しこぼした。
「あそこはいろいろが薄いからね。キッチンの窓も空いてたし」
「あれは言い過ぎだった。あとで謝ろうと思う」
「なんだかすっきりしたんだよ。形のないものが名前を得ただけでずいぶんとすっきりした」敬ちゃんは厚い雲で覆われた空を見上げた。
「どういうこと?」
「少し扱いやすくなった?みたいな」
『扱う』に引っかかりながらも僕は聞きたかったことを聞いた。
「敬ちゃんはお父さんのこと嫌いなの?」
「わかんない。それを確かめるすべがないよ」
「もう一度会えると言われたらどうする?」
「うーん。どうだろう」
なよなよとした腑抜けた答え。僕は退屈を紛らわすためにコーラを飲む。僕は自分のために会話を推し進める。
「なんだか今の敬ちゃん嫌いだな」
「なんで?」
「敬ちゃんが敬ちゃんみたいじゃないからさ」
「透真君の中の僕はずいぶんとすごい奴なんだね」敬ちゃんは自虐的に言った。
「すごい奴だよ。本当に。出来ないことなんて何にもない」
「そんなことないよ」
「そう。そんなことなかった。何にもできなかったんだ」
「」
「君は何にもできない。出来ている風に見せるのがうまい奴だった。野球部のことだって中途半端に入るって言って何もしていない。サッカーだってそう。勝たせるために入って勝手に滅入ってる。迷惑な役だよ」
僕は敬ちゃんをまっすぐ見る。けれど敬ちゃんは遠くの正面を見ていた。
「」
僕は構わず話を続ける。
「家族だってそうだろ。母親が母親役を演じているのは君のせいだ。君がそうさせている。君が母親として慕わない結果があの家族ごっこだろ。父親ともそうだろうな。罪悪感を押し付けさせて父親役に降格させたんだろ。お得意のあきらめで。それで勝手に一人になっている。君は被害者なんかじゃない。加害者だ」
「じゃあ!」敬ちゃんが僕を見る。顔はよく見えない。僕の頭で街頭の光を遮断していた。
「」
「じゃあ…どうすればいいんだよ。こうなったんだから仕方がないだろ」かすれた声で敬ちゃんはつづけた。
「昔からずっとこれだよ。いつの間に独りになるんだ。野球もサッカーも水泳もバスケも何もかもだ。なんで僕だけできるんだよ。なんでできるだけで独りにならなくちゃいけないんだ。ボールなんて回ってこない。守備だってしてくれない。そりゃ監督にこっぴどく怒られるよ。でもなんでその矛先が僕に行くんだよ。悪口くらいなら別にいい。けど物がなくなるんだ。捨てられてるんだよ。何にも悪くないのにさ。理不尽だ」鼻をすする音がした。敬ちゃんの声が上ずっている。
敬ちゃんはベンチに靴を乗せて体を丸くした。
「何もかもやめたの?」
「小学五年生ときにね。自分でやめたのもあったし、チームのほうからやめさせられたのもある。でも父親は激怒したよ。『お前にいくらつぎ込んだと思ってるんだ』って。もちろん悲しかった。でもあれだけ大きな力こぶがあった父親が投げたリモコンは本当に弱かったんだ。少し前までダンクシュートを平気で決められるような人だったのに怒って投げただけで息が上がってたんだ」
「病気が進んでいったお父さんを見て悲しかったの?」
「ううん。違うよ。僕のためにつぎ込んだお金で父親が救えたんじゃないかなって思っちゃった。僕はお父さんの治る可能性をなくしたんじゃないかって」
敬ちゃんは弱弱しく笑った。
「だからアルバイトしてたの?」
「うん。返そうと思って。今となっては無駄だけどね。せめてお母さんには…ね」
健気で儚いとそう思った。敬ちゃんは優しすぎるのだ。誰かのためになろうとして、なれなくて。ならなくなって。一人のほうが誰も傷つけなくてすむってそう思ったんだよね。
でもさ、それは違うと。君は気が付いている。
「優しいんだね」僕は本心からそういった。
「違うよ。傷つくのもつけるのも怖いんだ。もう二度と会えなくなるかもしれないのに。こんな思いを僕はさせたくない」
「誰かの役に立つために傷つくことができるのは尊いよ」
「ただのわがままなんだ」
「でもそれが天野敬でしょ」
「え?」敬ちゃんが僕を見る。
「天才とかわがままとか優しいとか。そうやって自然と敬える。それが天野敬なんだよ」
「でも僕誰かを敬うとかよくわかんないよ。ただ断れないだけじゃないの?お母さんと同じなだけじゃないの?ねえ透真君。敬うって何?それがわからない僕は敬でいいの?」
「」
「僕は自分の名前が好きじゃないんだ。感謝していないわけじゃない。僕はこの名前にふさわしいのかわからないんだよ。もしかしたら皮肉なんじゃないかって。僕のことがどうでもいいからつけた名前なんじゃないかって」
その返答が敬ちゃんのすべてだと僕は思った。
「なら聞いてみなよ」
「誰に?」
「お母さんに、だよ」
「でもさ、なんて話していいかわからないんだよ」敬ちゃんはまた顔を下げて、うずくまる。
「僕だってわからない。もう何年も声を聴いたことないよ。敬ちゃんの家は違うの?」
「昔は普通だった。…でも今は」
「だから明日もそれでいいの?いつ昔は終わるの?」
「」
「母親を母親にできるのは敬ちゃんしかいないんだよ。だからさ、立って。行くべきだよ。もっと話すべきだよ」
「でも怖いよ」
「じゃあ、今は怖くないの?このままお母さんがいなくなるかもしれないよ」
「僕だけならそれでいい」
「今回はお母さんだけ残るかもね。君の母親がもう一回立ち直れると思う?今度こそ壊れちゃうよ。まぁ、自業自得かもしれないね」
「嫌なこと言うんだね」敬ちゃんがこっちを向いた。
「今はそういう役だと思う。けれど所詮僕は役だ。クランクアップで僕はどこかに行くよ。でも母親は違う。フィルムが回っていなくても関係は続くよ。家族だからね。」
「もし、もし駄目だったら。急に怒ってお皿とか、投げられたらどうしよう」
「全部取ってあげなよ。一つも割らないように欠けさせないようにさ。それなら得意でしょ。敬ちゃんのできることをみせるチャンスじゃないか」
「ふふ。うん。それならできそう」縮こまったまま敬ちゃんは答えた。腕で締め付けている服のしわがゆるんだ。
「もし割れても僕がアロンアルファ持っていくよ。アマゾンよりも早く届ける。約束する。」
「うん」
「だから、さ。『ただいま』って言ってみればいいよ」
「玄関まで来てほしい」
敬ちゃんは体育すわりをほどいて僕を見る。ぎこちなく笑うその表情に挑戦する意思が見えた。
「うん。お安い御用さ」
僕は飲み切った紅茶のペットボトルをゴミ箱に投げる。
ごみ箱の淵に当たって外に出る。
「そこはちゃんと入れなよ」
「じゃあ敬ちゃんは入るの?」
「よっ」撓った右腕から空のスチール缶が飛んで行った。
カランといい音をしてゴミ箱に入った。
「おー」ぱちぱちと僕は手を鳴らす。
「ここは外すべきだったかな?」
「外したらここで帰ってた」
「どうして?」
「そこまで空気を読めるなら母親とだってうまくいく」
「うん、そうかもね…ん?馬鹿にしてる?」
「どうだろうね」僕は少し微笑んだ。
僕は立ち上がってペットボトルを拾った。ゴミ箱にとても近い距離でペットボトルを投げ入れた。
「今度は入ったね」
「さすがにね。ゼロ距離で外したらお祓いにでも行こうかと思った」
「確かにね。行って見てもらったほうがいいかもよ」
「なんでさ?」
「いろんなものが付いてそうだからさ」
僕は口の周りを拭いた。何にもついていなかった。
そのままどうでもいい話をして敬ちゃんの家まで歩いた。途中、というかどうでもいい話だ。聞かせるほどの内容はないし、価値もない。
でも敬ちゃんが楽しそうにしていた。それだけが僕を動かした燃料だった。良く燃えないし、すぐになくなる。補充だってやすやすとできない。けれど唯一無二の物。
僕はそれだけで動ける。大丈夫。動ける。大丈夫。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




