天才の檻
スマホの地図アプリが到着したことを知らせてくれる。ここまで三十分。考え事をしていればあっという間だった。
案内されたのは道路に面したコンビニだった。緑の看板が見えてから「あれ?」と思って周りを探してみたが、紙に書かれた名前の建物はなかった。コンビニを横から見たときに探していた建物の名前がついていた。
コンビニの横を通って駐輪場とゴミ捨て場で隠れた階段を上る。
紙には何号室なのか書いていない。一番手前のドアからノックしてみよう。
しかしドアに備え付けの郵便受けにはガムテープがあってあった。
ガムテープの張られているドアがあと二つ。
郵便受けに敬ちゃんあての封筒が差し込まれていた。僕は迷わず呼び鈴を鳴らす。
聞いたことがないベルの音が扉の向こうに聞こえた。
「はい」
応答が早いためこっちをのぞき穴で見ていないんだろうな。決して僕の伸長が小さくて見えないことはない。ドアスコープが埋め込まれていて僕くらいの伸長なら余裕で見える。しかも認知できるようにドアから一歩下がっているんだから絶対に見える。
ドアが全開に空いた。
「どちら、様でしょうか」
予想外の客人に困る女性。僕の母親と同じ年くらいの人が僕をみて目を丸くしている。
明後日の方向から来た刺客に僕も驚いていた。そうだ、普通は家に母親がいるんだった。
「初めまして。富樫と申します。天野さんに用事があってきたんですが」ありきたりな挨拶をした。
「敬の友達?」
「そうです。敬ちゃ…。天野さんのアルバイト先からお給料を運んでくれと言われたので届けに来ました」
まずい。働いていることをこの人は知っているのだろうか。もしや余計な一言だったか。
「そう。今敬はいないのよ。預かっておこうか?」
「そうですか。何時ごろ帰りますか?」
「わからないのよね。いつも、ばらばらだから」あんまり目が合わない。不安を顔にも声にも出すような人だ。
よくよく考えてみればこれはチャンスだ。敬ちゃんの様子を聞くことができる。僕は強引に話題を変え、切り込むことにした。
「ご迷惑じゃなければ家に入れてもらえませんか」
「ええ。どうぞ」
母親のぎこちなさ。敬ちゃんが友人を家に連れてきていないことがよくわかる。そんな僕も誰かの家に上がりこむことなんて少ない。誉くらいだ。とってもドキドキしている。
すんなりと家に入れてもらえた。出たとこ勝負が僕に転がっている。
言いたくはないが賽銭が効いたのかもしれない。
「お邪魔します」
玄関のシューズボックスの上に家族で撮った写真がある。家族三人で、敬ちゃんがバスケのユニフォームを姿で、賞状と、トロフィーを持っている。敬ちゃんが小学生の時だろうか。
短い廊下の両脇に扉が二枚、一枚はふすまだった。閉められていてわからないが、和室とトイレだろう。
敬ちゃんの母親が正面の扉を開けて、リビングへと通される。
シンプルなお部屋だった。きれいに整頓されているが、築が古いせいか電気がついていないとても薄暗い。年季の入ったフローリングは窓から入る光を反射していない。
敬ちゃんのお母さんが、引っ張って明かりをつけるタイプの電球をつけた。円形の蛍光灯に明かりがついても、僕は少し暗く感じる。
「どうぞ」
昔ながらのテーブルクロスが引かれた四人掛けのテーブルに座った。
「こんなものしかなくてごめんね」さっきよりも声が明るくなった。予期せぬ来客に腹をくくったのだろう。気合が入る。
そういわれておいしそうなケーキと紅茶が出された。ショートケーキが出た。きちんとイチゴも乗っている。
僕が来ることを知っていたのかと思うくらいに準備されていた。不思議だと思ったがこのお宅では普通のことなのだ。シンクにはボウルとスポンジケーキの型が水につけてある。 そういえば僕の家のキッチンで母親の姿を見た覚えがない。
「このケーキは手作りですか?」ロボットみたいな返答が僕の口から出た。
「そう。私が作ったの」敬ちゃんの母親は僕の正面に座る。座った後に僕の正面に来たことを後悔している顔をした。目が泳ぐ。僕は一言声をかけてケーキを食べる。
「いただきます」僕の右側に取っ手が来るように配膳され、ソーサーまでついている。
「どうぞ」
お店で並んでいそうなイチゴのショートケーキ。きちんと側面に透明のフィルムが張ってある。
僕はフィルムを剥がして三角形の先端をフォークで切り離す。
「おいしいですね」
「ありがとう」
「敬ちゃんは甘さ控えめが好きなんですか?」
「多分だけどね」
「多分、ですか?」僕のケーキを食べる手が止まる。
「あの子甘いケーキだとたくさん紅茶を飲むから」
「聞かないんですか?」
「…うん。そうね」
歯切れの悪い言い方で煙に巻かれた気がした。
「敬は学校ではどんな感じかしら」
「え?」
「あ、何でもないのよ。忘れて頂戴」
向こうの目的が分かった気がした。もてなされた側なんだから最低限のお礼はしないといけない。
「いいですよ。少し話しましょうか」
「いいの?」
「ケーキのお礼です。安すぎますかね」
「もう一切れ食べる?」
「いただきます」
さらに置かれたケーキを食べようとフォークを忍ばせる。しかし正面に座る母親の圧に押され僕から見た敬ちゃんを話すことにした。
「敬ちゃんはいい奴ですよ」
「え⁉」さっきまでもじもじと話していた人とは思えないほどの驚きで机に置いた紅茶がこぼれそうになった。
「何か?」
「ごめんなさい。少しおどろいてしまって」
「敬ちゃんはめちゃめちゃどうでもいいことでもちゃんと聞いてくれてるんです。前は『あの山恐竜に見えない?』みたいなつまんない話なんですけどね。『ステゴザウルス?』って言ってくれるんです。誰も真面目に聞いてくれないのに、敬ちゃんだけが僕に耳を傾けてくれるんです」
「ふふ、そうなんですね」すごくうれしそうに敬ちゃんの母親は微笑んだ。
「最初は不思議というかすごい人だなって思いました」
「えぇ」敬ちゃんの母親はティーカップをもって紅茶を息で冷ましていた。
「出会った時なんて忘れないですよ。ポケットから落とした僕のハンカチを踏んだんです。歩いているところに落とした僕を悪かったんですけどね。でも踏んだことにも気が付いてなくて『それ僕のハンカチ』って話して、ようやく踏んだ足をどけたんです。敬ちゃんは踏んだハンカチを指さして『どうぞ』その一言でどっかに行っちゃいました」
「すいません」ばつが悪そうに敬ちゃんの母親が謝ってきた。
「いや、別に怒ってるわけじゃないんです。それがとっても面白くて」
「面白いんですか?」
「はい。とっても嬉しくて面白かったんですよ。あの独特の雰囲気が天才なんだなって」
「天才ですよね」母親はようやく紅茶手を付けた。
「でもそれだけじゃなかった。ちょっと寂しがり屋で不器用な子なんだなって」
「…」さっきまでニコニコと聞いていた母親の顔が止まる。
「あれだけスポーツができても、苦しくて大変なことが山ほどあるんだなって」
「敬は部活をやっているんですか?」
「知らないんですか?」僕は少しだけ鼻につくように言った。
「そう、ですね」敬ちゃんの母親は俯いた。
「あんまり話さないんですか?」
「そうですね…。会話は少ないと思います」
「事務連絡くらいですか?そういう時期ですもんね」
「おかしいんですかね」
「え?」突然質問されたのでケーキを食べる手を止めてしまった。
「あ、いや。何でもないです」
「敬ちゃんは部活の助っ人として試合に出たりしているんです。野球とサッカーしか見たことがありませんけど、一流といってもいいくらい上手なんですよ」
「えぇ。昔から運動は何でも習わせましたから」
「どんな事やってたんですか?」
「バスケ、野球、サッカー、テニス、水泳とかやらせてました」
「欲張りですね」
「え?」母親が止まった。
何も考えていなかったのに、否定の言葉が口から出ていた。僕は驚いた。
「いえ。やりたいことがたくさんやらしてあげさせたんですね」
「ほとんどが私と旦那が決めたことです」僕は二切れ目のケーキに手を伸ばした。フィルムをするすると剥がす。
「才能開花のためには向き不向きは調べますもんね。大事なことですね」
「敬は何でもできました。それで私たちの夢をかなえようとしてくれてました」
「夢ですか?」僕は皿に倒れこんでしまったケーキを見て残念に思ってしまう。
「えぇ、旦那は大学でバスケを、私は劇団で女優をやっていました。旦那はプロ入り前にけがで引退。私も家族が反対して自分の夢を諦めました。 とても不安定な仕事でしたから。そんな私たちに敬が生まれました。あれほどの才能のある子が生まれてきてよかったです」
「才能の塊だったんですね」二段目と三段目の間に入ってたフルーツをフォークにさして食べる。
「そうですね。真似をするのが得意で、ある日バスケットの動画をみせたら一発でできたんです。テニスもサッカーも野球も一度見れば何でもできたんです。体の動き方を見ればその通りに動かせたんです。あれは本当に才能ですよ。私たちができなかった夢を託せる。才能があって、それを望んでくれたんです」ついさっきの人とおんなじ人だと思えないほど、饒舌に話す敬ちゃんの母親の目は輝いていた。
「自分たちのかなえられない夢を託したんですね」
「そうです。でもそれが追い込まれた敬を見逃してしまった」
「」
なぜだろう。とても興味のある話しなのに、なぜか耳に入らない。
最後に残した苺が甘いか酸っぱいのか…多分酸っぱい。
「敬は天才過ぎるが故にほかの凡人から見放されてしまった」
「凡人ですか」僕はフォークに苺を刺す。
「そうです。チームメイトから疎外されてしまいました。最初はパスが回ってこない。無視されるという軽度なものでした。がしかしだんだんエスカレートして、物が盗まれる、練習中ラフプレーで削られることが日常茶飯事になってきました」
「出る杭は打たれるんですね」
あ、意外と甘い。
「そうなんです!」
「⁉」乗り出した母親は顔近くまで来た。反射的に離れる上半身。持っていたフォークを刺さなくてよかった。
母親は振動で少しこぼれる紅茶を見て冷静になった。母親は静かに席に着いた。
「敬の父親が死んでいることはお聞きになっていると思います」
「直接は聞いてないですが、知っています」
「旦那は敬が生まれたあたりに難病にかかってしまったんです」
「そうだったんですね」
どんどんと母親のボルテージが上がってくる。まるでドラマみたいだと思った僕は同じテンションで話をつづけた。
「病床での唯一の希望が敬の活躍だったのです」
「お子さんの活躍が何よりも薬になっていたんですね」
「そんな中、敬が全部のスポーツをやめたいと父親に言ったんです」
「」僕はソーサーを手に持って紅冷めた茶をすする。
「父は激怒しました。あんなに怒ったのは私も初めて見ました。強い言葉を浴びせて、テレビのリモコンや近くの花瓶を投げつけました」
「敬ちゃんは大丈夫だったんですか?」
「リモコンが当たったような気がします。が当たり所がよく軽傷で済みました」
「軽傷ですか」
「ええ、それから敬は父と会わずにそのまま分かれてしまいました」
「そのままですか」
「お葬式にもお墓参りにも来ていません」
「そうですか」
「」
母親はこちらを無言で見てくる。紅茶飲みきるまでもう少し時間が欲しいので話していてほしかった。僕に何を言えというのだろうか。
むなしくも、向こうは僕の返答を待っている。
「何か?」僕は仕方がなく開く。でも乗せられない。
「いえ。何もおっしゃらないので」また自信のなさそうな話し声に戻った。
「何か感想を言ったほうがいいですか?」
「」コクっとうなずく。僕はただおいしいケーキを食べただけ。
「ケーキおいしかったです。ごちそうさまでした」
「それではなくて」さっきまでの饒舌が打って変わってなくなった。ダイニングテーブルを見てもじもじし始めた。
「質問いいですか?」
「はい」待ちわびた僕の質問に元気よく返答する母親。
「あの、あなたは病室で何をしていたんですか?」
「何…ですか?」
「自分の娘の敬ちゃんにものが当たって何をしたんですか?」
「」
母親は目をそらす。おどおどしているとかではない。動きが完全に止まった。
「覚えていないなら別にいいです」
「…」
「これ以上はご迷惑になりそうなので失礼します。この封筒は明日直接渡します」
「こちらこそ何のお構いもできませんで」
僕の嫌味もテンプレートな言葉でいなされてしまう。たぶん。誰かが聞けば僕が思う以上に失礼なさっきの会話も僕が思うよりも響いていないんだろう。
「ケーキごちそうさまでした。おいしかったです」
「ならよかった」彼女は楽しそうに笑った。
この家族は死人に縛られている。心中を察することはできないが、このくらいの考察はできる。かといって寄り添おうとは思わない。
最愛の人を亡くした母親が悲しみにふけるのも理解はできる。友人の両親のどうでもいい恋路。本人たちから見れば素敵なラブストーリなのだ。残された元プリンセスは自分の子供の状況を他人事のように語る。この人は自分の人生がとんだ名作に見えているのだろう。僕から見れば淡泊なエッセイだ。ありきたりで言葉で、萎えた気持ちでしか伝えられない。こんな無駄なことは人生の中でこれっきりにしてほしい。
敬ちゃんがああなってしまう理由が少し垣間見える。これが唯一の肉親なのか。
よかった。敬ちゃんのことが理解できた。
「 」
いや、
何がいいことか、
他人がここまで一生懸命に考えているんだぞ、
なんでお前は何にも考えていないんだ、
こんなんだから敬ちゃんが苦しんでいるんだぞ、
「お邪魔しました」僕は食器を向こう側に押して、席を立った。本当は何か別の切り出し方をして帰りたい意志を伝えたほうがいいんだろうが、この人にそんなことする必要もない。どうせもう会うこともないだろう。
「ぜひまた来てください。お菓子と面白いお話待ってます」
僕が立ち上がると敬ちゃんのお母さんも立ち上がった。玄関へと歩いていく。
なんだか疲れたよ。帰りの廊下。ふすまが開いている。閉まっていたはずだが。
半開きのふすまから敬ちゃんの制服が見えた。少し奥を見ると体操着が入った巾着がある。学校のカバンもあった。
野球の練習着も、グローブのも、サッカーのユニフォームもスパイクも見当たらない。運動用具が入っているエナメルバッグすらなかった。
そんなことはどうでもいい。何かがおかしい。
なんで線香の匂いがするんだ?一歩進んで同じ扉から部屋を見る。
「 」
脳天に弾丸をぶち当てられたかと思うほどの衝撃。一瞬で怒りが臨界点に達する。
母親は敬ちゃんのことを何も知らない。それで終わりなら許した。ただこいつは知る努力をしない。敬ちゃんにだけ努力をさせ続けた馬鹿。親としての最低限度の能力もなかった。
僕は後ろを向く。
「そうだ。最後に一ついいですか?」僕の脳みそが強引に声帯を震わせて言葉を練る。
誉の言葉を頭の中から引っぺがして、投げ捨てる。
「何でしょう」
「敬ちゃんの母親はどこにいるんですか?」
「え?」
顔が変わる。良かった。予想通りで。
「母親役の方に聞いてもわかりませんよね」
「…」絶句した顔を見て僕は正気に戻った気がした。余計なお節介だっただろう。誉に言われたことが戻ってきた。また怒られてしまう。
もうそんなの些細なことだ。これに対して敬ちゃんに向き合えと誉は言うのか?
怠け者で除け者。ただの化け物だ。
「敬ちゃんの親はあなたしかいませんよ。大切だった人が死んだのは敬ちゃんも同じですよ」僕はまっすぐ相手の目を見た。
「」
「生きている人に寄り添いませんか?まだ一人じゃないですよ」
「」
「僕の両親は帰ってきません。お盆ですら怪しいです。明日も会える保証はどこにもないですよ」
僕は急いで靴を履いた。
「お邪魔しました。お給料は責任をもって敬ちゃんに届けます」こんこんとつま先を奥まで入れた。
『がちゃん』
大きな扉の音が廊下に響いた。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




