天才との仲直り?
六月 二十四日
金曜の夜。夕食を作る元気はない。外食することにした。冷凍庫には電子レンジで調理できる冷凍食品が入っているが、なんだか暖かい御飯が食べたくなった。給食がなくなってから特に感じることが増える。今日は敬ちゃんにおすすめされた中華料理屋にしよう。
時刻は八時過ぎ。夕飯のゴールデンタイムの家を出て、電車に乗った。
忙しい時間に行って圧倒されないために、少し遅めに行くことにした。
『天上天下 唯雅』
初めて行く料理屋。中学生だからって暖簾をくぐった途端、罵声を浴びせられたらどうしよう。嫌な予想を頭に巡らせながらスマホを見て歩く。あと五分も歩けばつきそうだ。
もうあたりは真っ暗。車のライトが僕の影を無数に作る。国道から一本裏に入る。クラクションとバイクの空ぶかしが遠くなる。発光ダイオートの街灯に虫はいなかった。
強そうな店名は僕を委縮させる。やばい店主だったらどうしよう。飄々とした敬ちゃんなら平然と中華料理を食べて退転できそうだが、僕みたいな小心者は不安になってしまう。
「ここだ」
中華一番と書かれた年季の入った、赤い暖簾を左から三つ目の布に右手の甲を当て、左手ですりガラスの薄い扉を開ける。チリンチリンと風鈴がなった。
ガスコンロの熱気で温められた空気が外に飛び出して、僕の顔にかかる。中華特有の油の匂いが飛び込んできた。
右側にカウンター席が八つ、小上がりのテーブル席が三つの小さな中華料理屋さんだ。
お客さんは誰もいなかった。水道と換気扇の一定の音と、カチャカチャと擦れあう食器の音。天井に近い壁に取り付けられたテレビが漫才番組を映していた。
水道の音が止まった。
「いらっしゃいま…透真君?」
「こんばんわ。来ちゃった」
店名が入った絵エプロン、長袖Tシャツとジーパンで働いている敬ちゃんがいた。
「うん」敬ちゃんは少し照れくさそうにしてる。
「エプロン似合ってる」
「ありがと」
「いらっしゃい。あれ?友達?」店主だろうか。奥から出てきた。
「うん。クラスメイト。こっちは僕のおじさんで店長」
「初めまして、富樫です」
「ゆっくりしていって」顔を出した店主はすぐに厨房に帰って行った。
「テーブルとカウンターどっちがいい?」敬ちゃんが僕に聞く。
「じゃあ、カウンターで」
「こちらへどうぞ」
手招きされたほうへ歩く。背もたれのない緑色の席に座る。座った席からから少しだけ厨房が見える。黒光りした中華鍋と厚くて丸いまな板に、強そうな包丁。なんだかワクワクしてきた。
「ごゆっくりどうぞ」敬ちゃんはお冷を持ってきてくれた。
「ありがとう」
「一緒に食べるか?」厨房から店主の声が聞こえる。
「いいの?」
「お客さんいないからいいよ」
「うん。待ってて」
「ご注文は?」敬ちゃんが僕に聞く。
油と醤油で壁にかかったお品書きは黄ばんでいるし、ところどころ読めない。
「敬ちゃん。おすすめは?」
「レバニラ、餃子、焼き飯」
「じゃあ、全部」
「おじさん。レバ一、ギョウ亭ライスチャーハン変更。あと二十二番」
「はいよ」店主が中華鍋を温める。
「敬ちゃん、何食べるの」
「ラーメンと小籠包」カウンターの上に積まれているコップにピッチャーの水を注ぐ。
「おすすめたべないんだ」
「もう飽きた」カチャカチャ、カンカン。中華料理屋の音が厨房から聞こえる。
「いつからやってるの?」
「中学生になってからかな。毎日手伝ってるのは最近だよ」
「働き者だね」厨房から油と水が鉄鍋の上で喧嘩する音がする。
「もうそろそろやめるけどね」
「なんで?」
「おじさんの奥さんが復帰するから」
「怪我でもしてたの?」厨房が明るくなる。中華鍋の油がコンロに飛び散って赤い火が銀色の壁に反射している。
「赤ちゃん生まれたから」
「そうなんだ。おめでとうございます」僕は厨房に届くように声を張った。
「だってよ、おじさん」
「ありがとね」大きい鉄鍋を五徳の上で振り回している背中が答える。
「名前は決めているんですか?」
「まだだな。何かいい案ある?」店主は鉄鍋をササラで洗いながら答える。
「性別はどっちなんですか?」
「女の子だよ」中華麺を湯切りしながら答えた。
「じゃあ、けいかとかどうですか?」
「お、いいね。敬みたいに優しい子に育ってくれるな」餃子を皿に盛りつけながら敬ちゃんに聞いている。
「敬ちゃんは何かないの?」
「うーん」敬ちゃんはカウンター台にある調味料を見ていた。
「敬はいつも考えてるな」餃子を皿に盛り付けながら敬ちゃんのことを話した。
「うん。ちゃんと決めなきゃいけないからね」
「参考なんだから力を抜いてもいいんだよ」マドラーで返しをどんぶりに注ぐ。
「うん。わかってるけどさ」
「名前大事だもんね」僕は敬ちゃんに同調した。
「うん。ほんとにそうだね」
「はい、お待たせ。レバニラ、餃子、チャーハン」カウンター台にかちゃんと置かれた。
「ありがとうございます」僕は一つずつカウンターに運ぶ。
「はいラーメン。小籠包はもうすぐ出すよ」
「ありがと」敬ちゃんはこぼさずにテーブルに置いた。なみなみと透き通った醤油ベースのスープが注がれたラーメン。トッピングは焼き豚にネギとメンマと煮卵。昔ながらのナルトが添えてある。
「運ぶの上手だね」
「何年もやってるからね」自信満々に答える敬ちゃん。
「「いただきます」」
出された料理に目を落とす。三品とも白い湯気が料理の香りを僕に届ける。
大きめに切られたレバーを隠すようにニラともやしが存在感を消さずに皿に乗っている。箸でレバーとそのほかをつかんで口に運ぶ。肉の味が非常に強い。がニラの風味ともやしのシャキシャキ感がレバーのパンチを抑えつつ、しょうゆベースの味が全体を引き締めている。
「どう?」敬ちゃんが聞いてきた。
「おいしい」
「ありがとね。はい。小籠包おまち」
湯気が立つせいろを丁寧に席に置いた。
「ありがと」
「裏にいるから、だれか来たら読んで」店長は厨房の奥に向かっていった。
レバニラを焦点からずらして餃子を見る。
箸で餃子を割る。程よく出る肉汁。断面は肉六割、野菜四割。野菜多めのほうが肉の油と野菜の水分で大量の汁が出る。しかしこの店は水増しせずに肉の脂分を主力として餃子を提供している。ワクワクしながら小皿に醤油とラー油を入れた。黒い湖に浮かぶ赤い三日月を箸で粉々にする。半分にした餃子の面をたれにつける。
「どう?」敬ちゃんが聞いてきた。
「おいしい」
きっとこのお店で一番おいしいのは餃子なんだろうな。
もう一つ餃子を箸で取るとき、チャーハンの横に添えてあった蓮華を机の上に転がした。それが運命と言わんばかりに米に纏う黄金色の卵が嫌でも目に入る。
僕は嘘をつかない。餃子を裏切るわけじゃない。ただ、机に転がる蓮華がもう転がらないように重りを乗せておこう。箸をおいて蓮華に持ち変える。お米と角切りのチャーシューにネギといったシンプルな材料を卵が包んでいる。油でてかるその姿に自然と蓮華を使づけてしまう。おっと、重りを少し盛りすぎた。零れ落ちる前に早く口に入れなくては。
「」敬ちゃんが僕を見ている。
「おいしい一番おいしいよこれ」
「でしょ。僕も好きなんだ」ラーメンにラー油と七味をかける敬ちゃん。
「ならなんで食べないの?」
「好きだからだよ」
「ふーん。よくわからないよ」
「そう?」
「食べる?」僕はチャーハンを差し出す。
「え?」
「うん 。好きだからじゃなくておいしいから 」
「いいの?」
「いいよ。食べて」
「うん。いただきます」
僕の食べてたチャーハンをスライドさせ、ラーメンの蓮華をつかってきれいにすくう。
「おいしい?」僕は敬ちゃんに聞いた。
「いつもの味だよ」幸せそうに敬ちゃんは答える。
「だろうね」
「」敬ちゃんがぼんやりと顔をあげる。何か考えているんだろう。
「明日応援に行くよ」
「ありがとう。がんばるよ」
もくもくとラーメンを吸い続ける敬ちゃんに僕は興味本位で聞いてみた。
「大丈夫?」
「?」小籠包を箸で割る手をとめないまま、僕にその理由を問いかけていた。
「直接サッカー部が来なかったからさ。ぎくしゃくしてるとか」
「あんな後だもん。話しかけるのもためらうよ」少し自傷気味に話した。
自分が今どんな存在なのかを、敬ちゃんはわかっている。先生との会話を思い出した。
誘った手前こちらから断れないけれど、来てほしくはないのかもしれない。わざと失礼な方法で、敬ちゃんを呼び出したのかもしれない。
敬ちゃんはどうして参加するんだろう。参加する必要が僕にはわからない。これがオリンピックならば参加したほうがいいと、国旗をもって送り出す。しかし中学サッカーの県予選。今の状況で出る価値はない。
「でもさ」僕は食事を止めた。
「うん。わかってる」敬ちゃんは最後の小籠包を割りながら答える。
「え?」僕は夕飯から目を外される。敬ちゃんに吸い寄せられる。
「なんとなくわかってきた」蓮華と箸を持つ敬ちゃんと目があった。
「それわかってないときに言う言葉だよ」
「うん。それもわかってるよ」
「やっぱり敬ちゃんは面白いね」
「戦ってみる。もう逃げない」そう言って麺を持ち上げる敬ちゃん。そのまま口に入れた。
「え?」僕は聞き返した。
「しょうがないをやめてみるよ」 僕をよそ眼にずるずると面をすする。
「しょうが?やめるの?」
「ちょっとだけ 本気になる」その自信満々の顔に敬ちゃんの力の入れ方が手に取るようにわかる。
「かっこいいね」カッコつけた敬ちゃんに欲しそうな言葉をかける。その傲慢さも天才の嗜みなのだろう。素直にうらやましい。
「でしょ」
「試合頑張って」
「うん。がんばってみる」
「精一杯見るよ」
「うん」
壁に取り付けてあるテレビから明日の天気予報が流れていた。天気だけが気がかりであってほしかった。
僕より先に食べ終わりそうな敬ちゃん。僕はどうでもいいことを敬ちゃんに聞いた。
「ねぇ。オフサイドってなに?」
すると敬ちゃんは自慢げに胡椒のミルを得意げに回していった。
「サッカーを面白くするスパイスだよ」
「え?かっこいい」
「透真君はサッカー詳しいの?」
「ちょっとね」
「どんなこと知ってるの?」
「昔のイングランドは国内リーグを大事にし過ぎて、国際大会で選手たちがぎくしゃくしてたとか」
「他には?」
「日本代表はワールドカップよりもドイツに勝つために調整してきたとか」
「どっちも初めて聞いた」鼻で笑われるようなことでも敬ちゃんは聞いてくれる。しかも関心までしてくれる。
「なんの役にも立たないけどね」
「誰かに何かを話すきっかけになるじゃん」
「ポジティブだね」
「いいことだよ」
「のどが渇いた。ジュースある?」
「何がいいの?」
「敬ちゃんの門出を祝う飲み物がいいな」
「というと?」敬ちゃんは困った顔をした。
「しょうがないから応援してあげるよ」
「…?」
「ジンジャエールで」
「ふふふ…しょうもないね」敬ちゃんがくすっと笑った。
「しょうがないだろ」
僕を笑う敬ちゃんは冷蔵庫から瓶を二本と栓抜きを持ってきてくれた。
「透真君。ありがとね」
「何が?」
「また明日って言ってくれて」 敬ちゃんは手早く瓶のふたを栓抜きで外した。
「謝ったほうがよかった?」
「ううん。あれがいい。あれでいいよ。それ以外ない」
「うん。わかってた」
「だから見ててね。僕のこと」敬ちゃんの目には自信があった。きらきらというかギラギラしていた。戦う顔をしていた。
「早速明日見るよ」
「勝ってみせる」
「魅せるの?ファンタジスタってこと?」
「そこまでうまくないよ。でも精いっぱいやるって決めたから。はいどうぞ」
「ありがと」僕は敬ちゃんから開いた瓶を受け取った。
「じゃあ、乾杯」敬ちゃんが僕の瓶に自分の瓶を重ねようとした。
「勝負事の前に不謹慎じゃない?」
「あ、そう?じゃあなんていう?」
「僕たちに言葉はなくてもいいよ」僕はとってもカッコつけた。敬ちゃんにだけ、独り占めはさせない。
「ふふ、」敬ちゃんは笑っていた。
瓶がぶつかる音。それが妙に清らかに聞こえた。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




