さようなら、でもまたあした
敬ちゃんの着替えが終わるまで校門で待つことにした。あれから野球部の練習は終わった。
顧問が不貞腐れて帰った生徒と面談をするらしい。あんな状況で野球なんてできないだろう。ただ野球部に心を配るほどの感情はない。自主性を刈り取られた奴らになんてどうでもいい。敬ちゃんだけが心配だった。
校門からエナメルバックを持った敬ちゃんが出てきた。その足取りはいつもと変わらなかった。目が合う。敬ちゃんは僕を見て進行方向を変えた。
「帰ってなかったの?」敬ちゃんが僕を不思議そうな目で見ていた。
僕は敬ちゃん隣で同じ帰路についた。
「大丈夫?」
「何が?」いつもと変わらないテンションで敬ちゃんは返してきた。本当にいつも通りだった。
「さっきのことだよ」
「さっきって?あぁ、あれね。見てたんだ」自傷的にとぼける敬ちゃん。嫌な顔をした。
「気にしてないの?」
「気にすることだったかな」どこ吹く風な敬ちゃん。
「そうなんだ」納得したふりをした。
「どうかした?」敬ちゃんが僕に聞いてくれた。
「もっと落ち込んでいると思った」
「なんで?」
「面と向かってあんなこと言われたら落ち込むでしょ。覚悟してたの?」
「ううん」
「どうしてあんなこと言われて平気なの?」
「だってしょうがないよ」
「え?」
「僕はできてあの先輩はできないだけだよ」敬ちゃんは心底興味がなさそうに話す。
「でもさ、僕はあの先輩の言い方はだめだと思うよ」
「どのあたりが?」
「馬鹿にしてるとか、あの辺」
「そう感じたんだからしょうがないよ」
「でも口に出すことはないじゃないか。それを止めない教師も教師だ」
「口に出すしかできなかったんだよ」
涼しい顔をしている敬ちゃんを見て僕はわくわくしている。
あれほどのことがあったのに、まるで何事もなかったみたい。
思ったよりもずっと元気だ。正直これは予想外だった。もっと落ち込んでいると勝手に思い込んでいた。
この予想とのギャップに天才との差があるのではないだろうか。今の敬ちゃんにその理由を問いただそう。
僕は新聞記者のように切り込んだ。
「ねぇ、あんなこと言われて平気って」
「ん?」
「おかしいね」
僕の一言で敬ちゃんが足を止める。
「そう?…かな」一度は受け止めなかった僕の言葉を反芻しているようだ。
いや、反芻したとて牛のように飲み込むことはない。咀嚼までしかいかないだろう。僕が今まで見てきた敬ちゃんなら絶対にそうだ。
だから教えてほしい。今の敬ちゃんはどう反応するんだ?
「おかしいよ。あれを言われてうれしかったわけじゃないでしょ。平然とした顔でひょうひょうと立っていられるなんておかしい」
僕は敬ちゃんを煽る。
「怒ってる?」敬ちゃんが恐る恐る聞いてきた。
「誰が」
「透真君」
「それ怒っている人に絶対に言っちゃいけない」
「でもさ、僕だって馬鹿にされたよ」
「」
「教え方が下手って」
「ふっ」
シリアスな空気感をお門違いな敬ちゃんの言葉で僕は鼻で笑ってしまった。
「あ、笑ってくれた」
「これはあきれ笑いだよ」少しでも威厳を保てるように強い圧力で言った。
「でもさ」
「なに?」
「怒ったところで。本当に何にもならないんだよ」
「」僕は言葉に詰まる。僕の知らない考えだった。
「僕が怒ってもあの人は、僕の言うことが何にもわからないんだよ。あの人にできない人
の気持ちなんてわからないって言われたけどさ。じゃあ僕の気持ちはわかるの?って」
「言えばよかったじゃん」
「何にもならないんだよ。何にも」
「じゃあ敬ちゃんはわかろうとしたの?」
「え?」敬ちゃんの足が止まった。
「できないことが何もないわけじゃないでしょ」僕は遅れて止まる。敬ちゃんの顔を見て意見を問いかけた。
「うん」
「じゃあできなくて焦ったり、馬鹿にされるのが怖かったり、置いて行かれて寂しいとか思わないの?」
「」敬ちゃんの目線が僕から外れる。横に動いた。
「わかろうとしなかった向こうが悪いけどさ、分かろうとしてたら教え方だって変わったんじゃないの?」
「」敬ちゃんがうつむく。左の手の平を大きく開いて、そして固く結んだ。
「うるさい」アスファルトに跳ね返った声が僕に届く。
「え?」
「うるさい。この件に君は関係ないだろ」僕は敬ちゃんと目が合う。いつも通りの飄々とした顔はなかった。怒っていた。
「そうだけどさ」僕は気圧された。好奇心が一瞬だけ負けた。でもやめない。
「なんでかかわってくるのさ」
「誘ったのが僕だから」
「よけいなお世話。とってもうざいよ」
「ごめん」
「なんで透真君が僕に怒っているかわからない」
「え?理解してないからじゃない」ひょうきんな声で何にも考えずにありのままを言ってしまった。
「できない人はできない人の気持ちがわかっていいね」カチンと来たのか、さっきよりもあからさまに不機嫌になった。僕は好奇心を止めた。これ以上はまずい。
なんでそう思うんだ?天才の不機嫌ほど僕は見たいんじゃないのか?
「そこまで言わなくていいだろ」僕は敬ちゃんに構った。
「君はただ僕が天才だから一緒にいるだけだろ」僕を見透かすように敬ちゃんは言い放つ。
「そんなことない」気休めの返事が反射で出た。僕はその言葉を本当にしようとする。
「じゃあそれがなくても君は僕と一緒に入れる?」
「それは…」迷いが口に出た。宙ぶらりんな言葉しか出なかった。最悪手だ。
言葉が詰まる僕をよそ眼に敬ちゃんは会話を切り上げた。言葉にできない自分の頭の悪さがもどかしい。
「…うん。わかった。野球はやめるよ。配達ももういいからさ。だから責任感じないで」か細い敬ちゃんに変わる。前よりももっと薄く白くなった。
「…うん」僕はただそれを受け入れるだけだった。何も言えなかった。どこまで踏み込んでいいものか、境界線はわからなくなってしまった。
「また…」 敬ちゃんは僕を振り落とすかのように去っていった。
「」
天才との衝突。何よりも得難い経験だろう。
あれほど自分の悪口を言われても何も言い返さなかった天才が僕に対してははっきりとものを言った。
それは舐められていただけかもしれないし、親密度の裏返しかもしれない。ただはっきりと物を言われた。
僕は少しうれしかった。天才の知らない一面を除けたのが本当に喜ばしい。
ただ少しだけなのだ。もううれしさなんてなくなった。もうつまらない。
もっと面白いことが起こると思っていた。急に殴り合いが始まったり、僕らの言い合いに誰かが介入してきたり。そんなありえないことを想像してしまっていた。天才ならそんなことが起きてもおかしくないと思っていた。
なんとなく衝突して、気まずくなっただけ。安いエピソードになった。その辺にころがっていてもおかしくない。
テレビで見ていた天才たちはもっと起承転結がはっきりした問題とその解決があった。プリクラよりも強い加工が入っていたらしい。
マッチ一本の火をフレアスタックのように大きく見せている。とんでもない比喩表現だ。
天才というのはそこまですごいものではないのか?
過大評価だったのか?
「」
振られた僕は惨めに敬ちゃんの後ろ姿を見ていた。敬ちゃんは走るのをやめていた。早歩きで僕から離れている。
僕は哀れだ。いろんなことを考えて敬ちゃんと仲直りするための理由を考えている。
僕は目標を捨てようとしている。
「」
僕は初めて敬ちゃんを見ていた。敬ちゃんはただの人。僕と同じ中学生で友人なのだ。
僕と言い合って喧嘩別れすれば背中を丸めるような人。
コンビニおにぎりの食べ方が下手な人。
猫舌なくせに温かい飲み物が好きな人。
一人がさみしい人。
十字路を右に曲がる瞬間。敬ちゃんと目があった。
僕を見ていた。
僕は走った。もう何も考えたくない。だから逃げるように走る。
足が遅いなりに早く走った。
十字路を曲がった先、夕日が僕の目を刺す。すぼんだ目で太陽と戦った。少し遅く歩く敬ちゃんがいた。
「敬ちゃん!」僕は飛び出そうな心臓を抑えながら大きな声で呼ぶ。
「!」下を向いていた顔が持ち上がる。
「さよなら。でも、また明日!」
「うん。ばいばい。また明日」 手を振って帰り道を足早に歩く敬ちゃん。離れているけれど声量はいつも通りのいつもの敬ちゃんだ。
帰路を見る敬ちゃんの顔は上がっていた。僕は伸びる影が遠ざかるのを見ていた。
僕は自分の影を踏みながら帰路に就く。僕は自然とうつむく。太陽は背中にあるのに首が下に落ちる。あの距離でもいつもと同じように聞こえた敬ちゃんの声。気分の高揚があの距離でも伝わる。
誰かを笑顔にすることは誇らしいことだとわかっている。
それで僕は笑顔になるのか?
誰かを笑わせるための人生は幸せなものなのか?
自分がやらなければならない事よりも優先させることなのか?
さよならと言う夕焼けの空はとんでもないほどきれいで、一人だった。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




