凡人の徹底抗戦
長丁場になってもいいようにトイレをすます。気持ちの整理をして僕のスタンスをはっきりさせる。
『こんこん』
呼び出された理由に心当たりがあると職員室のドアの音が少し高く聞こえる噂は嘘らしい 。
「失礼します。三組の富樫です」
資料を整理していた担任が顔をあげて手招きした。
職員室の奥に進むにつれ、コーヒーの苦い匂いとインクのにおいが濃くなる。
放課後の職員室には先生たちの半分くらいはいない。みんな部活の指導に回っている。残っている先生たちは休憩しているかというと、そうではない。パソコンとにらめっこをして、明日の授業の課題や、学級日誌の準備をしている。はたから見ていてもたいへんそうだなぁ、と思う。
担任の机の前まで来た。
「どうして呼ばれたか心当たりはあるか?」少し重たい声が緊張感を増強させる。
「遅刻の件ですか」
「それじゃない」コーヒーを一口飲む先生。
「え?」
「嘘だ」僕が緊張していることを知ってか知らずか、笑いづらいジョークを僕に言ってきた。
先生が誰も使っていない椅子を用意していたのか、横にあった椅子に座れと、椅子を僕のほうに動かした。
大人と正対する。立っているよりも緊張感は和らいだ。
「何か後ろめたいことでもあるのか?」先生は話を始める。
「いや。掃除なんてさぼってないですよ」
「そんな些細なことはいい。教えてほしいことは別だ」
「敬ちゃんが遅刻したことですか」
「君たちが遅刻した一件だ」先生は文字が書かれた紙を挟んだバインダーとボールペンを持っている。まるで僕が犯罪者みたいだった。これじゃあ取り調べだ。
「敬ちゃんから聞いたんじゃないんですか」
「聞いた。だけどそれだけじゃ足りないから呼んだんだ」
「何を時話せばいいんでしょうか」
「天野が本当のことを話しているかわからないから最初からだ。透真の視点から話してくれ」
「なんでそう思うんですか」
「そういう気がするからだ。あいつは賢いからはぐらかされていたような気がしてな。確認のためだ。聞いたからって天野にとやかく言うことはない。別に怒ることがあるわけもない。だからちゃんと話してほしい」
僕は寝坊して遅刻したところから授業に出るまでを担任に話した。新しい話をでっち上げてはいないが誇張はしている。僕の視点から見た話なら当然敬ちゃんの側に立つ。話している僕でもそう思った。
「ありがとう。透真はそういう物のみかたなんだな」紙にすらすらと文字を書きながら言った。
「僕はいやがらせだと思ってます。できない人間の僻みでしょう」僕は言葉の語彙を強める。
「攻撃的だな」
「向こうがその気なんですよ。僕はそんなこと微塵も考えていません」
「天野はボールを磨いていたら透真が手伝ってくれたしか話してくれなかったよ」先生は生徒へのかかわり方を反省しているように見える。
「全部見たわけではないです。又聞きの部分もあります。敬ちゃんから何を聞いたんですか?」
「それだけだ」
「おかしな話だと思いませんか?」僕は大胆に切り込んだ。
「そうだな。そして天野も少しずれている」
「先生は敬ちゃんをどう思いますか?」
「おかしな生徒だとは思った」
「どれがですか?」
「」先生が周りを見渡す。咳ばらいをした。
「失言。不思議な話だと思った。授業時間になってもボールを磨かせるのはおかしいと思う」
「ですよね」僕は後ろの棚に背中をもたれた。
「それをおかしなことだと気が付いてない天野も不思議で片付けはいけない問題だと思う」
「先生は敬ちゃんをどう思いますか」
先生は周りを見る。秘密の会話に僕は少し緊張した。
「誰にも話さないと誓えるか?」
「いいですよ」
先生は椅子に座りなおして姿勢を崩した。少し間をおいて話し始めた。
「もともと中学生にしては大人びた子だとは思っているし今もそうだ。担任としては手がかからなくて楽だ。それはすべて自分自身でできているからなのか、頼れる大人として頭数に数えられていないのかわからない部分もある。助けてと自己主張できない子供かもしれない」
「…」
「聞いているか?」
「聞いてるだけです」
「そうだな…」難しい話になるのだろう。先生は腕を組んで少し考える。
机の上にあるビーカーみたいなペン立てを指さした。
「例えるならガラスだ。知っているか?ガラスは劇薬で溶けて変形することが少ない。だから理科室のビーカーはガラス製なんだ」
「そうなんですね。知らなかった」
「一つ賢くなったな」先生は嬉しそうに話す。
「ガラスは万能なんですね」僕は会話を進める。
「そんなこともない。ガラスは急な温度変化に弱い。大きな力に弱い。そんなところが天野みたいだなと前から思っていた。この件で強く思ったよ」
「どういうことですか?」
「天野は賢いから、自分がガラスであることがわかっている 。ガラスは簡単に割れる。ガラスが割れないように状態を維持できる方法を理解している。僕が見ている天野はたぶん天野じゃない。眼鏡みたいに屈折した虚像を見ている。そんな気がするんだ」
「…」僕は先生の言葉を自分に落とし込む。
「理解できなくてもいい。授業みたいに伝えようと話していないんだ」
「ガラスが割れても割れただけですよね」
「鋭利に飛び散る。そして治ることはない」僕は少しだけ理解した。
「アロンアルファでくっつければいいんじゃないですか?」
「誰もが接着剤を持っているとは限らない。私の接着剤はもう蓋が開かないし、期限切れだ」
「それなら…溶かすとか?」
「できないことはない。ただとても大きな熱量が必要になる。誰もができるわけじゃない」
「ガラスではいけないということですか?」
「違うよ。たとえ割れたとしても一緒に拾う人がいればいい。ガラスであることが問題ではないんだよ。拾う人がいないのが困ったことなんだよ。透真みたいな友人とか、あとは」
「家族ですか」僕が小さな声でつぶやいた。
「それもある。頼れる大人がいればいいんだ。もちろん教師でもいい。ただ拾ってと言わないと僕らは拾えないんだよ」
先生は珈琲を一口飲んで僕に聞いてきた。
「透真はどう思う?」
「天才だなと思います」
「子どもは誰もが天才だ。無限の可能性がある」誰もがいう常套句。心は上がらない。いつもは盛り下が
る。けれどそれはなかった。
「そうですかね」
「透真は天才をどう考えている?」
「生まれつき備わった優れた才能。他人と違う特異なものをもっている人ですかね」
「それなら人類みな天才だよ。だって誰も同じ人間はいないだろう」
「屁理屈みたいですね」
「あいまいにするのは大人の特権だよ」
「うらやましいですね」
「透真たちには若さという特権がある。大人になってそれが欲しくなるんだよ」
「そうですか」
「所詮天才なんて他者評価だよ。それは他人から見てもそうだし、未来や過去の自分でもある」
「過去の自分…」
考えたことはなかった。自分自身の努力をあざ笑っていった僕にとって先生の言葉が突き刺さった。
「結局天才になるには地道な積み重ねしかないんだ。それを努力と言うが、文字にすると一気に頑張らないといけないものに感じる。それを遊びとか趣味とか好きとかいろんな言葉に変換しながら人は天才になってゆくんだと思うよ」
「そうですね」
「隣の芝生は青く見える物。それを枯らそうとするか、躍起になって自分も生い茂ろうとするかだ。でも透真は違うよ 。君は栄養剤を持っている側の人間だ」
「どういうことですか」
「わからないならそれでいい。誰かが教えてくれるかもしれないからな。でももう少し自分で探してみな
さい」先生は机にバインダーを置いた。
「大人なら答えを出してもいいんじゃないですか」
「ちょっとだけ年を取っているだけだ。私と同じように苦い思いをしてくれ」先生は少し笑っていた。からかっているように見えたが嫌味は感じなかった。ただ僕の成長を願っているだけだった。
「宗教みたいですね」
「苦い思いをすれば少なくとも私くらいにはなれる。成人にはなれるんだ。その生き方しか知らない私は、自分自身が経験した出来事の助言しかできない。一緒に考えることしかできないんだ」
「面白いですね」
「透真も十分おもしろいよ」
「僕は怒ってもいいんですかね」そこだけは譲れなかった。声が上ずる。この問題を作った人間たちには何らかの制裁があるべきだと、本当に、強く思う。敬ちゃんが不利になっているこの現状を許してはいけない。
「誰にだい」先生は僕の思いに呼応しない。相変わらずやわらかい空気で僕に聞き返す。
「敬ちゃんと野球部の部員と顧問にです」
「野球部の顧問にはそれとなく言っておく。部員もこっちでどうにかなる。問題はそっちだ。透真に任せるよ。というか透真にしかできないだろうな」
「僕が直接言わなくていいんですか?僕のせいでこうなっているのに」
「いろんな人間がいるからさ。余計な問題を抱えて学校生活に支障が出てもいけないだろ。嫌な役は先生がやっておくよ。君が進んで損な役回りをしなくていい。それこそ大人の役目だ」
「ありがとうございます」
「きちんと話してしてくれてありがとう。 先生はうれしいよ」
「面倒じゃないんですか」僕は率直に聞いた。
「面倒だと思ったらこんな仕事やっていないよ。楽しいこともあるんだ。こうやって面白い生徒と話すこ
ととかね」
「面白いことが教えることじゃないのは問題だと思いますが」
「それは僕が責任をもって行う業務だ。面白い面白くないで意欲が変わったらいけないことだ。まぁ、人間だからね。うまくいかない時もあるけれどね」
「仕事楽しくないんですか?」
「どうだろう。やりたいからやっているだけかな。楽しいことは副産物かもしれない。楽しいだけの仕事なんて退屈そのものだと思うよ」
「教師としてもっと夢のある事を言ったほうがいいんじゃないですか?」
「夢は聞くものでも語るものでもない。まして教えるものでもない」
「叶えるものですか?」
「違う。通過点だ。叶えて終わるわけじゃない」
「いい言葉ですね」
「ネットから拾ってきた言葉だ」
「一瞬で冷めました」
「誰が言ったかで言葉の重さが変わる人間にならないほうがいい。声の大きさで考えがころころと変わる風見鶏になってしまう。耳を乗っ取られるなよ。自分の意志を失ったら鶏と同じだよクリスマスは囲う側じゃなくて食卓の上で過ごすことになるよ」
「深いですね。それもネットの名言ですか」
「それは明言しないでおくよ」
先生はかっこいいことを言った自分に浸るために珈琲の入ったカップに口をつけるが既に空になっているらしく、すぐに机に置いた。
「もう言いたいことはないか?」
「検事みたいですね」
「威圧的か?」
「肩書のせいですかね」僕は半分笑う。
「透真」
「何ですか?」
「お前大人と話すのうまいな」先生は楽しそうに僕に言った。
「そうですか?」
「そうだな。でも距離があるように感じるんだ。相槌もリアクションも上手なんだよな。私の話が円滑に進むように会話を組み立てているようにも感じる」先生は僕を見ていた。
「そんなことないですよ」僕は笑いながら目をそらす。
教師はあたりを見回す。
「もちろん透真の状況は特殊だ。人と違うことがたくさんあったと思う。何かあったら僕に言えよ。力になれることがあると思う」
「わかりました」
「もし金がないなら占い師でもやってみたらどうだ。駅前で一回三千円」
「嫌ですよ。阿漕な商売するくらいなら…」
「新聞配達はいい選択だと思うぞ」
「⁉」思わず口が開いた。
「安全運転しろよ」
「なんのことですか?」
「何のことだろうな。人は口を動かすより、瞼を動かす方が楽なんだよ」
気持ちの悪い笑いをお互いにしてその場をごまかした。多分濁してくれた。
「それじゃ、終わりだ。ありがとう。気を付けて帰れよ」
「はい」
「失礼しました」
職員室の扉をピタリと占める。憂鬱な職務質問が終わり、上機嫌な僕は小さなスキップを一回だけした。一回と前置きをつけておきながら、思いの他跳ねたのを地面についてから気が付いた。
さっきの会話の反省を始める。目標は達成できた。立ち回りとしては満点だろう。僕の会話の不気味さをなんとなく感じさせてしまったことは、反省するべきかもしれない。まぁ、あの先生なら問題ないだろう。子供の話を聞いているわけではなく、一人の人間として僕と相対していた。僕はあの大人なら信用できる。
冷静に周りを見て誰もいないことを確認した。
ふと窓の外。校庭のバックネット。ホームベースの近くに人だかりがある。野球部が集合していた。
熱心に顧問が指導している。敬ちゃんの姿もみえる。練習試合では特に何も言わなかったがトレーニングを指導する人なのだろうか。それとも見本になっているのだろうか。自重し、封印したスキップを解禁してグランドに急ぐ。
ご覧いただきありがとうございました。
この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。
次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!




