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天才を思う帰り道

 斜陽が刺さる昇降口。廊下の白いフローリングがすべての光を反射している。電気がついていないのにとても明るい。下駄箱を見ると大半の生徒はもう帰っていた。

『パチン』

 下駄箱から外履きを落とす。いい加減この靴もくたびれてきた。そろそろ買いに行く時期だろうか。新学期という一区切りで買いなおしておけばよかった。

 くたびれただけなら買わない理由のほうが大きい。服を着て外に出る理由になりえないのだ。穴でも開けばいいのに。

「透真もいま帰り?」僕の後ろから声がかけられる。

「うん。誉も?」靴を履きながら僕は答える。

「私は靴じゃないわよ」

「うん。解ってるよ」僕は誉を見て答えた。

「もう買い換えたら?」

「僕もそう思う」

「どうせ買い換えないでしょ」地面にすっと靴を置く誉。

「よくわかってるじゃん」

「かえろ」僕は誉を誘う。

「うん」いつもの返事が返ってきた。

 僕らは昇降口を出て並んで帰る。遠くから運動部の声がする。くたびれた僕はまだ元気な彼らを尊敬してしまう。田舎の公立高校で時代遅れの指導、それを従順に聞く学生。その危険性にいち早く気が付いた学生がいても、退部することを誰もよしとしない。そんな場所で明後日の努力をしている彼らを本当にすごいと思っている。敬ちゃんは別だけどね。

 隣で歩く足音が消えた。

「見に行かなくていいの?」誉が声をするほうを見る。

「何を?」

「敬ちゃん」立ち止まる誉。

「なんでさ?」僕はとどまる誉につられて止まった。顔はグランドを向いていた。

「見に来て、って言われなかったの?」僕に視線を戻す。

「うん。言われてないよ」

「そう。透真は見たくないの?」

「誉は見たいの?」

「違う。透真の話をしてるのよ」誉が会話の間を詰めて僕に畳みかけてくる。

「見なくてもいいかな」

「どうして?」

「敬ちゃんが野球をする理由を知るためだよ」

「そう。私に天才と同じ練習をしても同じようにはならないって、教えに来た時よりは進歩したのね」

「諦めていると思ってた?」

「さすがにね。」

「やめないよ。どうやって天才になれそうか聞きたい?」

「いらない」誉の圧を感じる。目も口も僕に対する姿勢全部が僕を否定しているみたいだ。

「もうちょっと優しくいってよ」

「私は透真みたいになりたくない。私みたいになりたいなら教えてあげる」

「また今度ね」

「…ねぇ。そんなにならないといけない事なの?」誉が僕に踏み込んできた。深刻そうな口調ではない。でもさみしそうな顔をしている。

「うん」

「私のせい?」

「違うよ。ほかにもちゃんとあるよ」

「私のせいでもあるのね」

 いつも通りに違うよと言うつもりだった。

 誉の真剣な顔を見る。こんなに目が合うのは久しぶりだ。いつもは向こうから視線を逸らす。でも今日は僕が先に視線をそらした。

「かえろっか」僕は逃げた。

「そうね」誉は歩き出した。もっといろいろ言われるかと、責め立てられるかと思っていた。きっと聞き出したいことの一段回目を聞き出せたから今日のところは解放された。

 校門から出て少し経った。誉はブレザーの内ポケットからウォークマンを取り出す。

「話したくないの?」帰ろうと誘われた矢先に耳にイヤホンを詰めていた。普通に悲しくなった。

 誉が僕のそばにピタリとついた。

「これ聞いて」僕は誉から渡された有線イヤホンの片方を耳に入れる。

 女の子たちが歌っている曲が流れている。アイドル系電波ソングだった。僕は聞いたことなかった。

「有名なの?」僕はぴったりと誉の歩幅に合わせて歩く。身長が同じくらいだけれど配慮した。

「知らないの?」意外そうな反応をした。そんなに有名なのだろうか。

「知らない」

「流行りに疎いのは昔からね」

「誉もでしょ」

「透真ほどじゃない」

「なんで聞かせたの?」僕は誉を見ようと思ったが同じ配線でつながっていた。僕は目線を送った。

「知っているかと思ったから」

「どうして?」

「心当たりがないならいいわ。忘れて」

「そうするよ」僕は誉にイヤホンを返した。

 道にできた水たまりをよける。日没はもう少し先なのに、アルプスにかかった分厚い雲が太陽を攫っていた。時々湿った風に混ざる少ない雨。僕は急ぎ足で帰りたいけれど、誉はゆっくり歩いていた。何か考え事をしていそうな顔をしている。そういえば。火曜日のこの時間誉は習い事だった気がする。

「こんなに帰るの遅いなんて何かあったの?」僕は誉に聞いた。

「職員室に用があっただけ」

「呼び出されたの?あの誉が?」

「まぁ、うん。そうね」

「僕じゃないよ」

「なんの話よ」

「図書館でお菓子食べてたことはばらしてないよ」

「見てたのなら言いなさいよ」

「分けてくれたの?優しいね」

「透真のことを共犯者にしただけよ」

「素直になればいいのにね」

「それはお互い様でしょ」

「で、なんで呼ばれたの?」

「美術の件でね」

「あぁ。そっか。絵、下手だもんね」

「…そうだけど」誉が僕を睨みつける。よほど触れてほしくないらしい。けれど僕は話を続けた。

「でもなんで?書き方でも教わってたの?」

「あまりにも下手だから課題を出されたの」誉は恥ずかしそうにうつむきながら言った。

「そんなに下手だった?」

「ねぇ…わざと?知らないわけじゃないでしょ」

「昔もらった絵もそこまで変じゃなかったような気がするけど」

「いつのよ」

「保育園の時の絵」

「…そんなことあった?」なんで持っているんだといわんばかりの顔をされる。

「誉がくれたんじゃないか。忘れたの?」

「そんなリンゴの絵覚えてない」

「そっか」

「透真はあの美術室の女の子と話したことあるのよね」誉が強引に話を切り替える。何か変なこと言っただろうか。

「うん。面白い子だよ。絵がうまいらしいね。海外のコンクールで賞を取ったとか。絵が高く売れたとか言ってたよ」

「どんな話したの?」

「知りたいの?」

「そりゃね…。絵をうまく書く方法とか話してた?」

「絵なんていつの間にかできているって言ってた。考えて書いたことないってさ」

「…」誉の発言と眼球移動が止まる。自分の理解できない事と合うと、時々フリーズする。自分の常識の書き換えの時間なのだろう。ただ僕が待つ理由にはならない。

「あんまり難しく考えなくていいんじゃない?もっと簡単に書くべきだよ。数学の問題じゃないんだからさ」僕は誉を慰める。

「中学生の数学の問題で難しく考えることなんてあるの?」誉は無意識に平然と僕を言葉で僕を殴る。

 秀才はこれだから困る。誉の持ってるそれは誰でも持っているものじゃない。それを忘れている。

「数式で絵をかいてみたら?あれみたいに。あれだよ、あれ」

「モザイクアートってこと?」

「そう。それ。なんちゃらアート」

「考えてみるわ」

「今適当なこと言ったよ」

「えぇ。そうね。だって課題は模写だもの。好きなもの書いてきてだってさ」

「変なこといってるかな?」

「透真が変なこと言わない日なんてない」どんな顔をしたらいいのかわからないことを誉に言われる。

「そう。まともなこと言うようにする」

「ねぇ」誉が僕の腕をつかんだ。僕は抵抗せずにその場に止まって誉を見る。

「私、変なことが悪いことって言った?」

「言ってない」

「そんなこと直すのは後回し。ちゃんと勉強しなさい」誉は僕の腕を話して、ふんわりと僕に助言する。

「誉はいつも僕に勉強しろっていうね」

「私が言わないと透真は誰にも言ってもらえないでしょ?私なりの優しさよ」

「ありがとね。誉は塾?」

「うん。じゃあまた明日」

「また明日ね」

 僕らは駅の前で解散した。遠くに行っても誉の歩き方はよくわかる。あの凛としたたたずまいを見ると昔の誉は別人だったんじゃないかと思ってしまう。僕は見えなくなるまで眺めていた。

 どこまで賢くなるんだろうか。一緒に勉強した日々が懐かしい。今一緒に勉強したら教える側と教わる側が反対になる。そんな誉の成長速度をうらやましく思う。

 できるに越したことがない勉学。僕はまだ不自由は感じない。将来の僕は感じているだろうか。考えようとして、それが無意味なことに気が付いた。

ご覧いただきありがとうございました。

この物語は完結済みのため、添削でき次第投稿します。

次回も皆様とお会いできるのを楽しみにしております!

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