ルーガー卿の気の遠くなる魔王退治
「あのお客さん、本当に今年も来ているね」
妻の言葉に僕はふと振り返る。
春の訪れを祝う年に一度の村を挙げての祭りは今年も例年通り開催されていた。
この日は村全体がまるで大きな市場になったかのような風景となり、商売を生業としている家は勿論、普段は農夫として働いている者の家までもが店舗として利用されている。
そんな平時と違う村には当然、平時とは違う者達もやって来る。
丁度、妻が見つけたルーガー卿もまたその一人だ。
短く切りまとめた髪色と同じ褐色のローブのみを身に纏い、手ぶらですたすたと歩いて行く若い青年。
一昨年、他所の村から僕に嫁いできた妻には馴染みがないだろうが、彼は毎年この時期になるとふらりとやってくるのだ。
「あっ、やっぱり。アロルドさんのところに行くんだ」
妻の呟きに導かれるようにして道路を挟んだ向こう側でルーガー卿が迷いない足取りでアロルドの家へと向かって行く。
アロルドの家では今年も大量のチーズが作られていた。
そのチーズの味は良く言えば馴染み深く悪く言えば平凡な味。
まぁ、好きな人には好きと言えなくもないか。
「あの人、今年もうちに来るのかな?」
「あぁ。勿論だ。さぁ、こっちも準備するぞ」
どこか子供染みた興奮を纏う妻の声に僕は頷いた。
ルーガー卿は年に一度開催されるこのお祭りに毎年必ず現れる。
そして彼は村の主だった商品を大量に購入する……つまりは村を挙げてのお得意様という訳だ。
彼がこの村で買うのはチーズや穀物を始めとする食料品や村の名物ともなっているお菓子、そしてこの地域で特に収穫が出来る魔力を含んだ薬草などだ。
彼があまりにも多くの品を買っていくものだから、村の各家は一般用とルーガー用の商品を分けているほどだ。
「いらっしゃい!」
妻の言葉が外から響いたので僕は大慌てで両手に薬草を抱えて外へ出る。
そこには普段よりずっと愛想の良い表情で話をする妻と微笑みながら相槌を打つルーガー卿の姿があった。
「ルーガー卿。お久しぶりです」
「あぁ、久しぶり。エディ」
ルーガー卿は僕、エディに微笑むと懐から小さな革袋を取り出す。
「君の好きだった菓子だ。今年も持ってきたよ」
「ありがたい話ですがね。もう僕も大人ですから……」
「それじゃ、いらないのかい?」
「いえ。妻が大好きですからいただきます」
しれっとした僕の発言に隣に立っていた妻、アンニカが目を丸くする。
「そうなのかい? アンニカ」
「え? あっ。まぁ、ええっと……」
突然の問いかけにアンニカは言葉に詰まるとルーガー卿は笑う。
「エディ。君の悪戯小僧っぷりは変わらないな」
「まぁ、人の本質は中々変わらないものですよ」
そんなやり取りを聞いていたアンニカが僕の背中を軽く叩いた。
「もう! ええっと、ルーガー卿……? 私の名前を何故ご存知なのでしょうか?」
「あぁ。去年、エディが君をそう呼んでいたのを覚えていたからね」
「そんな一年前のことを……?」
驚くアンニカに対しルーガー卿は穏やかに笑う。
「たった一年前のことだ」
ルーガー卿は既に千年以上の時を生きている。
そう、祖父から僕は聞いたことがある。
それが真実かどうかは分からない。
ただ事実として、ルーガー卿は僕が幼い頃から成人して妻を持った今日に至るまで一度たりとも容姿に変化がない。
「さて。悪いが今年も薬草を貰おうか」
「はい。ただいま」
ルーガー卿の言葉を受けて僕と妻は彼のために用意した薬草をどっさりと倉庫から運び出す。
それら全てが自分の目の前に置かれたのを確認すると、ルーガー卿は適正値段の三倍の額を僕に手渡した。
目を丸くするアンニカにルーガー卿は微笑むばかりだ。
「今年も豊作だったようだね。助かるよ」
「こちらこそ。今年も金払いの良くて助かります」
僕の軽口にルーガー卿は笑い、その後、静かな口調で呪文を唱える。
すると不意に彼の隣に奇妙な形をしたドアが現れた。
そのあまりにも荒唐無稽な光景に妻は思わず声をあげていた。
「転移魔法だ。そう簡単に見れるものじゃないよ」
「転移魔法?」
妻の驚きは当然と言えるだろう。
空間と空間を繋げることで空間を移動するこの魔法は現代における魔法の中でも最高峰の一つだ。
当代においてもこの魔法を行使出来るのは一握りの者しかおらず、むしろ多くの人々にとってはこの魔法は伝説の一種としてさえ認識されているかもしれない。
そんな魔法が毎年この村でルーガー卿によって気前良く行使されてるなんて、王都の上級魔法使い達が知ったならきっと驚かれることだろう。
「さて、と」
呟きながらルーガー卿がドアを開けると中から数人の小さな妖精族が現れる。
「さぁ、運んでおくれ」
「運び終わったら遊んでもいい?」
「勿論だ」
「やったぁ!」
妖精族達が喜びながら門の中へと薬草を運んで行く。
実際に見たわけではないが、今回ルーガー卿が開いた門は彼が所有している倉庫に繋がっているらしい。
噂ではその倉庫には彼が各地方から集めたと言う薬草が所狭しと保管されているのだとか。
やがて全てを運び終えた妖精族達は事前にしていた約束通り村の中へと駆けて行った。
「さて。邪魔をしたね。それじゃあエディ、アンニカ。私はこれで失礼するよ。今度はあの菓子を買いに行かなければ……」
そう言って歩き去るルーガー卿を見つめながら、妻は当然のことを私へと尋ねた。
「ねぇ、あんなにたくさんの薬草、あとはチーズだとか……とにかくあんなに買い漁ってあの人は何をするつもりなの?」
「何だと思う? 当ててごらん?」
「分からないんだから聞いているんじゃない」
そう言って僕を軽く小突いた。
その心地良さにけらけら笑いながら僕は妻へと答えた。
「魔王退治、だってさ」
「魔王退治?」
「そう。正確に言えば将来現れるであろう魔王に対しての備えをしているんだって」
「なにそれ」
妻の疑問は当然だと思ったし、実際僕だって幼い頃に全く同じ質問を祖父や父にしていたくらいだ。
それこそ魔王退治なんて理由に納得いかずルーガー卿本人に尋ねたことだってある。
『ルーガー卿。魔王退治なんて言いますが、魔王なんて既におとぎ話の存在です』
『その通りだ。エディ。多くの者にとって千年も時が経てば、それはもうおとぎ話の存在でしかない』
穏やかな表情でルーガー卿はそう言って付け加えた。
『永遠におとぎ話であれば良いのだがな。そうとも限らない。だから私は備え続けるんだ』
それが答えなのだろう。
少なくともルーガー卿にとっての。
「……薬草はまぁ、魔王退治というか戦時に役立つのは分かるし、チーズや穀物なんかの食料もあるに越したことはない。だけど、お菓子なんかはどうして買い占めていくの?」
尤もな妻の問いに僕は答えた。
「単純にあのお菓子が人気なんだよ。さっきの妖精族は勿論、各地の子供達にも」
「各地の子供達?」
「魔王退治に必要な品集めなんてこの村だけじゃ終わらないからね。ルーガー卿は色んなところを回っているのさ。適宜、自らの荷物を整理……もとい売買しながらね」
「……それって、ほとんど行商人じゃない?」
「さあね」
「もうっ!」
ルーガー卿や彼の連れてきた妖精族を始め、普段はほとんど見ることの出来ない外部の人間が続々と集まりだす。
「ほら! 見て見て!」
若い娘が顔を輝かせて駆けてきた。
その片手はうんざり顔でついてくる相方と思わしき青年の腕をしっかり握っている。
「これ! このお菓子! 覚えている!?」
「あぁ。覚えているよ。君が山ほど買って途中で食べ飽きたからな。おまけにそれを僕に押し付けて……」
「そうだっけ? まぁ、いいや! 買ってよ! ローレン!」
「僕は君と違って甘いものは苦手なんだけど……」
「うるっさいな! いいから買って!」
あの二人も毎年のように訪れる祭りの常連だ。
まだ二十歳にも満たないように見える恋人達の姿に妻は微笑む。
「微笑ましいね。若くて」
「そうだね」
そう返しながら僕は思う。
あの二人もルーガー卿と同じく何年経っても姿形が変わらないのだが……。
それを知った時の彼女の顔が今から楽しみだ。
村の見知った人々。
近場の村から集まる顔馴染み。
祭りの度に訪れる祭りの常連たち。
そして、全くの見知らぬ人々。
村の中で一年を過ごす僕らにとって彼らの姿はいつだってとても珍しいものに映る。
少し退屈とさえ思えるほどに穏やかで幸せな日々に微かなアクセントを加える。
そんなアクセントがまたこの穏やかで幸せな日々を実感させる。
「さっ! 頑張るよ! エディ!」
妻の言葉に僕は頷く。
「よし。それじゃ、働こうか」
年に一度の祭りはまだ始まったばかりだった。
お読みいただきありがとうございました。
この作品は元々はルーガー卿を主軸とした群像劇として連載を予定していた作品です。
ですが、作風の都合上どうしても一話完結に近い内容が連続するという形になり、所謂『連載作品』にはならないかなぁ……と思い現在は封印中です。
第一話だけなら短編として成立しているかな? と思い今回投稿いたしました。
少しでも楽しんでいただけたならば幸いです。
余談ですが本編の最後にちらりと姿を見せた恋人達は現在連載している『偉大なる夜の下で』の主人公達です。
もし少しでも興味を持たれましたら、ぜひ彼らの物語も覗いてみてくだされば幸いです。
(この作品と大分雰囲気が違いますが)