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(完結)男二人、ヤマアラシのジレンマ故に  作者: たろう


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周囲では人々が慌ただしく駆け回っていたけれど、僕の意識はただ前にだけ向けられていた。ただキースの後ろ姿だけを幻視している。魔法の攻撃による不穏な音が辺りに響き渡っているけれど、彼が走り去った先から目を離すことができないでいた。もう彼の姿は見えないというのに。


気遣わし気にギルが僕に声を掛けてくる。けれどそれにも答える余裕は無い。


僕の頭の中は混迷を極めていた。


ただひたすらにどうしてこうなったのかと考え続けていた。


遠くでは、さらなる攻撃を加えようと巨人が集中して魔法をこちらへ向けて放っている。しかしそれは少し前に駆けつけていたデミアンが構築した氷の伽藍によって遮られている。僕らの上空をすっかり覆い尽くしているその見事な氷の構造物は、今巨人の光を散らして輝きながら、それが巨人の放つ強烈な光線から僕たちを守ってくれている。


砕けた氷が辺りに舞い散り、きらきらと輝く。


キースに遅れて到着したデミアンが、今は僕のすぐ側でじっと巨人の様子を息をつめている。その気配があった。


すると不意に友人が僕の前に跪いた。


「アルベルト、すぐにもここを離れないと」

「しかし、キースが」

「彼の意志を無駄にはできない」


僕の一番の理解者であるはずのデミアンが、最も残酷な言葉を僕に告げた。


「そんな」

「アルベルト殿下を運び出す。馬か馬車の用意を」

「はい」

「キースを見捨てろと、君は言うのか?」


デミアンはじっと僕の目を見ていた。彼は無言だったけれど、その視線が、表情が、言葉にされなくとも彼の言わんとしていることを僕に告げていた。


そうしていると、巨人の足元から一本の白い柱が立ち上るのが見えた。真っ白で真っ直ぐで、それは光を受けて輝いている。氷柱だということが分かった。上へ上へと伸びていく。それは巨人のすぐそばにあって、酷く頼りなく見えた。


「キースだ」


思わず口から言葉が零れ落ちていた。デミアンが振り返る。


その光景から僕は目が離せない。


ここからではキースの姿は見えなかったが、恐らくはその上へと伸びていく氷柱の上に立っているだろうと思った。それは確信だった。


それから何が起きているのか、氷柱の側を幾筋かの光線が地面へと落ちた。彼の築いた氷の柱が間もなくもろくも崩れ去る。


瞬間、呼吸が止まった。


もしもあの高さから落下するようなことがあっては、決して助からない。


「キース!!!!」


僕はあらん限りの声で叫んだ。届くはずもないのに。


鼓動が早まる。耳元で煩く血液が体を巡る音がしていた。


周囲の者たちの慌てふためく声に、呆然としているだけの自分に気付く。


馬鹿か僕は!今すぐ行かなければ!


焦って重い体を持ち上げようと手をついたけれど、体は鉛のように重く僕は自らの体重を支えることもできずに地に伏した。顔面から地面に倒れ込んだ。


くそ!くそ!くそ!くそ!


なんで動かないんだ、僕の体は!


「ああああああああああああああああ」


苛立ちが意味も無い叫びになって口から迸る。声しか張り上げることのできない自分の情けなさに苛立ちは募る。


僕はその苛立ちのままに、上手く動かせない指を地面に突き立てる。


そして、再度腕や手に力を込めて立ち上がろうとするけれど、やはり上手く力が入らなくてただ爪が土を食んだだけだった。


動け動け動け動け動け。


自分に対する激しい怒りが僕の胸を焼く。その焦燥感はかつて感じたことの無いもので、人生においてこれほどまでに自分の無力さを呪ったことはなかった。


僕はただ彼を救いたいだけなのに。


僕は無い魔力を振り絞って動かない体に強化魔法をかける。言うことを聞かないのなら無理やりにでも動かすだけだった。


麻痺してしまったようになっていた四肢が強化魔法によって頼りないながらも動かせるようになる。すぐに頽れてしまいそうになっていた手足がふらつきながらも大地を掴み、僕の体重を支える。それによって僕はなんとか上体を持ち上げることができるようになった。


しかし同時に枯渇した魔力の影響が意識に影響を及ぼす。視界は狭まり寒気が襲い掛かってきて、呼吸は乱れ心臓は不規則に鼓動する。


知らずうめき声が口から零れ落ちるが、そんなことに頓着している余裕はなかった。


指が土に潜り込み、掌が大地を押し、肘が体を支え、腕が緊張し、背中がしなり、ようやく上半身を垂直に起こす。たったこれだけの動作に信じられないほどの時間がかかった。それから今度はゆっくりと足を動かして膝を立てる。


二度三度と僕の体は平衡感覚を失って倒れそうになりながら、それでも意志の力だけで膝を曲げ、四つん這いになる。


無様に地を這いつくばっただけなのに、既に息は上がり吐き気に襲われた。


「無理をしてはいけません」


ギルが僕に諭すように言う。


「キースを助けに行かなければ」


力の入らない足を殴りつけて膝を突き、少しずつ立ち上がる。情けない醜態を晒しているのに、そんなことには気を向ける余裕もなかった。ただ、彼の元へ一刻でも早く駆けつけなければという、その一心だった。


「アルベルトを止めろ!これ以上の無理は命に係わる!」


デミアンの言葉に、ギルともう一人側にいた男が僕の体を羽交い絞めにして動かないようにする。がっちりと体を固定され、身動きが取れない。


「邪魔をするな!」


僕はさらに魔法で筋力を補助し逃げ出そうと試みる。


それでも、力の入らない僕では生粋の軍人には敵わなくて。ただ、急きに急く気持ちだけが、僕を突き動かしていた。


自分の息が上がる。荒い呼吸が口から吐き出される。僕の内で荒れ狂う自身への怒りが、熱い呼気となって漏れ出ている。


四肢は完全に役立たずになり果てているのに、助けに行かなければならないという強い焦燥感が僕の体を突き動かしていた。


きっとみんなからは駄々っ子が暴れているように見えているだろう。そんな聞き分けの無い僕の目の前にデミアンが膝をついて屈みこみ、視線を合わせてくる。


「今から行っても間に合わない。アルベルト。彼の頑張りを無駄にしてはいけない。彼のために、お前は生き延びなければ」


そう言った。その声音はひどく穏やかだった。なのにその顔は全くの無表情で、彼の内心はうかがい知れない。


「デミアン」

「アルベルト。自分の命の価値をしっかりと認めるんだ。ここで死んでしまうわけにはいかないことは分かっているはずだ」

「キースは死んでしまっても良いと、そう言いたいのか?」


無言の肯定が返ってくる。


「デミアン……。駄目なんだ。僕にとって、彼は特別なんだ」


悲しそうな、泣き出す直前のような表情が、彼の顔に浮かんだ。


「お前は変わった。アルベルト。それはきっとキースのせいなんだろうな。それは分かっているつもりだ」


教え諭すように言葉が紡がれる。


「その事実からも、お前があの男に執着しているのも分かっている。お前が助けたいと思うその気持ちを想像することはできる。でも今それをして何になる?何故彼は一人で巨人へ向かって行った?今お前が無理をして死んでしまうようなことになったら、キースは悲しむだろう。お前のために、彼は命を投げうって向かっていったのに、その意味を無かったことにしてしまうのか?無意味に変えてしまうのか?アルベルト。どうすることが最善か、よく考えるんだ。お前に理解できないことではないはずだ」

「駄目だ!」


僕は吠えた。デミアンにもこの気持ちは届かないというのか?


「違うんだ、デミアン。僕は彼を助けたかった。幸せにしたかった。それが僕の夢だった。願いだった。そのために今までやってきた。僕は……。僕は身勝手な男なんだ。今まで僕がしてきたことは彼のためだった。僕は国民のことなんて――」


そこで言葉は途切れてしまう。


「僕は、僕は……」


一瞬頭に浮かんだ言葉を追い払う。


「彼は僕に教えてくれたんだ。彼は今までたくさんのものを僕に与えてくれた。その恩を返さないまま、彼を死なせろというのか?そんなことはできない」


そうだ。そんなことはできない。


僕は罪深い人間だ。デミアンの言うことが圧倒的に正しいということは、自分でもよく分かっていた。父の言葉が頭の中を駆け巡る。僕の責任のことを思った。僕の義務のことを思った。


最後の時、光の神は僕を断罪するだろう。


あぁ、それでも。


再度全身に力を籠める。一向に緩むことの無い僕を羽交い絞めにする二人に僕は抗う。


行かなければ。


「なっ」


背後から戸惑いの声が上がった。


そこに三人目が加わって僕の動きを制限しようとする。体に更なる重みが加わったけれど、そんなことはどうでも良かった。


歯を食いしばって、息を止めて、僕は全身の筋肉に力を漲らせる。腕が肩が太ももがみしみしと悲鳴を上げる。体中の張り詰めた筋肉がぶちぶちと音を立てる。それは痛みとして僕に届いたけれど、構わなかった。彼の元に今すぐに向かいたかった。


そうしていると、僕の体が少しずつ前へ前へと動き出す。それを押しとどめんとして二人の拘束が更に強まる。


「これは!」

「アルベルト……」

「僕は行かなければいけないんだ。デミアン。頼む。行かせてくれ!デミアン!」


背が腰が膝が首が異音を響かせる。


「お願いだ!今を逃せばもう取り返しはつかない。僕はきっとこの先の一生を後悔しながら生きることになる。僕の生きる意味を消させないでくれ。デミアン」


彼の瞳が揺れている。灰色の瞳が光を受けて複雑な色に輝いている。


「君にだって守りたいものがあるはずだ。自分の命を投げうっても!何を失ったとしても、失いたくないと思えるものが!僕がそれを持つことが悪だと言うこともわかっている!でも駄目なんだ!やはり見捨てられない!諦められない!頼む、行かせてくれ!デミアン!」


涙が零れる。


「他には何もいらない。いらないんだ……。この先、たとえ自由を失うとしても、一生誰かから後ろ指をさされるようになったとしても、恨まれ憎まれ蔑まれようとも、僕が今後一切の何を願うことも望むことも許されなくなるとしても、それでも構わない。構わないんだ」


止めどなく涙は零れる。


「キースが今戦っている!彼はまだ生きている!今ならまだ間に合うんだ!」


棒立ちだった巨人が何かを払うような、捕まえようとするような仕草をしている。両手を緩慢に動かして何かを捕まえようとしているかのように体を動かしている。


やみくもに光の魔法が放たれ、それがあれの周囲を破壊している。


「頼む!」


懇願する声は情けない悲鳴に変わった。


デミアンが僕をじっと見ている。逡巡している。それは徐々に苦悶の表情へと変わった。彼が葛藤しているのが分かる。僕の視界は霞み、友人の顔が滲んだ。


「……アルベルトを、放してやれ」


咄嗟には何を言われたのかわからなかった。僕を拘束する二人もおそらくそうだっただろう。間の抜けた吐息が背後から聞こえた。


「手を離してやるんだ」


その言葉に、恐る恐るという風にして、拘束するための腕の力が弱まる。


解放された両手を地面に突き立てて体を支えると、デミアンが手を伸ばして来た。僕はその手を取る。


その握った手から、デミアンの魔力が流れ込んできた。温かなそれは、枯渇した僕の体に、砂に水がしみ込むように満ちていく。


「私には、お前の言わんとしていることの全てが分かったわけではない。それほどまでして守りたいものが私には無い」

「デミアン……」

「それでも、お前の頼みだ。かつてない、お前の心からの願いだ。だから……」

「ありがとう」


葛藤する表情を浮かべた親友は、首を左右に振る。


「私は今間違いを犯しているだろう」

「ごめん」

「……これは応急処置でしかない。知っているだろうが、私がお前に分け与えられる魔力は仮に全てを注ぎ込んだとしても大した量にはならない」


そう言って彼が、僕の手を握るその自身の手に力を籠める。


「わかっている」

「これでは巨人の元まで辿り着けないかもしれない」

「例えそうだとしても」

「行って何ができるというものではないかもしれない」

「承知の上だ」


彼の手を強く握り返してもう十分だと伝えると、デミアンが心配するような顔で僕を見た。その手を放した。


「ありがとう」


それは僕の本心だった。心から零れた言葉だったけれど、親友からの応えは無かった。それにも構わず、友の言葉も聞かずに僕は馬を駆って走り出した。


僕の名を呼ぶ声が後ろから届いた。それに振り返らずに手を振って、僕はキースの元を目指した。


死体と自力では動けないけが人々とが横たわる一帯を僕は馬で駆け抜ける。誰もが巨人とは反対側へと逃げていく中を、その流れに逆らって進む。


馬に限界まで速度を上げさせて僕は走り抜けた。もう猶予は無い。


揺れる視線の先では、今や完全にこちらへの攻撃を止めてしまった巨人が、その視線を自身の周囲に向けている。キースのおかげだとすぐに分かった。何をしたのかはわからないが、たった一人で彼が巨人の邪魔をし、皆が逃げる時間を稼いでいた。


そのために彼が必死に戦っている。不甲斐ない僕のせいで。


すると巨人が大きくその体を捻り、両腕を振り回して暴れる姿が目に映った。


もういい。キース。もう良いんだ。だから逃げてくれ。


そう声をかけたかった。声を大にして叫びたかった。


逸る心のままに馬を走らせていると、前方から恐ろしいほどの絶叫が激しい風と共に襲い掛かって来た。僕の操る馬が恐怖に暴れて後ろ脚で立ち上がった。その突然の行動と前方での巨人が顔を覆って地団太を踏むその様に、僕は馬から放り出されてしまった。


ふらつく体では咄嗟に対応ができなかった。


馬上から振り落とされて地面に落ちた僕の目の前で、騎手を失った馬がすぐさま遠くへ走り去っていく。僕はそれを横目に見ながら自分の足で走り出す。一分一秒も惜しかった。


僕の走りは馬とは比べようもないほど遅く、一向にキースのもとへ近づいているような気はしなかった。


ともすれば足を止めそうになる自分を叱咤しながらひたすらに走った。彼はまだ戦っている。生きている。


なぜなら、今目の前ではあの巨大な存在が理性を失い暴れているのが見えているからだ。キースが巨人に有効な一撃を入れたのだ。僕にはその確信があった。腰を折り、顔を右手で覆いあいつはその痛みに耐えている。藻掻き苦しみ、痛みから逃れるように暴れる様はまるで人間のそれと同じだった。


暴れながら、巨人が闇雲に魔法を放つ。いくつもの光弾が空中にばらまかれ、それが四方八方へと飛んでいく。いくつもいくつも、繰り返し繰り返し放たれる。放たれたそれらはあれの周囲に無数に降り注ぎ、周りにあるもの全てを破壊しつくさんとしていた。


近づく僕の上にも幾筋も光線が落ちて来る。走りながらそれを避けたり防いだりする余裕は体力的にも魔力的にもありはしなくて、それが僕の体を幾度も焼いたけれど、構わずに走った。


痛みが際限なく僕を襲っている。繰り返し繰り返し、光が落ちてくる。それは肩に、腕に、背に、頭に落ちてきた。


それでも、ただ前だけを見て走った。体の痛みに加え、全力で走っているために、息はすっかり上がり体は鉛のように重く感じられる。心臓が口から転び出るのではないかと、誇張でもなんでもなく真実そう思っていた。


息が苦しい。肺は空気を求めて膨らみ、喉は熱い呼気に焼かれ、心臓は尋常でない速度で拍動し、全身を途切れることなく血液が巡り、頭は熱に浮かされたようにはっきりしない。


それでも、足は止められなかった。足を一度止めてしまえば、もう前に進めない気がした。


悲鳴を上げる心臓と、石の様に重い体と、言うことを聞かない足と、降り注ぐ光に焼かれた体が、僕の意志に反して、僕をその場に留めようとしている。弱気な僕の心が、僕に諦めるよう囁く。


その甘い誘惑が、痛む筋肉が、張り裂けそうな肺が、暴れる心臓が僕の意志を挫こうと邪魔をする。


幾度も襲い来るその魅力的な誘いを、意志の力だけで退けてただひたすらに走った。一心不乱に走った。


視線の先で白い氷の柱が再び伸び始めた。その先端に、僕は確かに人影を見つけた。


「キース!」


ただキースのことだけを考えていた。


出会ってから一緒に過ごしたこれまでのことを。


彼の笑顔を思い浮かべる。


困ったような、はにかむような笑みを。


僕は彼に笑っていて欲しかった。心から笑ってほしかった。


握った彼の手の温もり。


あの雪の夜、彼に囁いた僕自身の言葉。約束。


別れ際の彼の顔。


彼の言葉。


今なら分かる。


ロメオの鳴き声が遠くに聞こえた。その声は高く鋭く、ありったけの命で叫ぶように鳴いている。けれど彼がこんな場所にいるはずもない。だから、それが幻聴だとすぐにわかった。


彼は旅立った。あの場所から。彼の目的のために、広い世界へ飛び立った。


道はいつだって二つある。目の前には二本の道が伸びている。


やるかやらないかの選択はいつも僕らの前に提示されている。


彼のために、今の僕にやらないという選択肢は無かった。


止めどない汗が額を流れ落ちて目に入る。


永遠にも思われる道のりを、前を向いたまま走り続けて、やっと巨人の足元近くまで辿り着いた。息は完全にあがり、肺が悲鳴をあげている。滝のように流れる汗が顎先から滴り落ちて地面に染みを作った。


呼吸を整える時間も惜しんでキースを探して視線を上へ向ける。


その瞬間、聞いたこともない絶叫が響き渡った。僕を地面へと押し付けるような圧力とともに、大声が降ってくる。その声は世界を震わせていた。まるで命散る前の最後の雄たけびのようだった。


そして、そのとき僕の目に映ったのは、彼が為す術なく落下してくるところだった。まるでぼろきれの様なキースが氷とともに落ちてくる姿が目に映った。


「キース!」


自分の口から悲鳴にも似た声が飛び出した。


僕はただ必死だった。友人に託された魔力は多くは無い。


そのほとんど全てを僕は魔法に替えて全身に行き渡らせる。彼の落下速度は速い。それに間に合わせるためには躊躇ってはいられなかった。


体中の筋肉を限界まで引き絞る。関節が、筋肉が、骨がみしみしと異音を上げる。ぎりぎりと引き絞られるように限界まで筋肉が収縮している。一瞬の硬直の後、はち切れんばかりに張り詰めたそれを僕は一気に解放する。抑圧から解放された全身の筋肉が爆発するように伸びる。たわめられた木が反動で跳ねるように。その勢いを利用して、全身をばねの様にしならせて僕は空中へ飛び出した。


風圧でこの勢いがそがれないよう、僕は空中で態勢を整える。視界の隅で、あっという間に地面が遠ざかっていった。その跳躍の速さと勢いは、エリックの動きと同じかそれ以上だった。


その速度はいまだかつて経験したことのないほどで、瞬時に僕は彼との距離を詰めることができた。


視線の先では、凍り付き破壊された頭部をかばうようにして立ちすくむ巨人が見えていた。


明らかに致命傷だった。彼は成し遂げたんだと分かった。


しかし痛みに耐えかねて暴れるそいつを横目に、僕は真っ直ぐに矢のように空を飛びながら徐々に彼に近づく。彼以外のものは今はどうでもよかった。


僕の目ははっきりと血まみれになっているキースを捉えていた。なんという無茶をしたのか。その壮絶な姿に僕は言葉を失う。


なのに彼の表情は穏やかで、眠りにつく前の様にその両目は閉じられている。死を受け入れている。そう悟った。


鋭い痛みが僕の胸を貫く。


諦めないでくれ……。


氷の破片が、乱れた風が、巨人の光が僕をかすめた。それらが僕の皮膚を切り裂き幾筋も血が流れた。そのぬるりとした感触があった。


でも今はそんなことはどうでも良くて。


「キース!」


僕はただまっすぐに彼の元へ飛んでいった。


もう目と鼻の先だった。


僕は彼の方へ両手を差し出す。今やはっきりとキースの顔が見えた。


鼻から口元、喉から胸元までを真っ赤に血で染めている彼がはっきりと見えた。


どれほどの無理を重ねたのか。


死んでいるのではないかと思った。


その恐ろしい想像が僕の心を逸らせた。絶望が僕の心を満たす。


「キース!」


祈るような気持ちで彼に向って叫んだ。聞こえているのなら、意識があるのなら、どうか僕の呼びかけに応えてほしいと願った。


すると、閉じられた彼の瞼が痙攣するように動き、そっと目が開かれた。その茶色い瞳が、虚空を彷徨って、最後に僕の方を見た。


驚愕にその目が見開かれる。わずかに口が開かれて、しかしその口からは血しぶきが飛び出した。


僕はそのまま真っ直ぐに彼の元へと飛び込んで、腕の中へと彼を抱きとめた。


確かな重みを腕に感じると同時に、彼の落下の勢いとそれを支えるために伸ばした腕に加わる衝撃に僕は空中で態勢を崩す。それでもキースの体は離さなかった。


瞬間、腕の中でキースが悲鳴を上げた。痛みに目をぎゅっと閉じて闇雲に暴れている。抱き留めた時の衝撃が、彼の体を痛めつけたのだと理解した。僕が腕に感じたものと同じく、彼もまたその全身に衝撃を受けていた。


彼の口からとめどない言葉にならない咆哮が迸っっている。痛みから逃れようとするように、彼が僕の腕の中で暴れ、僕の呼びかけは彼に届いていない。


目に見えないところに負った怪我が彼を苦しめている。それは僕にはどうすることもできなかった。


「ごめん、キース!もう少しだけ我慢してくれ」


闇雲に暴れる彼の体を落とさぬよう両腕でがっちりと抱えながら、僕は自身の態勢を変えようと試みる。自身の体が下になるように。


そのまま風の魔法で落下の勢いを殺しながら僕らは地面へ落ちる。できるだけキースの体に負担にならないようにしたかったけれど、完全には速度を相殺できなかった。咄嗟に僕は彼を庇って背中から地面に衝突した。


上手く態勢を整えられずに左肩から落ちた。その衝撃に鈍い音と激痛が僕の体を駆け抜けた。その痛みの叫びを僕はなんとか飲み込む。


こんな痛みなど、キースのものに比べたらなんと言うことはなかった。


しかし、地面に勢いよく墜落した反動で僕はキースを抱えていた両腕を彼から離してしまった。キースが僕の手から飛び出して、勢いよく地面へ落ち転がる。


その衝撃に、彼が再度叫び声を上げた。その場で痛みから彼が地を転がる。


咄嗟に彼の元へ這いずって近づこうとして、自分の左腕が動かないことに気づいた。動かそうとする度ごとに激痛が左肩を中心にして走った。折れているのはすぐに理解した。


僕のすぐ側では、痛みにもがくキースがとめどなく苦痛の声を上げている。痛みを訴える悲鳴が後から後から漏れている。


なんとか這って彼の元へたどり着くと問題なく動かせる右腕に、のたうち回って暴れるその体を抱きしめた。


「落ち着くんだ、キース。大丈夫だ」


彼の体が僕の胸の中で飛び跳ねている。痛みを逃がそうとするように。


ほぼ確実に体のあちこちに怪我を負っているのだ。彼の口や鼻から流れた血の残滓と顔や服の隙間に見える打撲の跡、そして彼の悲鳴とが、その怪我の酷さを物語っている。おそらくあちこちの骨が折れているのだ。この様子では内臓にも損傷があるだろう。その痛みは想像を絶するはずだ。


「大丈夫だ、キース。ゆっくり息を吸うんだ。動いてはいけない」


僕は彼に優しく語り掛けながら、静かに彼の体を撫で摩る。子供にするように。


「ごめん、キース」


歯を食いしばって痛みに耐えるキースがその身を丸めている。


「キース……」


そっと呼びかけたけれど、額に油汗を浮かべて背を丸くするキースには届かないようだった。その顔色はひどく悪い。


彼が大きく口を開けて悲鳴を上げ続けている。


僕は極力感情を抑えて彼の名を呼び続けるしかできなかった。


不意に上から魔法の気配があって、確認する前に咄嗟にキースを庇う。巨人の魔法が僕の上に降り注いだ。それが次から次へと襲ってきて、僕の背を焼いた。それは巨人の足掻きだった。


遅れて障壁を展開するが、魔力の枯渇した今の僕にはその攻撃の全てを防ぐことは難しかった。


デミアンに分けてもらった力がもうすぐ底をつくのが感じられる。


「キース」


優しく彼の名を呼び続けた。彼に覆い被さる姿勢のままに名を呼び続けた。それしか、僕にできることはなかった。


周囲の魔法による破壊の音と地が抉れる音に、僕の呼びかけはかき消される。もうもうと立ち上る土煙で辺りは埃っぽく、周囲の様子を見通すことは出来ない。空さえも霞んで良くは見えなくなっていた。


ただ、巨人の咆哮だけは届いていた。あれはまだ生きている。地面を震わせて暴れている。しかし、それも時間の問題だろう。


「キース」


もう幾度目かも分からなかったが僕の呼びかけに、痛みの波が引いたのだろうキースが目を開いて僕を見た。


ぼんやりとした視線が、次第にはっきりと焦点を結ぶ。しっかりと彼が僕を認識したのがわかった。見開かれる目に光が宿る。


「アルベルト……」

「うん。遅くなってごめん、キース」


彼のきれいな瞳がまっすぐ僕を見つめていた。


めっちゃ長くなりました。長引かせるつもりは一切ないんですけど、長くなっちゃうんです

次回で対巨人戦はおしまいです

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