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(完結)男二人、ヤマアラシのジレンマ故に  作者: たろう


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考えていたのはアルベルトのことだった。


俺に何ができるとは全く思わなかったけれど、それでも今この時を置いて他にこんな機会は二度と無いと思った。


そしてそのために、自分がこれからしようとしていることがどんな意味を持つのかちゃんと分かっているつもりだった。


恐れは無かった。


あの手の温もりだけで、俺には十分だった。どうせ持っていけるものなど、それくらいのものだったろうから。


俺が手に入れられるものなどそれくらいしかありはしないだろうから、それで十分だった。


それに、もう抱えきれないくらいたくさんのものを彼にもらった。十分すぎるくらいだった。


だから、俺はそれに報いたかった。貰った分だけ返したかった。


あの日、彼に話した自分の言葉を思い出す。


結局やるかやらないかしか道は無いのだ。


なればこそ、俺はあの巨人を倒すことを選んだ。戦わなければ道は無い。それは自分のためでもあった。俺はなんて利己的な人間なんだろうか。きっとアルベルトはそんなこと望んではいないのに。


それでも、そうだと知っていても、俺は未来を諦められなかった。今を置いては、もうこんな機会はやってこないだろうから。


その覚悟だけが俺を前へ進ませる。だから、目の前に天を衝くほどの巨人がいるというのに俺は不思議と落ち着いていた。


心が軽い。


ずっと心の奥に降っていた雪はいつからか止んでいて、世界が暖かなものなんだと俺はこの二度目の人生で初めて知った。


いつも恐ろしかった。何もかもが俺たちに殴りかかってくると、漠然と、それが当たり前だと思っていた。


今考えてみても、どうして自分が過去に遡ったのかはわからない。俺は何もわからない。神のおかげだろうか。もしそうであるのなら、自分の人生に暖かさと彩りを与えてくれたことに感謝したい気持ちだった。本当にそう思っていた。


だが同時に、もしそうであったとして、では神は俺に何をさせたいのだろうかとずっと不思議にも感じていた。死の間際にも気づいたときにも別段神の声もそんな兆候もなにも感じなかったから、何をなせばいいのか見当もつかなかった。


だから俺は、結局やりたいことを自分のやりたいようにすることにした。


俺には前の人生で四つ心残りがあった。それがあまりにも強い未練だったから、慈悲深いなにがしかの神がやり直しのための機会をくれたんだと今では考えるようになった。いつまでたっても使命は与えられる様子はなかったから。


俺はいつしか、前の人生で未練だと感じていることを解消することにした。


一つは孤児院を救うこと。これはアルベルトのおかげで達成されてしまった。一番困難だと思っていたものを、彼は俺の知らぬ間に成し遂げてしまっていた。


それから、先生のこととちびたちのことも気がかりだった。無念のうちに死んでしまったであろう彼女と、彼女の死後売られてしまう彼らを救いたかった。これが俺の二つ目の未練。


なのに、これもアルベルトのおかげで良い方向に向かっていくようだった。孤児院の運営に王家が関心を持っているというその事実だけで悪事を企む輩を牽制できるし、先生も必要以上に運営資金に心を砕かなくてもよくなったからだ。手紙でのやり取りからもそれは伝わって来た。


三つ目の心残りはライリーたちのことだった。無惨にも死んでしまった部下たちを俺は救いたかった。


けれどそれすらも、早い段階でダークドラゴンを討伐したアルベルトのおかげでライリーやウィリアムたちは死なずに済んだ。それに、彼らは街の住人の避難誘導任務についていて、今頃は住人たちと一緒にこの街を離れているはずだ。


このままいけば、彼らが無駄死にするそんな未来は避けられるだろう。あのやんちゃなジャンやマーカスたちが辺境軍に入隊してくるのはまだずっと先だったから、俺があいつを今ここで何とかすることができれば、彼らは大丈夫だろうという気がしている。


そして四つ目は……。


あぁ、どれもこれも、全部アルベルトのおかげだった。


どれも俺一人では達成できないことを、彼は成し遂げてくれた。


どれだけの時間が掛かっただろう。どれだけ苦労しただろう。孤児院の件も、ダークドラゴン討伐の件も。伝説上の存在を二体も討伐するなんて、本当に、本当に考えられないことだった。この上もなく危険だっただろうに、彼はそれをやり遂げてしまった。


彼がまるで俺の願いを知っているみたいだった。そんなはずないのに。


俺のこの感謝の気持ちを、アルベルトになんと伝えたらいいのかわからない。どうやってこの恩に報いたらいいのか分からなかった。


だから、俺は戦うことを選んだ。


アルベルトが俺を選んでくれたから。そのために、危険を承知でアルベルトがダークドラゴンを打ち滅ぼしてくれたから、今度は俺の番だった。


せめて最後の、四つ目の未練だけは、自分の手で叶えたかった。でなければ、俺は、彼の横に立つことができない。


そうだ。


あれは天啓だった。あの日、宮殿で彼が俺に話してくれたたった一つの方法が、俺に道を示してくれた。それは全く不可能に近い手段だったけれど、それでも俺にとれるたった一つの手段だった。


そして、その機会が今やって来た。


今度は俺が頑張る番だった。アルベルトに今までの恩を返さなければならない。そして、俺は誰にも誇れる人間になる。アルベルトに相応しい人間になる。


彼が、誰からも後ろ指を指されなくても済むように。


もしかしたらこのために俺は人生をやり直しているのかもしれないと、ふと思った。


時間を遡る?


聞いたこともない。けれど、神様もなかなか粋なことをしてくれると思った。


あぁ、違う。あった。そうだ。あの時の劇だ。アルベルトと一緒に見に行った初めての劇の脚本に時をさかのぼる場面があったなと、突然思い出した。


同時に彼の楽しそうな顔が思い出される。無邪気な顔をしていた。学園での取り澄ましたような顔ではなくて、本当に楽しいという、子供っぽい顔。優しい顔。こんな時なのに、その顔を思い出して自分の顔に自然と笑みが浮かぶのが分かった。


でももう彼は俺とそんなものを見に行ったことなど覚えてはいない。今のアルベルトは、そんな出来事があったことすら知らない別のアルベルトだというのが、少しだけ悲しかった。


でも、そんなのは些細なことで。


俺は目の前に立ちふさがる巨人を見上げる。


その威圧感にわずかに身が竦む。胸に一抹の恐怖が沸いた。


けれどそれを俺は押し殺して手を見る。震えそうになる手を見た。アルベルトの手の感触がまだそこに残っている。そう思えば恐怖も薄れた。


すると、再び巨人から魔力の高まりを感じた。まずい。あの魔法をまた使うつもりだと見て取れた。俺が残した氷の障壁は、次の攻撃に耐えられない。


俺の乗る馬がおびえて暴れる。騒ぎに乗じて拝借してきた馬だった。俺は有無を言わせず走り続けるよう指示を出して、とっさにアルベルトたちの居る方を振り返ると、空にいくつもの光が瞬くのが見えた。


間に合わないと思った瞬間、空一面を巨大な氷が覆い尽くすのが見えた。デミアンだ。とっさにそう思った。彼は間に合ったのだ。


俺が生み出すよりもずっと素早く、そしてずっと堅牢な氷の天幕が陣を覆い隠す。激しく降り注ぐ光の奔流が、それに遮られ眩しく輝くのが見えた。


さすがデミアンだ。彼の作った氷壁は俺の作るものよりも格段に丈夫なようだった。


彼がいるならもう大丈夫だ。今のうちに距離を詰めなければ。


俺は馬の速度を上げながら、頭を前に向けて再び自分のすべきことに意識を向けた。


さぁ、どうやったら倒せるだろうか。


いつもするように大きく息を吸って気持ちを落ち着ける。頭を切り替える。


あんな巨大な存在があの森にいただなんて、全く知らなかった。突如現れた青白い巨人は、人智を超越した何かに見えた。全く俺たち人間には手出しも出来ないような、そんな特別な存在に見えた。


それでも俺はやり遂げねばならない。アルベルトがいつか王になるときのために、今こいつをなんとかしておかなくてはならない。


彼の俺を見つめる眼差しと俺を引き留めるために呼ぶ声も一緒に思い出された。俺はそれを頭を振って追い払う。


そんなくだらない感傷を無視して俺は思考を続ける。


俺にできるのは頭を使うことだけだ。しかし時間を掛けることはできない。なのに慎重に行動しなくてはならないという板挟み。


俺は自分が才能豊かな人間ではないことを知っている。魔法も剣技も上には上がいる。軍にはたくさんの優秀な人材がいて、その彼らをもってしてもあの巨人をどうこうできないというのなら、俺にできるはずもないことは分かっていた。


でも、それでもやらねばならない。


馬を走らせたまま、魔力を体内で循環させる。乗馬の訓練をしておいて良かったと心から思う。


魔力量まだ大丈夫。


そうこうしていると、再び馬が進むのを嫌がり始めた。無理やり走らせようとしても反応が悪い。見れば、もう巨人のだいぶ近くまで来ていた。


もう少しだけ頑張ってくれと念じながら手綱を操ってなんとか前へ進ませる。済まないという気持ちを込めてその首筋を優しく撫でた。


あの背の高さが一番の問題だった。こちらの攻撃を届けるだけで魔力を使ってしまう。威力の大きな魔法を連発することはできないし、そんな時間もないだろう。なら、狙うのは急所ただ一点だ。そこに近づかなければならない。いや、近づけさえすればいいんだと思い直す。


なんでもかんでもはできないから、アルベルトがそうしたように、俺はあれの弱点だけを狙うことにした。それならやりようはあるはずだ。


そんなことを考えながら俺は馬を急がせた。巨人はもう見上げなければ顔が見えないほどに近づいた。引き返したがる馬の意志に反して、真っ直ぐそしてさらに速く走らせる。


俺は十分に近づいたと思えるところまできたとき、突如巨人の魔力が高まるのを感じた。それを察知したのだろう、馬が恐怖に声をあげた。引き返したがって暴れ始める。俺の指示に従いたくなくて、乱暴に体をゆすり始めた。徐々に前に進む速度が落ちていく。


ここまでと判断して馬から降りるとあとは好きにさせた。馬があらぬ方向へ疾駆していく、その後姿を見送って今度は自分の足で走り出す。


さぁ、キース。一世一代の大仕事だ。やれるか?


俺は自分に問いかける。


上空に膨大な量の魔力が感じられる。


とりあえずあの魔法を邪魔しなければいけない。狙うは弱点。


俺は地面から氷の階段を立ち上がらせると、それを一気に駆け上がる。魔力を注ぎ込んで上へ上へと氷塊を成長させ、巨人の顔へと向かって伸びていくそれを駆け上がる。


魔法の行使に集中しているのか巨人は俺に気付かない。ちっぽけな存在には目もくれない。当然だ。そして、それは俺としては有り難かった。


次の魔法の発動前になんとか顔の高さまで駆け上がる。巨人の眼球がすぐ近くにある。俺の頭と同じくらいの大きさだった。その瞳が銀色に輝いていた。


この距離ならいける。


軍に入ってから身につけた強化魔法を全身を強化して攻撃の準備を整える。それから剣を鞘から抜き去り、構えると同時に魔法を発動させる。


させようとした。けれど、できなかった。


俺が剣に魔法を纏わせようとしたその瞬間、巨人と目が合った。ついさきほどまでまっすぐ前を見ていたのに、突然、俺の方に目を向けたのだ。まっすぐ覗き込んだその瞳には何の感情も窺えない。ただ光を反射している。その輝きは本当に生きているのかと疑いたくなるほどで、俺はその空っぽな視線に晒される。


無感動な瞳なのに、その効果は劇的だった。不意に身が竦んで体が全く動かせなくなったのが分かった。呼吸さえもできない。まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。


俺は視線を外すこともできず、しばしの間巨人と睨み合っていた。一気に体温が下がる。汗が噴き出して鼓動が早まるのが分かった。


それから唐突に自分の上空に不穏な気配が現れるのが感じられた。なのに俺は視線を外せないせいで、何が起きているのかを確認することすらできない。ただ、見えなくとも何かよくないことが起ころうとしているという危機感だけはあった。それが意識の中で激しく警鐘を鳴らしている。


俺は動かない体を意志の力だけで無理やり動かして、そのまま高高度にある氷の台座から落ちた。平衡感覚を失いただ自由落下する最中、俺のつい今しがた立っていたところをまぶしい閃光が通り過ぎるのが見えた。そしてそのまま光の筋が俺の真横を通り過ぎた。


何が起きたかはわからなくとも、紙一重だったということだけは理解した。本能のままにとった回避行動が功を奏した。恐ろしいほどの魔力の流れが俺のすぐ脇を通り抜けていった。それと同時に一陣の風が吹いて俺の体を攫い、その威力の大きさを俺に教える。


助かったと思ったのもつかの間。俺はすぐに次の行動に移らねばならない。このままでは地面に落下して体がばらばらになる。猶予は全くと言っていいほどになかった。


焦る気持ちを押さえつけてなんとかしなければと再度体に力を入れると、巨人の視線を外れたおかげだろうか、体が動かせるようになっていることに気付いた。そうと分かって俺は即座に魔法を使う。狙った通りに巨人の腕から氷を生やすと、新たな足場が生まれた。それが辛うじて落下する俺の体重を支えてくれた。


しかし、衝撃に完全には耐えきれずに崩れ落ちてしまう。俺は巨人の体に別の氷の足場に作ってそちらへ辛うじて飛び移ると、すぐに両足に強化魔法を使って上へと飛び上がる。せいぜい人並み程度の動きだけれど、それでも強化魔法を使えば平常よりもずっと自由に動ける。


俺は上を目指しながら剣を構えて魔法を纏わせる。刃に張った薄氷がきらきらと輝く。


躊躇うな。恐れるな。


俺は剣の柄を握る両手に力を込めて相手を見上げた。狙うは目、ただその一か所のみ。


わざと声をだして自分を鼓舞しながら肩に足を掛けて再度飛び上がり、自分でも驚くほど素早く巨人の顔に肉薄する。巨大な顔に張り付くのっぺりとしたその表情が恐ろしい。何を考えているのかわからない。


俺はその滑らかな肌に足をかけておとがいから唇に足を掛け、鼻を踏み台にして頬骨へ一息に顔を駆け上がる。目標の目はもうすぐそこだった。


俺は剣を握り直すと全身に力を込めて巨人の銀に輝く瞳目掛けて飛び上がった。そして、まっすぐにその銀色に輝く瞳に剣を突き立てるために右腕を伸ばした。しかし、ここまでしても巨人の表情に変化は無かった。


いける。


そう思った刹那、俺は再び巨人と目が合った。巨大な目がじっと俺を見ていた。日の光を受けて、その瞳は鈍く冷たく輝いている。眼球に俺の姿が映し出されている。巨人は、慌てるでも驚くでも怒るでも恐怖するでもなく、ただ無感動に、まるで興味の無い虫けらを見るような視線で俺を覗き込んでいる。


全身に言い知れぬ恐怖が走った。体中の皮膚が粟立つような感覚。頭髪が総毛立つような感覚。


本能的に危険を感じていた。しかしすでに足を踏み切って飛びあがっているために、進路を変えることができなかった。


俺は覚悟を決めて、そのままの勢いに任せて体ごとぶつかるようにして切り込んだ。


右手の刃が肉に突き刺さるその感触がはっきりと想像できる。


そのまま、踏み切った勢いのまま前に突き出した剣の切っ先が眼球に触れると思った時。


それはほんのわずかな間の出来事だった。


巨人が目を瞬いた。その瞳が閉じられる。


すると氷を纏った剣が、突き立てるために伸ばした剣の切っ先が、俺の意志に関係なく光ったかと思うと同時に、全身を激しい衝撃が襲った。それは全く想像していないもので、何が起きたのかもわからなかった。ただ、体に何か巨大なものがぶつかるような衝撃とそれに遅れて全身を貫くようなを激痛が走り抜けた。


咄嗟に体を庇うこともできない。そんなことを考える余裕もなかった。


俺の全身を荒れ狂う風が翻弄する。髪の毛や身に付けた衣服が風に弄ばれている。けれど風の音は聞こえなかった。一切の音が遠ざかって、世界は無音だった。ただ、開いたままの俺の目には青い空が映っていた。


その後にやってくる浮遊感。


俺はそのときになってやっと自分の体が弾き飛ばされたのだとはっきりと感じていた。痛みと衝撃から一瞬意識を手放しそうになり、辛うじてその細い糸を手繰り寄せて意識を保つ。今意識を手放したら死ぬというその一点で、俺は歯を食いしばって耐えた。耐えられたのは奇跡だった。


見開いた目の、その視線の遥か先には地面が見えた。自分が落下していくのが分かる。そのまま俺は落下していけば命がないことは分かっていたが、衝撃に体がしびれて自由が利かない。徐々に地面が近付いてきている。数瞬後にはそこに叩きつけられる自分を容易に想像できた。


何とかしなければ。


俺は動かせない体の代わりに必死に頭を働かせる。とにもかくにも魔法でこの勢いを殺さねばならない。俺は咄嗟に自分の真下から魔法の風を吹かせ自身の勢いを殺すとそこに合わせて氷を発生させる。風圧で氷の土台を安定させる。それは一か八かだった。


やったことはないけれど、風圧が足りていれば理論上はいけるはずだった。俺の重さを支えられるほどの風圧を生み出すために、大きく魔力を消耗したが背に腹は代えられない。祈る気持ちで最大出力の魔法を展開した。必死に魔力をかき集めて風と氷を同時に生じさせると、俺の体はそこに目掛けてなす術なく衝突した。全身に再度痛みが走る。受け身すら取れないために、殺されることの無い勢いからくる激痛が全身を襲った。


それでも痛みにかまけている余裕などない。俺の体がぶつかった氷が砕ける。その欠片がきらきらと輝くのを見ながら再度同じことを繰り返す。


二度目の衝突でやっと俺の体が動かせるようになった。


ぬるりとした感触が頬を滴る。頭をぶつけたときに皮膚が裂けたのだろう。


けれど俺にはそんなことには頓着している余裕は無くて、ただ必死に自由になりつつある体を捻った。捻って空中に浮かぶ氷の上で態勢を整えると、棒立ちになっている巨人の太ももから再度氷の足場を生やす。そして、すぐさまそれに飛び乗ると、そこを足掛かりにして再び上を目指して飛び上がった。


飛び上がった途端に血の飛沫が空中に散らばるのが分かった。


その時、ゆったりした動きで巨人が右腕を動かしたのが視界に入った。


左腕に足場を作ってそのまま肩へ飛び移ろうとしたとき、その右腕が俺を払うように動かされた。


それは緩慢な動きではあったけれど、その動きによって風が生じ、俺は避けると同時に体勢を崩してしまった。この時、もしかしたら巨人の一挙手一投足が魔法を生じさせるのではないかという考えに至っていた。


その荒唐無稽な現象に俺は愕然とする。そして、巨人が真に尋常ならざる存在なのだと再認識する。


逃げるべきか?


逡巡が生まれたけれど、それを即座に否定する。


こちらの初撃を避けられた時点で本来は逃げたほうがいいことはわかっていた。奇襲以外でこいつに攻撃を通せる可能性など微塵もなさそうだった。でも、今更逃げることはできないと思った。それに、今から逃げるだけの体力も魔力もあるはずがない。


なんとしてもここで手傷を追わせなければ、ここに来た意味が失われてしまう。


俺は再度右手の剣を強く握り込む。あの反撃にあっても剣を手放さなかった自分を褒めたい。そしてすぐにそれに再度魔法を纏わせる。


巨人の意識は今俺に向いている。それはきっと顔の周りを飛び回る小さな羽虫に対するいら立ち程度の興味でしかないだろうけれど、それでも構わなかった。


すぐさま巨人の伸ばされた右腕へ飛び乗ると、そのまま肩へ向かって駆け上がった。目標は目、ただそれだけだった。それ以外に攻撃の通りそうなところと言ったら無いように見えた。


肩へ飛び移った瞬間、今度は左手が伸びてきた。それは顔の周りを飛び回る小さな虫を叩き落そうとする動きに似ていた。


その巨大な掌を避けて飛び上がりながら顔目掛けて切りかかる。巨人の目が俺の動きをじっと追っている。その視線をはっきりと感じていた。


再び上空に魔力の気配があった。見上げる余裕はない。


俺は咄嗟に剣を自分の上で構えてその何かわからない攻撃を遮る。眩い光が迸った後に剣を構える両手に衝撃があって、相手と自分の魔法とがぶつかり合ったのが分かった。想像以上に重い一撃だった。


俺はたまらず落下する。空中ではどうあっても踏ん張ることなんてできない。


無様な恰好で落下していると、視界の端で巨人が動いたのが分かった。咄嗟に剣をその方向に構えると、巨人が差し出した手が俺を襲った。その勢いを力を込めた腕と剣とで受け止めるけれど、衝撃を受け流しきれずにとうとう剣が折れてしまった。


そのままその巨大な掌で体を木の葉のように払われ、体がばらばらになるような衝撃と痛みが俺を襲う。口に血の味が広がる。


まだだ。


そう認識した瞬間、氷の刃を生み出してそれを強く強く握り込むと、即座にそれを伸ばされたままの太い巨人の腕に突き立てた。氷の剣は青い皮膚を切り裂いて肉へもぐりこむと、俺の体が空中に放り出されるのを防いだ。


それはほとんど偶然だった。とっさにそうするべきだと考えたわけではなくて、ただ、武器が欲しいと思ったが故の行動だった。


しかし、そのおかげで俺の体は地面に叩きつけられることを回避した。


突き刺した氷の剣を握りしめたまま、俺は高高度でぶら下がる。俺はなんとか意識を保ち続けた。朦朧とする意識で自分を必死に奮い立たせながら、自分の置かれた状況を確認する。今手の力を緩めたら一環の終わりだ。


眩暈がする。胸にこみ上げるものがあって、堪えきれずに咳込むと、赤い血しぶきが口から飛び出す。


鼻からも止めどなく血が流れ落ちている。血の雫が俺の手や服を真っ赤に染め上げていく。


まだやれる。


全身の痛みを堪えて俺は全身に力を籠めると、体を揺らして勢いをつけ、巨人の腕に這い上がった。そこでのんびりしてはいられない。目標を視界にいれると即座に走り出す。咄嗟に伸ばされたであろう手を躱し、ひじから二の腕、肩へと駆け上がる。魔法で生み出した氷の剣をその体に突き刺して足場にして上へ上へと上っていく。


そのまま顔へ目指してただひたすらに走った。


視界に映る景色は朧で、全力疾走しているのに思うように進めない。それでも走った。


再び右手に氷の剣を生み出してそれを握り込むとそれを巨人の顔目掛けて投げつける。二本、三本、四本と次から次へと投げつける。そのうちの幾本かが、青白い皮膚を破って肩に刺さった。俺はそれ目掛けて飛びつくと、それらを足場にして、途切れそうになる意識を抱えてただひたすらに目を目指した。


血が流れすぎている。もう時間はほとんど残されていない。


けれど、それはもうすぐそこだった。それだけが希望だった。


そしてやっと巨人の肩口にまでたどり着く。弱点であるはずの目はもう目と鼻の先だった。


俺は荒い呼吸を整える間も無いままに、氷の刃を一振り生み出すと、それを力いっぱい握り込んで右手を前に突き出して飛び上がる。これ以外にやりようは無かった。


なのに。


またも衝撃が俺を襲った。


眼球に肉薄した瞬間にさきほどと全く同じ反応があって、俺は前方からの圧力を伸ばした剣先に受けた。遅れて体が弾き飛ばされる。しかしそれは予想通りだった。だから、あらかじめ自分の背後に氷の足場を作っておくことで対処することができた。遥か空中に放り出される前に咄嗟にその氷の足場に両足を乗せる。受ける痛みはどうしようもなくとも、予期していれば対処は可能だった。


俺は両足にありったけの力を込めて再び飛び上がる。氷の剣を握りしめる腕にも力が入る。俺はそれを叩きつけるように前へ突き出した。


俺の渾身の突きは伸びた。勢いのままに真っ直ぐに、吸い込まれるように、その銀色の瞳へ。そしてぬるりとした感触とともに、その刃が、眼球にめり込んだ。


傷口からごぼりと透明な液体が溢れて垂れた。


よしもう一撃と思って二本目の剣を作ろうとした。


その刹那、巨人の口から耳をつんざく咆哮が轟いた。それは痛みによる叫びか。初めて聞いた巨人の声は、野太い悲鳴だった。


俺の刃が瞳に刀身半分ほど潜り込んだとき、その薄い瞼が閉じられ俺の氷の刃が真っ二つに折れるのを見た。


やった、と思った瞬間、俺の体に叩きつけるような衝撃が走る。全ての音と景色が一瞬で遠ざかる。目の前が真っ暗になった。そして、脳天にどこかの骨が折れる嫌な音が響いた。


一瞬何が起きたのかわからなかった。ただ、もんどりうって空中に放り出されるその浮遊感を感じていた。


精神的に参っていたので遅くなりました

なんとかラストまで頑張ります

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