68
街の騒動を収めて避難誘導の指示をだしたり街の取りまとめ役と情報交換を行うなど先を見越しての種々の手配をすませてからガスコインの案内で作戦本部へ向かうと、辺境伯の実弟、エリックの叔父にあたる人物であるジュード・ウェッジウッドが驚いた顔で僕らを出迎えてくれた。
彼は灰色の髪が特徴的な四十代半ばの男だった。エリックとはそれほど似ていない。
彼の髪の毛はしっかりと撫でつけられ、髭も毎日丁寧に手入れをしているのだろう、寸分の隙も無く整えられている。その身だしなみの卒の無さと少し恰幅の良い体つきが、彼の貫禄に繋がっている。
彼は僕の顔を見て驚きはしたが、さすが年の功と言うべきか、すぐにその表情を取り繕うと鷹揚な笑みを浮かべて僕を軍本部の天幕内へと僕を誘った。
僕が挨拶もそこそこに、ここへきた目的と中隊を率いてやって来たことを彼に説明すると、褒められたことではないという顔をしながらも、やはり人手が要り用だったためか強くは反対されなかった。
すぐに場が整えられ、ややあってから現場を実際に見たもの数人と各部隊の長らとが招集されてやって来た。彼の部下にこれまでの経緯や対応と今後の動きについて説明してもらう。とにもかくにも詳しい状況を知らなければ何もできない。だからまずは敵がどういった存在で、正確に今我々がどういう状況に置かれているのかを確認する必要があった。
大きな天幕の中には僕とギル、そしてジュードとその部下たちだけだったが、それでもすでに手狭に感じる。椅子を勧められたが広くはない空間だ。僕だけが座っているのもおかしな話だと思ったので、やんわり辞退して立ったまま説明を受ける。
最初は相手のいいようにやられてしまったことを話さねばならないために、ある程度の地位にいる者たちの口は重かったが、僕が彼らの苦労を分かっているという態度を示すと、気を許した者から徐々にその心情を吐露し始めた。
そして、生々しく語られる実際の被害の様子と、それを目の当たりにした彼らの話振りに、事態が想像以上に深刻であるということが分かった。彼らは口を揃えて、そして幾度も出現した巨人の異様さと振るう力の異質さを話す。
曰く、やっかいなのが、その魔法の威力と発動の速さだった。我々が普通魔法を発動させる時、精神を集中し魔力を練るための時間を要する。それは強大な魔法であればあるほど長い時間が掛かる。しかしその未知の巨人は、魔法の発動までに我々ほどには長い時間を必要としないらしかった。
しかも、魔法のための集中を邪魔しようにも、向こうの進行を魔法で牽制しようにも、その射程距離と巨人の魔法の攻撃範囲がほぼ重なってしまうため安易には近づくことが出来ず、対処法は分かっているのに実際には幾重にも工夫を凝らさなければ邪魔することは非常に困難だということだった。
その上、中途半端な攻撃ではかえってこちらへの敵意を煽る形となりますます被害が拡大してしまう。そのせいで先の遭遇戦では一つの部隊が半壊するという憂き目にあってしまっていた。
「でも何故その巨人は突然現れたのだろうか。もともと森に存在していたのなら、もっと早い段階でその兆候に気付くはずだろう?」
「森は広いですから。あのダークドラゴンがいたことにも長年気付けなかったほどです。そういうこともあるでしょう」
「確かにそうかもしれない。けれど件の巨人は話を聞く限りひどく好戦的なようだ。しかも天を衝くほどに大きい。本来ならもっと早い段階で、目に見える形でその存在が知れていてもおかしくはないとも感じる。もしかして連邦にその巨人も操られているということはあり得ないか?」
「まさか。その可能性は低いのではないでしょうか。殿下はあれをご覧になっていないので想像が難しいと思いますが、あれはそういう者ではないのです。人が操れるような者では。私自身遠目に見ただけですが、あれははっきりと申し上げて人智を超えた何かです」
「それほどか……。でも僕は気になる。何故巨人はいきなり現れたのだろうか」
誰もがその謎に考えを巡らせるように静かになった。
「一度この目で見たいものだ」
「それだけはどうかおやめください」
ジュードたちが真剣な顔で即座に否定した。
「分かっている。責任ある立場として現場をいたずらに混乱させるような真似はしない」
僕の言葉にあからさまに皆がほっとした顔をする。
「普通の巨人ではないのだそうだが、どうしてそう判断できる?」
「はい。その巨大さも然ることながら、その外見が今現在知られている巨人族とは全く異なるのです」
「それはガスコインからここへの道中に聞いた。なんでも、その、我々人間によく似ていると」
「その通りです。普通はもっと小さく、それでも我々よりはるかに大きいのですが、図体はずんぐりむっくりとしているのが巨人です。人と言っても、我々とは全く顔付きも体型も異なります。顔付きも知性が全く感じられません。あれらを我々と似ているなどと思う者は皆無でしょう。ですが、あれは……、あの巨人は本当に巨大な人間と言っても良い」
「そのような者がこの世に存在するのか……」
「はい」
それから、その巨人を攻撃するための方法をあれこれ質問したり提案したりしてみたが、やはり射程と相手の魔法の発動の速さが問題で攻めることが簡単ではないことを僕は理解しただけだった。
弱点らしい弱点としては魔法を使った後に隙が生まれるというものがあるのだが、その魔法の異常なほどの効果範囲の広さがその弱点を帳消しにして余りあるらしかった。
しかもこちらにとって痛手だったのが、森に詰めていた指揮官が監視塔からもたらされた情報をよくよく精査せずに、エルダージャイアントなど普通の巨人の仲間と同じだと思って対応してしまったせいで、多くの貴重な戦力が失われてしまっていたことだ。
その貴重な戦力とは、もちろん辺境軍の代名詞とも言える精鋭部隊だ。
しかし彼らは、制圧した鉱山とタルバートル、そしてここグレンツェブルクとに分散してしまっていた。
さらに、先の遭遇でその多くが失われている。
今残された戦力で大きな戦果を挙げるには、最善の計画を立てて準備し、確実に仕留められるという瞬間を見極めて最大戦力で一気に攻勢に出る必要がある。故に闇雲に攻めて彼らを失うことは絶対に避けねばならないことで、その攻め時を今はじっと待っているという状態らしかった。
結局その日の話し合いは、その巨人の排除が難しいということを確認することに終始した。
そしてその夕方、西に太陽が沈み東の空から夜の闇が迫りつつある頃、遥か西のほうに茜色の空を白く染める眩しい光と同時に小さな音が観測された。それは長くはない時間ではあったが、朝日が地平線から顔を出したのかと錯覚させる輝きだった。
その時僕らは丁度、本部天幕を離れて別の場所で本日の活動内容と明日の予定についての確認の話し合いを部隊内でしている頃合いだった。僕は大きくはないが尋常ではない音とまぶしい光に胸騒ぎがして、すぐさまジュードのところへと急いだ。
陣内は騒然とした空気に包まれ、明らかに経験の不足している若手の隊員ほど落ち着きを失っている。彼らは青い顔をして西の空を、光の消え去った空を見上げていた。
その中を駆け足で進んでいると、再び同じような閃光と微かな音が聞こえた。やはりこれは普通ではない。走る速度を上げて急いで僕らが天幕に辿り着くのと同時に、すれ違いで男が一人中から急いで出て来るのと行き会った。
天幕内に声をかけて中に入ると、内側では神妙な顔をした男たちが既に何人も顔を突き合わせて立っていた。
「今西の空にものすごい光が。それに微かに音も聞こえた。何が起きているか分かるだろうか?」
「殿下。さきほどの異変は巨人の魔法に違いありません。あれが放った魔法は絶大なる威力があります。ここまでその影響が届いてもおかしくはありません。あれは光の魔法を得意とするのです」
そう青い顔をした男がジュードの代わりに答えてくれた。彼の側近の内の一人だった。
「あれが……。確か巨人のいるところまで数日の距離だったはず。ここまで届くとはよっぽどだ。まさかこれほどとは思っても見なかった……」
「はい。我々も最初は信じられませんでした。あれの魔法により、森はわずかな時間で蒸発し、多くの人員の命をあっという間に奪い去りました」
「それが今また起こったと?」
「おそらくは」
「なんということだ。でも、一体何があったのだろう」
「それを今調べさせています。たった今偵察を出しました」
「すれ違った男か」
「はい。かの地に展開させている軍には、まだ巨人には手を出さず監視するだけの指示を与えるに留めていました。万が一こちらに進んでくる様子が見られた場合にのみ、魔法で牽制や誘導を行えと」
「ではまさか」
「まだわかりません。今は焦って闇雲に動くのは避け、情報収集に務めましょう。我々の精鋭部隊も詰めています。何度もそう簡単にしてやられるということは無いでしょう」
誰もその最悪の事態について言及はしなかった。ただ、この街の周囲の警備を厚くするということだけが決められた。これ以上部隊を分けることは防衛上の隙に繋がるために、偵察を出す以外に取れる手段がもう無かったのだ。
その後僕らはしばらくの間その場に待機して何か起きるかと待ったが、特にそれ以上のことが起きる気配がなかったため解散となった。
そして翌朝、昨日と同じように天幕へ入るとジュードらはすでにそこにいて、天幕の中では彼の部下たちとの間で丁度話し合いが持たれているところだった。恐らく彼は昨夜ここに泊まったようだった。そつなくまとめられていた髪の毛が乱れ、まだ剃られていない髭が無精ひげとなってわずかに伸びている。
それから、あれこれと事態の推測が行われたが、情報が少なく偵察が戻るまでは準備をして不測の事態に備える以外にないという結論に達しただけで会議は終わった。誰も有効な手立てを思いつけないまま、時間だけが過ぎていった。
その後は僕はギルやエイブラムらとともに、街の住民取りまとめ役と今後の避難誘導についてあれこれ細かい打ち合わせをした。それと同時に、受け入れ準備を整えるようやるべきことを書きとめた指示書を持たせて、馬の扱いが上手い隊員を一人ノーデンへ向かわせた。
更にその翌日。
再び話し合いの場が持たれ集まって住民の避難誘導の件など今後のことについて意見の交換をしていると、誰かが息せき切って天幕へとやってきたのが分かった。ジュードが誰何するとどうやら巨人の周辺で牽制や誘導を行っている部隊からの伝令役のようだった。いらえをして中に招き入れる。彼は息も絶え絶えに僕らの前で膝を折る。天幕の中が俄かに騒然とした。
「申し上げます!西方よりこちらへ向けて対象の巨人が真っ直ぐに進行中!」
「どういうことだ!監視を言い渡していた部隊はどうなっている!」
ジュードとその側近たちが声を張り上げる。
渋い顔をしたジュードが詳しく話を聞いてみると、急使は先日送り出した偵察でも、包囲軍からの伝令でもなくここからすぐのところにある望楼からの者だった。
思っても見ないところからの伝令ということにこの場がざわつく。つまり、巨人が知らぬ間にここまで接近してきているということだった。
伝令の男が汗だくになりながら途切れ途切れに彼の語ったことによれば、西の地平から一路こちらへ向かってきているのが観測されたということだった。
これはつまり、巨人を包囲していた軍隊が壊滅したということだろうか。そして、そいつは夜の闇にまぎれてここまで歩き続けて来たというのか。同じ考えに至ったのだろう、周囲に動揺が走る。
これは僕たちが想定していた最悪の事態だった。誰もが内心で、違っていて欲しいと願った事態にあって、今はすぐにでも対応を決め行動に移らねばならない。
更に詳しい話を聞き出そうとした矢先、外が突如騒がしくなった。
「何だ?」
誰かが小さくそう零した。
「巨人が!」
そのすぐ後、どこからか誰かの悲鳴にも似た叫び声が上がった。その動揺は次々に伝播していき、周囲のあちこちから驚きと恐怖そしてそれを落ち着かせようという怒声とがいくつも聞こえて来た。
その声に僕らが慌てて本部用天幕から飛び出すと、辺りは動揺した兵士たちが立ち竦んでいる。
どこだ、どこにいる?
頭を巡らせていた僕は他の皆が目を向けている方向、周囲の空を見上げる視線に釣られるようにして顔を上げた。
「あれは、何だ?」
僕の口から思わず言葉が零れ落ちた。
そこには、日の光を受けてはっきりと巨大な人型をした何者かが天を持ち上げるようにして立っていた。
それは僕の今までの経験に照らしても、全く異質な存在だった。雲一つない秋晴れの空を背にして、それは確かにそこに存在していた。突如として現れたとしか言いようもないのに、そいつは自身がそこにいることが当たり前でもあるかのような顔をして立ってこちらを見ていた。
僕はそれを身動きもできずただ見つめていた。逃げようだとか戦おうだとかそういうことは何故か思い浮かばなかった。
僕らの視線の先にいるそれは、成程聞いていた通り人の形をしてはいるが、人ではありえない大きさをしている。しかし、艶やかな肌、光を受けて輝く金の髪の毛、見開かれた銀色の双眸、知性を感じさせる秀でた額、意志の強そうな口元は、完全に人のそれだった。
そしてその体躯もまた、大きさを抜きにすれば人とほとんど同じと言っても良い。すらりと伸びた手足、しなやかな筋肉の盛り上がり、頭から滑らかに繋がる細い首と幅の広い肩。筋肉の張った胸部から引き締まった腹部へと滑らかにつながり、その下には長い脚が二本伸びて、しっかりと大地を踏みしめている。
ただ一点人と違う点を挙げるとすれば、その肌は人ではありえない色をしていることだった。透き通るような青い肌は、なにかそういう石材でできた彫刻だと言われたら疑問も抱かずに納得してしまっただろう。
そしてそれは一切の服を見に纏っていない。衣類や装身具の類を一切身に付けていないが故に、その巨人がおそらく人と同じ身体構造をしていると仮定するなら、男であることがはっきりと分かる。
「エンシェントジャイアント……」
気付けば、知らぬ間にすぐ側にいた教会関係者が呆然とそう呟くのが聞こえた。聞きなれない言葉に僕はその男に問いかけた。
「それはなんだ」
「神々によって神代に追放された巨人族の始祖とだけ……」
その巨人が、僕らのいる方へ向かって一歩を踏み出すのが、遠目にも分かった。
時が動き出す。
異様な青い巨人が動きを見せたことに、止まっていた者が皆慌てて動きだした。知らせに走る者、持ち場へ走る者、恐怖に尻もちをつく者、持っていた者を取り落として走り出す者、様々だった。
僕の隣に立っていたジュードが大声で指示を出す。それは僕の鼓膜を破るほどに響いた。
「総員に持ち場に着くように指示を出せ。厳戒態勢だ。魔法使いどもに伝令を走らせろ!時期を合わせて一斉に魔法を打ち込む。あれをこれ以上こっちへ近づけさせるな!」
そう言うやいなや固まっていた者たちが慌ただしく行動を開始する。誰も無駄口を吐かなかった。
僕もすぐに街への避難勧告の指示を出す。今すぐ、準備ができていない人々も一緒に街から出す必要性があった。
「殿下もすぐに避難を!このままここにいては危険です。街へお戻りください」
僕らが何らかの行動を起こそうとしていたその時、目の前にいる巨人が新たな動きを見せた。僕らはその姿をただ茫然と眺めた。何をしようとしているのか、それを確認しなければいけない気がした。
すると、刹那に天がまぶしく光った。そう思った。空の明るさが変わる。秋の柔らかな日差しが真夏の眩しいそれに変わってしまったような気がした。それにつられて巨人から視線を外してさらに上へと目を向けると、日中なのに小さな星がいくつも瞬いているのが見えた。
違う。星ではない。
そう思ったとき、光に変化が起きた。それは劇的だった
何事かと見上げていた空一面に息を吸う間も無く閃光がいくつも走った。そのまぶしさに僕らが目を細めるのと同時だったろうか。
空が光ったと思った次の瞬間には、街の側に展開してある軍隊の上空にまでいくつもの光が次々と浮かび上がり、それら一つ一つが徐々に大きくなっていくのが見えた。
状況の呑み込めない僕らが何が起きるのかと固唾をのんで見守っているその目の前で、軍隊の上空に出現した何十何百という光の球それぞれから光が溢れ出し真下に広がる人々の上へと降り注いだ。
誰かが、あっと言う気の抜けた声がした。
そして、幾筋も光の流れが人々の上へと注ぎ込まれた刹那、轟音とともに、僕らの目の前にあった人や建物や馬や物資が一瞬にして蒸発して消え去ってしまった。
後には何か肉の焼けたような匂いともうもうと立ち上がる土煙と、ばらばらになった資材や建物などの残骸があった。
この季節にふさわしくない熱気を孕んだ一陣の風が吹いて、僕らを攫うがごとく周囲に吹き荒れた
誰も彼も言葉もなくただそこに立ち尽くしていることしかできないでいた。
そして、風が巻き上げられた土煙が落ち着くと、視線の先に悠然と聳え立つそれが、さきほどと全く変わらない様子で立っていた。
「今のは、何だ?」
僕は目の前の光景が信じられず、そう呟いていた。現実感が無さ過ぎて、目の前の状況への対処をしようという考えすら湧いてこなかった。
誰一人口を開かなかった。
「降り注ぐ光……」
教会の男が震える声でそう言った。
「神話に語られる神代の魔法……。あれがそうなのでしょうか?」
「そんな、まさか……」
僕は呆然としたまま、ただ聞いていることしかできなかった。
そして、遅れて遠くから人々の悲鳴がさざ波のように僕らの元へと響いてきた。生き残った者たちの苦痛と恐怖にあえぐ叫びが、後から後から押し寄せて来た。
「そ、総員退避!」
ジュード・ウェッジウッドが叫んだ。
彼の判断は的確だった。一瞬で辺境軍の残存兵力が壊滅してしまったのだ。逃げる以外になす術などありはしなかった。
その言葉を受けて、陣内の者たちが慌ただしく動き出す。しかし、それは一足遅かった。いや、最初からそんな時間など無かった。
再び目の前の巨人の周囲に魔力が高まっていくのがこれほど離れていて猶はっきりと感じられた。それは信じられないほどの魔力量だった。
魔法発動の準備に入ったのだ。
どれほど時間がある?
僕はとっさに頭を働かせる。風に乗って第一波を凌いだ生き残りの者たちの苦悶の声が届いている。全員が死んだわけではない。運よく生き延びた者たちが大勢いる。彼らを死なせるわけにはいかない。
けれど、負傷したものたちは自力では動けない。このまま手をこまねいていては生き残った者たち全てが死んでしまう。
攻撃するか?
咄嗟にそう思った。しかし僕にはここからでは遠すぎる。僕の技術ではこの距離を隔てた対象に当てられない。魔法兵に指示を出す余裕もない。仮に指示を飛ばせたとしても、弱い魔法では気を逸らせないし、逆にあれを倒すための高度な魔法では発動が間に合わない。どうしたらいい?
誰もが僕と同じように考えただろう。そして、何も手立てが思いつかずに無駄な時間を過ごしたことが仇になった。呆然と、逃げることもせずにただ空を見つめていた時間が、巨人に第二撃の猶予を与えてしまっていた。
僕が衝撃から立ち直って部下たちと走り出そうとした丁度その時、既に新たな光の玉が、先ほどと同様に巨人の周囲の上空に一つ、また一つと生み出されていくのが見えた。
間に合わない。
僕はとっさにそのことを理解していた。
そして、どうすることもできないということも理解していた。
あの威力の魔法の前には、しかもこれほど離れていては、何をどうしようとも間に合わない。
ますます上空の光の輝きが増していく。もはや目を開けていられないほどになった。
来る。
「神よ……」
僕が身構えた時、誰かがそう呟いた。
死を受け入れる諦めにも似た空気が辺りに漂っている。
駄目だ。まだだ。神に祈るのはまだ先だ。
その瞬間、上空から幾本もの光の柱がまっすぐに地上目掛けて今まさに降り注がんとしているのが分かった。それは生きとし生けるもの全てを根絶やしにする光だ。
僕はその兆候を察知して、とっさに味方の上空に魔法を放つ。彼らはまだ生きている。
無意識にでたのは僕の最も得意な魔法だった。それを空に向けて出来る限り広範囲に放った。薄い闇の雲が僕の前方上空に広がる。動けない見方を守るために。
その黒い影が生き残った見方がまだいる陣地を覆い尽くすか否かという時、とうとう一気に巨人の魔法が降り注いできた。
「くっ……」
感じたことの無い圧力を一気に受け、僕は立っていられない。頭を殴られるような衝撃があった。全身にずしりと重さがかかる。これは魔法の反動だ。あまりにも重い降り注ぐ光の威力が強いために、僕にその反動が帰ってきている。気を抜けば押しつぶされる。だから僕は必死にそれに抗った。眩暈と吐き気と魔力による反発が絶え間なく僕を襲う。全身を痛みが襲う。
光を吸収する闇なのに、激しい光の全てまではさすがに吸収しきれず、わずかに空から幾筋もの光が降り注ぐ。
突破される。
それを理解して僕はさらに魔力を魔法の維持に注ぎ込む。
体から信じられないほどの魔力が急速に失われていくのを感じた。基本的な魔法とは言え、十分に練られていない魔力で、しかもこれほど広範囲に魔法を展開しては、消耗する魔力量も馬鹿にはならないのは道理だった。
僕はただひたすら意識を上空に向けて、魔法が途切れないようにと祈り続けた。
祈り続けながら同時に、気を失いそうになるほどの魔力の喪失感と重圧と痛みとに耐えなければならなかった。僕はあらんかぎりの魔力を魔法の維持のためだけに注ぎ込む。もし今僕の魔法が途切れてしまえば、この場に居る者たち全員の命が危うくなる。それだけはなんとしても避けねばならないことだった。
「殿下!」
気付いたギルが僕の側に駆け寄って僕を抱き起す。いつのまにか地面に倒れていたようだった。
心臓に負担がかかる。胸が痛い。
冷汗が流れる。ギルが励ますように僕に声をかけるが、まるで遠くからの呼び声のようにそれはぼんやりしている。
ただひたすら魔法を維持し続けた。何度も激しい衝撃が襲って気を失いかけたが、辛うじて持ちこたえることができた。
そしてやっと、永遠にも思える時間が過ぎて、僕の体内にあった魔力のほとんどが失われて、やっと巨人の魔法は止んだ。
「殿下!なんという無茶を……」
「みんなは無事かい……?」
声を出すのも辛かった。呼吸がうまくできない。
「殿下のおかげです。ありがとうございます」
僕の周囲に人が集まる。
どうやら大きな被害が出なかったらしい。そのことが周囲の反応から察せられた。
僕は巨人がどうしているのかを確認するために、その方向へ目を向けると、巨人はまっすぐこちらへ歩いてきている。
一歩一歩歩みを進めるごとに、その振動がこちらにかすかに伝わる。
その一歩の距離は人のそれのよりもずっと長い。このままで大した時間もかからずにここへたどり着いてしまうことは明白だった。
「すぐにここから離れましょう。魔力の枯渇です。すぐに魔力を補充して休まないといけません」
そう言ってギルが僕をその背中に担ごうとして、しかしそれはできなかった。
「まさか……」
息を呑む気配。それと同時にまぶしさを感じて僕は閉じていた目を開くと、まさかの光景が目に飛び込んできた。僕らの上に、いつの間にかまたいくつもの光が収束していくのが見えた。遠くを見遣れば、再び巨人が魔法の発動に入ろうとしている姿が見える。
光が先ほどとは異なりあれの周囲には一つも無くて、代わりに僕らの上にだけその光が生じていた。見ている間にも、一つまた一つと輝きの数が増していく。僕の魔法を感知して、僕をその対象に変更したのだと分かった。
「そんな。あれだけの魔法を連続で放とうだなんて、どれほどの魔力を有しているんだ。しかも今度はこっちに!そんな器用な真似ができるのか……」
「逃げるんだ……」
僕は無理と分かってなお、部下たちにそう言ったが、動く者はもはや誰もいなかった。
僕はもう動けない。足どころか指一本も動かせそうにない。
そして、そんな僕らに対して無常にも次の魔法が放たれた。
僕は上空の光をただ茫然と眺めていることしかできなかった。まだ無理やり魔法を使い続けた反動から精神も体も回復していない。何もできない。
しかし、さすがというべきか、周囲の者たちは二度目ということもあってしっかりと反応して自らの上に防護魔法を展開する。たしかに効果はあるだろうが、あの威力の魔法をどれほどの数の人間が耐え続けられるか……。
ギルもまた僕を守る様に防護魔法を展開した。
すぐに、そして二度目の強烈な光の奔流が情け容赦なく迸る。今度のそれらは、おそらく巨人の狙い通りに僕らの上に降り注いだ。
その光景を確かに見ていた。
「アルベルト様。なんとかあなただけでもお守りいたします」
ギルが苦悶の表情を浮かべて耐えている。この魔法の威力は生半可なものではない。普通程度の魔法の使い手では防ぎきれない。
僕は汗を流して苦しむ彼の表情を見ながら、もう一度魔法を使うことを考えていた。
いけるか?この体で?
いや。やらねばならない。最後まで足掻かなければ、何物をも達成できない。ここへ来た理由を思い出せ。諦めたら、ここへ来た意味が無くなる。僕は選択したんだ。
僕は意志の力だけで体内の残存魔力をかき集める。眩暈が激しくなる。視界が回転する。
全く魔法を発動させられるような体調ではなかった。けれど、それでもなお僕は諦められない。ここで諦めたら、僕はキースにどんな顔で会えばいい?
人々が魔法の圧に耐えられずに次々に地に膝をついていく。天幕や建物や物資が無惨に破壊され徐々に崩れ去っていく。
彼の顔を思い浮かべながら、僕は深呼吸する。深く深く息を吸って吐く。精神のか細い糸を手繰り寄せる。切れそうになる意識を繋ぎとめ、僕は魔法を発動させる。
させようとした、その時だった。
あれは……?
視界の遥か先、上空に僕らを覆うように何かが現れるのが見えた。最初僕の目には白い雲のように見えた。そして、そのはっきりと何なのか分からないそれは、徐々に僕らの上空に広がっていく。
突如現れた何かに僕らの意識は奪われる。それは空中で光を受けて輝いていた。きらきらと。それを最初は巨人の新たな光の魔法かと思い、絶望した気持ちでじっと見ていたが、巨人の光の柱がそれによって細かく散乱しあらぬ方向へ光が折れ曲がっていくのが見えた。
これは……。
ギルが訝し気な顔をしながら僕の上から起き上がる。不思議そうな顔をして周囲を見回し、それから空を見上げた。視線の先で、それは光に砕けながらも徐々に広がっていく。砕けた破片がきらきらと輝いている。
「何が……?光の圧力が弱まっています」
ギルの言葉の意味が上手く呑み込めなかった。敵の魔法の威力が減衰しているということか……?あの突然現れた上空の、透明な何かのせいで?そしてそれはいまだ拡大を続けている。少しずつ。少しずつ。
僕は少しだけ考えてそれが何なのか、この現象が何なのか理解した。
それは氷だった。薄い氷がゆっくりと僕らの上に展開され、それが光を屈折散乱しているのだ。光を反射してちらちらと瞬いている。
巨人の鮮烈な光の魔法があちこちへと乱反射し、地上に落ちてくるころには威力が削がれていることが目に見えて分かった。
静かに薄い氷が僕らの上に、半球状の氷の天井が光を遮るように緩やかに広がっている。
「アルベルト!」
事態が把握できず呆然と空を見上げていると、僕の名を必死に呼ぶ声がした。ここで聞こえてくるはずの無い声がした。
声の方に目を向けるとキースがこちらへ向かって駆けて来ていた。
まさかと思った。幻を見ているのだろうか?一瞬、僕はそう思った。
しかしそれは現実で、確かな足取りで彼がすぐ側まで辿り着くと僕の顔を覗き込み無事を確認する。一瞬泣きそうな顔をしてすぐにその表情を引き締めると光から僕を庇うように立った。
そして、見ている前でキースがこちらに背を向けて天へと手を伸ばし何事かを呟いた。その小さな声が耳に届く。
その手の指し示す先に視線を走らせると、視界の遥か先で上空に先ほどから見えていた何かが拡大し続け、今やその大きさはこの陣を覆うほどになった。
何をするつもりなのかと、そう問い掛けたいけれどその覚悟を窺わせる緊張した背中に、声がかけられない。
周囲では死を覚悟していた人々が、突然弱まったことに最初は戸惑いながらも次々に歓声を上げていく。みんなの顔に生きる希望が灯る。
そうして長い時間を掛けて彼の生み出した氷が僕らの上空を覆い尽くした。
「良かった。間に合いました」
そう言って僕の脇に膝を突く。
「キー……ス」
僕が伸ばした手を彼が握り込む。
「時間がありません。長くはもちません」
彼は僕の質問には答えずそう言うと、ギルに声を掛ける。
「キースか。魔力の使い過ぎで殿下が動けない。あの光を遮るために膨大な量の魔力を消耗している」
「はい。わかっています。私も見ました」
「どう、して……ここに」
喉が痙攣して言葉が上手く出ない。
「すみません。アルベルト。遅くなってしまいました」
「いや、よくやってくれた。おそらくジュード様やその側近らも助かっただろう。それだけで十分だ」
ギルが僕の代わりに答えた。
「もし次の攻撃がきたら、あれは長くは耐えられません。氷が崩れずに残っている間に、できるだけ急いで他の場所に移動してください」
「しかし、安全な場所など……」
その言葉にキースが悩む素振りを見せた。既に巨人の魔法は収束していた。しかし、いつまた次がやってくるかわからない。事態はひっ迫していた。
彼は周囲を見回して、それから僕を見た。
「わかりました。私が何とかします」
そう、彼がはっきりと言った。
「何を……しようと……言うんだ?」
僕は、辛い呼吸の合間合間にそれだけ言うと、彼が顔に笑みを浮かべて僕を見ていた。
そして、僕の手を再度握りしめる。
「少し様子を見てきます」
聡明な彼が冗談でもなんでもなく真面目な顔で支離滅裂なことを言った。
「何を、言って」
「ギル。アルベルトをお願いします」
その言葉に何を感じ取ったのか、ギルがはっとした表情を浮かべ、それからすぐに表情を引き締めると分かったと言った。
「何をしようって、言うんだ……」
僕は彼の手を離すまいと力を入れようとして、それを察知したのか、キースが僕の手を離した。
「デミアンがもうすぐやって来るはずです。彼と一緒ならきっと逃げられるでしょう。お気をつけて」
「待つんだ、キース!」
「ちょっと行ってくるだけです。アルベルト。……ご無事で」
それだけを言い置いて、彼は走り去って行った。振り返ることなく。僕の伸ばした手は、何にも触れられずに空を掴んだだけだった。
駄目だ駄目だ駄目だ。
僕は声にならない叫びをあげた。
引き留めねばならない。行かせてはいけない。止まれ!
そう言いたいのに、思いは言葉にはならず、それ故に彼に僕のこの叫びは届かない。
どうして!どうしてキースはいつもそうなんだ!
彼を行かせてはいけない。
僕は言うことを聞かない体を無理やり動かそうとして、しかしギルによってそれは阻まれる。
「無理に動いてはいけません!」
僕の霞む視線の先で、彼の背中がどんどん遠ざかっていった。




