61
東の空がやっと白々とし始めた。
もう怪我を負った者たちの一切がこの場から離れた。そのことに僕はほっとして胸をなでおろす。エイブラムが繰り返しキースらと共に僕を逃がそうと説得してきたけれど、僕はそれを断ってここに残ることを選んでいた。
この場に残ったのは僕を入れて二十人。こうしてみると三十三人という多めの人数で行動したことは結果的に幸運だった。最初は潜入調査任務に僕の護衛としても多すぎるのではないかと思ったものだ。けれど今となっては、無理を通してついてきてくれたみんなには感謝しかない。
だからこそ、それ故に、死んでしまった者たちのことが心苦しくまたとても申し訳なく思った。
だからこそ、ここで必ずあいつを仕留めねばならなかった。
けれどそれは本来僕の仕事ではない。それは重々理解していた。本来僕に求められているのは、前線に立つことでも、剣を握って戦うことでもない。安全な後方から人に命令を下し、人を死に向かわせる。それが、僕に求められていることだった。
それが分かっていてなお、だからこそ逆に僕はそうすることを唯々諾々と受け入れることが出来ない。それに、今の僕には為すべき仕事がある。
既に七人が死んでいた。僕の部隊で頑張りたいと意気揚々とやってきた者たち。エリックと共に僕の助けになりたいとやってきた者たち。顔も名前も覚えている。道中他愛ない話もした。なればこそ、この痛みも後悔も悲しみも全て引き受けなければならない。立ち止まらずに進まねばならない。僕は彼らの死に報いなければならない。
それだけではない。おそらく今この場においてあのドラゴンを倒せるのは僕かエリックだけだったから。
我儘を貫き通すことを許して欲しいとは言わない。こんな結果になったことを許して欲しいとは言わない。全ては、僕の死のその時に、この罪は裁かれるだろうから。
だからせめて今は、僕も全力で戦おう。この事態を終わらせるために。
もうこれ以上引き伸ばすことは出来そうにない。こうしてキース達が逃げるための時間稼ぎをしたことで、みんなに疲労が出始めている。僕も牽制のために魔力をこれ以上使う余裕はない。
逃げた者たちはきっと十分に距離を稼いでいると信じよう。
「アルベルト様……」
エイブラムの心配そうな視線とかち合う。彼もまた覚悟を決めなくてはいけない。
「もう賽は投げられた。後戻りはできない」
「ですが」
「僕の心配するよりも、僕たちの未来を信じようよ。その方が、良い結果につながると思わないかい?」
彼は答えない。
「だから、僕を守ってくれ」
説得できる時間もない。僕はただそう言うに止めた。そうして、僕は離れたところにいる男に声を掛ける。始めよう。
「エリック!」
「分かった!任せろ」
「なんとか時間を稼いでくれ!」
皆が一斉に行動を開始した。
疲れを感じていないはずはないのにそれでも誰もが今までと変わらぬ俊敏さで相手を翻弄している。また地面に潜られたり、ブレスのような広範囲の攻撃をされては打つ手がない。だからそうなる前にそういった厄介な動きをさせないように立ち回らなくてはならない。
それは非常に困難な仕事だろう。そんな器用な真似をする余裕など、あの巨体を前にしては、本来あろうはずもないのに、僕の求めに応じてそれを実行してくれていた。
それは全て僕の魔法を発動させる機会を作るため。彼らには大変な仕事をさせているということを、強く意識した。失敗するわけにはいかなかった。彼らの頑張りに応えなければいけない。
僕は両脚に力を込めてしっかりと大地の上に立ち、胸を張る。
そして、自分の奥に意識を集中させると、体に満ちる魔力がざわりと反応した。
この祈りの成就には膨大な量の魔力を捧げなければならない。その上、意識のほとんどを、祈りへと注ぎ込まなければならない。だから呪文を紡ぐ間、僕はそれ以外のことをほとんど為すことができない。魔法が完成するまでの間、この場にいるみんなが頼りだった。
体中の魔力を一つ所に集める。胸の中心に。その量は膨大で、戦術級魔法という呼称は伊達ではない。膨れ上がる練り上げられた魔力は外へと漏れる。側にいる者に関知できるほどだ。側にいたエイブラムが驚いた顔をして僕を凝視した。
まだこれからだ。もっともっと必要だ。
そう思った瞬間、不意にドラゴンが僕のいる方を見た。その視線が確かに僕を射抜くのを感じた。
気づかれた。反応が速すぎる。
ダークドラゴンは突如として咆哮をあげると、なんの予兆も無くいきなりその力を解放した。見る間に竜の周囲に数十の数にも上る黒い球体が浮かび上がった。それは人の頭ほどの大きさで、それぞれがぴたりと空中に静止している。
「なんだ……?」
誰かが皆の気持ちを代弁するように言葉を漏らした。
それは見ている間に、動き出しゆっくりと回転を始めた。徐々に速度を上げていき、ついには高速で動き回るようになった。
嫌な予感がする。
「全員備えろ!」
エリックが命令を発したのとほぼ同時だった。その球のいくつもが四方八方へと打ち出された。あまりの速度に、誰もが回避するのが精一杯だった。
それは僕の方へ集中的に向かってきた。
魔力の練り上げの途中だった僕はまるで無防備だった。反応が遅れ、直撃すると思った瞬間、エイブラムが体ごと僕にぶつかってきた。その勢いに押されて二人地面に倒れ込む。エリックがその黒い球体のいくつかを剣で薙ぎ払ってくれていたけれど、取りこぼしはあって、確実に彼の身を挺した飛び込みがなければもろに食らってしまっていただろう。即死だったはず。
そのぎりぎりの回避に心臓が早鐘を打つ。
「ありがとう」
「いえ、あなたは私が守ります」
青い顔でエイブラムが決意を込めて言う。
「頼む」
「はい」
高速で打ち出されたそれぞれの球は目標を失ってそのまま森へと一直線に飛び込むと、木々をえぐり取っていった。その音が僕たちの背後から鈍く聞こえてきた。
一瞬の出来事だった。幹を丸く抉られた樹木は、その自重に耐えられず音を立てて倒れた落ちた。朝日がわずかに上り、その光の先端がかすかに森の様子を僕らの前に浮かび上がらせる。その一種異様な光景の中で、その幾本も折れる音だけが周囲に空虚に響いた。
掠るだけでも致命傷になり得る威力だというのは明白だった。
「な、なんだ。今のあれは……」
数人が想定外の出来事にうろたえた姿を見せる。
「落ち着け!次が来るぞ!」
再びエリックが声をあげると、確かにまだドラゴンの周りで回転している球がいくつもある。それらが、わずかに軌道を変えたように見えた瞬間、第二撃が飛んできた。今度も僕の方へ向かってきた。僕は魔法の発動を中断すると、それを迎え撃つ。
飛んできた球に向かって炎の魔法を打ち込むと、相殺されどちらとも消失する。視界の隅では他の隊員たちが冷静に黒い球状のそれらを魔法で撃ち落としていた。さすが慣れるのが早い。
「アルベルト!消耗戦になればこちらが不利だ!こいつの注意は俺たちで引き付ける!次こそ対処してみせる。その間に魔法を完成させてくれ!」
「分かった!」
「お前ら、死ぬ気で守るぞ!」
威勢のいい掛け声を聞きながら、僕は再度両足に力を込めて立つ。エイブラムがかばうように、僕の前に立ちはだかった。
落ち着け。出来る。魔法は動揺が失敗へと繋がる。落ち着け。落ち着け。
僕は自分に必死に言い聞かせた。
視線の先で男達がドラゴンの気を逸らすために続けざまに魔法を打ち込んでいる。その音が僕の耳にひっきりなしに聞こえてくる。本当にありがたい。
味方を鼓舞するためにエリックが先陣を切る。彼はあっという間に駆け出すと鬼神の如き動きでもって黒竜を翻弄した。誰よりも素早い動きで相手に近づき体に流れるようにその体に重い一撃を叩き込む様はどう見ても人間離れしているとしか形容できない。彼の切りつけた鱗は裂けとめどなく血が流れ出るた。
だが一方の竜も尋常ではなく、その程度ではびくともしないようだった。逆に、周囲を動き回る人間に苛立ちを覚えているのだろう、しゃにむに暴れて排除しようとしている。彼らの必死の働きのおかげで僕から意識が完全に逸れたのが見て取れた。
今しかなかった。即座に僕は気持ちを切り替えもう一度集中しようと試みる。
そのとき、ふと見上げた西の空にまだ残る小さな星が目に入った。それはかすかに瞬いて、朝日の中で消えようとしていた。
キース……。
どうしてか、今まさに成すべきことを為さんとしているところで、ふと彼の悲しげな顔が思い出された。
彼の物言わぬ後ろ姿が思い出された。
冷たい言葉を言ってしまった。
怒っているだろうか。
そんなことを考えたのはわずかな時間。
そんな感傷を頭を振って意識の外へ追い出すと僕は前を見る。自分の小さな感傷など、この場では何の意味もない。
見ていてくれ。
代わりにそう思った。そして、もう一度だけ星を見る。
それから気持ちを切り替えるように深呼吸をして、僕は大きく呪文を紡ぐ。みんなとタイミングを合わせるために。
僕の言葉、それは光の神への祈り。捧げるのは僕の魔力。
「天の光!」
エリックが僕の呪文の詠唱を確認して、一気に畳みかける。その動きは今までよりもさらに雄々しく俊敏で、その飛びぬけた機敏さや力強さは、僕には到底至ることのできそうにない領域にあった。
身体能力を向上させる呪文は、才能がモノを言う。誰にでも使えて、しかし人並み以上の動きを実現するためには、類稀なる才能と誰にも負けない鍛錬、そして体を動かしながら魔力を維持し続ける精神力や細やかな注意力などを必要とする技術だった。
それを飽きることなく続け、いつしかそれが当たり前に感じられるくらいに何度も何度も何度も繰り返して経験を積み重ねる。そうして獲得できる遥かな高みだった。
エリックは、僕の知る中でも最高の強化魔法の使い手の一人だ。その彼が今、自らの才能と技術とを遺憾なく発揮しドラゴンを翻弄している。
その姿を見ながら思った。暗闇があれの領域だというのなら、光の下に引きずり出してやればいい。
「其は暗闇に輝く星。其は人の旅路を照らす者、人の道行きを指し示す者、人の運命を占う者」
視界の隅から黒い影がエリック達に向かって伸びていくのが見えた。彼はそれに気付き辛うじて避けと、流れるように手に持つ刃に魔法を纏わせてそれを切り裂く。判断が早い。
魔法を纏って光を放つ剣が影なる触手を次々と切り裂くのを見て、男達が次々に同じように魔法を使う。そこに言葉はいらなかった。
「星よ。人の願いに堕ちる星よ。今ここに来たれ。我が求めに応えて堕ちよ」
この時この瞬間、はっきりと空気が変わったのを感じた。言うなれば、稽古をつけてくれる相手が手加減を止めて本気になり、その実力を垣間見せるときのような。
ダークドラゴンが今またはっきりと僕を見るのを分かった。視線が出逢う。
来る。
そう思った。
僕の魔法の発動に気付いたのだと理解した。僕を狙っている。
僕はできるだけ急いで魔法を完成させようと意識を集中する。一分一秒でも早く。
しかし、とうとう黒竜が本気を出したようだった。
その周囲に一時に闇の気配が深まる。エリックが僕の危機を察知して飛び込むの。
その動きは電光石火。息をも吐かせぬ速さであっというまに肉薄すると、その頭へと飛び掛かる。そこに一片のためらいもない。ドラゴンの攻撃を一瞬でも邪魔する、あるいは逸らそうと言う、ただそれだけのために、僕の友人は身を挺して飛び出したのだ。それに倣って他の隊員たちも駆け出す。
ところが、そのことに怒りの感情を爆発させたらしい黒竜が今度は自らの足元から黒い影を吹き出した。それは顔を出し始めた朝日の中で、異様な光景を生み出していた。
それらは徐々に黒い影の塊へと姿を変える。その影は生きているような、けれど知性のない一種異様な動きを見せながら立ち上がる。形を持たない何かが不規則に蠢いて、それが突如として触手のように体の一部を伸ばした。それは槍のように一気に伸びて、僕目掛けてまっすぐに襲い掛かってきた。
真っ先に飛び込んだエリックが、その槍を一薙ぎで切り落とす。ぼたぼたと地に落ちた触手のような影はしばらく蠢いた後、朝日の中で雲散霧消して消えていった。
「剣に纏わせた魔法を途切れさせるな!抵抗が強い。強化魔法だけでは打ち負けるぞ!」
そういいながら自らの剣に再度炎を纏わせる。
切り落とされるたび何度も触手が三々五々まとまって僕の方へ伸びてくる。それらを隊員たちが懸命に弾き飛ばし切り落とす。エイブラムも剣を構えて前へ出た。それぞれがうまくそれを躱し往なしながら薙ぎ払うけれど、その攻撃は後から後から絶え間なく続く。エリックですら、本体に近づけないというありさまだった。
その光景を見つめながら、僕は魔法の完成を急ぐ。
「天にある光は全て星。地にある光は全て人の営み。小さき我らに、勇敢に戦う勇者たちに光の恩寵を!」
猛々しい男たちの雄たけびの中に、一つまた一つと悲鳴が混じり始める。徐々に疲労の蓄積と魔力の消耗から劣勢に立たされ始める。一人が地に倒れ、また一人が遠くへ弾き飛ばされた。それでも誰一人攻撃を止めようとは思わなかった。
僕は逸る心を押さえつけて繊細な魔力操作に神経を研ぎ澄ます。焦ってはいけない。躊躇ってはいけない。
また一人、また一人と限界を迎えてその場に頽れていく。動ける者たちが動けなくなった者たちを庇いながらも攻撃の手を緩めない。彼らは僕を信じている。
「一筋の光芒は一瞬。なれど其は闇を打ち払う。一つ二つ三つ四つと五月雨の如く堕ちろ」
僕の魔法が完成する直前、もうあと一言という時、最後まで立っていたエリックの剣が弾き飛ばされた。そして、遮るものを失った暗い触手がまっすぐに、束になって僕の方へ襲い掛かって来た。その速度は早く、回避行動も間に合わない。
その時、時間がゆっくりと流れているような気がした。全てのものの動きは緩慢になり、空中を伸びる触手の鋭い先端が日の光を反射して煌めくのが見えた。
エリックや他の面々が口を大きく開いて叫び声を上げようとしている。その口は僕の名を呼ぶように開けられていた。
誰もが絶望の表情をその顔に浮かべている。地に這いつくばり、堪えきれぬ怒りと絶望で大地を爪が噛んでいる。
僕は強く死を意識した。しかし諦めていなかった。まっすぐにその猛然と近づいてくる槍をじっと見つめながら、しかし体の奥では魔法に魔力を注ぎ込み続けていた。デミアンならばきっと自身を守るための魔法を工夫して展開できただろうけれど、僕にはそんな才能はありはしない。
もうすぐ。もうすぐ完成する。それだけは確かだった。刺し違えても完成させようと思った。
もう少し!
目の前にその鋭い切っ先が迫る。
襲い来る死の予感にあっと思ったその時、僕の目の前にエイブラムが飛び込んできた。さっき薙ぎ払われて飛ばされたというのに、いつの間に。
彼の眼前に厚い障壁が生じた。魔法と魔法とがぶつかり合って生まれた衝撃が空気を揺らす。ぎりぎりだった。最後の力を振り絞って組み上げられた彼の魔法が細く研ぎ澄まされた攻撃を辛うじて防いだ。
しかしそれが限界だった。魔法障壁は圧力に耐えきれず空中で光の粒となって砕け散る。エイブラムがそのまま倒れ込み動かない。魔力の使いすぎのようだった。僕はじっと見上げてくる彼を安心させるよう笑みを顔に浮かべると、最後の言葉を紡いだ。
「汝影なる者よ。影とは常に人に寄り添うものであると知れ!」
出来た!
最後の呪文を口に出したと同時に、僕が練り上げた光の球が空へと舞いあがる。
「離れろ!」
僕は全員に向けて叫んだ。
即座に地に倒れていたエリックが起き上がり隊員を担ぎ上げて飛び退る。他の面々も、同様に各々が、魔法で牽制しながら距離を空けた。
朝日が差し始めた雲一つない群青色の空から、光の筋が落ちるのが見えた。それはまるで光を纏って落ちる雫のように、一つ二つとダークドラゴンの頭上で瞬いた。
明け方の空に星が流れる。その一瞬の煌めき。
光の筋は数を増やし、あっと思う時にはそれは既に地に落下し、黒い竜を貫いてその足元を照らし出す。落ちた地から今度は上空へ向かって光の柱が立ち上った。上から、下からの光に巨体が閉じ込められる。
それはいつしか、眼を開けていられないほどのは眩さになった。
光が、矢のようにドラゴンを貫き切り裂いていく。それに合わせて断末魔の叫びが僕らの耳をつんざくように辺りに響いた。それは森の木々を揺らし、大地を揺るがし、それが感じる憤怒と混乱と恐怖とをまき散らした。
僕はそれを目を細めて見つめながら、魔力が体内から失われ続けるのを感じていた。まだ魔法を止めるわけにはいかない。確実に滅するまでは、復活する可能性すらあった。生き物の断りから外れた魔物を殺すとき、慎重に慎重を重ねなければならない。
「エリック!とどめを!」
僕が彼の名を呼ぶと、即座に反応してくれる。
離れた位置から駆け寄ると跳躍し、大きく剣を振りかぶりながらあっという間に信じられないほどの高さへと至る。
それを見て僕は魔法の発動を止める。最後の一筋の光芒が消え去る瞬間、彼は僕の魔法と全く同じ軌跡を描いて急降下し、一刀のもとにダークドラゴンの太い首を固い鱗諸共に切り落としてしまった。
着られた瞬間、ドラゴンは大口を開け目を見開いた。しかしそのまま竜は声も上げず、その巨体を地に伏して動かなくなった。切り落とされた頭が地に落ちて一度跳ね、そして二度と動かなかった。
あたりには肉の焼けるような嫌な臭いと血の濃厚な匂いと、僕らの荒い息遣いだけが立ち込めていた。
誰もが呆然としてその場に頽れている。
僕も同様に疲労と魔力の消耗から立っていられなくなって片膝を地面についた。
跡には静寂が残されて、ただ荒い息使いが小さく聞こえてくる。朝日は完全に上り切り、僕らを照らし出した。泥や血にまみれ酷い有様だったが、幸運なことに、二十人の誰一人掛けることなく終わらせることができた。
それは実に幸運だったと思う。
しばらくその場にへたり込み休憩していると、一人また一人と体調を回復させた隊員たちが立ち上がり、死体と周囲の検分を始めた。
何人もの男たちが、改めてその巨体に歓声を上げ、地に転がる頭を見てまた歓声を上げているのが見えた。エリックが自分の気った断面を見て悦に浸っているのも見えた。
それから、十分に自分の成果を確認し満足したように頷くと、それぞれに簡単な指示を出して、友人が僕のもとへと歩いてくる。
その時、エイブラムが目を覚ました。彼は、辺りの様子を窺って、ドラゴンの死体を目に収めると慌てて僕の姿を探し、遅れてすぐ側にいる僕の存在に気が付いた。
「気を失っていました。最後までお守りできず本当にすみませんでした」
「そんなことはどうだっていい。ありがとう。君のおかげで僕は死なずに済んだ。恥じるよりもまずそのことをどうか誇って欲しい。本当にありがとう」
「……はい」
彼が安堵したように笑った。
そうこうしている間にエリックが僕の元へ辿り着く。
「参ったぜ」
「なんとか倒せた。君たちのおかげだ。ありがとう」
友人にそう言って拳を前に突き出すと、エリックも自分の拳を差し出して僕のそれにぶつける。
「本当にぎりぎりだった。過去に読んだ記録では、魔法使いと手練れの兵の混成中隊でやっと一体のドラゴンを討伐できたとあった気がする。よくもまぁこの人数で倒せたと思うぞ。お前の魔法のおかげだろうな。あれはやばかった」
「君の剣技もすばらしかったよ」
「いや、一対一で対峙してあの鱗を突き破るのは持ってきていた剣では難儀だったろう。致命傷を与える前に疲労で動けなくなっていた可能性のほうが大きい。お前の魔法があればこそ成し遂げられた」
「みんなが時間稼ぎをしてくれたからね」
「見方を変えればそれくらいしかできなかったということだ。もっと鍛える必要性を痛感した」
「それ以上……?どれほど強くなるのか、末恐ろしいよ」
「目指せるのなら目指したい。それが男ってもんだろ」
「そうかもね」
風が汗で濡れた前髪を揺らして通り過ぎた。
「もう少し休んだら、いなくなってしまった仲間たちの体を探さねば。動物に食い荒らされる前に弔いたい」
「うん。僕も手伝うよ」
そう言って朝日を見遣る。目にまぶしい光線が一直線に僕らへその柔らかな光を投げかけている。
僕はただその勝利を噛みしめていた。
「でもまさかドラゴンが出てくるとはな。いくらここが魔の森だと言っても信じられない。最後に討伐されたのはいつだったか?百年以上前だったはずだ。それ以降今に至るまで一度も観測されていない」
「そんなに前なのか。よくまぁ今まで生き残っていたものだね。他にもいるんだろうか」
「さぁな。考えたくもない。それにしてもついてないよな。ただの調査任務に出ただけなのに、あんな大物に遭遇するとは。俺たちがこうして生きているのは奇跡みたいなもんだぜ」
「エリック、僕はずっと気になっていることがあるんだ」
「なんだ?嫌な話はやめてくれよ」
「どうしてドラゴンは僕らを襲ってきたんだろう」
友人がその動きをぴたりと止めた。
「どういうことだ?魔物の考えなんてわからん。たまたま俺たちを見つけたから、だから襲ってきたんだろう……」
言葉尻は小さく消えた。
「そうかもしれない。でも、じゃあ、ドラゴンがこれだけ近くに現れたのに、どうして採掘場の警備はあれほどにざるだったんだろうか。今日いきなりここに現れた?何の前兆も無く?」
「それは……」
エリックが答えに窮して口を閉ざしたとき、離れたところから僕らを呼ぶ声がした。声のした方を見てみると、隊員の一人がこちらに向かって手を振っている。どうやら呼ばれているようだ。
話を中断して、僕らは腰を上げて二人で彼の元へ近づくと、それに気付いた他の男たちも集まってくる。
呼び寄せた男が指し示した先にあったのは、エリックが切り落としたドラゴンの首だった。
僕はそれをまじまじと見る。今まで疲れ切っていて動けなかったから、こうしてじっくり見るのは今が初めてだ。
僕の見ている隣で、隊員の一人がよく見るよう促したのはドラゴンの顎の下。そこにはなにやら紋章が刻まれていた。
「これは……すごく精巧な紋様だね。これほど複雑な意匠は見たことが無いけれど、なんだろう。魔法陣ではないね。もしかして、魔術の刻印の一種だろうか?」
ここで僕はダークドラゴンが操られていたという過去の報告を思い出す。実際に見るのはこれが初めてだったけれど、どうやらこれがそうらしい。
「そのようだな。この複雑さもさることながら、一番の問題はこれがドラゴンにつけられていることだ。そしてそれが意味するところは……」
「このドラゴンに明らかに人の手が加えられているということ……」
誰もがあり得ない事実に一瞬口を閉ざした。
「なんにしても、用途はなんだろう。生憎僕は魔術には疎くてさっぱりわからない。誰か、これに似たものを見たことがある者は?」
僕が知らないふりをしてそう言った。首を巡らせて周囲を見渡すが、はかばかしい成果はなかった。そんな中、誰も首を縦に振らない中にあって、一人エイブラムだけは何やら考え込んでいる風だった。しばらくあって彼がゆっくりと口を開いた。
「以前これに似たものを、もっと簡素なものでしたが、軍の機密情報として見せてもらったことがあります。専門ではないので確信があるわけではないのですが……」
「そうなのかい?曖昧でもなんでも構わない。君が覚えていることを、どういった用途のものだったか聞かせてくれ」
「はい。何種類かありました。そのうちの一つがたしか、対象の意識に干渉するといったものだったかと。効果は微々たるもので、人の集中を妨げるとか判断力を鈍らせるとかそういった効果でした。なんとなく、それに似ていると思いました」
「そんなものがあるのか?」
「はい。危険なもののため秘匿されているのです。知っているのは国王陛下と王立軍総帥などごく一部でしょう。私は総帥から戯れに、一度ほんのわずかな時間だけ図柄を見せてもらったことがあります」
「ありがとう。となると、これは持ち帰らねばならないね」
「あぁ、そうだな。写しを誰か取ってくれ。絵がうまいやつはいるか?」
エリックの求めに、一人の隊員が名乗りを上げて持っている手帳に写しを取り始めた。
それを見ながら僕らは話を続ける。
「誰がやったんだろうか」
「常識的に考えれば、連邦だろうな」
「そうだね。僕はこの紋様がドラゴンを操るためのものだと思うんだ。そうでなければ、この一連の出来事を説明できない」
「確実とは言えないがその可能性は高そうだ」
エリックが同意する。
「けれど、この高度な魔術だ。疑問が残る。魔術なんて、僕らの国でも研究は行っているけれど、これほど複雑なものを生み出せたという話は聞いていない。それなのに、草原がこれを?信じられない。それに、どうやってドラゴンに刻印を刻むことができたのだろうか?」
「魔術の研究が盛んなのは、グラエキアだな……。しかし遠すぎる」
「ねぇ、エリック」
僕の呼びかけに何を感じ取ったのか、エリックが片眉をあげてみせた。
「調べる価値があると思わないかい?採掘場を」
「これから?危険じゃないか?」
エリックが驚いた顔を僕に向けた。僕は彼に頷いて見せる。友人は眉を顰めた。
「いきましょう」
どうやってみんなを説得しようかと考える僕の隣で、エイブラムがまさかの擁護する発言をした。僕もエリックも、その場に居合わせた他の面々も彼の方を見た。まっさきに危険なことに反対しそうな彼が、胃の一番に賛同したことに誰もが驚いている。
見つめる先にある彼の顔にはしかしなんのためらいも不安もない。
「この混乱に乗じて攻め込めば、簡単に落とせるはずです。彼らがこの惨状を、ダークドラゴンが負けたことを知らないはずはないですから。今頃震えあがっていることでしょう」
「なるほど」
「それはそうかもしれないが」
「奥の手であるドラゴンに甘え切った軟弱者どもは、私たちの敵になりようもありません」
エリックはこういう時急に慎重になることがある。
「あれだけ派手に暴れたのに、いまだ誰一人ここにやってこないのは、きっとそういうことなのだと思います」
「何が起きているかわからず右往左往している、と」
「もしかしたら今頃、ダークドラゴンを操っていたやつらは泡を食っているかもしれないね。もしかしたら逃げる算段をつけているところかもしれない」
「とっ捕まえようってわけか」
「そういうこと。この手土産を持ってね」
「面白い。仲間の仇を取らなければ気が済まないしな」
「そうだね。それに、きっと何かしらこちらに有利になるような情報や手掛かりが得られると思う」
「そうとなったらすぐに行動するか。悪党ほど逃げ足が速い」
エリックの賛同もあって僕らは、亡くなってしまった男たちの遺体を回収してから向かうことにした。森の中に放置しておくのは気が引けたからだ。
遺体の回収はすぐに済んだが、その間に見張りに立たせていた男が、斥候らしき男を捕まえて僕らの元へ引き摺ってくるという事態になった。向こうから来てくれるとは好都合だったが、想定の範囲内のことでもあった。この事態を放置するはずがないからだ。必ず様子を見に来るだろうという確信があった。
連邦の言葉を知っている者にその者を尋問させると、拷問もしていないのにぺらぺらと自分から話し出した。曰く、採掘場責任者から無理やりこの仕事を押し付けられて様子を見にやって来ただけで敵意も害意もないとのこと。
命だけは助けてくれと情けなく言う男を宥めすかしたり脅したりしていくつかの重要な拠点に関する情報を喋らせた。混乱状態に陥って全く統率の取れなくなっているということがはっきりし、すぐに採掘場へと向かうことを決めた。我先にと逃げようとする警備兵たちのせいで予想以上に酷い有様らしい。
この好機を逃せるわけもなく、一旦遺体の埋葬は後に回して、僕らは急いで採掘場を目指した。




