59
出発してから三日目の昼過ぎ。天気は快晴。もしこれがただの休日なら、絶好の外出日和だった。
僕らは木々の間を抜けて、唐突に開けた場所へと出た。目的の場所に着いたのだとすぐに理解する。目前には、森の木々を切り倒してできた広大な開けた空間が出現していた。
その空間のむき出しになった地面の先に、巨大な穴があった。深さはここからでは窺い知れない。ただ、遮るものが無い今、前方から耳をつんざくような轟音と砕かれた石が礫となって地面へ降り注ぐ音とが響いてきている。
「状況から見てここはおそらく連邦の鉱山です。こんなに広いとは……」
エイブラムが呟くようにそう言った。空には爆破による白い粉塵が立ち上っている。
小高い丘があるわけでもなく、僕らのいる場所からはその全貌を把握することはできそうになく、エリックの提案でまずは様子を見ることになった。そのための少人数を派遣することがすぐに決まった。人員は、隠密行動が得意なエリックの部下のうちの二人とこちらから一人の計三人。彼らに偵察を頼み、本格的な調査をするかどうかは彼らのもたらしてくれる報告を待ってから検討しようということになった。
とりあえず今後の方針の参考となる情報があれば良いということで、潜入する必要は無く、周りから様子を窺うだけという指示だけ出して向かわせることにした。
三人が出発してから何事もないまま二時間ほどが過ぎた。日が傾き始めた頃合い。
さきほどから断続的に響いていた爆発音と石のつぶてが硬い岩に当たって跳ね返るような音が一旦途切れ、しばらく間を置いて大きな爆発音と大きなものが崩れるような音が聞こえた時、斥候に出ていた三人が足早に戻って来た。
「テリーにハイド、それからグラント。ご苦労だった。早速報告を頼む」
「畏まりました。やはりここは開発中の鉱山でした。先ほどから聞こえるあの音は鉱床を魔法で破壊する音です。働いている男たちはみな草原の民族のようです。彼らの特徴である白髪赤目を確認しました」
「そうか」
エリックがテリーらの報告に重々しい声で答えた。
もたらされた情報は決して安心できる報告ではなかった。むしろ早急な調査と対処とが必要になる最悪の事態だった。
連邦の所有する鉱山は開発しつくされ、今となってはほとんどの鉱石の類は他国からの輸入に頼っている。そう僕は習っていた。それが、新たにこうして自国で鉱山の開発をしているとなると、採掘している鉱石の種類にもよるが、戦争の準備をしているのではないかという懸念が真実味を帯びてくる。
けれど、僕はその報告を聞きながら内心首を傾げてもいた。それは、彼らが持ってきた情報が、当初僕が想定していたものと全く異なるものだったからだ。というのも、僕はここにダークドラゴンがいるものと思って今まで準備をしてきたのだから。
「鉱山だというのは確かなことなのかい?」
僕はとりあえず確認のために問いかけた。テリーはまっすぐに僕を見て頷いた。
「はい。漏斗状の掘削場がありましたので見間違えようもありません。これは露天掘りの特徴です。鉱床を破壊し掘り起こしやすくするための魔法師と、それとは別に離れたところに採掘した鉱石を運び出す鉱夫たちが数多く作業に従事していました。さらに、ひっきりなしに採掘した鉱石を運び出す人夫とロバとが、採掘した石を担いで歩いている様子が見られました。目の前にある採掘場の奥の方にも同じような露天掘りの掘削場があり、かなり大規模に開発していることが窺えます。また、そのさらに奥の方には宿舎と思われる建物と小さいですが神殿らしき建物があり、森の外へ通じているであろう整備された道が伸びていました」
「こんなところに神殿?」
僕の問いに、テリーが頷く。
「それよりも、何を採掘しているかはわからなかったか?」
エリックが口を挟んだ。
「すみません。そこまでは我々の知識では特定できませんでした。広い鉱山ですが精錬所らしい施設も無く……」
「警備や働いている人員はどれほどだ?」
「ざっと見ただけなのですが、鉱山労働者の数が圧倒的に多いです。それこそ、そこそこの年齢の子供から年寄りまでいます。彼らの作業を監督する者もそれなりにいました。ですが最も重要な監視警備の人員が極めて少ないように思われました」
「少ない?」
「はい。この規模の鉱山であれば、警備の者はもっといても良いような気がします。一国にとって鉱山は重要な施設ですからね。ですが、巡回と警備を担当する兵の数がこの規模に対して圧倒的に少ない。監視は穴だらけですよ。一応鉱山の周りはしっかりした作りの柵で囲まれてはいます。ですがそれだけです。もちろん、こんな森の中ですから、我々のような外部からの侵入者を警戒する必要が少ないということなのかもしれませんが、魔物に対する備えという点で見ると、やはりその数は少ないです」
「理由は分からないが、ここまで来るのにあまり魔物に出くわしていない。そういうこともあるのかもしれないな……」
エリックが考える風に口を閉ざした。しかしすぐに切り替えて僕に顔を向ける。
「それで、アルベルト。どうする?」
他の面々も彼に倣って僕の方に顔を向けた。
「何にせよ警備の人間が少ないということは、こちらとしては動きやすくて助かるね」
「はい、そのおかげで外からではありますが短時間でも十分に見て回ることができました」
「でもやはり、ことがことなだけにもう少し詳細な情報を集める必要があるだろうと思う」
僕は少し考えて、結論を出す。
「僕は今ここで出来る限り調べられることは調べておいた方が良いという考えだ。このまま夜を待ってから詳しい調査に向かいたい。日暮れまでの時間はその作戦を練るために使いたいのだが、どうだろう。そしてもし可能であれば、証拠になるようなものを持ち帰りたい」
「俺もそれがいいと思う」
「私も賛成です」
エリックに続いて何人かが賛同の声を上げた。
「良かった。それじゃあ――」
「アルベルト様は、調査には加われませんからね」
エイブラムが釘をさした。
「わかった。無理は言わないよ」
僕はエイブラムから視線を外すと、テリー達に向かって話しかけた。
「鉱石を持ち帰りたい。可能だろうか」
「警備は穴だらけなので、無理ではないと思います。採掘した鉱石を一時保管するためと思われる場所がありました」
「良かった。広いらしいからね、何組か少人数の班を作って忍び込もう」
僕らの中から五人一組で班を作り、四組が採掘場内に侵入することで話がまとまった。メンツは日中偵察に向かったテリーとハイドとグラントを含めた二十人。その中にはキースも含まれた。彼は自らその役を買って出た。
日が暮れて、さらに数時間を待ってから作戦が開始された。気を付けてという僕の言葉に頷いて二十人それぞれが班ごとに暗闇の中に走り去った。僕はその後ろ姿を見送った。
夜の闇はどこまでも深い。月は東の空にあってまだ低い位置にいる。木々の枝葉の隙間から、その白々とした光がわずかに見える程度だった。
風が木々の梢を揺らし葉擦れの音を残しながら通り過ぎて行った。時間は非常にゆっくりとした足取りで過ぎて行くようだった。
僕はただじっとして採掘場の方へ耳を澄ませて、少しの異変にも対処できるように心積もりをしていた。けれど、いつまでたっても静けさが打ち破られることはなかった。遠くで、篝火の火が小さく揺れているが、それもまばらで、本当に警備をする気があるのかと言いたいほどに手薄だった。
森の中に残された僕らは、潜入組が戻った後のことをいくつか小声で話し合った。
とりあえず、彼らが戻り次第、昨夜の野営地まで戻ることとなった。そこで仮眠をとってから、真っ直ぐに監視塔まで戻るということで落ち着いた。
それから辺境首都へ戻った後の動きの流れについても話し終わってだいぶ経った頃、潜入していた者たちが月の光に照らされて戻って来た。
僕はキースの無事な姿を見て胸をなでおろす。
「どうだった?」
「問題ありませんでした。ほとんど人の姿もなく、警備の巡回はまばらでした。本気で警備をするつもりがあるのかと言いたいくらいですよ。まぁ、そのおかげで順調に事を進められたわけですが」
「手薄すぎて、逆にこちらが何らかの罠に誘われているのかと疑ったくらいです」
「そうか。報告を頼む」
僕の言葉に、四つの班の班長が詳細な報告をあげてくれた。彼らのお陰で概ね採掘場の様子を知ることができた。そして、特にこれといっておかしなものはないようだった。
「外部の者が入り込む可能性が少ないからと油断しすぎですよ、ここ。他国もこれくらい緩いと、いろんな任務がやりやすくて助かるんですがね」
「全くだ」
「十分な準備ができている状態で夜間に襲撃をかければものの数時間で制圧できそうでしたよ。そう考えると、なんだかもったいないですね。連邦に揺さぶりをかけられたのに」
「そんなにかい?」
「ええ、本当です。今なら赤子の手を捻るくらいの難度でしかないです」
「にわかには信じがたいな」
「まぁ、今回の任務は調査が目的だったからね。余計なことはせずさっさと撤退しよう」
「何なら、戻ってすぐに軍を連れて引き返してもいいくらいですよ」
任務を終えた高揚感から、戻ってきた男たちが口々に言う中で、キースは一人黙りこくっている。
「それから、目的の物です」
テリーがそう言って小ぶりな鉱石を、それでも一抱えもありそうな鉱石を背嚢から一つ取り出した。僕はそれを受け取る。ずしりと重い。
「ありがとう。よくやってくれた」
「いえ、簡単でした。念のため、五人で一つずつ持ってきています」
「それは助かる。ありがとう」
僕はそう言って、鉱石を返す。
目的が達成されて本当ならば喜ぶべき場面だった。けれど、僕は黙って何か考える様子のキースが引っ掛かって気がそぞろだった。その何か悩まし気な表情が、月の光の中に浮かび上がっている。
「どうしたんだい、キース?」
僕は気がかりを払拭するためにキースに声をかけると、僕の言葉にはっとしたような表情で彼がこちらを見返してきた。
「いえ、大したことではありません……」
そう言って再度俯くその様子は、十分大したことのように思われた。
「わからないよ。もしかしたら非常に重要なことかもしれない。気負わずに話してみてよ」
「いえ……」
僕の言葉に、ほかの面々の視線がキースに集まった。
「大事なことかもしれない。とりあえず話してみろ」
エリックが促した。僕ら二人の言葉を受けて、キースは観念したように口を開いた。
「……はい。ただ、その、違和感があるだけなんです。さきほどからずっと何かがおかしいようなそんな気がしていて、でもその原因がわからないんです」
「違和感か。曖昧だね」
「ええ、はい。そうなんです。もしかしたら私の勘違いかもしれません」
「いや、些細な違和感も無視しない方が良いんだろう?僕もその考えには同意するよ。この中で誰か、キースのように何かに気付いたものは?」
曖昧な問いかけに皆訝し気な表情を見せた。
「やはり私の気のせいです。きっと潜入任務で神経が高ぶっているんです。すみません」
「大丈夫だよ。しかし、注意はいくらしてもしすぎることはない。みんな周囲には十分気を配ってくれ。安心して気が抜けた後に人は足元を掬われやすいと聞く。さぁ、すぐにここから離脱しよう」
それから僕らは来た道を通って、昨夜の野営地にまで戻ることにした。暗闇を進むのはあまり勧められたことではないが、昨日一昨日と魔物との遭遇がほとんどなかったことから、僕らは夜間の移動を決行することにした。
歩き進めて、気付けば月は天頂を通り過ぎて既に傾き始めていた。月明りの綺麗な晩だった。
僕らは松明の灯を頼りに黙々と歩いた。みんなが周囲の音や気配に気を配り、不測の事態に備えていた。木々の隙間は黒々とした闇に満たされていて、全くその向こうをうかがい知ることはできない。
もうすぐ昨日の野営地に着くだろう。ここまで道中おかしなことは何もなかった。恐らくキースの感じたものは、彼の不安からくるものだったのだろう。
そう思うと急に疲れが意識され始めた。けれどそれは苦痛ではなかった。任務が上手くいっていることによる安堵感が僕を満たしていた。
「アルベルト」
ふいに彼が後ろから僕を呼んだ。
「うん?」
僕は歩きながら、声の聞こえてきた方に頭だけ向ける。歩く速度を落とすと、後ろにいたキースが速足になって僕の横についた。
「分かりました」
彼が小さく、しかしはっきりと言った。そこにははっきりと不安が滲んでいる。
「何が?」
「違和感の正体です」
「ほう?」
エリックが興味を引かれたようで、僕らの前を歩きながらも器用に後ろを振り返り振り返りキースに次の言葉を促した。僕も気になってキースに問いかける。
「僕も知りたい。その違和感の正体とは何だい?」
「その、もしかしたら大したことではないかもしれません」
「構わないよ」
「はい。私には重要なことのように思われるんです」
「うん」
「それは何だ?」
「昨日の夜は一晩中聞こえていたのに、今は全く聞こえないんです」
僕らは周囲に耳を澄ます。葉擦れの音がさわさわと聞こえるのみだ。不審な音は何もない。
「どういうこと?」
「その、森に、生き物の声がしないんです……全く」
その瞬間、何か、得体のしれない何かとしか言いようのないものが地を揺らすのを感じた。それは地面の下から突き上げるような、そんな感覚だった。
立っているのが困難に感じるほどの揺れに僕らは晒された。
それと同時に森の中の鳥や獣が鳴き声を上げるのが聞こえてきた。森の中が突然騒がしくなる。
僕らは何が起きているのかもわからずに、訓練で教わったままに即座に近くの茂みへ飛び込むと地面へと伏せ姿勢を低くした。すぐに周囲を警戒するために視線を走らせると、どうやら、全員僕のように近くの茂みに身を潜めたようだ。落ちた松明の火が視線の先で揺れている。
「目標不明!周囲に異常は何も見つけられません!」
ハイドらしい男の叫び声が夜の森に響いた。
「警戒を怠るな!前後左右どこから来るかわからんぞ!上にも注意しろ!」
エリックが声を張り上げた。事態を飲みこめない男たちの慌てふためく声がしたのは一瞬で、さすが軍に所属するだけあり、すぐに気持ちを立て直すと互いに周囲の状況や目に見えるものを報告する声が上がる。
「地震というやつか?」
「わからん」
とりあえず僕らは、地面に這いつくばってこれから起こることに備えた。周囲の状況を知りたかったが、暗闇のために全く掴みどころがない。
「お前は頭を上げるな、アルベルト。月が出ている。もしこちらを監視している者がいるとしたら、お前が不用意に動いては良い的だ」
「うん、分かってる」
未だ地面は揺れ続けていた。
「仮に僕らを狙っている者がいるとして、何故すぐに次の攻撃を仕掛けてこないのだろうか。こちらは一瞬状況が呑み込めず無防備な姿をさらした。魔法であればいっきに吹き飛ばせたのにそれをしなかった。何故だ?」
「わからん。失敗したときのリスクを恐れているのかもしれん。お前に逃げられたらもう手の出しようがないからな。あるいはこちらの動きを見るためか」
「それもおかしい。これほど大規模な魔法を使えるのに様子を見る?それに、最初からこんな虚仮威しのような魔法ではなく、あの採掘場で使ったような爆炎魔法を放てばいい。もし仮に僕を生け捕りにしようと画策しているにしてもだ。こちらの居場所が向こうに知られていたんだ。向こうのほうが断然有利な状況で、一気に畳みかければそれで終わっていた。なのに、その千載一遇の機会をみすみす見逃すような真似をするなんて……」
僕とエリックは逃げ込んだ茂みに下にいて、周囲を警戒しながらそれだけを話した。
すると、近くから悲鳴のような声が上がった。
「なんだこれは!エリック様!アルベルト様!すぐにこの場から森の奥に退避を!地面から何か出ます!でかい!」
隊員のうちの一人が叫んだのと同時に、ひときわ大きな揺れと、みしみしという不気味な音が辺りに響き渡った。それから、すぐに僕らは気づいた。地に落ちたいくつもの松明の火の下から、何かが姿を現そうとしている。黒い影のような……。
それは広い範囲へと広がっていた。
僕らがそれと気付いてからすぐに、轟音と地鳴りとともにその黒い染みが、夜の闇よりもなお暗い色をした何かが地面から染み出すように持ち上がり、徐々に形を成していくのが見えた。それはまるで悪夢のようだった。
それと同時に、森の柔らかい土が大きく割けていくのが見える。その下にある木の根がぶちぶちとちぎれるような音も響いてきた。
その得体の知れないものは、僕らの見る間にどんどん大きくなっていく。徐々に徐々に。
僕らはすぐにそれから距離をとるために、地面に伏せたまま匍匐前進で移動を始めた。未だ揺れは収まらず、立ち上がることは危険だった。
距離を取りながらも、僕らは誰一人それから目を離せなかっただろう。
僕もそれをじっと見ていた。月明りの中、白々しく光を反射して、盛り上がり、そしてとうとうそいつは完全な姿を現した。
真っ黒な目に、真っ黒な体の、巨大なあのダークドラゴンだった。
夜の中に、支配者然として立ち、木々を越える高さから僕らを見下ろしていた。




