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「音の、形……?」
エイブラムがキースの出してきた数枚の絵を見ながら胡乱気な声を上げた。彼が手に持っているものは、キースが写し取った音の形なるものの絵だった。
僕自身そんなものは見たことが無かったけれど、彼がこの場にわざわざ持ち込んだと言うことは本物なのだろう。それと一緒に閉じられた資料をいくつかキースが各人に配った。
テキパキと準備をするキースとは対照的に、椅子に腰掛けるエイブラムとギルは資料を片手に惚けたような顔を晒している。彼らにとってそれは思いも寄らない発言で、しかもそれによって特定の対象を同定しようなどという彼の発想と、目の前に差し出された実際の結果の両方に困惑しているのがはっきりと見て取れた。
僕はその様子に笑いたくなる。最初のほうは何の功績もない無名の平民が重要な事実を持ってきたということで胡散臭そうにしていた男たちの、キースが話し始めると徐々に困惑から驚愕へと目まぐるしく変わるその内心が手に取る様に分かったからだ。
僕は笑い声を漏らしそうになるのを堪えながら、キースに目を向けた。沈黙に包まれる一座に対して、キースはきっちりと軍服に身を包み、いつものように落ち着き払って立っている。複数人の貴族からの値踏みするような視線をものともしないその凛々しい立ち姿に、僕はただ見惚れていた。
格好良い……。
そんな馬鹿みたいなことを思っていた。
丁度僕が欲していた情報を、まさに欲しいと思っていたタイミングで持ってきてくれるなんて。これが運命でないとしたら、何だと言うのか。
僕は今すぐ彼を抱きしめたい気持ちを抑えて一層惚れ直した相手に熱い視線を送ると、それに気づいたキースが身じろぎした。
それから、あえて僕の方を見ずに誤魔化すように咳を一つして説明を続ける。
「はい。それぞれの音には固有の振動があります。それはこの羊皮紙と灰やチョークの粉や細かな砂などを利用して視覚化することが可能です。可視化し見比べることで音の同定が可能になります。私は繰り返し実験を行い、この結論に至りました。ただし、自然の音そのままを文様に描き出すことはほぼできません。相当音源に近いとか音が非常に大きいなどの制限があります。なので、私たちは調べたい音を魔力を介して写し取り、その写し取ったものを増幅拡大することでこの結果が得られるように試行錯誤を繰り返しました。どうぞ、今一度お渡しした資料を見比べてみていただきたいと思います。一枚目が森の奥から響いてきた音の描く文様の写し、二枚目が軍の演習場で放たれた爆炎魔法による音の文様の写しです。類似点が多々みられることがお分かりになると思います。参考としまして、別の、例えば雷の音や何種類かの魔物の咆哮、人の叫び声などを文様も添付いたしました。はっきりと、形が異なっていることがお分かりいただけるでしょう。このように、単純な道具と魔法によってどこでも簡単に音の同定が可能になります。思い込みや聞いた人物の耳の良し悪しによって結果にばらつきが生まれるため、実際の音を聴き比べて同定するのは正確性の点で限界があります。やはり誰が見ても納得できる形の証拠でなければいけないだろうということで、このような手法を考えました」
「羊皮紙とチョークの粉……」
「はい。監視塔に常備されている備品でできる簡単な操作です。この手法自体は魔力量の多寡よりも繊細な魔力操作が求められる技術となります。それでもコツさえ掴めば誰でもできるようになる程度のものですが。私が昨年の秋にあの監視塔の配属となったとき、この方法を用いて森の音を記録し特有の傾向があることに気付きました。それらを持ち帰って手当たり次第に記憶の中の音と似ている音を探して調査をし、たまたま辺境軍の演習場で魔法の訓練をしている人の爆炎魔法の振動と類似していることを突き止めるに至りました」
「それは……、相当な時間が掛かっただろう」
「そうでもありません。特徴的な音でしたし、私自身軍人なので探し始めてから一致する音に出会うまで一月もかかりませんでした」
「なるほど。いやはや、参った。素晴らしい……」
「ありがとうございます」
キースがエイブラムに向かって深々とお辞儀した。
「でもなぜ君は、その、森の奥から聞こえてくる音なんかに注目しようと思ったんだろうか?普通魔の森の奥から音がするとなれば、十中八九魔物の声だと思うだろう。それを、人工的な音だと思うなんて、ちょっと、俄かには信じられ難いな」
「私自身、最初からそうだと思っていたわけではありません。最初は知っている音に似ていると思っただけでした。それを何度も聞いている内に、無人の森の中で聞こえるはずの無い音だと無意識に考え、それが違和感へと繋がったのかもしれません」
「たったそれだけのことで、一年以上をかけて検証しようとしたと?ただの音を?」
「はい。任務中は些細な違和感も無視しないほうがいいというのが私の持論なので。普段なら気にもとめなかったと思いますが。それで、塔内に保管されていた過去の観測記録にあたりました。すると、数年前から毎年秋ごろから初冬にかけての期間、天候が曇りのときにおそらく私が聞いたのと同じものと思われる音を他の隊員も聞いていることがわかりました」
「君のような慎重でかつ好奇心の強い人間が軍に居たのは幸運だった。しかもそれを実行するだけの行動力と聡明さを備えている。得難い人材だ」
「しかし、何故特定の時期にのみ音が聞こえるのだろうか」
「それは音の性質が関係しているようです。私も専門家ではありませんので、聞きかじった知識しか持ち合わせていないのですが、空気が乾いているような時や曇りの日、あるいは夜間は平時よりも遠くまで音が届くようです。それに加えて、冬季の風の吹く向きが丁度あちら側から音をこちらの方へ運ぶ働きをしているのだと思います」
「そんなのは知らないぞ」
「私はなんとなくわかるな。冬になると教会の鐘が思いのほか遠くまで響くのを聞いたことがある」
「ええ、そうです。実際、過去の記録では届くはずの無い戦場の魔法攻撃の音が国境を越えて届いたという話も残されています。ただ、これは本当に偶然が重なった奇跡的な出来事だと思います。風向きの変わる春から夏の間は聞こえませんし、もう少し時期が進んで冬になると今度は積もった雪や降る雪のためにこの音は聞こえなくなるようです。雪は音を吸収してしまいますので。冬季の気温低下と厚い雲、そして季節による風向きの変化によって、ぎりぎりこの晩秋から初冬というわずかな間だけ、あの監視塔まで音が届いていたのだと思います。過去の日誌によれば、当時の人たちは珍しい魔物の声だと思って大して気にも留めていなかったようです。しかも、今ギル様が仰ったように冬の夜は驚くほど遠くまで音がよく届きます。それなのに、夜間はその音が全く聞こえてこなかったことにも私は違和感を覚えました。昼のみ聞こえてくるのは人為的な何かが関係しているのではないかと思いました」
「君はその知識をどこで身につけたのだろうか。今は学園でそういったことも指導しているのか?」
「いえ。これについては学園の図書館で芸術について調べていた時に、劇場の音響に関する本を読みました。その知識です」
「音響……」
「はい。劇場内で音を美しく響かせる方法とそのために適した壁材、不適な壁材、温度や空気の乾き具合による音の届く範囲の違いなど、色々と書かれていてとてもためになりました。まさかこんな形で役に立つとは思っていませんでしたが」
集まった面々が考えるように口を閉ざした。
「私は森の調査に乗り出すべきだと思います。監視塔までの距離が安心できるほど遠いとは言えないからです」
最後の締めにキースがそう言った。
「僕も賛成かな」
「アルベルト様」
早急に結論を出すべきではないと、エイブラムがたしなめるように僕の名を呼んだ。
「以前証拠があったら良いと言っていただろう?」
「良いとは言っていません。考慮に値するという意味で話しました」
「考慮も何も、これは看過できない事実じゃないかい?」
「……はい」
「キース、目標までの距離はどれくらいか分かるだろうか?」
エリックが口を開いた。
「爆発の規模がどれほどかわかりませんので正確なことは言えませんが、一応一般的な魔力保持者が放つ爆炎魔法の規模で音の届く範囲をまとめました。先ほども申し上げましたように、風向きの変わる秋冬期でかつ曇りの日はそれ以外の時期よりもずっと遠くまで音が届きます。きちんと検証はしていないのですが、その距離は倍以上にもなるようです。そのことを考慮して地図上に描き起こしたのがこちらです。おそらくこの範囲内に目標となるものがあるかと。ただし、あくまでも参考程度であることを頭に留めておいてください」
「ありがとう」
エリックがキースから地図を借り受けて卓の上に広げる。この会議室にいる者たちが立ち上がって卓の周りに集まると一斉に地図を覗き込んだ。
「これほど近い場所にまで入られているなど、辺境伯の名に泥を塗られるのと同じだ。相当弛んでいるようだ。一度配下の連中をぎちぎちに締め上げてやる必要がある!」
地図を見るなり吠えるように言うエリックにしばしみんなが無言になった。
「目と鼻の先と言っていい。なぜこんな近くに入り込まれるまで気付かなかった!」
「森はこの国とあの国、どちらの領土でもありません。森の中はお互いに不干渉です」
「それでも近すぎる!これは明らかな敵対行動だぞ」
「エリック、落ち着いて」
いきり立つエリックに、僕は声をかけた。
「擁護するわけではないのですが、一兵士として森の監視任務に当たった経験から申し上げますと、森の中は視界が非常に悪く、音の通りも悪いので気付かなかったことはある意味仕方のないことだと思います。監視塔自体もさほど高いものではありませんので、遠くまで見渡すことも難しいです」
「しかしだな、お前が気づいたんだ。今まで誰一人気が付かないのは怠慢ではないのか」
「向こうから届く音は聞き逃してもおかしくないような小さなものです。私が気づけたのは本当に偶然でした。仮にもっと塔が高かったなら目視で異変に早いうちに気付くこともできたかもしれませんが、危険な場所に十分な資材を持ち込んで今以上に背の高い塔をいくつも建設するのは、費用の点から見て当時難しかったはずです。それを怠慢だと断じるのは少し厳しい判断かと思います」
「だが、なんとかしないといけないな……」
キースの言葉に沈黙したエリックを横目に、僕らは地図に意識を向ける。
「エリック、今は処罰については脇に置いて、これからどうすべきかに注目しよう」
「対象がいるであろう場所の予想範囲が広いですね……」
僕の言葉にギルが続く。
「ある程度近づけば、範囲を狭めることができます」
「そうだね。では、この塔からこの場所までどの程度で辿り着くかな」
「直線距離としてはかなり近いです。距離だけで見れば一番近い監視塔から徒歩で二三日の距離です。ただし、障害物や起伏に富む魔の森の横断になるため、実際には平地を進むよりはずっと時間はかかります。それに、凶悪な魔物に襲われる危険性もあって踏破は想像よりも難しいでしょう」
エイブラムが冷静に見解を述べた。
「森で彼らは何をしていると思う?」
「わかりません。彼の報告によれば、音自体は数年前から既に聞こえて来ていたらしいとのことです。それにも関わらず数年の間こちらへ攻めてくることも無く、ずっと目と鼻の先に居座っているという事実が何を意味するのか不明です。一応考えられこととしましてはその場所に大きな問題か、留まるべき理由があるということです」
「そうだな……」
みなが考えるように視線をさまよわせる。
僕はその顔を見渡して、どう切り出そうかと考えていた。行動を起こすべき時がきたと思われた。そんな僕の様子に何を思ったのか、片眉を持ち上げたエイブラムが口を開いた。
「アルベルト様」
「何かな」
「良からぬことをお考えですよね?駄目です」
僕の考えは筒抜けらしい。
「証拠がこうしてキースによってもたらされたんだ。行動を起こすのに何の弊害がある?」
「弊害ばかりですよ」
「でも、先延ばしにするには怪しすぎる。そうだろう?距離も近い。君も分かっているはずだよ。看過できない事態であるということは」
エイブラムが僕の言葉に苦み走った表情をして口を閉ざした。
「私は良いと思いました」
「お前……」
「いいじゃないか、エイブラム。殿下は忍耐強く情報が集まるのを待たれた。我々がそう言ったからだ。もう十分じゃないか?それなのに、いざこうして事態が進展すると、自分で言ったことを翻して頭ごなしに反対するのは、正しいことではないように思うぞ」
「正しい正しくないではない。王太子殿下の御身のことを思えばこそだ。それに殿下が行く必要性は全くない。お前はどうせそのほうが面白そうだとでも思っているんだろう」
「まぁな。でも、俺だって今まで我慢したんだ。そろそろいいだろう」
「アルベルトがやりたいと思うのならそれでいいだろう。男には多少無理を押してでもなさねばならぬときがあるだろう。後ろでぬくぬくと安穏に過ごし、下のヤツらを危険な場所に送り込むだけの為政者が多い中、アルベルトは自分も向かうという。どっちの人間の下に付きたい?考えろ。そんなときに、補佐するお前らが為すべきことはなんだ?危険だからと頭を押さえつけて止めさせることか?違うだろう。危険だと言うのなら、その危険を排除するよう立ち回れ。人を信じるというのはそういうことじゃないのか?アルベルトはお前らを信じ待った。なら今度はお前らがアルベルトを信じる番じゃないのか?」
二人のやりとりの上に被せるように放たれたエリックの言葉は確かな重みをもって部屋に響いた。誰も口を開かなかった。
「今を逃しては事態はさらに悪化するだろう。今やらなければ。それは君も十分に分かっているはずだ。僕も出来る限り気を付けるつもりだから」
僕はそう言った。
それからしばらくあって、エイブラムが降参というように手を挙げると、僕の辺境入りに了承の言葉を零した。
一旦決まってしまえば彼らの行動は速かった。すぐに行動計画や必要なものの一覧、部隊の編制案等を用意して僕の元へと持ってきてくれた。
協力的な彼らの力もあり、辺境へ行くための準備はあれよあれよという間に進んでいく。
そして、僕らの部隊はなんとか伯父の派遣する大隊の出発までに準備を終わらせることができた。演習へ向かう一個大隊に組み込まれる形で、五月の頭に僕らは王都を出発した。もちろんキースも一緒だった。
エリックから情報をもらったのが昨年の十一月のことだったのに、これほど時間が空いてしまったのはひとえに時期の悪さが原因だった。
すぐにでもキースに詳細を尋ねたかったのだけれど、辺境は例年より早い降雪のために馬車での移動が困難になってしまっていたのだ。それに、彼にも情報を整理して資料を作成する時間も必要だろうということで、結局彼を呼び出すのは翌年の雪解けを待ってからとなった。
王都にも雪が降り、その雪が積もる。そして積もった雪が徐々に解け、待ち遠しかった春がやっとやって来て満を持したようにキースが王都についたのが四月末。彼に会うのは丸二年ぶりのことだった。
王立軍本部にある執務室で久しぶりに会えるとわくわくしていた僕の目に映ったキースは、学園の頃と比べて遥かに体格がしっかりとして、すっかり大人の男の顔付きをしていた。軍隊仕込みのきびきびした動きと見ていて気持ちの良い丁寧な所作には、ほれぼれするものがある。
長い脚を動かして颯爽と入室してくるキースと目が合ったとき、緊張した様子の彼が少し表情を緩ませるのが見えた。
挨拶もそこそこにキースによる説明が始まると、その場はすぐに彼のものとなった。彼らしい理路整然とした説明に、僕らは圧倒される。全く考えもしない話だったからだ。
話を聞いたエイブラムが渋ったけれど、最終的にはエリックの口添えもあってこうして僕の辺境入りが決まった。証拠があればという彼の条件のことなど全く知らないだろうに、キースは予想の上を行く重大な事柄を持ってやってきてくれた。
その後すぐにみんなが遠征のための準備に入ると、一方の僕は自分の身の回りの整理に入った。僕がやるはずだった仕事を他へ割り振ったり、関係各所に辺境へ行く旨を通達するなど、やるべきことがたくさんあったからだ。
特に公務などは責任が関わってくるので適当に誰かに穴埋めをしてもらうということもできず、その割り振りは慎重にならざるを得なかった。だから、ギュスターヴやカイン、それからデミアンには無茶をお願いする形になってしまった。それなのに彼らは快く引き受けてくれたのには本当に感謝してもしきれない。
良い経験になるだろうと思い、テオドールに僕の名代として福祉事業への参加をお願いすると、思春期らしく嫌そうなそぶりを見せながらも了承してくれた。ぶっきらぼうな言葉遣いとは裏腹に、隠しきれない嬉しそうな様子が微笑ましかった。
そして、ずいぶん手こずったがなんとかぎりぎりで僕の受け持つ公務と公務以外の全ての役回りを他の者に肩代わりしてもらうことができた。しかし、その采配や段取りで相当な時間を取られたため、キースとじっくり話をする時間もとれないまま出発の日になってしまった。
五月の爽やかな風の中を僕の中隊を編入した王立軍大隊は進む。軍の進みは驚くほど遅く、順調な行軍ではあったがドラケンヴァルトに到着するのに一ヶ月もかかった。
キースは理系人間です
アルベルトは文系理系どちらもそれなり




