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「やぁ、久しぶり。ユリウス」
「お久しぶりでございます、殿下」
ユリウスが僕の到着に合わせて優雅にお辞儀をして見せた。この目の前に立つ男を僕は知っていた。エイブラム達より少し年上だったと記憶している。彼はデミアンの親戚筋に当たる男で、当代で一二を争う魔法の才能の持ち主だ。
僕は彼から魔法の指導を受けるために王立軍の魔法演習場へと来ていた。本格的な軍の演習場は王都からずっと離れた、それこそ馬車で数日かかる場所にあるのだが、今日僕が来ているのは王都近郊にあって、兵士が日常的に訓練を行う場所だった。
僕は約束の時間より少し早く着くように出発したのに、いざ目的地へ到着してみればそこには既に彼が一足早く待ち受けていた。
「私のことをご記憶くださっていたとは。ありがとうございます」
そう言いながら彼が僕へ優雅に一礼した。僕はそれに応え、お互いに軽く握手を交わす。
「もちろん当然だよ。今まで幾度か言葉を交わす機会はあったのに、こうして二人だけで話をするのは今回が初めてだけどね」
「はい。ですので、この度改めて名乗りを上げさせていただきたく思います」
「構わないよ」
「ありがとうございます。ゴルトフェルト伯爵家が第二子、ユリウス・ゴルトフェルト。光栄にも、これから殿下の魔法指南を総帥より仰せ仕り、こうして罷り越しました。軍での階級は少佐の位を拝命しており、また現在は魔法中隊を預からせていただいております。爵位は国王陛下より子爵の位を名乗らせていただいております。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
そう口上を述べた男は、軍人としては細身でかつ軍人らしからぬ見た目は、演習場よりも神殿のほうが似つかわしいような顔立ちをしている。しかし、先ほどの握手から、僕は彼が剣の心得もあると気づいていた。実力如何は不明だが、日常的に訓練している者の手だった。
「少佐にまで昇進されていたとは知らなかった。おめでとう。素晴らしいことだ」
「ありがとうございます、殿下」
「あぁ、そうだ。ユリウス。どうか私のことはアルベルトと呼んでほしい。今の私はあなたに教えを乞う立場なのだから、この場においてはあなたは私の師になる。どうかほかの者にするように接してほしい。忖度は不要だよ。高度な魔法技術の伝授をこちらが無理を言ってお願いしたのだからね。それに今後は、多少厳しくやらねばならない場面も出てくるだろう。目標の達成のためには、身分差は些事だと思っている」
「本当に他隊員と同じような接し方でよろしいのでしょうか?」
僕はその言葉に頷く。
「言葉通りに受け取ってくれて構わない。どうか指導よろしくお願いするよ」
「承知いたしました。それではアルベルト様。お忙しい御身のことを思えばさっそく訓練へと移りたいのですが、その前に一つ確認したいことがございます」
「何かな」
「はい。私は総帥よりあなたに魔法を伝授するよう仰せつかってはおりますが、実は詳細につきましては本人から伺うよう指示を頂戴しているだけなのです。それで、訓練を開始するまえに、アルベルト様がどういった魔法をご希望なのか最初にお伺いしたく思います」
「あぁ、そうか。うん。そうだね。何でもいいのかな?」
「何でもというのは、特殊な魔法ということでしょうか」
「いや、普通、という言い方をしてもよいものか。僕は光の魔法を習いたいと考えている。それも戦術級以上を修めたい」
「それは……」
「無理かな?」
「いえ、無理というわけではありません。今までにも私自身、部下に様々な属性の魔法を指導してまいりましたので、その点はご安心ください。戦術級魔法を使いこなせるようになるかどうかはアルベルト様の才能次第となりますので、現段階では判断できません。ここで私が気になったのは、その必要があるのかということです。戦術級魔法はあなたには不要な魔法ではないかと。あなたが戦場の後方で指揮を執ることはあっても、前線へ出られることはまずありませんから」
「普通はそうだね」
「戦場に出られることを想定されておりますか?」
「そういう可能性が少なからずあるだろう?」
「そうでしょうか。ほぼあり得ない話だと私は思いますが……。それに、総帥があなたにそのようなことをさせるとは思えません。何か理由がおありなのであればお伺いしたく」
「理由は無いよ。本当にただ万が一の事態に備えてなんだ」
真実を言えるはずもなく、僕は当たり障りのない答えを返した。それは実に空虚な響きを持っていた。
僕の返答にユリウスが探るような目を向ける。納得するはずはないことは分かっていたけれど、僕はそれ以上取り繕わなかった。
「万が一などということはあり得ないと思いますが……」
「そうだろうか」
「王族の方が魔法なり剣術なりをもって戦うという前提がそもあり得ません。戦っていただくよりも、不測の事態や非常時にはまず真っ先に逃げてもらうのが当たり前です。一つ、万が一にもそのような状態になるとしたらそれは、敵にアルベルト様が囲まれてしまった場合でしょうか。ですが例えそうだとしても、それはもう軍が壊滅し王城へ攻め込まれたということ。そのような状態でアルベルト様一人が戦ったとしても、決まってしてしまった状況を覆すことなど叶いません。つまり、王族が戦わねばならない事態になるという前提自体がそもそも起こりえないのです」
「そうだね」
僕は彼の正論に反論はしなかった。それは僕にも分かっていることだった。
「それをご存知でありながら魔法を、しかも戦術級魔法を習いたいと仰るのですか?非常に訓練は過酷なものになります。生半可な苦しさではありませんよ?」
「覚悟の上だよ」
ユリウスは僕の言葉にしばらく何かを考えるような顔をしたけれど、すぐにその表情を取り繕うと、先ほどまでと変わらぬ顔付きで僕を見た。
「分かりました。総帥からのご依頼ということもありますので、お教えいたしましょう」
「いいのかい?僕の言うことに納得してくれたようには見えないけれど」
「構いません。殿下が私がお教えした魔法で何かをなさるとは思っておりません」
「信じてくれてありがとう。その信頼にこたえられるよう誓って悪用はしないよ」
「そのようにお願いいたします。それに、私が教えたとして、結局本人のやる気がなければこれからお教えする戦術級魔法の訓練にはついてくることができません。生半可な気持ちで仰っているのであれば、ここで脱落するでしょう。そして本当にあなたに苦しい訓練をやり遂げる気概があったとしても、才能がなければ戦術級魔法は修めることは叶いません。発動すらままならないでしょう。それに、私がどう思おうとも、そして今この場で私たちがどれほど言葉を尽くしてやり取りを重ねたとしても、実際に体験してもらうのには及びません。真実はすぐに知れます。あなたが魔法を修得できたとき、あなたのその言葉が真実であったと分かります」
そう言って、彼は僕を促して歩き出した。
演習場を一つ貸し切っているらしく、そこへ向かうのだと言う。周囲には護衛以外は誰もいなかった。その道すがら、ユリウスが僕に言った。
「アルベルト様は、魔法がどういうものだと習いましたか?」
「教科書には確か、恩寵、奇跡、人の祈りがこの世に現れ出でたもの、星の囁き、ほかにもいろいろあるけれど、概ねそういった風な呼ばれ方をしていると教わったよ」
「ええ、その通りです。私が学園にいたころには教科書にそのように記載されていました。どうやら私が学園にいた頃と全く変わりは無いようです。そのどれもが正しくて、ですが実際にその意味を真に理解している者は多くはありません。理解していない者は、魔法の高みへと至ることは叶いません」
そう彼が言ったとき、その歩みが止まった。どうやら目的地に着いたらしい。
「この訓練を通じて、あなたが理解することを願います。さぁ。ではアルベルト様。突然ではありますが、あなたがどの程度の実力をお持ちか私にこの場で示してください」
そう言って彼が指し示した先には何もない開けた空間があるだけだった。周囲を木々に囲まれ、僕らの様子を窺い見ることはできない。
「それは、ここで魔法を披露しろということだね?」
「ええ、そうです。あなたに最も上手く扱える魔法で、できるだけ規模の大きな魔法を私に見せてください。それでどの程度のところまでアルベルト様が到達しているのかがわかります」
「それはすごい」
「ただし、失敗する可能性の高いものや実力に見合わない高度な魔法はご遠慮ください。気負う必要はございません。基本的な魔法でも籠める魔力量が十分に大きければ私には実力が計れます」
「僕は光の魔法を習いたいと思っているんだけれど、得意な魔法は闇なんだ。闇の魔法でも問題ないのかな」
「はい。大丈夫です。どうぞお願いいたします」
僕は彼の言葉に頷く。すると、彼はそれを確認するなり距離をとるために歩き出した。
「アルベルト様。一つだけ。自身が何を成したいのか、しっかりと意識してみてください」
「わかった」
僕は広い演習場に立って、一人意識を集中する。
僕はこれから何を成したいのか。
彼の問いかけが耳の奥で繰り返し響いている。そんなのは決まっていた。
もう三年たった。あの日から、三年の月日が過ぎた。
あの時の決意はまだ僕の胸の中にある。
僕は自分の決意を強く強く意識した。それから一つ息を吸う。魔力が全身に行き渡るのが分かった。それからそっと言葉に思いを乗せる。僕の言葉は辺りに小さくしかしはっきりと響いた。
それは祈りの言葉。
体内の魔力がざわりと動いた。呪文とともに、自分の魔力が失われていくのが分かる。
すぐに魔法の効果が現れ出た。僕の周囲に漆黒の闇が広がる。じわりじわりと周囲の空間を侵食していく。光を音を空気の流れを吸い込んで、静かな闇が広がっていく。僕の内側から、夜色の闇が生まれ出てくる。
もはや意識などしなくても発動させることができる。
だから僕は、試験の最中だというのに、別のことを、三年の魔法技能演習大会のことに意識を向けていた。あの時僕は気づいていた。彼が僕の演技を食い入るように見ていたことを。
彼の視線が意識される。そして今、何故かそんなはずはないのに彼に見られているような、そんな錯覚を覚えた。高い高いところから、僕を見下ろしている……。
キースの顔が頭の中に浮かんでいる。それは、僕をにらみつける彼になった。目まぐるしく変わっていく。
挑むような顔、酷く傷ついた顔、命を張って黒竜を止めようとした彼の真剣な顔になった。それから、嗚咽をこらえて涙を流す彼が、困ったように笑う顔が、恥ずかしそうに目を伏せる彼が見えた。
彼のことを平凡だなどと評した僕は、なんと愚かだったのだろうか。ふとそんなことを思った。そして、僕の目に留まる、などと言い放った傲慢な過去の自分に恥ずかしさすら覚えた。
今の僕ならば、そんな風には絶対に言えないだろう。
そんなことを一つ一つ思い出したり考えたりしながら、目の前にユリウスがいるということを完全に忘れ去ってただ魔法を発動させ続けた。
どれだけの時間が経ったのか。
「十分です。止めてください」
突然、ユリウスの言葉が耳に届いた。
彼がそう言って僕を制止したとき、僕はぼんやりしていて、にわかには自分がどこにいて何をしていたのか思い出せなかった。
言われるがままに僕は魔力の放出を止めると、ほっと息をついてユリウスを見た。
「さすがです、アルベルト様。あなたは、もう意味をご存知のようだ。呪文が祈りであるということの本当の意味を」
「そうだろうか?」
「はい。私にはわかります」
ユリウスは本当に感心したという風に何度も頷いている。
「よろしいでしょう。魔法を伝授いたします」
そう言いながら、彼が近づいてきた。ゆったりとした歩みで、僕のすぐ側まできた。
「ですが、きっと使う機会はありませんよ」
そう言った。
それから、僕の日課に魔法訓練が組み込まれることとなった。僕自身が預かる中隊の運用については、ギルとエイブラムの二人に任せてあるので問題は無かった。
ユリウス自身も忙しいだろうに、時間を見つけては僕に訓練を施してくれた。時には別の者、つまり彼の部下なんかが指導へ来てくれることもあったが、概ね訓練にはユリウス本人が来た。彼の指導は実に的確で分かりやすかった。
そして、最初に言われていた通り今までにないほどの厳しい訓練だったけれど、僕にとってはとても有意義な時間だった。
春が過ぎ夏がやって来て、その夏の終わりごろに、僕は一つの魔法を修得することができた。




