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(完結)男二人、ヤマアラシのジレンマ故に  作者: たろう


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遅い時間だから泊っていけという僕の言葉にも、エリックは急がねばならないということで夜中の二時に帰っていった。


僕は彼を見送ってからすぐにベッドにもぐりこんであっという間に眠りに落ちると、翌朝は二日酔いもせずに目を覚ますことが出来た。ぐっすり眠った感覚はあったが、頭はまだはっきりしない。暗い部屋の中、カーテンの隙間から差し込む光に時計を見ると、昼を回っていることが分かる。


ぼんやりとしている頭を働かせ、シーツの中で怠惰に寝そべりながら今日の予定を頭に思い浮かべた。


二月四日。そうだ。今日は久しぶりに何も無いんだった。そして、今週を乗り切ればしばらく体が自由になる。そうしたら、キースと出かけることができる。


そう思い至ると僕の頭はあっという間に覚醒して、さらに気分が軽くなる。全身を興奮が満たした。


我ながら単純だなと思いながらベッドから降りると、僕が目覚めたことに気配で気付いた従僕の誰かが寝室の扉を叩いた。


返事の後少しして静かに扉を開けたのはロベルトだった。


「おはようございます、アルベルト様」

「おはよう」


そう言いながら窓際まで歩くと、彼がカーテンを開け放った。眩しい光が部屋を満たす。


「昨夜は大変遅い時間にお休みだったみたいですね」

「うん、そうなんだよ。エリックと二人で飲んでいてね。寝入ったのがたぶん三時の少し前だったと思うよ」

「それはそれは。お体の調子はいかがでしょうか。具合が悪いようでしたら何か薬湯か、あるいはお茶を用意しますが」

「問題ないよ」

「ようございました。ところで既に昼餐の時刻ですが、すぐにお食事になさいますか?」

「いや、その前にシャワーを浴びるよ。酒臭いだろう?」

「承知しました。浴室はいつでもご利用可能です。お食事はお部屋と食堂とどちらでお摂りになられますか?」

「部屋で食べるよ」

「では、時間を見て用意させます。メニューのご希望はありますか?」

「特にない」

「承知しました。アルベルト様の本日のご予定は特にございません。久しぶりに午後はどちらかへおいでになられますか?劇場など?今はバレエの舞台がご婦人方に人気があるようですよ」

「そうだなぁ。食事をしながら考えてみるよ」

「それが良いですね」

「そうそう。来週のどこかで、キースと出かけようと思うんだ。以前話した社会福祉局採用のお祝いの件だよ」

「お食事にお出かけの件でございますよね?準備は済んでおります」

「良かった。だいぶ待たせちゃったからね。本当はすぐにでも誘いたかったんだけど、ここ一月ずっと忙しかっただろう?しばらく待ってくれるように頼んでいたんだ。来週学園へ行ったときに彼に都合の良い日を聞いてみるよ」

「はい。いつでもご予定が立てられるように既にお席は確保しております」

「ありがとう。後でレストランの候補の一覧を持ってきてくれ。今日の夜にでも検討しよう」

「畏まりました」


僕は寝室を出てさっさとシャワーを浴びるべく歩き出すと、後ろからロベルトに呼び止められた。


「アルベルト様」

「うん?何かな」


振り向くと、彼が少し難しい顔をして立っていた。


「キース様の件で思い出したのですが、本日の午前中に社会福祉局より局長のジャーヴィス・デクスター様がいらしていました」

「社会福祉局……?」

「お知らせするのが遅くなりすみません」

「いや、構わないよ。それで、彼はなんと?」

「はい。アルベルト様がお休み中である旨を伝えると、時を改めると仰って帰って行かれました」

「なんだろう。要件は言わなかった?」

「はい。大した用事ではないのでまた来るとのことでしたが、きちんと窺っておくべきでした。申し訳ございません」


僕は嫌な気持ちがざわざわと胸の奥に湧き上がるのを感じた。何か起きた?社会福祉局ということは、キースに関連したことだろうか。


「いや、構わないよ。ロベルト」

「はい」

「午後はそのジャーヴィスに会おう。連絡をとって再度呼び出してくれ。できるだけ早く、可能であれば今日中、遅くとも明日中で頼む」

「畏まりました。社会福祉局の方へすぐに使いを出します」

「頼むよ。食事は手軽に食べられるもので良い」

「承知いたしました」


僕は不安を抱えながらシャワーを浴びて身ぎれいにすると、軽い食事を摂った。その間に、使いに出していたものが、ジャーヴィスを伴って戻って来たという知らせが届いた。僕はロベルトに手伝ってもらって身支度を済ませると、局長との面談に臨むことにした。


自室の椅子に腰かけるとすぐに彼を呼ぶ。ジャービスは姿勢を低くして入室してくる。


僕は挨拶もそこそこに今朝訪ねてきた彼の要件を尋ねてみると、彼は長い前置きの後でやっと要件を話し出した。それは僕の全く予想もしていなかったことだった。


「キースが辞退……?」

「はい。ご連絡が遅くなりまして誠に申し訳ございません」


彼の言葉に僕はただ茫然として、返事をすることも忘れていた。


最初に思ったのは、また僕の前からいなくなるのかということだった。次に頭に浮かんだのは何故かということだった。


どういう理由でキースは自分から辞退したのか?


答えの無い問いが頭の中でぐるぐると駆け巡っていた。


目の前に座る局長が、僕の怒りを買わないよう何かしらの言葉を重ねているが、僕の耳には全く入ってこなかった。


「いや、構わない。詳細を話してくれ」


気持ちを立て直した僕は、彼の話を聞く体勢を取った。とりあえず聞いてみなければ何もわからない。


「はい。本日午前中に採用担当の者が書類をまとめて私の元へ持ってきました。その書類を仕分けているときにキース様が採用を辞退したい旨の手紙を送ってきていたことに気付きまして、慌てて午前中にお伺いをさせていただきました。採用担当の者は大変申し上げにくいのですが、殿下がご友人である彼の採用について非常に気を使われている事実を失念しておりまして、そのまま対応しようとしておりまして。それで気付いた私がすぐさまご報告に上がろうと参った次第です。さきほどはお休みのところ、先ぶれも出さずに押しかけてしまい誠に申し訳ございませんでした」

「構わないよ。気づいた時点ですぐに行動してくれて助かった。あなたは全く正しい判断をしたと私は考えている」

「ありがとうございます」

「それで、その、彼が断わって来たというのは本当に間違いではないのか?」

「はい。文面自体は極めて簡潔です。間違いようもございません。また、正式な封書で期限内に届くよう余裕をもって郵送されてきておりました」

「そうか……」

「今こちらに現物をお持ちしております。確認いたしますか?」

「あぁ、見せてくれ」


用意よく彼はキースからの手紙を持参していた。クリストフが彼からそれを受け取ると僕に手渡して来る。


封筒の表面を確認すると日付は一月の二十日だった。中の便せんを取り出すと几帳面な彼らしい丁寧な筆跡が見えた。すぐに書かれている文字を目で追いかける。


そこには本当に採用を辞退する旨が書かれていた。相手に対する丁寧で配慮に満ちた文面だった。


全く意味が分からなかった。


彼はこのために今まで頑張ってきたのではなかったか?何故辞退した?何が起きている?


「殿下から、その者が不当な扱いを受けぬよう気を配ってほしいとのお言葉を昨年頂きましたので、気にかけてはおりました。実際選考に当たっては、平民だからと不利な判断を下さぬよう十分配慮して対応させていただき、実際に合格の通知書もキース様宛にお送りさせていただきました。昨年十二月のことです。その、こちらとしましては、一切の問題が無かったことは確認済みです。それで、彼からのこの辞退の返答でございましたので、こうしてご報告と今後の対応のご指示を賜りたいと思い参上いたしました」

「ありがとう。よく覚えてくれていた」

「いえ、とんでもございません」


そういって彼は汗をかきかき頭を下げた。


「これは私が預かっても問題ないかな?」

「はい。無論でございます」

「ありがとう。適切な対応を社会福祉局はしてくれたと私は考えている。君らに非はない」


僕の言葉に彼がほっとしたような表情をした。


彼が退室したあとも、しばらく僕は動けなかった。何故、という考えが頭を駆け巡っていたからだ。


そんな僕に、気を使ってロベルトがコーヒーをだしてくれた。そのかぐわしい香りと口に広がる苦みが僕を現実へと引き戻した。


僕はすぐに頭を働かせ始めた。これから取るべき行動を思いつき、間もなくどうするかが決まった。


とりあえず今すぐにでも彼にこの理由を問いたださねばならない。何故僕に相談してくれなかったのかと思った。


気持ちが落ち着き、やるべきことが定まると、今度は苛立ちが僕を満たしていった。


そして、馬車を手配してもらいすぐに学園へ向かった。三学年は今の時期午前中のみ授業がある。彼はきっと図書館か寮の自室にいるだろうと思った。


しかし、彼は図書館にはいなかった。だから、そのまま今度は学生寮へ向かった。到着してみると丁度午後の授業が終わったぐらいの頃合いで、中に人の姿はまばらだった。すぐに三階へ駆け上がる。部屋をノックしてみたが返事がない。ドアノブを回してみたが、鍵がかかっているようだった。仕方なく隣室の男に尋ねると、街へ仕事に出ているのだと言う。戻ってくるのは夜ということだった。


その言葉を聞いて僕はひとまず安堵する。


良かった。あの時みたいに、知らぬ間に居なくなっていたらどうしようかと心配だったが、それは杞憂だったということがはっきりした。


ほっとした僕は、ついでにいくつか彼にキースのことを質問をすると、ここ最近は彼が毎日のように仕事を入れていることが分かった。もうずっと学園は休んでいるのだと言う。


僕のあずかり知らぬところで何かが進んでいる。


やきもきする気持ちを抑えて夜を迎えると、僕は再び学園の寮を訪れた。


寮内は活気に満ちていて、あちこちから楽しそうに笑う声やなにやら叫んだり、怒鳴るような声も聞こえてきて、僕は面食らう。キースの言う通りだった。


僕はまっすぐ玄関ホールを抜けて階段を上り三階を目指す。


僕の登場に寮内がにわかに静まり返った。何人もの生徒らが、目配せしあったり耳打ちしあったりしていたが、僕には今はそんなことはどうでもよかった。


「騒がせてすまない。ちょっと友人に用があってね。それが済んだらすぐに出て行くよ」


僕は慌てて出て来た管理人夫妻にそう言った。余計な気遣いは不要だったので、構わないよう頼むと、高齢の彼らは曖昧に頷いた。


ギシギシとなる階段を上って、西棟最上階の最奥の部屋を目指す。


すぐに目的の部屋の前に到着した。


僕は一つ息をして、気持ちを落ち着けてから扉を叩いた。


中からいらえの声がして、すぐにキースが顔を出した。


彼はシャワーを浴びたばかりのようで、少し髪の毛が濡れていた。


扉を開けて、思いがけない人物がいることに驚いたのだろう、彼が目を見開いて言葉も無く立ち尽くし、それから戸惑いの表情を浮かべた。それから彼の視線が中空をあてどなくさ迷う。


僕はその反応に、彼にはそんな意図はなかったのかもしれないが、僕に隠し事をしているが故の反応なのではないかと思われて、少しだけ傷ついた。


僕とキースはお互いにしばしの間無言だった。


立ち直ったのは僕の方が早かった。


「入ってもいいかな?」


努めて平静を装ったけれど、もしかしたら言葉の端に抑えきれぬ感情の響きがこもってしまったかもしれない。キースが視線を伏せた。


「あの、どういったご用件でしょうか」

「入ってもいいかな?」


僕は彼の質問には答えなかった。


「あ、あの、談話室では駄目ですか」


キースがそう言ったすぐ後で、階下から誰かの大きな叫びにも似た笑い声が響いてきて彼は口を閉ざした。


「談話室?」

「いえ、何でもありません」


キースの背後に、彼の部屋がある。机が見えた。


机の上にきちんと立てて並べられていた教科書類は、無かった。


「教科書が無いね」

「え?」

「机の上。以前はあったのに」

「あ、はい」

「なんで?」

「いえ、その」

「まだ授業はあるよね。僕は忙しくて学園には行っていないけれど」

「……はい」

「さぼったりなんてしないよね。君は真面目だからね」

「いえ、あの」

「うん?」


僕は彼が学園を休んでいることを知らないかのように振舞った。


キースは僕の表情からここへ来た理由を探ろうとでも言うようにじっと見つめて、諦めたようにそっとため息を吐くと、脇へよけて僕を室内へ誘う。


「ありがとう」


僕は部屋に入ると前と同じように椅子に腰かけた。キースはベッドの上に姿勢良く腰掛ける。座っている物の高さとお互いの身長差から、自然見下ろすような恰好になった。キースが内心の後ろめたさを隠さず、小さくなっている。


「ごめん。そんなに怖がらせるつもりはなかったんだ。謝るよ」


その様子を見て僕は反省した。自分の苛立ちを相手にぶつけても意味はないというのに……。


「今日ね、僕のところに社会福祉局の局長が来たんだ」


キースが目に見えて狼狽えたのが分かった。


「彼はね、君が僕の友人だと知っているんだ。以前ちょっとしたお願いごとをしたから、お互いに既知の間柄だったんだけど、その彼がね、言うじゃないか。君が採用を辞退したって」

「それは……」

「僕は今日ここへその理由を聞きにやってきたんだ」


キースはじっと床を見つめている。


「でもね、ごめんよ」


彼が顔を上げた。


「僕に君を責める理由なんてこれっぽっちも無いってことに、たった今気づいたんだ」


そうだ。冷静になると、僕には彼の人生をどうこうする権利が無いことに思い至っていた。なんて愚かなんだろう。


「ごめんね」

「いいえ、そんなこと……」

「もし君が言いたくない理由があるのならそれでも構わないんだ。ただ、一つだけ聞かせて欲しい。誰かに辞退するよう強要されたのかい?」


僕は一番の懸念を彼に聞いた。これだけはどうしても知っておかねばならない。


「あの、いえ、そういう事実はありません。入局の意志を翻したのは、私の意志です」

「そう。なら良いんだ」


とりあえずホッとする。


「けど、僕に一言相談してほしかった」

「すみません。一度都合を聞いたんですけど、忙しいようでしたから」


その言葉で僕は思い出した。冬休み明けの初日に彼が僕の都合を聞いてきたことを。すっかり忘れていた。ため息が口を衝いて出た。自分の馬鹿さ加減に対するため息だった。


「そうか……。ごめん、完全に忘れてしまっていた」

「いえ、私も、はっきりとは言わなかったので……」


部屋に沈黙が落ちた。


そこは二つの気配が入り混じっているように僕には思われた。僕にはキースに話せないことがある故の沈黙があり、そしてキースにも僕に話せない何かがあるようだった。彼は一体何を抱えているのだろうか?


「ねぇ、キース」

「はい」

「入局を辞退して、それで、それで君は、どうするつもりだったんだい?」


僕の言葉にキースが明らかに動揺したのが見て取れた。僕は首を傾げる。彼は何を隠しているのか、全くわからなかった。


「どこかに就職はするつもりなんだろう?」

「ええ、はい」


煮え切らない返答だ。


「まさか故郷に帰るとかかい?出身の孤児院に何か問題が起きたとか?ならば僕にできることであれば手を貸すよ」

「いえ、違います」

「そう。良かった。孤児院の運営はこの四月から補助金もきちんと届けられるようになる。運営は正常化される。安心してほしい」

「はい。本当にありがとうございます」

「うん。それじゃあ、君は卒業後どうするつもりだったんだい?もう教科書は処分してしまったんだね」

「はい。後輩にあげました。私のメモ書きが役立ちそうだから欲しいと言われて」

「なるほど。君の手書きの情報があればテストで点を取る助けになりそうだ」

「さぁ、どうでしょう」

「教科書を処分するのはいいけれど、最近は授業に顔も出していないようだね」

「そんなことまで……」

「君のことだからね。それで、毎日学園から出て働いていると言う。卒業後のための準備かい?そんなにお金が必要なほど君は困っていた?」

「……いえ」

「もしそうなら気付かなかった僕の落ち度だ。すまない」

「困ってはいません。大丈夫です」

「では何故なんだろうか」


キースは無言になった。何かを考えあぐねている。言うべきか言わざるべきかを悩んでいるようだった。


僕は急かさなかった。ただ、彼の意志に任せた。


「遠くへ行こうと思って……」


思いもよらない言葉が彼の口から出てきて、僕は頭が真っ白になった。言葉が上手く口から出てこない。ただ、頭の中を何故なのかという疑問が渦巻いていた。


「どうして……」


僕はそれだけの言葉をやっと言うことができた。


「僕から離れたくなった?」


徐々に頭が回り始めて、僕はとっさに思いついたままにそう尋ねてしまっていた。


「いえ、そういうわけでは……」


彼が小さく言った。僕はその返事に安堵する。それと同時に再び苛立ちが湧き上がってきた。僕の前からまたいなくなるつもりだったという事実に。


「では何故?何か問題が?王都から君が離れる理由は無いはずだ」

「やりたいことが、あるんです」

「やりたいこと?一体それは何だ」


僕はつい強い口調でそう言ってしまっていた。


「僕から離れて、王都から離れて、そして故郷の孤児院に帰るわけでもない。じゃあどこへ行こうと言うんだ。キース?正直に言うんだ」

「ドラケンヴァルトの方へ行くことを考えています」


またも言葉を失ってしまう。ドラケンヴァルト?辺境?なぜ?意味が分からない。どうしてそういう考えに至った?


「どうして、そんな場所へ?あそこは危険だ。辺境へ君が行くことは絶対に許さない」


ここに来て前世と同じ行動を彼が取り始めたと思った。しかもよりにもよって辺境!


あそこは駄目だ。今ですら紛争地域に指定された場所だ。しかも今後連邦との間で確実に衝突が起きる。彼を行かせるわけにはいかなかった。危険すぎる。


「辺境軍に入ろうと思っています。やらねばならないことがあるんです」


しかしキースは怯むことなくそう言い切った。そしてまっすぐに僕を見上げている。


その目は真剣そのもので、固い決意がはっきりと見て取れた。思いつきや軽い気持ちでそう言っているわけではないことが、僕にも分かった。


「理由を聞いても?」


僕は自分の感情が急激に萎んでいくのを感じた。キースを止めることはできないと思った。彼は自分の意志を持つ一人の人間なのだから。


その言葉に、彼があからさまにほっとしたような表情を浮かべたのが分かった。


「あなたのおかげです。アルベルト」


彼は思いもよらない言葉を口にした。


「どういう……」

「私はずっと悩んでいました。孤児を助けたいと考えていましたが、その方法を、どういう道を選ぶべきかを、ずっと考えていました。一つは、社会福祉局に入ることでした。入局し、この国にいるたくさんの子供らを救いたいと思った。孤児院の運営に手を貸したかった。不正が横行しているのを知っていたからです。ですが」


キースが言葉を区切って僕を見た。その目には感謝と喜びとが混じっている。


「あなたがそれを正してくれました。歪みは解消され、各地の孤児院は正しく運営されるようになるでしょう。大きな、巨大な問題が一つ解決されたのです。もちろん、今後の様子を注意深く見守っていく必要があるとは思いますし、まだまだ問題はあります。ですが、あなたがいます。あなたの名が、正しい方向へこの国を導いてくれるでしょう。だから私は別の、選ばなかったほうの道を行くことにしました」

「それは……」

「二つ目は辺境へ行くことでした。何度も相談しようと思いました。手紙を書こうとも考えました。でも、そうしませんでした。すみません」

「相談してくれたら良かったのに」

「いいえ、これは私の問題です。私の人生です。だから、自分で決めるべきことだと思いました」


彼の言葉には一切の迷いが無かった。


「辺境は危険な地域です。あなたが私を心配してくださるのも分かります。嬉しいです。ですが、それを理由に止めようとは思いませんでした。なぜならそこは、この国で最も孤児が生まれる場所だからです。彼らのうち、男は辺境軍へ入隊し、女は娼館へ入る以外に人生の選択肢がほとんどありません。そして、軍に入隊した孤児院出身の男たちは娼館へ通い、各地から集まった男たちもまた娼館を利用します。彼らは若くして死んでしまいます。そして、女たちは望まぬ妊娠から出産をし、そして、死んでいきます。危険な紛争地帯では、軍人の娼館利用者の割合はとても大きい。皮肉なことに、向こうでは孤児の親の多くは孤児院の出身なのです。彼らは大人になって、自らと同じ哀れな孤児を生むのです。私は、彼らを救いたい。できることは多くは無いでしょうが、彼らが無事に生きられるよう手伝いたい。そう思いました」

「でも何も君がやる必要は……」

「ありがとうございます。アルベルト」


彼が僕の言葉を遮るようにそう言った。


「あなたのおかげで、私は見捨てなくてすみます。無駄に死んでいく子供らを見捨てなくて済みます。本当にありがとうございました」


そういって、キースが深々と僕に礼をした。


とても、行ってはいけないなどと言える雰囲気ではなかった。


「何の心残りも無くやるべきことをやることができます。あなたには本当に感謝しています」


彼は、決意の籠った声で、はっきりとそう言った。


この決意は覆せないと、僕には分かった。

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