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僕は年明け早々に伯父への面会を希望して、卒業後の身の振り方について相談するための席を設けてもらう算段をつけることができた。
一月一日の新年の集まりにやってきた彼に、近く個人的に話をしたい旨を内密に伝えると快く承諾をもらうことができ、早速一月十日に伯父のタウンハウスへと足を運ぶことと相成った。どうか内密にとお願いしたおかげで、会いに行ったその日は従兄妹たちは伯母と外出していていなかった。
その日は丁度冬期休暇の最終日だった。
良い天気の中を僕は馬車に乗って久しぶりに伯父の所有するタウンハウスを訪れた。
学園からさほど遠くない位置にあるそれは、王都の中心地にあり、侯爵家所有の建物として十分な大きさと重々しい外観を誇っている。
執事の男に案内されて入った応接間には、趣味の良い調度品に囲まれた伯父が既にソファに座して僕を待っていた。
伯父であるサルバドール・エンデローサ公爵は、あのクラーケンの討伐を成し遂げた功績もそうであるが、軍入隊後には独力で王立軍総帥という地位にまで上り詰めた傑物である。もちろんそこに王家の威光や彼への周囲の忖度がなかったわけではないだろうが、そのほとんどは実際彼の実力だった。
父は決して彼を特別待遇で軍の要職へ就けるよう手を貸したりはしなかったと聞いているし、入隊後に彼は大小様々な功績を次々と挙げて、独力でその地位を盤石のものとしたのだそうだ。
そういう人物であるため、伯父は普段とても忙しく働いていてなかなか会う機会が取れない人物でもあった。これだけ早く話をする機会を持つことができたのは、時節柄故ではあったかもしれないが、それでもなお非常に幸運なことだった。
しかし、僕たちが伯父と私的な場で滅多に会えないのは、その忙しさのためだけではない。
誠実な伯父は、自分から王位継承権を捨てたことに対する一種のけじめという意味からも、仕事以外ではほとんど王宮へ顔を出すと言うことを避けていた。口に出して彼がそうと言ったわけではないが、おそらくそうであろうというのが僕らを含めた周囲の認識だった。
久しぶりにやってきたエンデローサ公爵家のタウンハウスの広い応接間の扉が開かれた時、彼はどっしりと構えて座っており、僕の入室に合わせて彼は立ち上がると、はきはきとした声で僕を歓迎してくれた。
叔父が挨拶のために差し出した手は大きい。それを握ると力強く握り返された。その手の表面はがさがさとして荒れており、今もなお日々の鍛錬を欠かしていないだろうことが窺えた。
それからソファへと誘導され彼の前に腰かける。私的な場であるがゆえにあまり見ることのない伯父のラフな格好は、実際彼にとても良く似合っていた。普段王宮で見かける仕事向けのかっちりとした装いと表情とを取り去れば、そこにいるのは真に気の良い男が一人あるだけだった。
しかし、その外見は気の良いと形容するには些か厳つすぎる。今僕の前で笑みを浮かべているがそれでも全くぬぐい切れていない、一頭の凶暴そうな野獣といった見た目であり、顔や腕や手などの見える範囲に残る傷跡が、笑み崩れてなお獰猛さが抜けきれない一因となっていた。
小さいころは僕はこの笑顔を見て泣いたことがあるらしい。今はもうそんな失態は犯したりしないが、現在は代わりに弟がこの笑みを苦手としており、そのことに伯父は少なからず落ち込んでいるのを僕らは知っていた。
伯父上は僕から見ても非常に大柄で、齢五十の半ばを過ぎた今もなお筋骨隆々たる体格を維持し、非常に勇ましい尊顔とも相まって、まさしく歴史に残る偉業を為した勇者に相応しい雰囲気を醸し出している。
きっと老齢に差し掛かった彼と今の僕が手合わせをしたとして、きっと彼に勝つことは不可能だろうと思われた。
その一方で、彼は愛妻家としても有名だった。結婚して二十五年近くが過ぎてなお妻であるヘンリエッタ公爵夫人に対する溺愛ぶりは変わらない。故に、国内随一の愛妻家は誰かという問いが出るような時には、人の口に上らないことのない人物でもあった。
「今日はこちらが無理を言ったのにも関わらず、お忙しい中お時間をいただきありがとうございます、伯父上。本当なら伯母上と一緒に時間をお過ごしだったでしょうに」
「なぁに、気にするな。もともと今日は妻と子供たちで外出することになっていたからな。前から見たいと言っていた舞台を観劇するのだそうだ」
「そうなんですね。花と獣ですか?」
「そうそう。そういう名前だった。さすがアルベルト」
「非常に評判の良い舞台だと聞いています。僕自身はまだ見ていないのですが」
「そうか。帰ってきてから話を聞くのが楽しみだ」
メイドが僕と伯父の前にティーカップを置くと、静かに部屋から退室していった。内密な話がしたいといった言葉を伯父は正しく理解してくれていたようだ。
「こうして二人きりで話をするのは、もしかしてほとんど初めてではないか?」
「ええ、そう記憶しています。小さい頃に僕が泣いてしまった一件以来ですね」
「そうか」
伯父が僕の言葉にひとしきり笑った後で、僕をじっと見た。
「すっかり大人の男の顔付きだな。アルベルト。もうお前も学園を卒業する歳だったか?ついこの間エスメラルダが卒業したばかりだというのに、時が過ぎ去るのは速いものだ。何分忙しくてこうして親戚づきあいもままならない身であれば、こうしてお前と話ができる時は貴重だ。今は男同士腹を割って話をしようじゃないか」
伯父がお茶を一口飲んだ。
「それにしても、アルベルト。新年の集まりのときも思ったのだが、お前随分と体を鍛えているようだな。そこらの騎士と比べても全く遜色のない体の仕上がり具合だ。一年前と比べるとまるで体格が別人のようだぞ」
「伯父上にそう言っていただけるととても嬉しいです。励んだ甲斐があります」
「筋肉の張りのせいで服の上からでもわかるほどだ。生半可な鍛え方ではないようだ」
「ですが伯父上にはまだまだ足元にも及びません」
低い声で鷹揚に彼が笑う。
「そう簡単に追い越されては俺の立つ瀬が無いと言うもの。これでも今もまだ日々の鍛錬は欠かさない。まだまだ若い者に負ける気はせんよ。しかしだな、アルベルト。お前が体を鍛えることにそれほど打ち込むとは思ってもみなかった。別段どうということはないが、王太子としてはそこまで鍛える意味は無いのではないか?まさかただの道楽とは言うまい」
「不要と言われればそうかもしれませんが、これは決してただの気晴らしや道楽の結果ではありません」
「目的があると?」
「はい」
伯父上が上機嫌になるのが分かった。
「さてアルベルト、お前が今日ここへ来た理由をそろそろ聞いても良いか?何か面白い話が聞けそうだ」
伯父は笑みを浮かべた穏やかな顔で僕を観察しながらそう切り出した。
「新年の集まりの場では言えない内容だというが、俺にはさっぱりわからない」
僕はここで初めて出されたカップに口をつけた。乾いた口腔を香り高い茶が潤す。
「実は、軍に入団したいと考えているのです」
僕は単刀直入に答えた。
僕の言葉に伯父の緑の目が見開かれた。その瞳は窓からの光を受けて一瞬煌いたように見えた。
「理由を聞いても?」
「やらねばならないことがあるからです」
僕ははっきりと彼の目を見ながらそう言った。隠し事はできないと思った。
「そのやらねばならないこととは?」
「まだ推測の域を出ないので……」
僕は嘘をついた。
「それでも構わない」
伯父の目は真剣だった。
「隣国に妖しい動きがあります」
「……それはどの隣国だ?」
「辺境の向こう、草原の七部族連邦です」
「まさか。仮におかしな動きがあればウェッジウッド辺境伯が見過ごすはずはない。思い違いではないか?」
「であればよいのですが」
「何か情報を掴んでいるというわけか」
「掴んでいるというほどの確証をまだ得られたわけではないのです。ただ一つ気になることがあり、調べる必要があると思いました。ですが私にはなんの力もありません。だから、この懸念を払しょくするためにも僕の手足となって動いてくれる者が必要だと考えました。できれば自分で調査したい」
考え込むようにして目の前の伯父が黙り込んだ。
「辺境は今だ紛争地域です。普通の人間を送り込むことはできません。それになんの証拠もないままでは人を動かすことはできません」
「確かにそうだな……。だから自分で動こうというわけか」
「はい。実際に働いてもらうのは軍の人間になりますが。それに私が軍に籍を置いていれば、伯父上や軍関係者とやりとりをしていても不審には映りませんし、何かあった場合、私の演習という体で軍を一部派遣運用することも可能と考えています」
「そこまで深刻な状況だとお前は考えているのか?」
「最悪の事態を想定して動くべきだと思っているだけで、実際にどれほどかは分かりません。杞憂かもしれません。だから自分で動く必要があると思いました」
「その体の出来具合は、であればお前の覚悟の証ということか……」
伯父の言葉はそこで途切れた。
「場合によってはお前が前線に立つ可能性もあるが、それでも?」
「はい」
僕は頷いた。
伯父が顎を撫でさすって考える仕草をして彼は口を閉ざした。部屋には重い沈黙が落ちている。微かな時計の秒針が時を刻む音がする。
「なるほど。アルベルトには給付金に関する不正を暴いたという前例もある……。分かった。力を貸そう」
「本当ですか?ありがとうございます」
「だが、すぐには無理だ」
「はい、わかっています」
「あいつには、お前の父親にはこの件はもう伝えてあるのか?つまり、入団したいということと調査をしたいということだ」
「いえ、まだです。憶測だけで忙しい父を煩わせてもいけないと考えました」
「なるほど、わかった。だが一つ条件がある」
「はい」
「私も軍を預かる身。王太子だからといって優遇しては、軍の士気にも関わる。勝手をされても困るし、また今後どんな不慮の事故があるかもわからない。子供の遊び感覚で居座られけがをしたり、現場の風紀を乱すようなこともあってはならない」
「はい」
「故に、お前に入団試験を課そうと考えている」
挑むような目で僕を見つめる伯父上の視線を、僕は真正面に受けた。
「お前の覚悟は確かに受け取った。だが、それでも審査がいる。コネで入団したのではないという証が」
「審査ですか?」
「そうだ。試験を行う。アルベルトにはこちらで用意した者との一対一での決闘に参加してもらうのが良いだろう」
「わかりました。それで勝てばよいのですね」
「そうだ。だが簡単ではない」
「はい」
「お前の下につく者が、納得できる実力を示せ。こちらからは、それなりの腕の者を用意する。学園でのお前の剣術の成績はそれなりに高い。期待している」
「わかりました」
「入団試験の日取りは追って知らせよう。それまで気を緩めず訓練に励め。それと、この件については私からお前の父にうまく話を通しておく。軍の内情を知っておきたいだとか甘えた根性を治したいだといったような適当な理由を考えて、お前からも話を通しておいてくれ」
「わかりました。ありがとうございます」
僕は自分の日々の予定に、追加で試験に向けた剣術の訓練を書き加えることにした。その後、七部族連邦の様子について話し合ったり、今後の僕の予定などを話題になってその日は終わった。
伯父との面談から数日して、冬期休暇が明けた。
僕は久しぶりに学園へと向かった。行く必要はなかったが、キースに会うためだった。
一月半ぶりの教室は以前と異なる雰囲気に包まれていた。
もう第三学年は午前のみの課業となる。ほとんどの生徒は卒業後の進路の準備で授業どころではなかったので、来ていない生徒がちらほら見られた。来ている生徒も、場合によっては結婚して相手方の家へ入る者や、領地へ戻ったりする者とが居て、そう言った生徒らは残り少ない友人たちとの日々を楽しもうとあれこれお互いを遊びに誘い合うのに余念がないようだった。
僕自身もこれからは、公務が増えるため、その準備で明日から学園を欠席することが決まっていた。さらに軍入団試験のための訓練も追加された。忙しさは今までと段違いだった。
今日はそのことをキースに伝えるために、そしてキースの採用結果を聞くためだけに学園へと足を運んだ。
あまり集中できなかった午前の課業が全て終わり放課になって僕が席を立ったとき、なんとキースのほうから僕の元へとやってきた。どうやら彼も話しかける機会を窺っていたようだ。朝に挨拶をしたときは何も言ってこなかったのは、人目を気にしてのことだったのかもしれない。
思いもかけないことに驚いたが、純粋に嬉しかった。
「やぁ、キース。朝も伝えたけれど、もう一度あけましておめでとう。あれから風邪などひいたりせず、元気にやっていたかい?」
「あ、あけましておめでとうございます。おかげさまで恙なく……」
「それは良かった。本当は君に連絡をと思ったのだけれど、年末年始は何かと付き合いや親族の集まりで多忙でね……」
「休暇期間中でもそれでは気が休まりませんね……。お疲れ様です。どうか体調にだけはくれぐれも気を付けてください」
「うん、ありがとう。その言葉だけで疲れなんてなくなってしまったよ。そうだ。年末年始に君に会えなかった分、今度どこかへ出かけよう。忙しくて今すぐというわけではないのだけれど、卒業前に。いいだろう?」
僕はキースに笑いかけたが、キースはぎこちなく笑み返しただけだった。周りの目を気にしているのだろう。
「さて、それでキース。どうしたんだい。君から学園内で声を掛けてくれるなんて珍しい」
「はい。実はその、この後、時間はあるかお聞きしたくて。お話したいことがあるんです」
「長くかかりそうかい?実は今日はこの後すぐに向かわなければならないところがあるんだ。大変申し訳ないのだが、そのせいで長くは時間が取れないんだ」
「あ、そうなんですね……」
「短時間なら全然問題ないんだ。というのも、実は今年から僕個人の公務や参加しなければいけない集まりなどが増えてしまってね。学園を卒業するということもあり、王子として成人と同じだけの仕事を振られるようになったんだ。さらには、君も知っていると思うけど、一月末から本格的な社交シーズンが始まるだろう?今はその準備に追われていてね……」
「あぁ……。それはさぞお忙しいでしょうね」
「そうなんだよ。でも、君のために少しなら時間を都合できるよ。話とは何かな。僕に相談事かい?」
「いえ、あの、相談と言いますか」
キースが逡巡する様子を見せた。
「うん」
「……やっぱり大丈夫です」
「そんなわけないだろう?遠慮せず言ってくれ。僕は君の役に立ちたい。ね?」
「それでしたら、明日はどうでしょうか。明日じゃなくてもいいんです。時間に余裕のある日はありますか?」
「ごめん。明日も無理なんだ。それどころか今月はもう学園へ来ることができない」
「それは……そうですか……」
当然彼に伝えたように種々の準備もあって忙しかったが、それに加えて、月末にある入団試験に向けた個人訓練の予定も詰まっており、忙しさで身動きがとれなくなっていた。
僕の言葉にキースの表情が曇った。
「急ぎの用事だろうか?もしそうならなんとか時間を作れるよう調整してみるよ」
「あの、いえ。そこまでしていただく必要はありません。その、大した用事ではないんです」
「本当に?君からわざわざ僕に声をかけてくれたことだ。大したことではないだろう?」
僕は探るように彼の目を覗き込んだ。意を決したようにキースが一つ呼吸した。
「いえ、本当です。その、社会福祉局に採用が決まって……」
「それはすごい!おめでとう、キース」
僕は人目を憚って抱きしめたい気持ちをぐっとこらえた。
「いえ、はい。ありがとうございます。年末に封書が届いたんです。もっと早くお知らせできたらよかったのですが、時期が時期だったのでご連絡が遅くなりました」
「そうなんだね。実はそのことがずっと気にかかっていて、今日はそれを聞こうと思っていたんだ。けど、デリケートな話題だろう?切り出すのが難しいと思って悩んでいたんだ。教えてくれてありがとう。わがことのように嬉しいよ。あぁ、それにしても採用されるなんてさすがキースだ。そうだ。今度お祝いをしないといけないね」
「いえ、とんでもありません。その言葉だけで十分です。それでその、そのことについてお話が……」
「うん。官僚になるのだから心配なこともたくさんあるだろう。作法だったり人間関係だったりね。僕で力になれる事ならなんでも言ってくれ」
僕は嬉しい気持ちでいっぱいだった。彼の採用が邪魔されなかったということが。採用されるか気にしていた僕にわざわざ結果を教えてくれたキースの気持ちが嬉しかった。律儀な性格の彼らしい。
「あの、でも、急ぎではないので大丈夫です。お忙しいようですのでまた今度、お時間のあるときにでも詳しく話をさせてください」
「ほんとに?それだと来月以降になってしまうけれど、それでもいいのかい?」
「はい。もともと大した用事ではなかったので。それにお忙しいのに時間を割いていただいては、申し訳なくて素直に喜べません」
「そうか。ごめんね、気を使わせてしまって。今は本当に忙しくてね。でも、二月の後半になったら、僕の方でも余裕が生まれると思うんだ。だからその時にでも」
「わかりました。でも本当にどうぞお気になさらず」
「少し期間が空いてしまうけれど、必ずお祝いをするよ。約束だ。今度じっくり話そう」
「いえ、はい。ありがとうございます。それでは、これ以上時間を頂いては申し訳ないので失礼します」
そういってキースは会話を終わらせると、僕に頭を下げて教室から出て行った。僕はその背を見送りながら、いつ頃なら時間に余裕ができるだろうかと考えていた。それまでにクリストフにいくつかよさそうなレストランを調べてもらおう必要があるだろうし、何か彼に贈り物を用意しなくては。
それから僕も少し遅れて学園を後にし、王宮へ戻った。そして、その日のうちに父に王立軍入団の件で相談した。
伯父の口添えもあって、この件は渋々ながらも父に認められた。模擬戦による審査を通ったらという条件付きだったが、それは織り込み済みだったので僕にとっては問題にはならなかった。そして、伯父から一月の末に実施されることに決まった旨の手紙が後から届けられた。
さらに二週間後、僕は王立軍の演習場へと足を運び、無事に試験に合格することができた。




