5*
夏休みになった。
俺には帰る場所がないから、学園の寮に残っている。平民と下級貴族が入る男子寮だ。孤児院は成人に達する前の十五歳までしかいられない。俺はもうすぐ十七だから、みんなに会いに行くことはできても、帰って寝泊りすることはできない。もしかしたら、院長先生なら、そのための場所を提供してくれるかもしれないが、迷惑はかけたくなかった。だから、手紙だけ書いてここに残った。
剣術の大会で王子に負けたことを報告するのは、本当に辛かったけれど、正直に結果を報告したら、温かい励ましの返事が返ってきた。相変わらずの美しい文字とこちらを慮る内容は、俺の心をいくばくか慰めた。
半分以上の寮生が帰省している夏休み中の寮内は平素よりもずっと静かで過ごしやすい。普段は臭く騒がしいこのぼろい寮も、生徒が少なくなる休暇時期だけは快適に日々を過ごすことができる。
ただし、人が減ったせいで、寮で食事をとるのなら事前に申告せねばならないという手間はあったけれど、静かに食事が出来るというだけでお釣りが出る快適さだった。
寮の管理者夫妻はとてもいい人たちで、帰る家の無い俺のことをなにくれと気にかけてくれる。だから、俺は手が空いたような時には二人をよく手伝った。なんだか孤児院にいたときを思い出した。
二年に進級した俺は今年の夏休みは計画性をもって過ごすことを目標としている。
やらねばならないことがたくさんあったからだ。まずは、この二カ月間で金を稼ぎ貯蓄するということ。日常の細々としたものは自腹だから金はどうあっても必要で、稼げるときに稼いでおきたい。すでに仕事の目途は立っている。誰にでもできる仕事があるというのは本当に助かる。さすが王都だ。
あまり考えたくはないが、もし卒業後進路が決まっていなくても、王都にいさえすれば糊口は凌げるだろうというのは、俺に少なからず安心感を与えてくれた。
二つ目に、馬術訓練をすること。これは、夏休み期間中の馬の世話と引き換えに、乗馬の訓練を担当教官から許可をもらうことができた。一番苦手な馬術の成績を、伸ばさねばならないと思っている。この夏は馬と仲良くなることが目標だ。
三つ目は、夏休み明けにある魔法技能演習大会に向けて準備をすること。剣術大会同様、俺はこの魔法大会にも選抜されている。これが一番優先順位が高いかもしれない。
魔法技能演習大会は、各学年の魔法実技成績上位者三十名が出場し、己の魔法の技術力や規模に加えて、芸術性や革新性などを競うものだ。
剣術大会とは異なり魔法による模擬戦闘はない。剣術大会における模造刀と皮鎧のように怪我を防ぐ手段がないからというのが理由だ。どんなに使用する魔法を制限したとしても、魔法による怪我は避けられない。火傷や感電、骨折、失明などによる後遺症の問題と、未熟ゆえの魔力の暴走によって大きな事故につながると危惧された結果だそうだ。場合によっては死に至る危険さえあるのだ。こういった不測の事態を回避することの難しさが、今の大会の方向性を決定づけたのだ。
大会では、出場者それぞれが採点者に向けて魔法を披露し、それを採点者が点数化することで勝敗を決める。採点の基準も公開されているので、ある程度の採点の公平性も担保されている。
そして、この大会にも王族や貴族が臨席する。それ故、俺の進路を左右する非常に重要なイベントだった。絶対に手を抜くわけにはいかない。何しろ、先の剣術大会では二回戦で敗退してしまい、俺が今年外部の人間にアピールできるのは、この大会が最後だったからだ。
去年の魔法大会には出場していないので、俺はあらかじめ規則や演技内容について下調べを済ませていた。そして、その中で一つ気になったのが芸術性という採点項目だった。芸術なんてものに今までの人生で触れてこなかった俺にとっては完全に未知の領域だった。
なので、図書館でまずは過去の大会の詳細と、披露する魔法のヒントになるような文献を探そうと思っている。そのため、夏休み中はできる限り時間を有効に活用して図書館に通うつもりだ。
そして、ある程度調べが済んで、大会のためのアイディアを固めたら、実技練習場でこっそり魔法の訓練をする。
人が少なくなる夏休みは、存分に調べ練習するのにもってこいの時期だった。
なのに。
往々にして計画というのは上手くはいかないものだ。
馬の世話と乗馬の自主練習を午前中に終え、寮で昼ごはんを食べ終わった後、俺は意気揚々と図書館へ来た。夏の日差しで午前中で既にくたくたとなっていた俺は、わずかばかりの冷房の効いた涼しい図書館へと避難するように駆け込んだ。
図書館の入り口を抜け書架へと向かう。もう顔なじみとなった司書と簡単な会話をしてから必要な本を探そうとしていたら、何故か王子様と出くわした。彼が図書館にいたのだ。側近のデミアンも一緒にいる。
俺も相手も互いの存在に気付いた。俺は立ち止まる。
驚く俺を二人がじっと見ている。明らかの俺を待っていた様子だ。でも何故?
頭が混乱する。どうして彼らがここにいるのか。いや、いてはいけない理由などない。
しかし、夏休みだ。図書館など、王宮のそばにもある。もっと広く立派な王立図書館が。だから、こんなところに本を読みに来る必要など彼らにはないはずだった。現に、今まで図書室で彼らの姿を見かけたことなどない。学園に入学してから一年と数か月が経過していたが、王子がいるのを見かけたのは今日が初めてのことだった。
嫌な汗が背中を伝う。頭が急速に回転を始めるが、上手く思考がまとまらない。二人が俺から視線を外さないからだ。
あの大会の日以来、顔を合わせるのも躊躇われて、できるだけ避けるようにしていたのに……。
あの時の無礼な言動を掘り返されるのを恐れて逃げ回った甲斐もあって、あれ以来王子と個人的な接触はほぼなかった。教室へは授業ギリギリに入室し、授業が終われば一目散に教室から退散した。昼も放課後も、人が居そうな場所には近寄らないようにするという涙ぐましい努力のお陰で、俺はこの困難な目標を成し遂げることができた。
そしてついに夏休みになった。だから安心していた。長期休暇期間は彼は絶対学校に来るはずがないと高を括って喜んでいたのに……。
俺の視線の先で王子が口を開いた。
「やぁ、キース。夏休みなのに図書館に来るなんて偉いね。勉強かい?それとも調べものかな。僕が手伝うよ」
王子は俺を認めるとそそくさと近寄ってきて、さも打ち解けた間柄であるかのように話しかけてくる。咄嗟に言葉が出てこない。
待て。俺らは友達でもなんでもないぞ。その気安さは何なんだ。剣術大会の時に、俺がけんもほろろにあしらったのを忘れたのか?意味がわからない。意味がわからなすぎて恐怖した。
全くの純粋な視線で俺を見つめている。
「キース?」
「いえ……その」
「君は図書館にはよく来るらしいね。本当に勤勉だ。この夏休みもわざわざ図書館通いとは頭が下がるよ。それで、何を目的に今日はここへきたんだい?」
「えっと、あの」
「探し物は一人では大変だろう?僕が手伝うよ」
「いえ、でも」
「気にするな」
「あの」
俺は彼の人の話を聞かない無神経さと、これから何が始まるのかという不安からくるイライラを感じていた。脛に傷持つ身は辛いのだ。
そして、その苛立ちのために、俺は王子を怒鳴りつけたいような気持ちになったが、デミアンがすごい顔をしてこっちに睨みを利かせているのでぐっと堪える。
俺はどういう顔をして対応すれば良いのか分からず、曖昧に、素っ気なく、しかし王子の忠実な側近の機嫌を損ねないように気をつけながら、当たり障りのない返事だけをして早々に会話を打ち切ると、逃げるように適当な本を掴んで閲覧室の席へと急いだ。慌てすぎて、まともな受け答え一つできなかった。恥ずかしすぎる。
それにしても、彼らは一体何が目的なのか……。
俺は椅子に座って日の当たらない涼しそうな席を選んで椅子に腰かけた。不安を振り払うように深呼吸を一度してから、静かに本を開いた。前書きが目に入っているが頭に文字は入ってこない。
俺が黙って読む振りを始めると、彼らも何やら本を持ってきたようで、適当な少し離れた席に座って読書を始めたのが分かった。背中に視線を感じる。思い違いかもしれないが、振り返って確かめる勇気はない。背中がむずむずする。
俺は時間をかけてその背中の違和感を意識の中から追い出すことに成功すると、やっと氷の魔法についての解説書を読み始めた。
それは適当に手に取った本だったが、とても興味深い内容で、気付けば夕方になっていた。橙色の光が俺の手元にまで届いている。その事実に馬の世話があったことを思い出して、俺は慌てて本を閉じて立ち上がる。
そっと後ろを振り返ると、まだ二人はそこにいた。俺が立ち上がったのに気づいて、こっちを見た。窓から入り込む夕暮れの光に、王子の金髪がきらきらと光っているのを見た。青い瞳もまた、窓からの光を受けて、深い青色に輝いている。
「今日はもうお終いかい?すごく集中していたね」
彼がそう言った。
まさか、まだいるとは思わなかったので動揺してしまう。
「いや、えっと、これから、馬の世話があるので……。それをすっかり忘れていて」
「馬の世話?」
王子が怪訝そうな顔をした。
「いや、乗馬の訓練を、えと、俺は馬術が苦手だから、先生に頼んで、馬の世話をする代わりに馬に乗る許可をもらったんです。今日も午前中はそれで忙しくて」
「あぁ、なるほど。お疲れ様。毎日なのかい?」
「ええ、そうですね。基本毎日です。朝と夕と……」
夕方の五時を告げる鐘の音が鳴った。
「やばい。あの、失礼します」
俺はそう言うと、音を立てないよう速足で開架図書室へ戻ると係の人へ本の貸し出し手続きをしてもらって、逃げるように図書館を後にした。
その翌日と翌々日は荷運びの仕事が入っていたので、図書館へは行かず、朝の馬の世話が終わるとすぐに学外へ出た。
王都では最も一般的な荷役作業の仕事は誰にでもできるがきつい仕事だ。学生で何の資格もなく、コネもなく、普段は学業があるために休日しか働けない俺にもやれる仕事といったら、これくらいのものだった。
入学後すぐにこの仕事を始めた。長くやっているのは楽しいとか自分に向いているとかではなくて、それ以外にないからだった。
真夏の太陽の下、汗をかきかき荷物を運ぶ。強い日光でじりじりと肌が焼ける。同僚は口さがない連中ばかりで、暴言や暴力なども当たり前。作業自体は単調で頭も使わないし、細々とした休憩が挟まれるけれど、人間関係の面と安全性の面では快適な職場とは言い難かった。
力仕事故に怪我をする者も多く、怪我をしたらそれまで。だから、こんな仕事をやらねばならないような人間は、脛に傷持つ身だったり乱暴者だったりでまともな人間はあまりいない。そして、雇う側がそれを良いことに好き勝手やっているのだ。
なので辞める人は多い。
もちろん中には良い人間もいるが、俺みたいな日雇いは当日現場へ行ってみないと誰の下で働くのか分からないから、良い人と一緒に働けるかどうかは完全に運頼みだった。何度も嫌味なヤツやすぐに暴力に訴えてくるヤツと組まされた。
だから、本当なら俺もできるならこんな仕事は今すぐにでも辞めたかった。
けれど、俺にはほかにできることがないから仕方なく続けている。
それに、俺にはこれが普通だった。孤児院にいたときも軽作業や簡単な仕事を請け負っていたけれど、斡旋された仕事先の男はみんなだいたい暴力的だった。だから慣れている。
仕事中は、人間らしさや感情や理性なんかは心の奥底にしまい込んで、ロバや牛のような動物になったつもりで時間が過ぎ去るのを待つのが一番精神衛生に良い。唯一俺に許された自衛手段だ。
そして仕事が終われば、疲労で全身が痛くても、すぐに学園へ戻ってきて放牧していた馬たちを馬房へもどし、餌やり水やりやブラシ掛けなどの世話をしなければならなかった。
なんとか馬の世話を終わらせると食堂へ行ってすぐに晩飯を食べ、シャワーで体を綺麗にしてから、寝るまで読書か魔法技能演習大会に向けての準備をした。
なんだかんだで夏休みは普段以上に忙しかった。
寝る前に、学校と荷役仕事とどちらがマシなのだろうかとふと考えることがあった。馬鹿馬鹿しい。どう考えたって学校の方が楽だった。あの職場に比べれば、学校は天国で、貴族の横暴や陰湿ないじめや辱めなど、小鳥のさえずりのようなものに思われた。
仕事が明けて、三日ぶりに図書館へ行くと、そこにはすでにアルベルト王子とデミアンが居た。全く想定していない事態だった。
「やぁ、キース。久しぶり」
いつもの明るく爽やかな声で、俺に声を掛けてくる。
「……どうも」
ため息をぐっとこらえて返事をした。
「キース。王子に対して、その挨拶は不敬だぞ」
デミアンが注意してくる。しまった。
「すみませんでした、殿下。礼を失した態度、お許しください」
俺は素直に頭を下げる。デミアンが納得するように頷いた。
「いや、大丈夫だよ。それよりも、昨日と一昨日は図書館へ来なかったね。何か用事があったのかい?」
王子が、こっちの私的なことをずけずけと聞いてくる。ってか、昨日一昨日って毎日来てたのか。何のために?
「ええ、はい。昨日と一昨日は仕事があって、朝の馬の世話が終わってすぐに街へでたので、図書館へ来る余裕はありませんでした」
「仕事?」
「はい。荷役作業です。王都は街の外から絶えず荷が運び込まれるので、荷役作業には事欠かないんです」
「何のために?」
不思議そうに彼が聞いてきた。
「もちろん、金銭を得るためです」
「でも、君は特待生じゃなかったかい?何故仕事を?」
「よくご存じですね。はい、私は運良く特待生に選ばれましたが、それだけでは生活ができませんので、こうして学校のないときは、金のために仕事を請け負う必要があります」
「もしかして、夏休み以外にも?」
「もちろんです。学校の無い日はだいたい学外で荷役作業に従事しています」
「けれど、エルヴィンは仕事をしていないようだけれど?」
目の前に立つ王子が思い出すように言葉を紡ぐ。俺は、同級生で平民仲間の名前が王子の口から出たことに内心驚いていた。
「あぁ、エルヴィンですか。彼は両親が健在ですから、同じ特待生でも、私とは少し境遇が違うのでしょう」
「両親が健在?あぁ、そうか。そうだった。君には……。失礼した。決して君を揶揄しようとか貶めようと思っての発言ではないのだ。許して欲しい」
どうやら、俺が孤児院出身であることをご存知のようだ。
「いえ、気にしていません。隠しているわけでもありませんので」
俺はそう言うと、手に持っていた本を係員に返却する。
「その本、もう読み終わったのかい?先日借りていた本だよね」
「はい。とても興味深い本で、あっという間に読み終わりました」
「そうなのかい?」
そう言って、王子が本のタイトルを見遣る。「氷結魔法を修めようとする者のために。その歴史と発展そして今後の展開について」というタイトルだ。
「何故、魔法の本を?魔術師でも目指しているのかい?」
「いえ、そういうわけではありません。ですが、これは、えっと、個人的な興味です。魔法は好きなので」
「あぁ、君は魔法の成績も優秀だからね。ここにいるデミアンなんか、魔法の才能は随一だよ。何か知りたいことがあったら彼を頼ってみるといい。デミアン、いいだろう?」
「ああ、もちろんだ」
王子が側近の方を見ながらそんなことを言っているが、お前らが魔法が得意なのはよく知っている。俺よりも成績上位の二人なんだから知らないわけがない。
「私は魔法についてはお二方に遠く及びません。なので、こうして図書館で文献を当たってもっと魔法について深く知りたいと考えています。ところで、王子は何故図書館へ?」
俺は話の流れで、気になっていたことを聞いてみる。別に彼との会話を続けたいわけではなかったが、あまり会話をしたくないとあからさまに態度に出して、王子の相手をおざなりにしてしまっては、デミアンの視線で射殺されかねないと思ったからだ。
「君をね、待ってたんだ」
王子が笑顔でそうのたまった。
おっと、嫌な方向へ話が進みそうだぞ。
「そうですか。ですが、私は今私の将来のために目下準備中ですので、お構いもできません。どうぞご容赦ください」
そう言って深く一礼すると、足早に御前を去る。逃げるが勝ちだ。
「君は……」
王子の小さい声が届く。俺は振り返った。
「何か?」
「いや、何でもない」
俺は再度一礼して、その場から離れると、本棚に近づいて今日読む本を物色し始める。
魔法書も良いが、今一ぴんとこなかったので、芸術・美術に関する本が収められた書架へ移動した。
俺は芸術なんて知らないんだよな。
そんなことを考えながら、とりあえず有名な絵画の写しが閉じられている本、画集というのだろうか?そういったものと、オペラについての本などを手当たり次第手に取ると、閲覧室へ移動し、先日と同じ席に座る。
しばらくして、アルベルト王子とデミアンが前回と同様少し離れた席に座る気配。
俺は再び背中に視線を感じたが、なんとか頭から二人のことを追い払って、本に集中し始めた。




