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学園の学生寮は地方から出て来た生徒のために用意された施設だ。
王都内にタウンハウスやそれに準じるものを持つ貴族は基本入らない。ということは自然、実家に余裕のない下級貴族と平民が入寮する。
正直に言えば、僕は以前の人生でもこの人生でも、実際に学生寮に足を運んだことはなかったので、キースに連れてこられて、初めてその外観を見たときは、良く言えば歴史のありそうな建物だなという印象を受けた。
作りは立派だし、デザインも建築当時は瀟洒な建物だったのだろうことが窺える。今となっては古風というのがしっくりくる外観だが、一番古めかしい印象を与える原因は、学生寮を取り巻く巨大に茂った木々と、外壁に絡まる蔦のせいだ。
手入れされているのかと疑いたくなるほど自由に伸びた枝が、建物を覆い隠すように生えており、冬枯れの今、不気味な印象を見る者に与えているし、レンガ造りの壁に縦横無尽に走る蔦植物の残骸が、その印象を助長してしまっている。
案内したキースが僕の顔色を窺うように見ている。
「なかなか時代を感じさせる建物だね。生い茂る植物が独特な雰囲気を添えている」
「ええ、そうですね。そういう言い方もあります」
「中もすごそうだ」
「まぁ、言葉で説明するのは難しいので、見てもらった方が早いでしょう」
「楽しみだ。ところでキース、もう砕けた言葉遣いはお終いなのかい?」
「あ、はい。お忍びのお祭り見学は終わりましたし、それに、あの話方はなんだかしっくりこなくて。こっちのほうが私には馴染むようです」
「そう……」
以前のキースはもっとロックな言葉遣いだったのに、何故だろう。
「ごめん。無理をさせたね」
「いいえ。さぁ、入りましょう、アルベルト」
「……あぁ!」
キースが僕を建物へ誘う。その誘いに乗って扉をくぐると、いやはや、中も想像以上だった。
あちこち壁の漆喰が剥がれ落ちていて、壁材が露わになっている部分が散見される。木の床はところどころすり減り、奇妙な踏み心地がする。これはその内床が抜けてしまうのでは、と思わされた。
階段は大丈夫なのだろうか。
良くないところばかりが目について、僕はしばし唖然としていたが、よくよく見てみれば、汚れはないし埃っぽさや黴臭さもない。床にこびりついている汚れのように見えたのは、経年劣化による染みやすり減った跡らしかった。
「手入れはしっかりされているんだね」
「はい。管理人さんが、毎日掃除をしてくれているんです」
「なるほど」
「ただ、結構なお歳なので、私たちみたいな平民なんかは時々掃除するのを手伝ったりしています」
「優しいね」
「手を貸したくなるくらい、素晴らしい人柄なんです」
「へぇ」
「一応、中も案内しますか?」
「うん、お願いするよ」
「はい」
快く引き受けてくれたキースが、丁寧に一階から案内してくれた。
学生寮は三階建てで、玄関を中心に左右対称の構造を持っており、右の棟に貴族の学生、左の棟に平民の学生が入居するのだそうだ。ただし、食堂や談話室、シャワー室やトイレは共用なのだと言う。右の棟は貴族の子息が入寮するとのことで、娯楽室もあるらしい。
やはりどこも古めかしく、廊下はギシギシと音を立てた。
「そういえば、すごく静かだね。建物の大きさから言っても結構な人数が入居していると思うんだけど、いつもこんなに静かなのかい?」
「あ、それは今が冬期休暇期間中だからです。年越しを実家でする生徒が多いので、毎年今の時期はかなり静かです。残っているのは、私のように帰る家がない者か、帰るためのお金がない者ですね」
「あぁ、なるほど」
「なので、今この寮内に残っているのは、平時の人数の一割程度でしょうか」
「寂しいね」
「いえ。普段がうるさすぎるので、この時期の静けさはありがたいです。心が安らぎます」
「そんなに?」
「ええ、もうほんと酷いですよ。動物園みたいなものです。あと、男しかいないので臭いです」
「臭い……」
僕は動物園と揶揄される普段の寮内の様子を想像しようとしてみたけれど、無理だった。
キースの後について色々と見て回ると、確かにほとんど人影がない。談話室に辛うじて人がいた。
「あ……しまった」
「どうしたのかい?」
キースが突然大きな声を出して立ち止まったので、僕もつられて立ち止まる。
そこはシャワー室の前だった。
入口に張り紙がしてある。
――本日の利用は午後五時まで。
「今日五時までだった……」
「シャワー?」
「そう。普段は八時まで利用可能なんですけれど、管理人さんの事情で時々利用時間が変更になるんです」
「なるほど。五時ってことは、あと一時間もないね」
「はい。どうしよう」
キースが困ったという風に張り紙を見ている。
「今日は歩き回ったから寝る前に汗を流そうと思っていたんだけど……」
「入ればいいよ。僕は部屋で待っているし」
「そんなわけにはいきません。アルベルトを部屋に一人残すなんて、私から誘った手前あなたに対して失礼すぎます」
「そこまで気にしなくても」
「いえ。誠意の問題です。なので仕方ありません。今日は諦めます。一日くらいシャワーを浴びなくても死にはしないし、明日人に会う予定もないので、なんとかなります」
「さすがにそれは駄目だよ」
「いえ、いいんです。さぁ、アルベルト。一階はこれでお終いです。二階と三階は学生の個室になります。構造は同じなので、二階は見なくてもいいかと。というわけで早速私の部屋へ行きましょうか。三階にあるんです」
そう言って、キースがすたすたと歩き出す。僕はその後ろを追いかける。
廊下と同じようにぎしぎしと軋む階段を上っていく。
「ねぇ、キース」
「はい?」
彼が振り返って僕を見下ろした。
「やっぱりシャワーを浴びてきなよ」
「そのことならもう大丈夫です。気にしないでください」
「でもやっぱりさ、僕のわがままのせいでキースが不便を被るのは僕としても本意じゃないよ」
「その気持ちだけで十分です」
話は終わりだと、キースが前を向いて階段を再び上り始めた。
「そうだ」
彼の後ろ姿を見ながら、思わず僕はそう言っていた。
「はい?」
「僕が部屋に一人残されるのが、君の気がかりなんだろう?」
「え?」
「誘った手前、一人っきりで放っておくのが失礼に当たるからって、君はさっき言っていた」
「ええ、はい」
「つまり、僕が一人にならなければいいんだよね」
「どういう意味ですか?」
「思ったんだけどさ、僕は君の暮らしに少しばかり興味があって、今こうしてお邪魔させてもらうことになってるんだけれど」
「はい」
「だったら、君と同じ経験をしてもいいんじゃないかなって閃いたんだ」
「……話がよく見えません」
「つまりね、僕もシャワー室を利用させてもらおうということさ」
「え、それは……」
キースが僕の言葉に言い淀んだ。
「悪くない考えじゃないかい?」
「いや、駄目ですよ!」
「何故?」
「何故ってそれは、ここは王子様が利用するような施設じゃないからです」
「いい経験になるだろう?」
「そんな経験はいりませんよ」
「あともう一つ理由があって。僕も歩き回って汗をかいてしまったんだ。汗をかいたまま君の部屋にお邪魔するのは失礼じゃないかな」
「別に失礼ではありません」
「それに、僕の友人である君に迷惑をかけたくは無いし」
「いえ、迷惑というほどのものでは」
「いいじゃないか。君に不利益は何一つないだろう?」
「……でもアルベルトの着替えがありませんよ。それからタオルも」
「それは問題ないよ」
キースが訝しげな態度をした。
「何故かと言うと、下着の替えもタオルもあるからなんだ」
「……何故?」
「外出時に不慮の出来事に見舞われることなんてありえることだろう?雨に降られてずぶ濡れになったり、予期せぬ事故で服が破けたり。そういう時のために、替えは外出時は持ち歩くんだよ」
「あぁ、なるほど。それは全く私の想像の埒外でした……」
「さぁ、これで君の懸念は全て解消された」
「懸念しかありませんが」
「いいじゃないか。何事も経験だよ?」
その言葉にキースが目を丸くした。
「どうしたんだい?」
「いえ、何でもありません。わかりました」
小さくため息が聞こえた。
「では、準備をしてさきほどのシャワー室前に集合しましょう」
「ありがとう」
「でも、ほんとに知りませんからね」
「うん。大丈夫だよ」
再び合流した僕らは、シャワー室の扉をくぐった。僕は目を瞠る。
「これがシャワー室なのかい?」
「はい」
僕は今目の前の光景に少し気後れしてしまっていた。
「何を驚いているんですか?」
「個室なんだろうと思っていたんだけど……。まさかこんな作りになっているとは」
僕の様子に、合点が行ったと言うようにキースが頷いた。
「あぁ、だからあんなに普通だったんですね。みんな最初は恥ずかしさから嫌がるんですよ」
納得がいったという顔をキースがしていた。
「つまりアルベルトは、個室のシャワールームがたくさんあると思っていたと」
「うん」
「私だってできたらその方がいいですけど、それは難しいですね。個室のシャワールームを用意するとしたら、一度に利用できる人数が今よりも大きく減ります。入居している男子だけでも百人近くいるんです。利用したくても利用できな人が毎日でてきてしまうかもしれません。汗をかくせいで利用者の増える夏なんかはそれでは捌ききれませんし、悲惨なことになります」
「確かにね。でもそれだと、色々困らないかい?恥ずかしいだろう」
「男なんだからこんなものですよ。共同生活するような場所ならどこでも同じようなものだと思います。辺境軍とか警備隊とか男所帯なら特に。羞恥心なんて慣れの問題ですし」
「なるほど。効率重視というわけだね」
キースのもっともな説明に僕は納得する。
僕はあれからすぐに着替えを受け取って、シャワー室前にくると、キースは既に着替えを持って待っていた。彼が扉を開けて僕を招き入れた先には脱衣所があったのだが、そこが全く仕切りもなにもない大部屋だったのだ。
先の発言はこの様子を受けてのものだった。その光景に、自分の考えの思い違いと、キースの言葉の意味を遅れて理解した。
視界を遮るものは一つも無く、部屋の奥まで何もせずとも見渡せる。奥には浴室へつながるであろう扉も見えた。そして壁側には棚がいくつも備え付けられていて、その棚の一つ一つに大き目の編み籠が収まっている。
部屋の中央には足の短い長椅子がいくつか平行に並べられていて、利用者は自由に使っていいらしい。
「ここでみんな着替えるのかい?」
「はい」
「その扉の向こうが浴室ということか」
「ですね」
「もしかして、浴室の中も?」
「ここと同じです」
「なるほど……」
「覗いてみてください。今は誰も利用してないみたいなので大丈夫です。脱いだ衣服もないし中から音もしないので」
彼がそう言うので僕は扉を開けて中をみると、全く仕切りの無い広い空間があるだけだった。壁には等間隔にシャワーヘッドと蛇口が取り付けられているだけという、単純な作りだった。
「なるほど」
「どうしますか?」
「何が?」
「無理に利用しなくてもいいんですよ。さすがに、アルベルトは慣れないでしょうから」
「でも、貴族の子息たちもここを利用しているんだろう?」
「はい。ただ、寮にいるのは下級貴族です。暮らし向きは平民とさほど変わらない人がほとんどです。彼らは私たちと似たり寄ったりの暮らしをしている者たちばかりなので、文句も言わずに利用しています」
「そうなんだね」
「本当に、やめてもいいんですよ」
「いや。男に二言はないよ」
「そんな大層な話ではないんですけど」
そう言ってキースが心配そうにするので、僕は上着のボタンを外した。それをみてやっとキースも気持ちを固めたらしい。彼も服を脱ぎ始めた。
僕らは広い脱衣所にあって、隣同士で並んで服を脱ぐ。わざわざ一緒に来て、お互い距離を取るのもおかしな話だ。だから、これはいたって普通のことだった。
僕はテキパキ脱いでいくキースの隣にいて、必死に自分の邪な気持ちと戦っていた。隣を見てはいけない。そう言い聞かせるのだが、ちらちらと視界に入る。目のやり場に困る。
これはまずいかもしれない。そう思った。
それでも、隣を意識しなければなんとかなると思っていた僕は、すぐに自らの見通しの甘さを悟った。僕の体は正直すぎた。
弁解が許されるのなら、この事態は全く僕の意図したことではなかったとだけ言わせてほしい。僕は中が個室になっているのだと思い込んでいたのだから。
僕の葛藤など全く知らないキースが上半身裸になった。肌が白い。
いやいやいや。駄目だ。考えるな。そっちを見てはいけない。
僕はできるだけキースとは関係の無いこと、例えば、今日一日のことや、テオドールのことや、デミアンへの埋め合わせの件といったことについて、必死に考えようとした。
キースのことは考えるな別のことを考えろと、言葉で必死に思考しながら僕は自分の服を脱いでいく。しかし、言葉で自分に言い聞かせているという段階で、既にその努力が全く功を奏していないということを意味していた。
視界の端にちらちらとキースが服を脱いでいくのが見える。まずい。
彼の腋や胸や腹筋が見える。そこからつながる彼の……。違う違う。そうじゃない。考えろ。何か他の……。彼の細い腰が。いや見てはいけない。落ち着け。そうだ、数学や魔法理論や古典修辞法やそういったつまらないことを思い出そう。何があったっけ。ええっと。いや、駄目だ。キースとベッドでしたあれこれを思い出してしまう。忘れろ。今だけは忘れろ。
そんな風に頭の中で思考を右往左往させながら、僕は平静を装って服を脱いだ。変に脱ぐのを止めたり、遅すぎたりしては、彼に不審に思われるかもしれないと、僕はいらぬ心配をしていた。
この僕の馬鹿らしくも涙ぐましい努力を分かって欲しい。そして、しかし、その努力の効果は全くなかった。
となりでついにキースが下着に手をかけた。
僕もトラウザーを脱いで後は下着だけという段になった。まずい。
何故か僕はキースに遅れてはいけないと思い、急いで自分の下着を下ろした。よし。そうだ。タオルで隠そう。隠れるはずもなかったけれど、そのときの僕は隠せると思っていた。
そう思いついて、手早く脱いだ衣服を籠に入れてタオルを手に取ったときだった。
僕は見てしまった。気が緩んでいた。
キースは何も恥じることなど無いと言う風に、一糸まとわぬ姿を晒していた。
しまった……。僕は自身の敗北を悟った。努力は空しく崩れ去る。
あっと思ったときには、大抵のことが手遅れなのだ。僕は経験からそれを学んで知っていた。
そしてそれは、今まさにこの状況にも当てはまっている。
準備が出来ましたかと僕に問いかけながら、無垢なキースがこっちを見た。
キースの顔が強張る。彼の顔がみるみる赤くなった。
「ごめん」
キースの純粋な反応に、僕はただ素直に謝るほかなかった。
男の体は分かりやすくて困る。
謝っても、この何とも言えない情けない恰好では、僕の誠意の一割も相手に届かないだろうと思えた。
「こちらこそ、その、すみません」
彼はそう言った。
僕の体は実に正直だった。
なんとか途中までは良かった。いや、完全に上手く言っていたかと言われたら、脱いでいる段階で既に半立ちの状態だったのだから、胸を張って途中までは良かったなどと言えるようなものではないのだが、しかし、今の状態よりはまだましだったんだ。
そう、まだましだったんだ。完全に立ち上がって上を向いている今の状態よりは。
そして、今は痛いほど張り詰めている。いやほんとに痛い。元気すぎる。我がことながらこの若い体が恨めしい。
「まぁ、そういうこともありますよ……。意図せず立っちゃうっていうのは……」
キースが気遣いの言葉をかけてくれた。その優しさが逆に居たたまれない気持ちにさせてくれる。
「変な意味があるわけじゃないだ。これは、その……」
「意識しなくてもそうなることってありますよね。私も男なので分かります。だから、その、仕方ないですよ」
「ごめん。不快な気持ちにさせるつもりは毛頭なかったのだけど」
「いえ、気に止む必要はありません。あの、立派だったので驚いてしまって、こちらこそすみません」
そう言ってキースも脱いだ服を籠に畳んで入れると、タオルを手に取って歩き出した。僕もその後をついていく。
「足元に気を付けてください。滑りやすいので」
「うん」
「シャンプーと石鹸は備え付けのがありますので、ご自由にどうぞ」
「わかった」
そう言って僕はキースから離れて手近なシャワーヘッドの下に立つ。
キースは奥の方へ歩いていった。
まぁ、そうだよね。
僕はこっそりとため息をついた。自分の体が恨めしい。
そう思いながら蛇口をひねってシャワーのお湯を出す。その温度を確かめた。
そしてその時、僕は偶然見てしまった。本当にたまたまだった。
備え付けのシャンプー類はどこだろうと思って視線が逸れたからだ。そのため、僕は偶然見てしまった。キースがタオルで隠したその下が、僕と同じ状態になっていたことに。
男の体は分かりやすくて困る……。分かりやすくて幸運だと言うべきか?
シャワーを浴びながら僕はそのことが頭から離れなかった。そしてそのせいで、一向に僕の下腹部の熱が収まってはくれなくて、またまた困った事態に陥ってしまった。
だから、また必死に全く関係のないことを考える羽目になってしまった。
それから時間をかけてやっと大丈夫といっても差し支えない状態まで戻ってから浴室を出て、テキパキ着替えて、髪の毛を二人で乾かした。
僕らは、何事も無かったような顔をして階段を上った。
僕が彼に案内されて辿り着いたのは三階奥の角部屋だった。そこがキースの部屋だった。
鍵を開けて彼が扉を開く。ふわりと、キースの匂いがした。
「どうぞ。おかまいもできませんが」
そう言って彼が部屋の灯を灯した。真っ暗だった部屋は光に照らされて浮かび上がった。そして僕に入室を促す。そこにはあの辺境軍の彼の部屋を思わせる質素な部屋があった。
ベッドと書き物机と椅子、衣装戸棚と、後は細々した物。それだけだった。机の上には教科書やノートが綺麗に並べて立てられている。
「何もない部屋で恥ずかしいのですが」
彼が僕を見てそう言った。
少しだけ髪の毛先が湿っていることに僕は気づいた。いつもと違う雰囲気を彼は纏っている。そう僕には思われた。
キースが椅子を勧めてくれて、僕はそこに腰かけた。
対して、この部屋の主である彼は自分のベッドの端に腰かけた。向かい合って座る。
「寒くないですか?」
「大丈夫だよ」
「一応暖房はついているのですが、最低限部屋を暖めるだけなんです」
僕はなんとなく上の空になっていたので、気持ちを切り替えるためにキースの机の上のものを見た。背表紙に文字のない冊子があった。
「見ても良い?」
「ええ、どうぞ」
僕は立てて並べられている中からそれを引っ張り出す。そして、ぺらぺらとページをめくった。思った通りそれは、御伽噺や寓話の類を集めて記したものだった。
「こういう話を集めているのかい?」
「はい。子供たちに語って聞かせようと思って」
「そうなんだね」
僕はその冊子を元の場所に戻してキースに話しかけた。
「今日は楽しかった。ありがとう」
「いえ。色々ありましたね」
「すりとかね」
「あれにはびっくりさせられました」
「僕もだよ」
僕らはぽつりぽつりと今日のことを話しあった。人出がすごかったこと、大道芸人の面白い見世物のこと、食べ歩きしたこと。
会話は弾んだけれど、何故か言葉が空滑りして、空虚な会話のような気がした。
何故だろうかと僕は思いながら、キースと言葉のやり取りを重ねた。
窓の外はもう完全に暗闇に沈んでいる。六時を告げる鐘の音が窓の外から聞こえてきた。
窓の外に向けていた視線を戻すと、キースが僕を見ていることに気付いた。
彼が視線を僕から逸らした。
「寒くない?」
僕は言った。
「少しだけ」
キースが言った。
僕は椅子から立ち上がる。
彼は僕をじっと見上げていた。
僕は彼の視線を意識しながら、一歩前へ進み出る。
「隣、座ってもいいかな?」
「え、あ、はい」
キースが肯定の返事をした。
僕は彼が逃げ出さないよう、そっとベッドに腰かけた。
ぎしりとベッドが悲鳴を上げた。僕は彼がその音に驚いてしまうのではないかと思った。
隣同士腰かけると彼の視線が僕よりも少し低いことに気付く。
向かいの壁が見えている。
「そういえば、今はこの学生寮は人がいないんだっけ」
「あ、はい。そうですね。みんな実家に帰ってしまっているので」
「隣も?」
「はい。実家のお土産をもってきてくれると言っていました」
「そうなんだ」
僕はキースを見た。
彼が僕を見上げていた。
その視線が揺らいでいる。僕は、彼の視線が扉へ向かうのを見逃さなかった。
「キース」
彼は返事をしなかった。
僕はそっと隣に座る彼の腰に手を回した。
キースが目に見えて体を竦ませるのが分かった。
「嫌?」
目を見ながらそう言った。
「あの、その」
「うん?」
僕は廻した腕に力を籠める。そっとこちら側へ彼の体を抱き寄せる。温かい。
キースの匂いがした。
下半身に血が集まるのが分かった。
「キース」
僕はもう一度名前を呼んだ。
「無理強いはしないよ」
そう言った。我ながら卑怯な発言だと思った。でも、僕は確信していた。だから、これは卑怯な態度ではなく、ただの確認だった。
そっと彼の体をベッドに倒すと、キースは抵抗しなかった。
「でも……」
キースが言った。
彼の言葉に、僕は自分が卑怯だと自覚した。まだ、その時ではないのだ。
けれど、キースの匂いにあてられて、僕はもう理性を失ってしまっていて。
そっと彼の唇に自分のそれを寄せる。彼は抵抗する素振りも見せずに受け入れた。
彼のシャツの隙間から手を差し入れる。
「アルベルト」
僕の名前が小さく呼ばれるのを聞きながら、彼を裸にするために僕の手はゆっくりと動いた。




