46
翌週もエスメラルダとカインが来襲してきた。
我が目と我が耳を疑った。
自分の部屋でのんびりしようとしているところに彼らは現れ、現れるなりすぐにキースを連れ出そうとするので、仕方なく僕もついていく。馬車が辿り着いた先は王都の有名な仕立て屋だった。二人に先手を打たれた形だった。悔しい。
話は既に通っていたのか、店の支配人が現れ僕らを店内へ誘う。エスメラルダがあれよあれよという間に話を進め、その勢いに飲まれたキースが大人しく採寸を受け、あっという間に夜会用と普段着用と外出用の衣装を作らせることになった。
自分にはお返しするあてがないからと、顔をこわばらせたキースが断ろうとしていたが、従姉はそれをさらりと流した。
「どうせアルベルトがここの支払いを持つんだもの。気にする必要なんてないわ。彼の顔を見なさい。嫌がるどころか嬉しそうじゃない。ここは黙って好意に甘えておけばいいの。そんなことよりも、これとこれだったらどっちが好き?」
彼女の言葉に不安げにキースがこちらを窺っているので、僕は安心させるように頷く。
「ここは彼女に従おう。口答えしても碌なことにはならないんだよ」
従兄妹たちがわいわい言いながら、あれこれと顔を突き合わせて悩んで勝手に彼の服を注文しているので、僕はキースを呼び寄せて僕らは僕らで彼のための服を選んだ。そうして結局その日は採寸やデザイン、生地選びに終始して終わってしまった。
数週間後、完成品十数着が僕宛に送られてきて、それらは僕の部屋のクローゼットに収まった。
冬が来た。夏学期は終わりを迎え冬季休暇になったが、僕は今年はデミアンの領地へは行かなかった。ここ十年で初めてのことだ。この埋め合わせは必ずすると言うと、彼は気分を害した様子もなく快く了承してくれた。
その代わり、僕はキースと共に時間を過ごした。時々劇場へ行き、時々食事に出かけ、時々街の外へ遠出をして、時々演奏会へ行って、そんな風にして穏やかな日々が過ぎていった。
外出の際、彼のために誂えた服をキースに着せてあげる時、僕は幸せな気持ちでいっぱいになった。
少しずつだけど、キースが自分のしたいことを僕に教えてくれるようになった。彼の好きなものもわかるようになってきた。
彼は甘いものが好きなようで、言葉にはしないけれど特にフランシールのフルーツを乗せたタルトが好きなようだった。あとは、食事に関しても、手の込んだ複雑な味の料理よりも比較的シンプルで素材の味の分かるような料理を、肉よりも魚を好むのだと分かった。
音楽だと楽し気な曲よりは静かな曲を、劇は恋愛ものよりは歴史上の偉人や出来事を題材としたものを好んだ。
僕は彼の好きな物が知れるたび、次はどこへ連れて行こうかと悩んだが、それはそれで楽しい時間だった。
そして、王都に木枯らしの吹く十二月中旬の安息日の今日、この日僕は彼に宮殿を案内していた。
キースが久しぶりにのんびり過ごしたいと言ったことと、僕の部屋以外をまだ見せていなかったことに思い至ったことから、丁度良いと考えたのだ。
歴史ある宮殿は、基本的にその全てが歴史的遺産であり、その内部にある家具や絵画は言うに及ばず、柱や階段の手すりに至るまで美術的にも歴史的にも価値がある。
僕は記憶を掘り起こしながら一つ一つ説明していった。彼がそれを望んだからだ。
広い建物の中にいくつかある、僕が子供の頃つけてしまった傷や汚れの、そのくだらない由来、つまり僕の失敗談にも、彼は面白そうに耳を傾けて聞いていた。
ゆっくりと時間をかけて語りながら回る。冬の冷気で冷える長く広い回廊を進むと、その先に王族の肖像画の並ぶ一角があった。
キースがその絵を興味深そうに眺めている。一枚一枚の絵の前で立ち止まり、具に見つめている。
「面白いかい?」
「はい。とても。この方はなんだかすごく威厳がありますね」
「それは、確かカルロス三世。三百年前くらいの前の国王で、西部戦役を勝利へと導き、当時の隣国との戦争に終止符を打った偉大な国王の一人だよ」
「あぁ、この人がそうなんですね。では、あちらにある女性の肖像画は、並び順から考えると女王マーテルでしょうか」
「うん、救貧法を制定した慈悲深い為政者だね」
「なるほど」
「あっちの若い男は、クラウディオ二世。とても体が弱かったようで、三十歳になる前に死んでしまった人だったはず」
「そうなんですね」
僕らはぽつぽつと話をしながらゆっくりと歩みを進める。王国の歴史千六百年にも及ぶ時間の中で、肖像画が残っているのはほんの数百年分にしかならないが、その間に生まれ死んでいった百人以上もの王や女王とその兄弟や伴侶の肖像画がここに飾られている。
僕らはその時代の重みを感じながらゆっくりと進んでいく。
この悠久の時の流れを感じさせてくれる過去の遺産が、この回廊を特別なものにしていた。今ではもう何とも思わなくなったが、子供の頃はここを通るのが怖くて、よく迂回していたのを思い出した。
そして、気付くと僕の父の絵の前まで来ていた。
「殿下に似ていますね」
「それは父だよ」
「すると、こちらは王妃陛下の肖像画ですね」
「うん」
「あぁ、あちらに殿下の肖像画もありましたね。凛々しい表情が良く似ていますよ。こうして見比べるとお二方のどちらにも似ていることが分かりますね」
「恥ずかしいからあまり見ないでほしいなぁ」
僕の顔と絵とを見比べてキースが言う。
「弟のほうが僕よりも父に似ているよ」
「そうなんですね」
「今は部屋で勉強中かな」
「十歳でしたか」
「そうだよ」
「もうそのお歳で勉強とは、王子様というのも大変なのですね」
「僕らに課せられた義務だからね」
「この空いているところは何ですか」
キースが、隙間なく並べられ飾られている肖像画と肖像画との間にある、不自然に設けられた隙間を指さして言った。それは僕の母の隣にある。
「あぁ、そこには現国王の兄、つまり僕の伯父の肖像画があったんだよ」
「それは今どちらに?」
「どこかな。たぶん倉庫とかだと思うけど、僕は知らない」
「どうして仕舞われてしまったのですか?」
「祖父がそう命令したからだよ。彼の廃嫡と同時に取り払われてしまったんだ」
「廃嫡、ですか」
「そう。もともとは伯父上が王太子だったのだけれど、それを自ら捨ててしまったんだ。身分の低い女性と結婚したいと言ってね」
広い回廊に僕の声がこだまする。キースは黙って僕の話を聞いていた。
「カインとエスメラルダの父だよ」
「あぁ、従兄妹と仰っていましたね」
「うん。義理の伯母上は歴史はあるけれど身分が低く、貴族とも言えないような貧しい子爵家の出身だったそうだよ。伯父は学園でその女性と出会ったらしい。詳しくはあまり聞いていないんだ。伯父上は彼女との結婚を願ったけれど、前国王に却下されたそうだ」
「そうなんですね……」
「祖父はひどく腹を立てたらしい。何度も伯父を説得し、家格の釣り合う女性と娶せようと様々な手を尽くしたそうだよ。それでも伯父上は諦めなかった。そして、説得が叶わないと悟ると最終手段に出たんだ」
「最終手段?」
「近海の王の討伐を成し遂げたんだ。叔父上は武勇に優れた人でね。もともと国王になるような気性の人ではなかったらしい。王太子になったのも、第一子だったからにすぎない。彼は自らの廃嫡を父王に呑ませるために、当時南の海を荒らしまわり、誰一人倒すことのできなかったその近海の王と呼ばれる魔物、クラーケンを単独で討伐してしまったんだ」
「単独で?」
「そう。すごいよね。船を一艘出させて、自らそれに乗り込むと、実力だけでねじ伏せたそうだ」
「それが、どうして廃嫡を了承させるための最終手段だったのですか?」
「この国の慣習として、誰から見ても反論の余地のない偉業を為した者、国を救うような偉大な功績を残した者は、一つ自らの望みを国王に奏上することができる。別に法律で決まっているわけではないよ。でも、歴史上そういう出来事がたびたびあった。君の知る御伽噺にもあるだろう?」
「あぁ、以前あなたが私に語ってくださったお話ですね」
「そう。そして王家は、身分に関わらず偉業を為した彼らの望みを、それが無理難題でない限りにおいて叶えてきた。そうすることが国益に適うことだからだ。過去幾人もの英雄がそうして市井から誕生してきた。この国の歴史は長い。様々な危機が、存亡の危機とも言うべきものが訪れた。でも、そんなときには必ず、勇者が誕生した。彼らは国の危機に際して人知れず立ち上がり、その危機を排除したんだ。その褒美として、王家は彼らの願いを叶えてきたんだ。王女と結婚を果たした者もいるし、継承順位の低い王子自らが英雄となり、王位を継いだ例もあるよ。だから、伯父もその慣習に倣って、自らの願いを叶えようと考えたんだ。反論の余地なく、彼の目的を成就させるために。祖父は自分の代で誇りある王家の歴史を断ち切ることができなかった。彼は自らの希望と息子の願いとを天秤にかけ、いや、この国の歴史と未来とを天秤にかけることとなった。結果、伯父上は愛する女性との結婚を申し出て、それは叶えられた。二人は一緒に王宮を去ったよ。自ら廃嫡を願い出た以上、王宮に留まることはできないからと言って」
「そんなことがあったのですね」
「それなりに有名な話であるんだけど、王家のスキャンダルということもあって、学園ではその件は教えないことになっているらしい。そして、伯父の廃嫡と同時に、祖父は伯父上の肖像画を外してしまったんだって。それによって、第ニ王子だった僕の父が王位を継ぐこととなった」
僕はその空白に目を向ける。
「この隙間は、その名残だよ。まぁ去ったと言っても、れっきとした王族だからね。祖父も可愛い息子を裸一貫で放り出すことができなくて、一代限りの公爵位を授けたんだ。それが、エンデローサ公爵家というわけだ」
僕の話に耳を傾けていたキースが、感慨深そうな表情で、その空白に目を向けていた。彼の顔つきは実に静かで凪いだ湖面のようだと僕には思われた。
「兄さん」
説明が終わり、ぼんやりと肖像画を眺めていると、遠くから僕を呼ぶ声した。その方に目をやると、テオドールが駆けてくるところだった。
キースが驚いたように弟を見て、すぐい膝を着いた。そのキースに気付いたテオドールが、途中で走るのを止めて歩いて僕らの元へ辿り着いた。
先日仕立てた服を着ているキースを、しっかりと客人と認識してくれたらしい。
「テオドール。勉強は済んだのかい?またハリスを困らせたりしてはいない?」
「していません。勉強は先ほど終わりました。この回廊の方からベルナールがやってくるのを見かけて、もしかしたらと思って来てみたんです」
「なるほど」
「そちらは?」
テオドールの視線を受けてキースが立ち上がり、簡単な自己紹介をした。
「初めて見る方ですね。新しい近侍ですか?お客人ですか?」
「僕の友人だよ」
「そうなんですね」
テオドールがキースを興味深そうに見上げている。
「もしかして、お茶会のお相手ですか?」
「そうだよ」
僕が代わりに答える。
「あぁ、そうか。直答を許します」
「ありがとうございます」
「どうしていつも庭で茶会をしていたの?」
「光栄なことに、殿下にお誘いいただいたのです」
「もう庭ではお茶は飲まない?」
「寒くなりましたので、殿下が中へ招き入れてくださいました」
テオドールが面白いと言う風に笑った。
「あぁ。凍えちゃうもんね」
「ええ、殿下が風邪を召されてしまったら、王宮中が大騒ぎになってしまいます」
「そうだね。昔兄さんが風邪を引いて寝込んだときは使用人たちみんながもう大慌てだったよ」
「そんなことがあったのですね」
「うん。僕も風邪をうつされないよう兄に近づいてはいけないと、母から何度も言い含められました」
「風邪は油断すると危険ですからね」
「さぁ、テオドール。ここは寒い。部屋に戻りなさい」
話があまり好ましくない方へ転がりそうだったので、僕は無理やり会話を終わらせた。キースに一月の風邪の件が知られる可能性があった。
「はい」
「キース、僕らもそろそろ部屋へ戻ろう。冷えただろう?お茶でも飲んで体を温めないと、また風邪をひいてしまうよ」
そう言って、キースを促す。
またね、とテオドールがキースに手を振った。
部屋に戻ると、すぐにクリストフが茶と菓子の用意をしてくれた。見ると、フランシールのタルトだった。上に梨と林檎が彩りよく飾られている。
従僕が手配したらしい。さすが彼の好みをよく見ている。
おいしいタルトに舌鼓を打ちながら僕らが向かい合っておしゃべりに興じていると、二週間後のミサの話になった。王都の真ん中にある大聖堂で執り行われる盛大なもので、昨年は僕が出席していた。
「今年はテオドールが参列するから、僕は暇なんだ。君はミサに参列するのかい?」
「私はミサには出ません。こちらのミサは大勢が集まるので建物の中にも入れませんし。なので、毎年寄付だけで済ませています」
「なるほどね」
「その代わり降誕祭の街を少し見て回ろうと思っていました。去年も一昨年も縁がありませんでしたので、今年は見て回りたいなと。仕事も入れていませんし、来年は自分自身がどうしているか分からないので」
「働いているからね。忙しくしている可能性もあるというわけか」
「ええ、まぁ、はい」
「きっと僕も来年は忙しくしているだろうなぁ」
未来の自分を頭の中に思い浮かべる。
「王子ですからね」
「うん。そう考えると、今が一番身軽な時期だと言えるかな。年が明けたら社交で忙しくなる。去年までと比べると、結構予定が詰まっているんだ。だから、年明け以降は君と遊べないかもしれない。極力調整はしてみるつもりだけど」
「いえ。どうぞお体を第一に考えてください」
僕の内心とは裏腹に、キースはこともなげにそう言った。その言葉に少しだけ落ち込む。
まだ、だめなんだろうか……。
そして僕はすぐに頭を切り替える。まだ時間はある。大丈夫。けれど、忙しくなる来年以降はだめだ。今のうちにできるだけ僕らの関係を前へと進めなければいけない。
何か……。
「そうだ」
「どうしましたか?」
小首をかしげてキースが僕を見た。僕は自分の画期的な思いつきに興奮する。
「降誕祭は一緒に街を見て回ろう」
「え?一緒に、ですか?」
「劇場や郊外や食事には今までさんざん出かけてきただろう?でも、街歩きはまだ君と一緒にはしていない」
「そうですけど」
「だから、いい考えだと思ったんだ。君は僕とじゃ嫌かい?」
「いえ、そうではなくて、危険なのでは?」
「変装するから大丈夫だよ」
「そんなに上手くいくでしょうか……」
「僕はまだ国民の前にそれほど姿を見せていないから、地味な恰好をすればほとんどの人にはわからないはずだよ」
「ですが、その、高貴な方というのは、私達とは立ち居振る舞いから違うので。言葉遣いも」
「気を付けるよ。きっとなんとかなる。ね、いいだろう?」
「いえ、私からはなんとも……。その、許可とかが必要なのではないですか?」
「お忍びの外出に許可は不要だよ。もちろん僕たちに護衛をつけるから問題無い。今までだって一人で街を歩いたことはあるしね」
「護衛……」
「僕らの邪魔にならないようある程度離れてもらうから大丈夫。それなら君も気にならないだろう」
「私が気にするしないは問題ではないのです。そんなことを気にすることのできる身分ではありませんから。そうではなくて、あなたの身の安全を……」
「平気だよ」
「うーん。でも、この時期の外は寒いですし。体調を崩されたら」
「風をひかないよう暖かくしていくさ」
「街中は人出がとても多くて、変な人に絡まれる可能性もあります」
「絡まれないよう気を付けるよ」
「何か問題が起きたら」
「そうしたら、潔く切り上げる。本当だ。一緒に行こうよ」
「うーん……」
「ね?」
その後も渋る彼に僕は反論し続けた。そして、なんとか心配性なキースを説得し、とうとう僕は彼と一緒に外出する約束を取り付けることができた。




