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初めて30万文字を超えました
もともとは15万文字くらいで終わらせるつもりで書いていたのに何故か伸びに伸び、40万文字を超える可能性もでてきて震えています
ほぼ寄り道なしで最短経路でラストまで進んでいるつもりなのですが……
「仕方ない。二人とも、追加の椅子とカップとお茶のお代わりを」
「畏まりました」
「すぐにお持ちいたします」
僕は側に控えていたベルナールとロベルトに指示を出す。二人は僕の指示を受けて歩き出す。椅子の追加だけでなんとかなるかと思ったけれど、結局二人用の円卓に五人は狭すぎるとのことで、大き目の卓を持ち込むことになった。
三人は、準備が整うまで大人しくしていたが、じろじろとキースを見つめている。キースは、そんな三人の不躾な視線にさらされながら、じっと姿勢良く立ちまっすぐ前を見て、少しも取り乱したような様子は見せなかった。彼の凛々しい顔に浮かぶ表情は硬く、その内面は僕には窺い知れない。
「準備が整いました」
クリストフがそう言い、僕はエスメラルダを席に勧める。彼女は勧められるままに優雅な所作で椅子に腰かけると、待ちきれないといった顔をしてみせた。
「キース。あなたは私の隣ね。私の隣のもう片方にはギュスターヴが座ってね」
「じゃあ、俺はキースの隣にするぜ」
「いいわよ」
「エスメラルダもカインも、キースに断りなく勝手なことは……」
「アルベルト。あなたはキースの向かいね」
全く僕の言葉を無視して、彼女はみんなに指示を出す。心からこの状況を楽しんでいるだろうことが、手に取るようにわかる。
カインが面白そうに笑みながら、抗議する僕を押しとどめ指定された席へ押し込む。僕の着席後、キースが一番最後に恐る恐るという風にエスメラルダの隣の椅子に腰を落ち着けると、やっと場が整った。
新しく茶器や菓子類が持ち込まれされ、エスメラルダのためだろう、花まで飾られている。そこまでしなくてもいいのに。彼らは招かざる客なのだから。
「さて、仕切り直しね」
「それは僕の台詞だよ」
「いいじゃない」
料理の供応が済むと、使用人たちは下がった。
僕の向かいには緊張した面持ちのキースが姿勢良く腰掛けていて、それを取り囲む三人が不躾にじろじろと見つめている。
最初に口火を切ったのはもちろん、この場の女主然とした態度のエスメラルダだった。僕が開いたキースのための茶会なのに、なぜかすでに彼女が掌握してしまっている。
「アルベルトって学校ではどんな風?彼って全然そういうこと教えてくれないのよ。従弟なのに。薄情だと思わない?」
口角を持ち上げて、彼女がキースに質問している。
「エスメラルダ。なぜそんなことを彼に聞くんだ。目の前に僕がいるんだから、僕に直接聞けばいいじゃないか」
「あなたは黙っててちょうだいな。私は彼に聞いているの。ね、どう?あなたの目からみて王太子ってどんな人間?」
「殿下は、とても聡明でいらっしゃいます。運動もおできになりますし、どなたにも親切で」
「そりゃそうだな。こうして平民と茶を飲むくらいなんだから」
「顔もいいからすごくもてるでしょう?王子で文武両道で心優しいなんてほんと嫌味よね」
「才色兼備と誉めそやされる公爵令嬢のお前が言うか?」
「兄さんは黙ってて」
「いつも周りには人が集まっています。私なんかは普段遠くから見るくらいですが」
「学校では話さないの?」
「はい。用事が無い限りはほとんど話はしません。挨拶程度はしますが」
「へぇ……。不思議だ。そんな風で君はどうやってアルベルトと親しくなったんだい。ほら、こう言っては失礼なんだけれど、王子と平民じゃ立場が違いすぎるだろう?同じ学園に通っているとしても、接点なんてほとんどないなら、なかなかお互いを知る機会は無いと思うんだよね。僕も、在学中は平民の生徒と親しくする機会は多少なりともあったけど、友人と呼べるような人間はいなかったなぁ。もちろん飛びぬけて優秀な者たちだったけど」
「そうよねぇ。私もそこを不思議に思ったわ」
「私からはなんとも……。誰にでも平等に接する方ですので」
「あのなぁ……。王族と個人的に親しくなれる者がどれほどいるんだって話だぜ。普通の貴族ですら難しいのに」
そう言いながら従兄が胡乱気に僕を見つめた。
「友達になるのに理由なんて必要かい?」
僕はそう言ってみた。
「へぇ」
「ほぉー。ご立派な意見だ」
ギュスターヴはともかく、二人は全く信じていない。
「それに、僕は彼を尊敬しているんだ。とても優秀だしそれをひけらかすようなこともしないし。成績がすごく良くてね。常に上位に入っているよ。総合成績は今は少し落ちているけれど、学年二位だったこともあるくらいさ」
「まじか」
「剣術大会でも魔法大会でも入賞経験もあるほどだよ」
「それで王子の覚えめでたいというわけか」
「……とんでもありません」
関心したような表情で三人がじろじろとキースを見ている。三者からじっと見られて、キースがますます緊張して、その表情を強張らせている。
「でもなぁ」
「そうねぇ」
「うん……」
「そういう感じじゃないんだよなあ。その程度ならそこそこいるし。何かほかにあんのかな」
三者三様に首を傾げている。
「王子の目にとまるような何かがあるはずなんだが、それがさっぱり見えてこねぇ」
「まぁいいわ。それじゃあ今度は、あなたの好きな物を聞かせて?」
またも従姉が質問する。なんだか尋問みたいだ。このありふれた質問にどんな意図が隠されているのかさっぱりわからない。
「好きな物、ですか?」
「ええそうよ。趣味でもいいわ。まさか何もないなんてことはないでしょ?」
「ええ、はい、たぶんですが……」
「警戒しているの?深い意味はないから安心して。ただの会話のきっかけの一つよ。お互いに全く知らない者同士なんですもの。為人をまずは知らないと楽しくお話しもできないじゃない?私はお茶会は楽しくあるべきだと思うのよ。話の糸口としては、好きな物や趣味の話題はありふれたものでしょう?」
「すみません。警戒しているとかそういうことではないのですが、どうも、こう咄嗟には思いつかなくて……」
「ほんとに?好きなものが?そんなことあるかしら。誰にだって好きなものの一つや二つや三つあるものよ?ねぇ、ギュスターヴ?」
「君は好きなものがたくさんあるからね」
「ありすぎだ」
「僕は馬が好きだな。競馬用の競走馬もそうだし、馬に乗って遠乗りするのも好きだよ」
「そういえば、お前は今年もまた馬を一頭買ったそうだな。競走馬を」
「うん、良さそうな仔がいてね。牝馬でデルタネトラ号と名前を付けたんだ。すごくかわいいよ」
「前の馬は結局そんなに走らなかったのに、また買うなんてな」
「いいじゃないか。ロマンだよ。美しい生き物が全力で走り競い合う。素晴らしいことだよ。見ているだけで僕の胸は熱くなるんだ」
「そういうもんかね。そんなに馬に入れ込んでるってのに、賭け事にはそんなに興味がないっていうんだから、よくわからないぜ」
「最近じゃ私を放っておいてその子にかかりきりなのよ?酷いわよね」
「賭け事の世界は少し刺激が強すぎてね。エスメラルダ、今度埋め合わせをするよ」
「あら、いいのよ。好きなだけ可愛い仔馬の相手をしていればいいわ。私はキースと楽しく時間を過ごすから。ねぇ?」
「いえ……」
「それで、何か思いついた?私は恋バナが好きなの。この世で最高の趣味のうちの一つだと思うわ。それから、甘い物やおいしい物が好きだし、ドレスや宝石みたいなきれいな物や美しい物も」
「気をつけろ。恋バナとなったら、半日近く付き合わされる」
「そんなに長くはないわ。せいぜい二三時間よ」
「へいへい」
カインとギュスターヴが頭を振った。そうとう悩まされているらしい。
「恋バナは知らんが、俺も美しいものが好きっていうのには同意するぜ。絵が専門なんだけどな」
「絵、ですか」
「お、興味あるか?絵はいいぞ。俺は絵を見るのも描くのも好きなんだ。趣味程度だけどな」
「聞いて驚かないで。こう見えて兄さんは絵が得意なの。国立美術博物館にも一枚飾られているわ。去年美術賞で入選したのよ。こんなガサツな人なのに」
エスメラルダが胡散臭いものを見るような目で兄を見ている。彼女の視線を追うようにキースも従兄のほうを見た。
「すごいですね……」
「人は見かけによらないとはこのことよね」
「こんなは余計だ。それで、キース。どうだ。お前は画家では誰が好きなんだ?あるいはどんな絵が?」
「すみません。私は絵画には疎くて」
「なんだ、そうか。残念だ。あぁ、まぁでも平民じゃぁしかたないか。それなら、オペラや劇なんかはどうだ?アルベルトと一緒に行ったんだろ?」
「いいえ。平民の私がご一緒することなどできません」
「え、まじで?おいアルベルト。何やってるんだよ」
「……機会が無かっただけだよ」
「オペラ狂いのお前が?ってことは付き合い自体はまだ日が浅いのか?」
「僕らが友人になったのは九月に入ってからだよ」
「まじで最近なのな。それなら仕方ないか。キース、こいつはオペラや劇に目がないからよ。そのうちあちこち連れまわされるはめになるぜ」
「気をつけてね。不用意なことを言えば延々誘われるんだ。僕みたいにね」
「あぁ、そうだぜ。もし興味がないなら早めにそう言っておいたほうがいい。好きだとしても事あるごとに連れていかれるのはなかなか、な」
「最近はそんなに誘っていないだろう?」
「私は劇とオペラなら一度だけ見たことがあります。とても面白かったので、機会があればまた見に行きたいとは思っています」
「え、本当に?!」
僕はキースの言葉につい大きな声をだしてしまう。
「ええ……、はい」
「僕以外の誰と、じゃなかった。それなら今度一緒に見に行こう。面白そうな劇が最近始まったんだよ。それが見たかったんだけれど、ちょっと機会がなくて。もし君さえよければ一緒に行かないか。とても才能のある女優が出演していて、今すごく人気があるらしい。脚本も演出も斬新だって噂なんだ」
「ほらな」
「始まったね」
「ね、キース。ご覧になったでしょう?アルベルトってこういう人なの。オペラや劇の話になると人が変わるのよ」
「そんなことはないよ」
「目の色を変えて誘ってるのに、説得力ないよな」
「全くだね」
「オペラの話はそこまでよ。話したいなら後で二人でしなさいな。話が脱線しちゃったわ。んもう、何の話をしようと思っていたのか忘れちゃった」
エスメラルダがケーキを一口大にカットして口に運ぶ。
「これおいしいわ。いつこんな美味しいケーキが焼ける職人を雇ったの?」
「それは買ってこさせたやつだよ。どこだったかな」
「クーヘンヴァルトです」
クリストフが教えてくれた。
「あぁ、あそこのなの。私もときどき注文するのよ。これは新作なのね。知らなかった。そうそう。新しくできたレストランには行った?」
「なんて所だい?」
「ドゥエ・アミーチよ」
「あぁ、以前行ったことがある。デミアンとね。開店時に招待されたんだ」
「デミアンデミアンってあなたそればっかりよね。キース。あなたも個人的にどこか連れて行ってもらったでしょ?ル・モリスとかアンスリウムとかね。アルベルトはあそこの料理がとても好きなのよ。私も気に入ってるわ」
「いいえ」
「まだなの?今度連れて行ってもらうといいわ。サービスもいいのよ。それで、アルベルトに劇場にもレストランにも連れて行ってもらっていないとなると、二人でどこに出かけてるのかしら。カジノとか、はないわね。アルベルトがギャンブルをやるなんて聞かないし。狩猟、は九月からの付き合いならまだ行ってないわね。スポーツとかかしら?私あまり殿方の遊びには詳しくないのだけれど」
「平民ならクラブへ立ち入ることも出来ないしな」
キースが首を振る。
「じゃあ、郊外へ散策に行ったりとか?この時期は涼しいし眺めも良いし、結構貴族の連中は紅葉狩りに行ったりしてるよね」
「あの、いいえ」
「えぇ……」
一同の視線が僕に向けられた。
「あなた何してるの。まさか、今までずっとこの王宮の庭でおしゃべりしてただけなの?キース、さすがにこれは抗議してもいいのよ。王子に呼ばれて王宮までやってきて、することが何の変哲もないただの庭でお茶をするだけって……」
「お子様の付き合いかよ……」
「これは選択肢が少なすぎるよ、アルベルト。まさか女性に対しても同じようなことはしていないよね?さすがにこれじゃあ嫌われるよ。僕がアドバイスしてあげようか?」
何も知らないギュスターヴがそう言った。
エスメラルダなんかは信じられないと僕をあきれた様子で見つめている。僕に非難が集中している最中、キースが口を開いた。
「あの」
「何かしら?」
「私は十分ここでのお茶会は楽しいと思っており、その、全く不満などはありません」
「本当に?」
「はい。こういうことをした経験がありませんから、とても新鮮です」
「経験がないって、平民だってこれよりましな時間の潰し方くらい知ってるだろ。町のカフェで茶を飲んだり、天気のいいときはどっかに出かけたりするだろ、普通」
「ええ、まぁ……」
「だろ?」
「でも、今のままで十分楽しいと思っているので」
「ええ……」
「君は変わってるね」
「普通、こんな茶会なんてたまにやるから楽しいんだぜ。毎週毎週二人だけで顔を突き合わせてただ茶を飲むだけの何が面白いんだ?」
カインが首を傾げている。
「アルベルトに言わされているとか?」
「そんなわけないだろう」
「冗談だって。怒るなよ。でもただ座って茶飲んで喋ってるだけなんだろう?これが楽しいって、キース、お前は他に楽しみを知らないとかなのか?今までどういう暮らししてきたんだよ」
「そうよねぇ。よっぽど娯楽の無い家庭で過ごしたのかしら。そうだわ。あなたのご実家は何をなさっているの?」
「学園に入れさせてくれるような家なんだから、それなりだろ?平民のそれなりがどの程度かはわからんが」
「学費のことを考えると、商家とかかな」
「剣術大会で入賞するような男だからな。実家は爵位はなくとも武門の一族なのかもしれない」
「みんな、個人的なことをそうずけずけ聞いては失礼だよ」
「なによ、隠すようなことではないでしょう?」
「しかし……」
僕はちらりとキースのほうを窺い見たが、彼は表情一つ変えていなかった。その口が開く。
「私は孤児院の出身です。学園へは、奨学生として通わせていただいております」
彼がそう言った瞬間、この場の空気が変わったのが分かる。それに気づいているだろうに、キースは全く普段通りだった。
「きっとこのお茶会は殿下は私に気を使って開いてくださっているのだと思います。貴族の方々が行くような場所は、私には荷が重いですから。今でも十分身に余る状態ですので。逆に殿下には私のせいで退屈な思いをさせてしまい申し訳ないくらいです」
「そんなことは気にしなくていいんだ。キース」
「孤児……」
エスメラルダがぽつりと言った。
「それは大変だったね」
ギュスターヴがひどく感銘を受けたという風にキースを見ている。
「辛い生い立ちにも関わらず奨学金で学園に通い、あまつさえ成績上位にはいるなんて、とてもできることではないよ。素晴らしい。僕は感動してしまったよ」
「いえ」
「本当にすごいよ」
キースが恐縮したように身を縮こまらせている。
「何が君の努力の原動力なんだい?生半可な努力ではできないことだよ」
「いえ、私は努力することしかできませんから」
「すごいね。卒業後はどうするつもりなんだい?」
「はい。社会福祉局への入局を希望しています。先日採用試験がありました」
「採用試験?あぁ、平民だからか。大変だね。でも君なら受かりそうだね」
「だと良いのですが」
「結果はいつごろ?」
「十二月の終わりか一月の頭に封書が届くそうです」
「そうかぁ。まだずっと先だね」
「社会福祉っていうことは、やっぱり孤児のために働きたいってことかな」
「そうです。私の目標でしたので」
「なるほど。すばらいいね。ますます感動したよ」
キースとギュスターヴは思いのほか気が合うのか、楽し気に会話している。それを横目に、従兄妹たちの表情が何かを理解したような、満足げなものに変わっている。
「まぁ……」
「あー、なるほど」
二人から発せられた言葉には何か別の響きがあった。
二人がちらちらとこちらを見ている。
「なぁ、アルベルト……」
そう言って従兄妹たちが僕を見た。
「聞きたくない」
「そう言うなって」
「ねぇ?」
「嫌だ」
「俺、全て分かっちゃったわ」
「私も」
口から零れ落ちそうになるため息を飲みこむ。
「大丈夫だって。俺は気遣いの出来る男だって、お前も知ってるだろう?何もしないぜ」
そう言ってにやにやしている。にやにやしながら、面白そうにカインはキースを見つめていた。ギュスターヴは一人お茶のお代わりを頼んでいる。
「そういうことでしたのね」
さて、この場で一番やっかいなのが彼女だ。全てを察したと言わんばかりに、彼女が大きく僕に頷いてみせた。その表情は、全く彼女らしい、面白いおもちゃを見つけたときの表情をしていた。僕とキースを交互に見ている。
その視線に、彼が落ち着かないふうに身じろぎした。
「お前って男は、ほんと健気だねぇ」
僕はそれに応えなかった。
「ねぇキース」
「はい」
うきうきしたようすの従姉が彼に声を掛けた。
「今度、アルベルトにどこかへ連れて行ってもらいなさいよ」
「いえ、そんなずうずうしい真似は」
「そんなことないわ。逆にあなたから頼まれたらきっと嬉々としてあちこち連れまわしてくれるはずよ。劇場でもレストランでも競馬場でも。ねぇ、アルベルト?あなたはもっと色々なものを見たほうが良いわ。来年はもう学生じゃなくなるんでしょう?平民は仕事が始まるとろくろく遊ぶ時間もなくなるって聞いたわ。今しか好き勝手できる時間なんてないし、せっかく王子がパトロンをしてくれるのだから、もっと人生を謳歌しないと」
意味ありげな視線で僕を見つめて来た。彼女の意図を僕は察して、借りを作るみたいで本来ならあまり気が進まないけれど、この時ばかりは彼女の発言に乗ることにした。
「もちろん、キースが望むのなら僕はやぶさかではないよ」
そう言ってみる。
「いえ、お気持ちだけで結構です。殿下。私にはそんな資格はありません」
「そんなの気にする必要がある?王太子と同伴なんだから、どこだって問題ないわよ」
「私はその、テーブルマナーを身に付けておりませんから、外で食事をご一緒するなんてことはできませんし、第一その、レストランやオペラや競馬場やそういった社交場へも、着て行く服がありませんので……」
「あぁ」
「確かに、ドレスコードは重要だね」
「ほら、アルベルト!私の言った通りじゃない。あなたがぐずぐずしている間に彼の衣装をきちんと用意してさえいれば、こんなことにはなっていなかったはずよ。本来なら今すぐにあのやぼったい地味な服を着替えさせてさっさと食事なり観劇なりに行くことも可能だったのに。全くもう」
彼女の発言は正鵠を射ていた。確かにその通りだと、僕は思わされた。こっそりでも彼の服を用意していれば……。
落ち込む僕の前で、彼女がうきうきな様子で話を続ける。
「アルベルト。せっかくだから王家お抱えの仕立て屋に頼んで彼の服を作ってあげたら?外出用の」
「いいな、それ」
「いえ、そんな」
「気にすること無いわよ。服の一着や二着や三着、彼にとったらはした金でしかないわ」
「いえ、その、殿下にはもう十分良くした抱いておりますので、これ以上を望むのは、私の身に余ります」
「ねぇ、キース。謙虚なのも控えめなのも美徳ではあるけれど、行き過ぎるとそれは卑屈よ?」
「すみません」
「こういうときは場の空気を読んでそれに乗るっていうのも、社交の基本だわ。あなたは少しずつでも学んでいかないと」
「はい……」
「それに、さっきから気になっていたのだけれど、あなた、殿下殿下って、アルベルトのことを呼ぶけれど、そうじゃなくて名前で呼んであげなさいよ。友達なんでしょう?」
「え……。そんなことはできません」
「ほら、また卑屈になってる」
「すみません」
「良く考えてみて。アルベルトはあなたを友達だと思ってるんでしょう?こんなところでこっそりお茶会を開いて呼び寄せるくらいには親しみを感じている。なのに、あなたったら、その友達だと思っている当人を、名前ではなく尊称でしか呼ばないのよ。それって、私はあなたと友達にはなれませんって言ってるってことじゃない?違う?それじゃあ可哀そうじゃない」
「エスメラルダ。いいんだよ。僕はそれに対して不満に思うところはないんだから」
「そんなわけないでしょう。私ならいやよ。お友達に、公女様、みたいな他人行儀な呼ばれ方するの。ねぇ、キース。そう思わない?」
「いえ、その、はい」
「そんなんじゃ、私の従弟が可哀そうだわ……」
エスメラルダがそう言った。その言葉に、キースが僕の方を窺うように見た。彼の茶色い目が僕に向けられている。
「ですが、私と殿下では立場が違いすぎます」
「そんなのどうでもいいじゃない。もちろん、赤の他人の居る場所だったり公的な場では駄目に決まってるわ。でもここは王宮の庭で、私的なお茶会で、見咎める者は誰もいないのよ?」
「……はい。確かにおっしゃる通りです」
「そうでしょう?友達だと思うのなら、アルベルトのこと名前で呼んであげなさいよ」
キースの目が揺らいでいる。彼の口が何事かを言おうとしてそっと開くのが見えた。僕は思いがけず、鼓動が速くなるのを感じた。
ほらほらと、何故かカインが囃し立てる。
キースの耳が赤くなる。
僕らの視線を受けて、彼は無言だった。
僕は少しどきどきしながら事の成り行きを見守る外なかった。
「……僕は一体何を見せられているんだろうか」
最後まで蚊帳の外だったギュスターヴが、困惑気味にそう漏らした。
秋の日は鶴瓶落とし。
まだまだ話足りないと言う風情の従兄妹たちも、さすがに夕闇が迫って視界が悪くなってくると、我儘を言わずに帰っていった。結局キースは僕の名を呼ばなかった。
後に残された僕とキースは、彼らが居なくなったあとでほっと一息つく。嵐の去った後のような、あるいは大変な仕事をなんとか終わらせた後のような心持ちだった。
しかし僕の仕事はまだ残っている。
このままキースを帰すわけにはいかないのだ。
「ごめんね、キース。随分気を使わせてしまった。まさか彼らがここへ来るなんて思っても見なかった」
「いえ、とんでもないです。あなたも知らないことだったのですから」
「ありがとう」
「とても賑やかな方たちでしたね。それに気さくな方々で」
それは君に興味津々だったからだよ、とは言わない。彼らはキースから情報を引き出すためにあえてそうしていたのだから。もちろん、本来の彼らは本当に気の良い人物ではあるのだが、それは初対面の人間には見せない。あれは、目の前に控える獲物を、子犬か子猫のごときキースを、怖がらせないようにするための気安さだった。
彼らもまた僕同様に、色々なことを経験している。最初からここまで気を許した態度を彼らは普段ならば絶対にしない。もしそのように見えるのならば、それは見せかけである。彼らの手練手管のなせるわざであるし、三人ともその程度のことは息をするようにできる。
まぁ、後半の従兄妹たちは心を開きかけている様子だったけれど。
「あぁ。僕はいつも振り回されてばかりだよ」
僕の言葉の中に真に迫るものがあったのだろう、キースがくすくすと笑った。
「そのようでしたね」
「うん」
いや、今はそんなことはどうでもいいのだ。
僕は頭を切り替えてじっとキースを見下ろす。今は目の前にある大きな問題をなんとかしなくてはならない。視線の先の彼は、小首を傾げて僕を見上げている。まるで自分が食べられることに気付いておらず、知らずそうされるのを待っている小鹿のようだった。
「それで、その」
「はい」
変な緊張感が僕を満たしている。その緊張がキースにも伝わったのだろう、彼が表情を引き締めて、僕が発する言葉を待ち受けるような顔をした。
「また、来週も来てくれるだろうか」
彼が返事するのに、わずかな間があった。
「……殿下がお嫌でなければ」
「本当に?」
「ええ、はい」
「良かった」
僕はほっと一息つく。
冷たい夜の風が吹いて、僕らを追い越していった。
キースの髪の毛が僅かに乱れる。キースが寒いのか腕を擦った。
「寒くなって来たね」
「そうですね」
「もうそろそろ外でのおしゃべりは難しいかもね。秋も終わりだ」
「そのようですね」
「そうだ」
僕は茶会の前に考えていたことを思い出す。今なら切り出せる。
「来週からは屋内に場所を変えよう。この寒さではもう外でおしゃべりは難しい」
「いいのですか?」
「何が?」
「私が、その、建物内に入っても」
「構わないさ。そうだ、それから、近いうちにどこかへ出かけようか」
「王宮の外へですか?」
「うん。君を誘わないと従兄妹たちにまた言われてしまう」
あぁ、と思い出すようにキースが言った。
「ですが、これ以上甘えるわけには」
「僕を助けると思って。ね?じゃないと、今度会ったときに僕は二人から攻められてしまう。彼らは結構僕には容赦がないんだ。言いたいことはずけずけ言ってくるんだよ」
「……はい。お願いします」
「ありがとう!それで、キースはどこか行きたいところはあるかい?」
「わかりません。行きたいところと言われてもぱっとは思いつかないです」
「そうか。そうだよね。じゃあ、宿題だ。来週会うときまでにいくつか候補を考えておいてよ」
僕はキースの返事を聞く前に、その手を取って歩き出す。
もう辺りは一面暗闇で、庭園内の街灯が等間隔に道を照らし出していた。
僕らはそのぼんやりと浮かび上がっている道を通って芝生を抜けると、用意されている馬車に乗って学園へと向かった。




