39
僕はあの後しばらくして寝入ってしまっていたらしい。いつの間に寝てしまったのかわからないが、僕は椅子の上で、背もたれに背中を預けた状態で目が覚めた。かなりぐっすりだったようだ。
情けない。
カーテンは閉じられたままだったが、僕が完全に閉めなかったのだろう、その隙間から明るい日差しが差し込んでいる。久しぶりに王都の空に晴れ間が広がっているようだ。僕はそのまぶしさに目を細める。
目が慣れるまでの間、僕は自分の見ていた夢を思い出していた。それは幼いころの自分が母に頭を撫でられるという夢だった。そんなことは子供の頃以来されてもないことだったのになぜそんな夢をみてしまったのか。
その撫でられた感覚とともに目覚めた僕は、やっと薄闇の中、病人のキースがベッドに起き上がって僕を見ているのに気づいた。時間を置いてやっと目が暗闇に慣れたのだ。
頭に残る優しい感触を感じながら慌てて背筋を伸ばして椅子に座り直すと、彼がおはようございますと朝の挨拶をしてくれた。その声はとても自然な響きを持っていることに気付いた。以前までとは違う。親しみのこもる声音だった。そう思ったのは僕の思い過ごしだろうか。
僕は彼に挨拶を返すと、恥ずかしさを押して立ち上がる。背骨と首がぼきぼきと鳴った。凝り固まった筋肉をほぐしながら窓のところまで行き、とりあえずカーテンを開け放つ。さっと差し込んだ外の光が、部屋の闇を追い払った。
僕は、変な寝言を口ずさみはしなかったか、それを彼に聞かれはしなかったかと、そのことが気になりながら、良い朝だねと彼に向かって言う。眩しそうに眼を細めた彼が、ほっとしたように笑った。僕に笑いかけた。
僕はそのことに感動してしまって、また同時に彼のその自然な笑みについ見惚れてしまって、しばらく呆けた顔を晒してしまった。恥ずかしいことこの上ない。
「体調はどう?」
僕はそんな顔を見せたことを取り繕う様に笑顔のままベッドに近づき腰かける。僕の体重でベッドがぎしりと鳴った。彼が驚かないよう、ゆっくり顔を近づけて彼の顔色を見る。数日前が嘘のような血色の良さに安堵する。それから額に手を当て熱も確認した。うん、問題ない。
「だいぶよくなりました。ありがとうございます。殿下」
彼が深々と頭を下げた。
「気にしないで。食欲はある?」
「はい」
「良かった。僕もおなかがぺこぺこなんだ。これから朝食にしよう。その後で医者の診察かな」
「ありがとうございます」
彼が再度頭を下げた。
その後、運ばれてきた朝食を別々に摂ってから、僕の専属医のアダンに診てもらうと、もうほとんど問題はないが、安心のためにもう数日様子を見たほうが良いだろうと言った。明日明後日まで熱がぶり返さない状態が続いたらもう問題ないと。
安堵すると同時に、もうすぐキースが帰ってしまうことが寂しいと思った。
ここまで回復すればもう僕がつきっきりで側にいる必要もないだろう。逆にキースにとってストレスになるかもしれないと思い、世話をほかの者に任せて僕は日常に戻ることにした。
苦渋の決断だったと言えるだろう。
ともあれ、これ以上キースについているわけにもいかないので、個人的な感情は切り捨てることにした。それにこのままでは体も鈍ってしまう。
ただし、夜だけは別だ。キースが眠るのを見届けねばならない。それが僕に課せられた使命だと言える。
日中の細々としたことを、大したことは今の僕にはほとんどないから、問題なく終わらせ、夕食をとってから再びキースの居る部屋に足を運ぶ。
扉を開けると、キースがベッドに起き上がっている。もう、ほとんど問題ないようだった。僕を見たキースが挨拶をしようとして、咳が出た。
「大丈夫?辛いなら無理に話さなくていい」
「辛くはありません。咳は仕方ないのだそうです。咳止めの薬も処方していただきましたので、じきに良くなるでしょう。殿下、本当に何から何まで、ありがとうございました」
「気にしなくていい」
僕は大股にベッドに近づく。
「顔を良く見せて」
そう言って、ベッドに腰かける。
「風邪がうつります」
「構わないよ」
「いえ、さすがにそれは」
僕はその言葉を無視する。
僕はベッドに起き上がっているキースに顔を近づける。仔細を確認するために彼の頬に手を伸ばす。
「具合はどう?」
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
そう言うなり彼の口から咳が漏れる。僕はキースの背に手を当てて、その咳が治まるのを待つ。額に手を当てる。
「熱はだいぶ落ち着いたね。微熱程度かな。良かった」
「具合の悪さはもうほとんどありません。本当にありがとうございました」
「でも顔が赤い」
キースがはっとした顔をして、わずかに目を伏せた。
「大丈夫です」
僕はキースの額から手を離す。
「そう?でも安心してはだめだよ。まだ咳があるんだから、それが治まるまでは無理してはだめだ」
「平気です。薬がありますので。それに、診察してくれた先生がもう大丈夫だろうと言ってくれましたし。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「咳が収まるまでは無理しないほうがいい。アダンも数日は様子を見たほうが良いとも言っていたよね。忘れた?」
「でも本当にもう心配いりません。それにそろそろ冬休みも終わります」
「僕はいつまでだってここにいても良いと思っているけどね」
「お戯れを」
キースが困ったような顔をしたので僕はこれ以上の深追いを諦める。
「もう十時になる。そろそろ眠らないと」
「はい」
僕はサイドテーブルにあるランプの灯を弱める。部屋に暗闇が忍び寄る。
キースが大人しく布団の中に入り込む。僕はベッドに腰かけたままだ。
「おやすみなさい」
キースが小さく言う。
「うん。おやすみ」
僕はキースの肩まで布団をかけてあげる。そしてベッド脇にある僕の定位置である椅子に腰かける。
僕は静かにそこに座っていた。時計の針の小さな音が僕の耳に届いている。
「あの」
「うん?」
しばらくしてから、ベッドから小さく声が掛けられた。
「えっと」
声のした方に顔を向けると、キースが何事か考える風な表情をしている。
「殿下もお疲れでしょう。どうぞお休みください」
「うん、そうだね」
安心させるために僕はキースに向かって微笑んで見せる。
「はい。私のことはどうかお構いなく」
「うん。君が寝付くのを見届けたらね」
「ええ……」
「遠慮しなくていい」
「そういうわけでは」
「今日も子守歌を歌ってあげようか」
眠れないであろう彼に提案してみる。
「殿下、その、昨日は失態をお見せしてしまい誠に申し訳ありませんでした。ですが、ええと……、私はもういい大人ですので、どうかそのようなお心遣いは」
「ほら、目を瞑って。夜更かしする悪い子のところにはお化けが来るんだよ」
「はい。いえ、その」
僕は彼がこれ以上何かを言おうとするのを無視した。
「子守歌が嫌なら物語を語ろうか」
「お心遣い痛み入ります。ですが」
「どっちがいいかな」
「……どうぞ、お嫌でなければお話をお願いしたく」
「任せてくれ」
僕は困惑顔のキースを横目に記憶を探る。しかし、こうして思い返してみると、過去に乳母や母から数多くの物語を寝しなにされたけれど、その内容についてはどうも記憶が曖昧だ。
「昔々あるところに、きこりの一家が住んでいた」
適当に頭に浮かんだ物語を始めてみたけれど、この後の展開がすでにあやふやだな。
「きこりの話なんですね」
キースがぽろっと零した。
「あ、すみません。口を挟んでしまいました。すみません。どうぞ続けてください」
「いいよ、気にしてないから。それより、木こりの話は嫌だったかい?」
「いえ。ただ、こう、もっと煌びやかな話なのかと想像していたので、予想外の話の出だしに驚いてしまいました。すみません」
「煌びやかな?」
「何と言いますか、ええと、王子や姫の出てくるような話です。王家の成功譚や英雄譚やそういうものを想像していました」
「それは昨日聞かせたからね」
「なるほど。王家に伝わる特別な昔話といったようなものがあるのかと思っていました」
「王家に伝わる特別な昔話なんてものは無いと思うよ。厳密に調べたわけではないし、僕があまり覚えていないだけかもしれないけれど、分からないなぁ」
「そうなのですね。王家でもそういう庶民的な物語を子供に語って聞かせるのだと分かり、一つ勉強になりました」
「そうか。僕はそんなこと気にしたことも無かったよ」
キースが話の続きを聴くために僕を見上げる。
「さて、話を戻そう。その一家には大黒柱たる父親が居なかった。少し前に仕事の途中で命を落としてしまったからだ。そのため、家族は母親と子供三人だけで、彼らは肩を寄せ合い暮らしていた。一番上の兄は勇敢だが思慮に欠け、真ん中の兄はお喋りで陽気、そして一番下の弟は臆病だが心優しく、母の看病を一手に引き受けていた。彼は幼く力が弱かったので、きこりの仕事を手伝うことができなかったからだ」
うんうん。思い出してきた。
「彼らの住む家の傍には高く高い、天まで届くほどの巨大な塔があった。周りをまわるだけでも、二三日はかかるような巨大さだった。ある日、一番上の兄がその塔へ登ると言い出した。塔の天辺には財宝が眠っていると聞き及んだ彼は、家族のためにその財宝を見つけてくると言って家を出た。家族は止めたが聞かなかった。彼は仕事に使う斧を担いで登っていった。ずんずん上っていく。何日もかけて彼は登っていった。ただひたすらに進んだ。彼は帰らなかった」
本当はもう少しやりとりがあったはずなのだけれど、思い出せない。まぁ成り行き任せだ。
僕は言葉を続ける。思い出せないところは、僕の思い付きで補いながら。
「帰らぬ兄を心配した二番目の兄が同じように出掛けていって、同じように帰らなかった。最後に残されたのは病気がちの母親と末の幼い弟の二人。彼らは待った。二人の帰りを。しかし待てど暮らせど二人が戻ることはなく、とうとう末の弟が塔へと登り探すことを決めた。弟は塔をゆっくりと登った。塔は実に巨大でそれぞれの階が信じられないほど高く広かった。しかも各階ごとにその内部は多種多様な空間を持ち、森や草原や雪原や海が広がっていた。弟は臆病な心を押さえつけて、その賢さと機転を活かして、どんどんと上へ上へと登っていく。森の階で木の実を拾い、平原の階で花を摘み、雪原の階で冷たい空気を袋につめ、海の階では海水を水筒に入れ、そうして上へ上へと登っていった。そしてとうとう彼は辿り着く。最上階へ。そこには果たして、見たことも無いような巨大な竜が居た。それは塔の主らしく体を投げ出して寝そべっていた。弟は兄の姿を探したが、どこにも見つけられなかった。そうしている間に、ふいに竜は目覚めた。彼は弟に問うた。
始まりと終わりを我に示せ。弟は拾った木の実を見せた。
ささやかな幸せを我に示せ。弟は摘んできた花を見せた。
人の温もりを我に示せ。弟は冷たい空気を解き放った。
終わりのないものを我に示せ。弟は掬った海を見せた。
そして最後に言った。
愛を我に示せ。
彼は母からもらったお守りを見せた。長兄からもらった手斧を、次兄からもらった皮のマントを。
竜は弟の回答に満足げに頷くと姿を消した。そしてそこには上の二人の兄がいた。仲良く肩を寄せ合って眠っていた。三人は一緒に塔を降りると、家族みんなで末長く暮らしたという」
僕は話し終えたとき、ふいにキースの机にあった冊子を思い出した。背表紙に文字のない冊子を。
私の知っている話のほとんどは、あのキースが書き溜めていた冊子の中にもあったなと、思い出した。僕が今話して聞かせたこの話はキースも知っているものだったということに、今更になって気付いた。
「すまない。君はもうこの話を知っていたかな。退屈だっただろう?」
「いえ。そんなことはありません。とても面白かったです。自分が知っている話でも、他の人の口を借りると、全く違う風に聞こえますね」
「そうかい?」
「ええ、かなりテンポ良く物語が進んでいって、しかもところどころ私の知らない展開があったりで、とても面白かったです」
くすくすとキースが笑った。
「なら良かった。僕はこういう話が好きなんだ」
「末子成功譚ですか?異郷訪問譚の要素も含んでいますね」
「末子?」
「あぁ、その、物語の類型です。末子成功譚はその内の一つで、兄弟で一番幼い者が、兄たちに成しえなかった成功を収める話のことです」
「へぇ」
「異郷訪問譚は、未知の世界を訪れそしてそこで様々な経験をする話です。他にも、王子や姫が困難を乗り越えて幸せになる貴種流離譚や、動物や神や物の怪などと結婚して子をもうける異種婚姻譚などがあります」
「なるほど。そういうのがあるのか」
「はい」
「僕はその末子成功譚が特別に好きというわけじゃないよ。ただ、力弱き者や立場の弱い者が自分にできる全てで困難を乗り越えるその姿が好きなんだ」
「そうなんですね」
「心躍る話だと思わないかい。子供の頃の私は、王子が活躍する話よりも、こういう普通の人間が努力によって成功する話のほうが好きで、よくせがんだものだよ」
「あぁ。私も。私も子供の頃、そういう話が好きでした。どこにでもいるような者が、精一杯に生きてそして最後に幸福を掴む話が」
「おんなじだ」
僕はキースを見た。
「お話ありがとうございました」
「どういたしまして。それで、どうかな。眠れそうかな」
返事がない。
「もう一つ、物語をしようか」
「いえ、かなり眠くなってきました」
間髪を入れずにキースが言った。
「それは良かった」
「はい」
「良い夢が見られそうかい?」
「朝までぐっすりです」
「おやすみ、キース」
「はい。おやすみなさい。殿下」
そう言ってキースが目を閉じた。僕は灯を調節すると、眠りの邪魔をしないよう静かに寝室を後にして隣の部屋へと移った。
翌日と翌々日の夜もキースの部屋を、実際には僕の部屋なのだけれど、僕はそこを訪れた。
ベッドにいるキースはもうすっかり良くなったようで、咳も以前よりは治まったらしかった。
僕らは二人で話をする。他愛もない話だ。僕らの影が、壁にカーテンに天井に映し出されている。
ランプのほのかな光が灯る薄暗い部屋の中だったけれど、もう少しも不穏な気配は感じなかった。
「殿下。大変お世話になりました。明日戻ろうと思います。学園に」
話題が一時途切れたときに、彼が意を決したように言った。
「そうか」
「本当になんとお礼を言えばいいのか。ありがとうございました」
「気にする必要はないよ。僕がしたくてしたことなんだから」
「私がもっとしっかりしていれば、このようなことにはならなかったのですが、結果的に救っていただいたこと、どうして私があの場にいたのかを一言もお尋ねにならなかったこと、本当に感謝しています。重ねてお礼申し上げます。ただの同級生という以上のことをしていただきました。どのようにこのご厚意に報いれば良いのか、私には分かりません」
彼の話す言葉には熱があった。確かに、心からそう思っているという響きがあった。
「その言葉だけで十分だよ」
さらに言い募ろうとするキースを押しとどめて僕は言う。
「本当だよ。十分に君の気持ちは伝わった」
彼は僕の目を覗き込むようにして見つめている。心の奥を覗こうとするように。
「アルベルト殿下。この御恩はいつかお返ししたいと思います。私に何ができるのか、まだわかりませんが」
「いらないよ。そんなこと気にしなくていい」
訝し気な彼に言い聞かせるように僕は念押しする。
「本当だよ」
それは全くの本心だった。
「いいえ。できません」
「キース。君は知らないんだ。僕は……」
言葉を切る。
「僕は君のおかげでたくさんのことを学んだ。だから、もう既にお礼は十分もらっているんだよ」
訝しがる彼に僕は話題を変える。
「でも、本当に大丈夫かい?まだ、冬休みが明けるまで日がある。それまでここに居てもいいんだ。君が万全になるまで。体調のことではない。僕は君自身のことを言っているんだ」
もう一度彼をじっくりと見る。数日前とは全く違う。確かに体の調子は回復したらしい。自由に動き回れるという。
ただ、問題なのは彼の心の方だった。何があったのかは知りようもないが、一番気にしなければいけないのは、目に見えない彼の負った心の傷のほうだ。
キースがまっすぐに僕を見ている。僕は視線を逸らさなかった。キースも。僕の言いたいことを、彼はきっと正確に理解しているだろう。キースは賢いから。
「あの時の私はひどく塞いでいたのです。本当に何も考えられない状態でした」
「……自分のしようとしていることが、意味のあることなのか悩んでいると言っていたね」
「そんなことを私は言いましたか?そうですか……」
単調に時を刻む時計の針の音が耳につく。
「知り合いが死んだのです」
思っても見ない告白を彼がした。僕は先を促すようにじっと耳を傾ける。
「それほど親しい間柄というわけではありませんでした。偶然同じ仕事に就いただけの、ただの知り合いでした。短い間だけ一緒に仕事をした仲でした。その彼が年末に盗みを働いたのです。そして、そのために捕まり、拘留されました。食い詰めて教会の募金の金を盗もうとしたそうです。年の瀬から年明けまで、寒い牢に入れられていました。そして、そこで亡くなったそうです。あの日、私はそのことを知りました」
もう彼の中で整理がついているのだろう。淡々と感情を乗せずにキースは話す。どこか遠くを見るような目つきで。
「彼は私とは違う、この街の孤児院出身の男の子でした。十六歳でした。彼は同僚からの度重なる嫌がらせに耐えかねて、仕事を辞めてしまいました。それまでは私がずっと面倒を見て、かばっていたのですが、耐え切れずに仕事を辞めて、それっきりになっていました。私はどうか無事に別の仕事にありつけていたらと願っていましたが……。私は、彼が一人で生きていけるよう、手助けをしました。別の仕事が見つかるまで。でも、無駄でした。彼の死を知ったとき、私は私の無力であることに絶望しました。私のしたことが意味がないことだと思いました。私はこの先、どれほどの無駄を重ねて行けばいいのかと考えていました」
虚空をさ迷っていた彼の視線が再び僕に向けられた。
「私は誰かを責めるだとか何かに原因をみつけようだとかそんな気持ちはありません。ただ、悲しいだけでした。やはり自分には何も変える力などないのだと思いました」
感情のこもらない声が部屋に満ちた。
「そんなことはない。君ならできる。だって君はそのために、勉強しているんだろう?国家役人を目指しているんだろう?」
「ええ、そうです。ですが、私一人で何ができるのかと思いました。身近にいる者一人助けることができないのに、と」
「キース」
「つまらない話をしてしまいました。すみません。ですが、言わねばならないと思いました。助けていただいたから。本当にありがとうございました。殿下に助けていただき、あの晩、私は救われました。もう大丈夫です。私は大丈夫です。私がどれほど感謝しているか、きっとお分かりにならないでしょう。本当にありがとうございました。私はまだ頑張れます」
そう話す彼の目は穏やかだった。
「キース。もう少しだ」
僕は先日の一件を思い出しながら言う。まだ、どうなるか確定はしていない。けれど。
「もう少しだけ待ってくれ。そうしたら変わる。良くなる。全てではないけれど、今よりはきっと良くなる」
彼が小首を傾げる。
「僕を信じて。きっとだ。きっと良くなるよ」
キースは不思議そうに僕を見上げていた。
翌日、キースは王宮を後にした。学園へと戻っていった。
何度も何度も僕に繰り返しお礼を言いながら。
その夜、今度は僕が熱を出した。従僕やアダンや使用人のみんなが僕を心配した。
クリストフを始めとした僕の従僕たちは特に大騒ぎだった。血相を変えて僕に自分たちの不手際を謝っていた。
彼らは、青い顔をしながら僕の看病をしてくれる。それが申し訳なくて、僕は彼らが謝り倒すのを必死に宥めた。彼らに非があろうはずもなかった。完全に僕の落ち度なのだから。
大人しく彼らに看病されながら、僕はキースがいなくて、彼に知られずに済んで良かったと思った。きっと彼は気に病んでしまっただろうから。
日に数度飲むアダンが用意してくれた薬はとても苦かった。




