35
二十万文字超えてました
十一月初旬の冬晴れの今日。僕は母から茶会に出席するよう言い渡されて、王宮の東側にある温室へと足を運んだ。
この温室は全面ガラス張りで、今の季節でも暖かくそして解放感に満ちている。冬の空にはいくつか雲が浮かんではいるものの、素晴らしい陽気で、ここでの茶会にはぴったりな日和であった。
この温室そのものは過去の王族の一人が、外国からわざわざ移築させた古風で瀟洒な建物である。その外観の素晴らしさもさることながら、その中にある植物もまた見どころが多い。中には外国から集めた珍しい花々が季節を通じて咲き誇り、一年を通して客人を歓待するためによく利用される施設でもあった。秋が終わり冬の始まった今の時期も、いまだ様々な花が咲きみだれている。
残念ながら僕は植物には詳しくないので、蘭が咲いているなとか、なんか知ってる葉っぱが茂っているなくらいにしか思わないのだけれど、きっと管理者の細やかな心遣いや高い技術がなければ実現しない光景なのだろうと思われた。
温室の外観が目に入ると一気に憂鬱が首をもたげてくる。前も今も、僕はこのお茶会が好きではなかった。もしかしたらこの催しを心待ちにしている参加者がいるかもしれないし、現実問題としてわざわざ王宮へ足を運んでくれているご令嬢方には、このような気持ちを抱くこと自体が申し訳ないことだとは思っているが。
こんな気持ちで参加するのは本当に失礼なので、出来るなら出席を断りたいと思うのに、残念ながら僕にそれは許されていない。というのも、このお茶会が行われている理由が、将来の婚約者候補たちとの顔繋ぎだからである。
僕は笑みを顔に張り付けて、係の男に扉を開けてもらうと建物の中へと足を踏み入れた。
すでにお客人方はみな到着済みで、用意された席に着席してお行儀よく僕がやってくるのを待っていた。
そう。お行儀良く。
入室とともに一斉に彼女たちの視線が僕へと集まる。僕は無意識に驚いた風に装い、それから申し訳なさを滲ませた表情を浮かべて、遅れての到着を詫びた。
内部は広くとられ、中央にこの茶会のために用意された大きな円卓があった。卓には総レースのテーブルクロスが掛けられ、どこからもってきたのか、季節外れの大輪の薔薇が大きな花瓶に生けられて卓の中央に鎮座している。また、お茶の用意、ケーキ類の用意、その他様々なもてなしのための用意が、準備万端整っているようだった。さらには、衝立によって仕切られた空間の向こうにもたくさんの人が控えているのだろう。
そして、この空間の隅のほうには女性ばかりの給仕係が控えている。客人らが連れてきた侍女たちも多数目に入った。
しかし、このお茶会の主催者であるところの母の姿はない。彼女はたしかにこの催しの主催者ではあるが、当の本人は今この場にはいない。その代わりに代理として呼ばれた従姉のエスメラルダが可憐なご令嬢たちの中にあって、全く主人然として座っていた。
僕はこの二つ年上の従姉が好きだった。恋愛感情ではなく、友人として、彼女のことが好きだった。およそ屈折したところのない天真爛漫な性格と、聡明さとを持ち合わせ、頭の回転も速い。彼女は長い付き合いの中で、自身の取り乱したところをほとんど見せたことがない、頼れる友人だった。
そして彼女の兄とは全く違った個性を持っていた。
一つ難点を挙げるとすれば、恋愛に目がないというところだろうか。
公爵家のご令嬢としてどこに出しても恥ずかしくない彼女ではあるが、こと恋愛が絡んだ話になると誰も彼女を止められない。婚約者が既に決まっている彼女は暇があると、どこから仕入れたのか分からないが、どこそこの子息が浮気しただとか、どこそこの令嬢の縁談が決まっただとか、学園のだれそれが別れたなどと、友人たちと噂話に興じているらしかった。
そんな風だから、彼女は僕の母の代理なんて役に抜擢されているのだろう。今日の僕らの様子を母に報告するために。もしかしたら彼女自身、嬉々としてこちらへやってきたのかもしれない。
そういったことをつらつら考えながら、僕はまっすぐに円卓へ進む。
自分の席に着く前に、座席を一つずつ回って一人一人に声を掛けて行く。会釈と簡単な会話を交わす。彼女たちはすばらしく躾の行き届いた仕草や言葉遣いで僕に返事する。うん。僕の記憶にある人物と全て一致している。なんら過去と変わるところは無かった。今日僕は彼女らに初めて会うことになっているので、名前と顔とが一致しているが、初対面だという体で声をかけていく。
それが終わるとやっと自分の席に座れる。
「本日は天候にも恵まれ、こうして可憐なみなさんにお会いできて大変光栄に思います。それなのに、僕は少し遅れてしまったようで、大変心苦しく思います。どうぞご容赦ください」
本当は時間ぴったりなのだが、僕は会話の糸口として敢えてそう言った。
「こんな陽気ですもの。途中で道草をくってしまったとしても誰にも責められないでしょうね。問題ありませんわ」
エスメラルダが言った。エスメラルダの発言を受けて、同調した令嬢たちも口々に僕に気にしないよう囀る。
「ありがとう。このような華やかな席は、僕は不慣れなので、美しいご令嬢方の前で粗相をしてしまわないか大変心配なのですが、本日は精一杯皆様方のお相手を務めさせていただきます。どうぞ、ごゆるりと心行くまでこの場を楽しんでください」
僕は再度席に座る面々をその視界に収める。
エスメラルダを筆頭に、侯爵家や辺境伯家のご令嬢がずらりと並んでいる。ずらり、とは言ったが従姉を入れて六人だ。
僕は母が今ここにいない理由を知っている。それは、奇しくも、僕がこの場に来たくないと思う理由と同じであった。
それは、客人の全員がいまだ十歳にも満たない年齢だという一点だった。
僕はお茶を注いでもらいながら、ため息を押し殺した。みな幼すぎるのだ。事前に六歳七歳くらいだと聞かされているために驚きはない。
それほどまでに幼い彼女らが、お行儀よく席に腰かけている。その光景がどうしても茶番にしか見えないが、これがれっきとした公的な集まりだと言うのだから参る。
この茶会の様子を見たら誰もが失笑するだろうなと内心で思った。特にエスメラルダの兄は。どうか僕が幼女趣味だなどと噂が立たないことを願うばかりだ。
あまりに小さい少女らが、綺麗な衣装に身を包んで大きな椅子に深く腰掛けている。どの子たちも緊張しているのが窺える。
従姉に促されてご令嬢たちが一人ずつ僕に向かって自己紹介をしてくれた。名前や趣味や好きなものなどもう知っていることを。
彼女たちは、緊張しているだろうに大きくつっかえるということもなく、最後までしっかりと言葉を継いだ。僕はそれに笑顔を浮かべて聞き入っている風を装う。時々驚いたり感銘をうけたような表情や相槌もいれるのを忘れない。
そんな僕に少女たちは嬉しそうに笑う。その笑顔を見ながらこっそり考える。
六歳?
僕は彼女らの頑張りを眺めながら自らの記憶を掘り起こしていく。
僕が六歳だったころはどんなだったろうかと考えていた。まぁ間違いなくこんなに立派な挨拶などできなかっただろうな。鼻水をたらしてあーとかうーとか言って走り回っていた頃ではないのか?それとももう少し人間性を手に入れていた頃だっただろうか。
なんとか記憶を引っ張り出してはみるものの、僕の頭の中に浮かんでくることといったら、庭で土塗れになって遊ぶ姿や、使用人連中の後に隠れてかくれんぼをしただとか、気になるおもちゃをいじくりまわして壊してしまっただとか、そんな光景ばかりだ。絶対にこれほど大人しく席に座っていたというようなことはない。そもそも長時間座っていられなかった。
僕は、自分が今彼女らと同い年でないことを幸運に思う。もしそうなら、幼い僕はきっと彼女たちの美しい衣装を泥まみれにしてしまっていただろうから。
それと同時に、彼女らの家の者たちの苦労が偲ばれる。彼女たちの礼儀作法のこの完璧さは、相当な努力と忍耐とかけられた時間の賜物なのだろうと察せられるからだ。
そして、きっと彼女らは泣きながらも頑張って家族の期待に応えて、今この場にいるのだろう。この年齢の子供なんて集中力ややる気が三十分ももてば良いほうだ。それ故に、彼女らの感じる負担も相当なものだったはずだ。
エスメラルダがお茶会の開始の挨拶や今日の進行、お茶の種類の解説などなどを話している間、僕はそんなことを考えて、一人感動していた。ともすれば涙がこぼれそうになる。完全に久しぶりに姪に会う叔父のような気分だった。
前回のときは年齢通りの十七歳だったけれど、今の僕は、内面に関して言えば二十六歳のいい大人だから、余計にそう感じてしまう。
二十六と言ったら結婚していてもおかしくは無いし、場合によっては子供だっている。他の男がどうかは知らないけれど、そんな精神年齢だったから、もう目の前で行儀よく座っておしゃべりに興じている少女たちを、どう考えたって将来の伴侶として見るなど不可能だ。十七のときでさえ既に無理だったが、今となっては完全に無理な話だった。
今後彼女らが大人になるまでに何度もこうして顔を突き合わせなければいけないと思うと、僕は憂鬱になる。毎年彼女たちは僕のために、やりたくてやっているわけではないかもしれないが、振る舞いや、嗜好や、考え方を僕に合わせて変えていくだろう。時と共に彼女たちは大人になっていく。
そんな彼女たちに応えてあげられる自信が自分には無かった。
内面も外見も目まぐるしく変わっていって、きっと日々新しい自分を発見し、新鮮な気持ちを持って彼女たちは年を重ねるだろう。
一方の僕は、しかしさほど変わることない。逆に、彼女たちがこんな小さいころから知っていて、それ故にきっと十年後の今頃は、大きくなったなぁという感想しか持てないのではないかと思ってしまう。そんな未来が想像できる。
彼女たちの人生が無駄になるのではないかと、僕は恐れた。
そんな白昼夢にも似た未来像を勝手に思い浮かべている僕の目の前に、給仕たちの手によってどんどんと料理が並べられていく。その甘い香りで現実に引き戻される。
目の前では少女たちが供された食事に手を付ける。素晴らしい。テーブルマナーもあの歳にしてはしっかりしている。ままごとみたいなやり取りではあるけれど、それでも普通の子供にしたら洗練したやり取りだ。
僕はそんなことを考えて、そして自分で自分の思考にはっとさせられる。
ほら、これだ。無理だ。所作がどうこうだとか、集中力がどうこうだとか、マナーがどうこうだとか、そういうところにばかり目が行ってしまう。完全に僕の心境は親戚のおじさんと言ってもおかしくないものだ。
まだ王子様に対する夢をみている年ごろだろう彼女たちは、頬をほんのり染めてきらきらした目で時折僕を見ている。まだまだうまく表情や感情を取り繕うことのできない彼女たちは、憧れを直截に顔に出してしまっている。その子供らしさは純粋に、全くもって変な意味ではなく、言葉通りに微笑ましいものであるが、見られているこちらとしては、なんだか居たたまれない気にさせられてしまう。
母が今日この場へ来なかったのは、つまりこれが理由だった。子供の相手をするのを避けたのだ。息子の僕とエスメラルダを犠牲にして。
まぁ、忙しい母がこんなお子様相手に歓待するのもおかしな話ではあるので、そこは納得できる。
僕はそんな場に身をおいて、大きな罪悪感を抱えながら、彼女らの夢を壊さないよう今日はできるだけ王子様然として格好良く振る舞うことを心に決めた。目標を持つことはいいことだ。先ほどまでのやる気の無さは薄れ、幾分か前向きな気持ちになれた。
そして思う。弟のセオドアと気が合いそうな子は誰だろうかと。セオドアは今九歳だから、僕なんかよりもずっと丁度良い年回りなのだ。弟は優しい子だ。どこに出しても恥ずかしくない可愛い男の子だった。まだまだ子供らしいやんちゃ盛りの子だけど、賢い子だから、すぐに落ち着くだろう。今は同じくらい元気な子がいいだろうか。それとも思慮深く落ち着いた子がいいだろうか。
僕は少女たちのはにかんだ笑顔で問いかけてくるその声に応えながら、そんなことを思っていた。
その日の夕方、僕の部屋に一人の友人が遊びに来た。
エスメラルダの兄カインだった。
「アルベルト!今日の昼間はさんざんだったって?妹から聞いたぜ」
彼は入室するなり楽しそうにそう言ってきた。僕はその言葉に適当に返事をしながら、彼がやってきたときにいつもするように酒棚から数種類のアルコールと二人分のグラスとを用意する。今日は飲みたい気分だったので丁度良かった。
「なんでも、六歳七歳くらいのガキの相手を精一杯務めたそうじゃないか。いやぁ見たかった!残念だなぁ!」
きっとその場面を想像しているのだろう。彼は心底おかしそうに声をたてて笑っている。
「お前の王子様っぷりがすばらしかったってエスメラルダが褒めちぎってたぞ。お前は本当にそういうの手を抜かないよなぁ。俺だったら適当に挨拶して適当に喋って適当に食ったら、そう言えば用事があったのを忘れてたって言って逃げ帰るところだぜ」
「そんな失礼な真似はできないよ、カイン」
「あ、俺ジン」
僕が用意した瓶から一本指さしながらカインが言った。僕は言われた通りジンをグラスに注いでそれをカインに手渡す。そして僕は自分用にウィスキーをグラスに注いで、椅子に腰かけた。二人向かい合う形に座ると、唇を濡らすようにちびりと酒を口に含む。ウィスキーの酒精が鼻を抜けて行く。
カインもまた僕から受け取ったジンを飲んで一息つく。うまいと言いながらグラスを置くとニヤニヤ顔で僕を見た。
彼はほとんどの場でずっとこんな風で、公人としては非常に砕けた振る舞いを常にしている。唯一国王と王妃の前だけはきちんとした言葉遣いをしているので、本当ならきちんと振舞うことも可能なのだが、本人の性格なのだろう、誰にでも分け隔てなくこんな砕けた態度で接するので、眉を顰められることもしばしばだった。
ただ、人好きのする魅力的な性格と顔をしているせいもあってなんとなく些細な事は許してしまいたくなる、そういう雰囲気があった。
「いや、面白すぎるって。十七の男の相手が十歳も下のガキで、しかもその相手にお世辞を言わないといけないんだろ?いやぁ、俺がお前の立場じゃなくて良かったぜ。俺だったら何を話せばいいのかさっぱりだ」
「そうかい。替わってくれてもいいよ」
「いや、無理無理。ほんと、可哀そうだよなお前って。生まれたタイミングが悪すぎた。あー、エスメラルダが従姉じゃなかったらとっくにあいつと婚約してこんなことになってなかったのになぁ。残念だったな!アルベルト」
彼が笑い含みにそう言った。それは彼のいつもの軽口だった。
いつもの僕ならそれに冗談で返したのだけれど、今は冗談だと分かっていても、その言葉に同意することができず、無言を返してしまった。以前の僕ならなんとも思わなかっただろうが、今は無理だった。
「お?どうした、アルベルト?」
僕の薄い反応に何か気付いたように声を上げる。
「何が?」
「何がって、お前。いつもと反応が違うなと思って。どうしたんだ」
さすがカイン。こう見えて意外と彼は人の機微に敏い。
「別に。ただ疲れてるだけだよ」
「そうか?まぁ、それもそうか。女の子を何人も一度に相手にするのは疲れるだろうな。会話ももたないし趣味も合わないし色気は無いし」
「会話はもったよ。彼女たち、すごく勉強してきてたみたいだ。躾も行き届いていて、僕は感動してしまったよ」
僕の言葉にカインが笑う。冗談だと思ったらしい。
「感動は良かったな。それってつまり、婚約者候補にすらなれてないって意味だろ。やっぱり、年の差はでかいよな。特に下の方の年の差は」
「まぁ、そうかもしれないね」
「アルベルトの人当たりの良さと会話の引き出しの多さがあっても、きつかっただろうに、お前はよくやったよ。エスメラルダから色々聞いてきたからな。まるでお遊戯会のような様相だったそうじゃないか。本当に……、お前はすげーよ」
「ありがとう」
「だから、こうして疲れているだろうお前を優しい俺が慰めにやって来たってわけだ。優秀な従弟殿」
「気持ち悪いなぁ」
「はは。俺と比べたらお前はほんとすごいよ。俺には子供のお守りを完璧にはこなせない」
カインの言葉には含みがあるようだった。意味深な視線を僕に投げかけている。
その表情がなんだか癪に触って、僕は片眉を上げて続きを促す。
「たかだか六、七歳の子供の内の一人が将来の結婚相手になるのかと思うと、こう胸に来るものがあるな。悪い意味でさ。ロリコンの素質は俺には絶対にないな」
「それには僕も同意するよ」
「いやぁ、とうとうアルベルトも結婚相手を探す時期が来たんだなぁ」
「勘弁してくれ。僕のことより、カイン、君は自分の相手のことを気にした方が良い。じゃないといつの間にか勝手に決められかねないよ。もういい歳なんだから」
「あぁ、俺はこの自由を手放したくないんだ、アルベルト。自分がいつまでもこのままだったならどんなに良いか」
「もう今年で二十三になる男の台詞とは思えないな」
「まだ二十三だ」
「それで、その自由のために君はまだご令嬢方から逃げ回っているのかい?」
「逃げ回ってるとは失礼な。俺は後腐れのない女としか遊ばないから、追いかけられたりはしないの。まぁたまに失敗するときもあるが」
「それは大きな声で言うようなことではないと思うけど」
「良いんだよ。お前と違って俺は無理に結婚する必要がないからな。それに、仮に結婚するとしても、俺の結婚相手に家格はそこまで求められていないから、探せばまだまだ結婚できそうな相手はいるんだ」
「でも、君は婿入りしないといけないじゃないか。良い女性っていうのはだんだん減っていく一方だと思うけど」
「その時はその時さ」
「……無理に結婚する必要がないのなら、それこそ愛せる相手を探したら良いじゃないか。身分の差もあまり気にしなくていいんだから、これから見つければいい。それができるっていうのは上位貴族としては幸運なことだ。エスメラルダが聞いたら悲しむぞ、きっと」
「愛した相手、ね」
カインが含むように言う。
「まぁ、あいつはなんだかんだ上手くやったよ。婚約者殿は容姿も家格も人となりも完璧。しかも御伽噺みたいに相思相愛の関係だ。そして俺とも結構気が合う。結婚相手としてはこの上なく完璧な相手だ。将来は俺を養ってくれるだろう」
「そうだね。彼女は幸運だ」
婚約者を紹介してくれたときの彼女の笑顔が思い浮かんだ。
「アルベルト?」
「うん?」
「なんか……。いや、なんでもない」
カインが訝し気な顔で僕を見ている。
「ところで今日は何の用で来たんだい?遊ぶ約束はしていなかったような気がするけれど」
僕は窓から外を見る。夕闇が訪れている。時計をちらりと確認すると、時刻は午後六時。茶会が終わってから二時間が経っていた。
「なんだ、その、お前を新しい遊びに誘おうと思ってな」
「新しい遊び?この時間から?」
「ああ、もうお前もそろそろ経験しておいた方が良いだろうと思ってな」
カインが珍しく言葉を選んでいる。こんな感じのカインに僕は覚えがあった。
そして気づく。
あぁ、そうか。今日だったか。彼が僕を最初に女遊びに誘ったのは。
「ありがたいお誘いだけれど、僕は行かないよ」
僕は努めて平静にそう言った。
「アルベルト、俺の言いたいことが分かるのか?」
「まぁ、だいたい察しが付くよ。どこだろう。青い薔薇とかそのへんかい?」
「なんだ、知ってるのか。って、もう行ったのか?」
「いや、ないよ。あてずっぽうで言ってみただけさ。僕だってそういった話を聞く機会はあるからね」
「あぁそうか。うん、そうだろうな」
「カイン。誘ってくれるのはとても嬉しいけれど、今はいいよ。興味も時間もない」
僕はもう一杯自分のグラスに注ぐ。
「忙しい?なんで?急ぎじゃないんだろ?何かわからないがそんなものは後にしようぜ。そろそろお前も女遊びは覚えておいた方が良いと俺は思うんだよな。結婚が現実的な時期に差し掛かってる今だからこそ、経験しておいた方が良い。失敗しないために。わかるだろ?好きになった相手に頭を狂わされて失敗する男はいっぱいいる」
「まぁ、そうだね」
「そうだ。それが絶対にお前じゃないなんてことはない。いくら優秀なお前でもな。過去にそういう失敗をした男の話はごまんとある。人の話題に上がるような地位の男だからそんな逸話が残ってるともいえるけど。可哀そうだよな」
カインが俯きがちに言う。
「ありがとう。気を付ける」
「だったら」
「でも、本当にいいんだ。僕は今そういう気分ではない」
「なんだ、ほんとに興味ないのか?俺がお前の年ごろには興味しかなかったぜ」
「無いとは言わないけれどね。僕も男だから。でも今はそれよりも……」
「それよりも?」
「やらなくちゃいけないことがあるんだ」
僕は自分の机の上に並ぶ資料の山を見遣る。
「なんだ?何を始めようって言うんだ?」
僕の視線を辿ってそれに気づいたカインが大股に歩いて、僕の準備している紙の束を手に取る。
「うわ、なんだよこれ」
勝手に手に取って中を見ている。僕は慌てて立ち上がって彼の傍に行く。
「あまりじっくり見ないでくれ。僕がやっていることが外部に漏れるのは、都合上良くないんだ」
「そうなのか。まぁ、俺が見てもさっぱりって感じだ」
「それをまとめないといけないんだ。だから、しばらく君とは遊べない」
「これが終わったら?」
「普通の遊びならいいよ。夜会だとか狩りだとかスポーツだとか、そういうのだったらね」
「いやに健全な遊びばかりだなぁ。でもほんとに?本当に興味ないのか?なぜ」
「理由なんて無いよ」
カインが僕をじっと見ている。探るような視線に、僕は持っていたグラスのウィスキーを一口飲んだ。
「まさか、お前……」
カインの表情が変わる。
「どこのどいつだよ。俺たちのアルベルトの心をかっさらっていったのは?」
「カイン、落ち着け」
「エスメラルダも気づいてないぞ。そんなことがあり得るのか?ってことは最近か?最近知り合った?どこまでいった?もしかしてもうやったのか?」
「カイン」
「だってよ、アルベルトだぞ。あの完全無欠のアルベルトが、誰にも一定以上の興味関心を抱かなかったアルベルトが、だぞ」
「なんだそれは。落ち着いてくれ。それと、僕は君たち兄妹には一定以上の興味関心を持っているつもりだよ」
「そりゃそうだ。俺らやデミアンは良い。そんなの知ってる。けどそうじゃない。俺たち以外に興味を持ったって?すごいことだぞ」
僕はため息をついて席に戻る。カインも向かいの席に腰を落とすと、ジンを一息にあおった。僕は空になった彼のグラスに次を注いでやる。
「好きな女のために操を立てるっていうのか……?王子が?で、どこの誰だ?」
「そんなんじゃないよ」
「いいや、そんなはずはない。俺にはわかる」
「カイン……」
「もしかして、その紙の束も、その女の為なのか?なんてことだ……」
「これは僕がやりたいからやっているだけだよ」
「あぁ、わかった。そういうことにしておこう。でも誰だ。王妃も知らない相手?家格が釣り合わないのか?それとも、すごい年上とか、あるいは未亡人なんて可能性もあるか。まさか、人妻?」
「そんなわけないだろう」
「良かった。アルベルトが人倫を踏み外していなくて。ということは年は離れていないんだな」
カインがいつになく真剣だった。まぁ、真剣といっても、面白がってるだけだろうが。
「学園の知り合いか?」
「それ以上はよせ」
「くそ、学園を俺もエスメラルダも卒業済みだっていうのが悔やまれる」
「興奮するなよ、カイン」
「そうか。デミアンだ。あいつに聞こう」
「デミアンが口を割るとでも?」
「確かに……。あぁくそ。知りたいぜ」
「君が思っているようなものじゃないよ」
「じゃあ何なんだ?」
「君が考えるような関係じゃないんだ」
「全く見当もつかない」
「本当だ。僕は全く相手に意識されていないからね」
「な、なんだって?」
今度こそ驚愕の表情を貼り付けてカインが僕を見つめている。穴が開くほど。
「すげーな……」
「すごくはないよ」
「アルベルト。いつか教えてくれよ」
「……そんなことにはならないよ。僕にはその人を幸せにできない」
「……でもお前は今その女のために頑張ってる。上手くいかないと知っててなお、こんな無駄なことをやってる」
一呼吸置いて、彼はそう言った。その言葉の力強さに、僕が顔を上げるとカインが僕を射抜くように見ていることに気付いた。
「やっぱり王子様は違うな。俺とは。好きな相手の為にこんな地味な作業を延々してるんだろ。やべー量だぞ。どれくらいかけてるんだ?結構長い時間かかったろう?」
「半年くらいかな」
「半年!信じられねぇ。お前はすごいよ」
「そんなことはないと思うけど」
「俺は応援するぜ。そのほうが楽しそうだ」
「いらないよ」
「何故」
「結局無駄になる。それもこれも僕が第一王子だからさ。上手くいきっこない」
従兄弟がはっとしたような顔をして僕を見ている。僕はその顔を見たくなくて、ウィスキーを一気に飲み干した。
「俺の親父だってそうさ」
「あぁ……」
「だから、やろうと思って、できないことはないぜ、アルベルト」
カインの言葉が耳に残った。
法律上、いとこ同士は結婚できない設定です




