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(完結)男二人、ヤマアラシのジレンマ故に  作者: たろう


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しばらく経って夏休みが終わり、授業が開始された。単調な日々の再開。


昼休み。キースは今部屋の片隅で静かに授業の始まりを待っている。姿勢良く椅子に腰かけて。教室で見る彼は以前となんら変わるところはないようだった。つまり僕との関係も。


けれど、学園生活再開からしばらくして、僕は以前と違うところがあることに気付いた。それは、些細な変化だったけれど、明確な変化。


今、僕の目の前で、平民の学生らがキースの席に数人やってきた。気づいたキースが顔を向ける。そして、穏やかに微笑んで挨拶する。楽し気で他愛のない気さくな会話が繰り広げられる。


そう。いつしか、キースの周りに人が集まるようになっていることに、僕は気づいた。


夏休みが明けてから、僕は彼が級友たちとこういう風に会話を交わしているところをしばしば見かけるようになっていた。教室で、廊下で、中庭で。そういう場面を少なからず見かけるようになった。以前はそういう場面をほとんど見かけなかったような気がする。


いつの間にか小さな言い知れぬ違和感が僕の中に生まれていた。


それからさらに日が経って、恒例の魔法技能演習大会がやってきた。


前回のとき正確に誰が出場しどのような順位だったのかを、剣術大会でもそうであったけれど、僕ははっきりとは覚えていない。しかし、デミアンが一位で僕が四位、そしてキースは入賞しなかった、そのことだけは覚えていた。


僕は順当に演技を披露し四位になった。過去の経験に照らせば一位を狙うことも可能だったけれど、余計な波風を立てることを恐れて、僕は手を抜いて、前回と全く同じ演目を行った。


一方、キースは八位入賞を果たしていた。キースが二学年の魔法大会では入賞しなかったのは確かなはずだった。それなのに、彼の名が呼ばれた。その事実が僕におかしいと囁いている。色々なところで僕の記憶と食い違う出来事が起きている。


剣術大会での結果、日常生活、魔法大会での結果が悉く以前とは異なっていた。そういったこともやはり様々な要因の積み重なりで今という現実が出来上がるのだと考えれば、もちろんこれは起こりうる当然の未来の一つのはずだ。なんらおかしなことではない。自分にそう言い聞かせる。


そうだ、たまたまだ。絶対に。


しかし、そう自分に言い聞かせても完全には自分を偽ることができない。一つの嫌な想像が僕の中で明確な形をとって現れ始めていた。それは酷く鋭利な棘を持っていた。


どうにか僕はそれを考えないよう、心の奥底に封じ込めた。時折鋭い棘が、僕の心の弱い部分を刺激したけれど、僕はそれを無視した。


学園生活は何ら変わるところなく過ぎていく。僕が何をしてもしなくても、日々は単調に変わることなく過ぎていく。それは、なんだか僕には全く不思議なことのように思われた。朝目覚め昼に学び夜眠りにつく。その営みが、日々繰り返されていく。


そして同時に、それは実に危うく壊れやすいガラス細工のようなものに思われて、僕はキースに対して酷く慎重になっていた。また、何か失敗をしてしまうのではないかと、そればかりを恐れた。


今もまだ、先ほどからずっと、僕の目の前では、キースが友人たちと楽しそうに話をしている。平民仲間のリヴィやマルコたちと、すっかり打ち解けたように話をしている。ありふれた話題で盛り上がる声が僕のところにも届いていた。


キースがいきいきとした様子で学園生活を送っているという事実が、僕に得も言われぬ気持ちを起こさせた。


キースが、あの一人で行動することの多かったキースが、僕を寄せ付けなかったキースが、友人たちと楽しそうに話をしている姿を毎日どこかしらで見かけるという事実。


そんな場面を見かけるごとに、日に日に、一つの考えが僕の内側で次第に膨らみ大きくなっていき、今自分をごまかすことが難しいくらいに大きく膨れ上がっていた。


平民たちにまじって楽しそうに談笑している姿を見るのみならず、時には下位貴族の子弟なんかにも話しかけられている。


何故?


彼は僕の目から見て、明確に明るくなった。他者との間にあった目に見えない壁がきれいさっぱりなくなって、彼の気遣いや優しさや人当たりの良さが誰の目にも見える形となって表れていた。


そんな姿を見るとき、僕は心穏やかではいられなかった。


そして、自分の狭量な心に驚く。その事実を僕はとうとう見過ごすことができなくなってしまった。


一つの結論が、僕の心の中に生じた。


僕は今、はっきりとその事実を認めなければならなかった。


それは、「キースは僕と関わらないほうが幸せでいられるのではないか」という考えだった。


そう言葉にした瞬間、もう覆しようのないほどはっきりと確かな質量をもってその考えは、僕の心の中心に座してしまっていた。


考えたくないことが急速に頭の中を駆け巡り始める。


思い返せば、彼が僕に敵意を向けるようになったきっかけが、あの春の水浸し事件であったけれど、あの時もっと別の対応をしていたら、僕らの関係は違ったものになっていたのではないか。無意識にハンカチなんて彼に押し付けなければ。


或いは、ひょっとしたら、彼の僕への敵愾心や対抗心といったものを持つようになったのは、あの剣術大会で僕が彼を下してしまったせいではなかっただろうか。僕が彼の攻撃を、それは本当にすばらしい動きだったが、それを彼に倣って同じようにして避けてしまい、あまつさえ彼の顎を蹴り上げてしまったことが、決定打だったのではないか。


もし、あの夏の日、図書館で僕が彼に自分から近づくことがなかったら、僕が彼に興味を持たなかったら。


僕が彼に最後の剣術大会で勝ちを譲ろうとしなかったなら。


そうしたらもっとより良い関係を築くことができていたのではないか。


そんなことがぐるぐると僕の頭の中でとぐろを巻いていた。


気持ちがとめどなく落ち込んでいくのを感じる。


僕の取り巻きだった者の手によってキースが、将来を絶たれてしまっていたことを、僕らは、彼の死後突き止めていた。その事実が今になって思い出された。


僕が彼に関わろうとしなければ、彼は社会福祉局へ問題なく入局できていたのではないか。


もし、彼に降りかかる不幸の全てが、僕のせいであるのなら……。


そうだ。彼が将来を諦めることなどなければ、辺境へ行き死にかけることも無かった。


もし、もしも、僕と出会っていなければ、彼は……。


思考が空回りする。


この時間のやり直しが、もし、彼の望んだことで、この現在の状況が彼の欲する世界なのだとしたら。


僕は……。


僕は知らず自らの顔を両手で覆ってしまった。視界が闇に閉ざされる。悲しみと申し訳なさとやるせなさと情けなさと後悔とが心を満たしていく。


しかし、耳は確かに周囲の音を拾っている。聞きたくもない声を拾ってしまう。


「大丈夫か?アルベルト」


デミアンの気づかわし気な声に僕は頷く。


その間も向こうから彼らの会話が届いてくる。


――なぁ、キース。課題でどうしても分からないところがあるんだ

――うん

――私も教えて欲しいところがあるの……

――いいよ

――もちろんタダで頼んだりなんてしないわ。私はマルコとは違うから!

――なんだと。俺だってちゃんと礼はしてるんだぞ。愛と言う名の

――マルコは黙ってて。それでね、実家で今年扱い始めたものなのだけど、それを今度お礼に持ってくるわ

――いいのか?

――ええ。キースなら気に入ると思うの

――へぇ。どんなものなのか聞いても?

――駄目。秘密

――分かった

――キースぅぅぅぅう

――げ、エルヴィンも来た


楽し気な声が僕の耳に届く。否応なく。


今の光景が、今のやり取りが彼らにとって、キースにとっての今の現実だ。彼は僕から見て幸福そうだった。楽しそうに見えた。心から笑っているように見えた。


そして、徐々に、そういう未来もいいのかもしれないと思い始めていた。キースにとって。


僕が関わらなくても、彼には彼の幸せがあって、彼はそれを掴むことができる、そう思われた。


その夜、僕はいつまでも眠れなかった。昼間の光景が頭について離れず、眠りは一向に僕の元へと訪れてはくれなかった。


ベッドの中でキースの学園での様子を反芻する。


僕がキースを幸せにしたいと思うことは、僕の思い上がりではなかったか。


そう思った。


僕のこのキースへの気持ちも、彼にとって、彼の幸せにとって、実はなんら意味を持たないのではないか。


そう思えた。


これまで少しも疑問を抱くことのなかった自分の考えに、初めて迷いが生じた。


それは払拭し難く、考えれば考えるほど僕の心はどんどん暗闇へと沈んでいった。体が、地の底へと落ちて行くような、そんな感覚があった。


彼にとって僕は必要ではない……。


その考えを積極的に否定できる根拠を、僕は何一つ持ち合わせてはいなかった。






夏が過ぎて秋になった。紅葉は世界を色鮮やかに染め上げ、人々の心を楽しませたけれど、僕の落ち込んだ気持ちまでは、動かすことはできなかった。


僕は惰性で日々を過ごした。


それでも今取り組んでいることを投げ出さなかったのは、それが僕のやるべきことだったからだ。彼に、せめて助けてもらった恩を返さねばならない。そしてこれが、僕がキースにしてやれるたった一つのことだと思ったから。


「殿下が私の活動にご興味を持っていただけて、本当に嬉しく思います」


落ち着いた声と優しい笑みで、彼女が言った。


秋が深まり冬の訪れを感じられるようになった晩秋の休日、僕とデミアンは王都のある貴族のタウンハウスへと訪れていた。


品の良い調度品、使い込まれて味のある家具、可愛らしいティーセット、美しく活けられた花が僕の目に映る。


「今までのあなた方の活動はほんとうに価値あるものだと思います。そのお手伝いを、ささやかながらできたらと思いました」

「そんな。もったいない。本当に……」


男爵夫人が感極まったように言葉を零す。


「主人が長いこと取り組んできた活動ですの。あの人が亡くなってからは私と娘で引き継ぎました」


目の前の女性が涙声でそう言った。


「先日も、郊外であった催し物を見学させてもらいました」

「ええ、そのようですわね。私はその日は別の用事がありまして、参加できませんでしたが、知り合いのアボット子爵夫人と娘から話は伺っております。わざわざ殿下がいらっしゃってくれたと。本当にありがたいことです」

「そこでいくつか気付いたこともありました。たくさんの方と話をさせていただきました」


僕はぽつぽつと彼女に言って聞かせる。僕が今何を目指しているのかを。彼女は、黙って僕の話に耳を傾けていた。彼女の暗い顔がことの難しさを証明していた。


「実は僕はこの春からこっそりと行動を始めていました」

「……まさか?」

「現状を変えるための活動です。もうすぐ証拠集めは終わります。あとは、いくつかの証拠が届くのを待って詳細をまとめるだけです」


僕の言葉にイヴリン女史がはっとしたように目を見開いて顔を上げた。


「本当に?膨大な量があったはずです」

「はい。王都には無い原本の資料集めや記録集めは人に頼みましたが、記録の洗い出しや照合は僕の手で行いました。内容の正確性も確認してもらっています」

「夢のよう。主人にはできませんでした。一介の地方貴族には、他領の記録を洗い出すなど到底できるはずもありませんでしたから。あぁ、本当に素晴らしいことだわ。殿下は民のためにつくしてくださる、優しい心をもっていらっしゃるのですね……。ご自分でこのような活動をされるなんて……」

「僕なんかよりも、ずっと活動されてきたあなた方の方が、よほど崇高な魂を持っています。僕なんかとは比べるべくもありません」

「そんなに謙遜なさらずとも」

「いいえ、謙遜ではありません。夫人。……本当は今僕がしているのは、友人のためなんです。だから僕は全く素晴らしい人間ではないのです」


僕は自嘲気味に笑った。


「彼のほうが、その友人こそが素晴らしい人間なのです。いつも他者を慈しむ。僕はそんな彼に感化されただけなんです。それに、僕がやっているこれは、彼には荷が勝ちすぎる作業を、代理でやっているにすぎません。代わりにやってあげたいと思っただけなんです。彼が居なければ、僕はやろうとも思わなかったでしょう。ですので、僕は全く素晴らしい人間ではないのですよ、夫人」

「いいえ。いいえ、殿下。そんなことはございません」


彼女が僕の目をまっすぐに見て言う。


「人は誰しも、誰かから影響を受けて行動するものです。全く新しいことを始められる人間などいません。それに、影響を受けても実際に行動するかはまた別の問題です。実行に移せない人のほうが遥かに多い。しかし殿下はなさった。行動に移しなさった。それは立派なことです。どうかご自分を卑下なさらないでください。本当に殿下はすばらしくあらせられます」

「ありがとうございます。そうありたいと思います」

「ところで、そのご友人というのはどんな方ですの。是非ともお会いしたいわ」

「彼は貴族ではないのです。夫人に会うとなったら彼はどう思うでしょうか。身分の差をとても気にする人物なのです」

「じゃあ平民ですの?学園のご学友かしら」

「はい」

「もしかして孤児院出身だったり?」

「そうです」

「殿下に影響を与えるなんて、さぞ立派な志を持つ方なんでしょうね」

「そうですね。僕は彼の為に何かしてあげたかった」

「まぁ。きっと感謝なさっているわね、その方は」

「どうでしょうか。彼は僕がこうしてることを知りませんから。彼に内緒でこうして色々と手を尽くしています。僕は彼に恩があるので。それに、彼は一人で何でもこなしてしまう。彼が僕と同じ力を持っていたら、もっと早い段階でそしてもっと上手く立ち回っていたかもしれません」

「そう……」


僕の言葉に何を感じたのか、困ったような、まぶしいものを見るような不思議な表情をしている。


「きっと彼が僕の立場であったなら、彼は僕の力を必要とせずに成し遂げてしまっていたでしょう」

「そうかしら」


夫人は考える仕草をして見せた。


「私にはそうは思われませんわ」


その言葉に含まれる硬質な響きに僕は目をあげる。彼女の目を見る。


「どうしてそう思いましたか」


僕は深く考えずにそう尋ねた。


「……孤児院の子たちはとても難しいの」

「難しい?」


彼女がそれだけ言った。そして、一つ息をついた。心を決めるように。


「彼らは、未来を信じていないから」


彼女はそうぽつりと言った。


「未来を……」

「ええ……。そして、いつも自分に自信がない。私が見て来た子供たちはほとんどの場合そうでした。どうしてかわかりますか。彼らはいつだっていないものとして扱われるからです。なのに、時折思い出したように、周囲の人々から蔑みや侮辱を受ける。彼らが悪くなくても。そういう日々を送っています。だから、いつの間にか心が卑屈になってしまうのね……」


僕は頭の中で、たった一つの言葉が鳴り続けるのを感じていた。


未来。


「彼らが最も嫌うものが何か、殿下はご存知ですか?」

「侮蔑、ですか?」

「憐みです」


その静かな声が部屋に小さくしかしはっきりと響いた。


「みんなが可哀想にと彼らのことを言う。哀れみの目で見る。こんな活動をしている私たちの仲間の内にも居ます。残念なことですが。そして、その視線の奥にはいつも、自分たちはああではないという安堵、自分より下の者を見つけたという安心が見え隠れしてる。そして、大抵は可哀想な者として扱われるのに、社会に出た途端に、邪険にされる。孤児のくせにと攻撃される。暴言や暴力を受ける。酷い侮辱を受ける。そして、彼らはしかし生きるために頭を下げ続けなければならない。孤児たちは人々から与えられなければ生きて行かれないから」


はっとする。


「だから、怒りや絶望や悲しみを全て覆い隠して、人々に頭を下げ続ける。人は彼らに様々なものを寄付する。もらえるだけ嬉しいだろうという傲慢な考えが透けて見える人もいます。ゴミみたいなものを押し付ける者もいます。そういった人に対しても、孤児院は頭を下げなければなりません」


あぁ、そうか。


「彼らは常に他者からの憐みを感じながら生きている。それは侮辱に等しい。ですが、その人々の思いやりがなければ、孤児院は現状立ち行きません。殿下もご存じのように。そして、それは悪ではないのです。そのために助かる命があるから。それは孤児たちもわかっている。でも耐えられない。そして、そのために、彼らの多くはまっすぐな大人にはなりません。いびつに育ちます。ひどく卑屈になるか、ひどく攻撃的になるかのどちらか。もちろん、まっすぐに育つ子もいます。幸運な子供時代を過ごすことができた子らだけが。優しい庇護者に守られた子らが、素晴らしい隣人に恵まれた子らが。でもそんな幸運は多くはありません」


彼女が重々しく語るその言葉は、僕に現実味を持って届いた。


「戦わなければ、偏見や侮辱と戦わなければ、彼らは生きられないのです。社会に出て彼らはさらなる壁にぶつかるでしょう。人々からの抑圧や差別に。無抵抗でいることは同意を意味します。自分たちは哀れな存在であると、暗に同意していると受け取られてしまいます。そうすればさらなる侮辱が待っている。それに抗わなければ、彼らには搾取され続ける未来が待っています。だから、彼らはまるで捨てられた犬のように振る舞う。もちろんただ隠れ逃げ続ける子もいますが、多くは心を閉ざして、敵意をむき出しにして暴言や暴力に走ります。犯罪に走る子もいます。これは、私たちの活動でも問題視されています。どうしたら彼らの心の傷を癒せるのか。あるいは、どうしたら彼らが傷つかずにいられるのか。難しい課題です」


僕らはただ、彼女の話を身じろぎもできずに聞いていることしかできなかった。


「彼らは愛を知りません。愛されることがどういうことか、愛することがどういうことかを知りません。想像の中に本当の愛はないわ。彼らは人の心に触れることを恐れている。自分の心を開くことを恐れている。経験のない彼らには、愛に触れたことのない彼らには、そのどちらの方法も知らないんですもの、当然ですわね。人一倍愛を欲しているのに、どうしたらそれが得られるか彼らは知らない。だから私たちは愛を彼らに伝えたい。でも、いつだってその手は払いのけられる。触れられるのを恐れているから」


彼女が一息ついて、紅茶を一口飲んだ。僕らも、それにつられて紅茶を口に含む。それはすっかり冷めてしまっていた。


「こんな活動を長くやっていますが、いまだに私たちは明確な答えは見つけられていません。あるのかも、実は分からないのです。私どもは、それを見つけたいと思っておりますが、難しいのです」


彼女の含むところを僕はなんとなく察することができた。


「ですが、殿下はそれを成そうと仰る。一つの解決をもたらそうとしていらっしゃる。素晴らしいことです」


彼女の言葉が僕の耳に残った。


それから僕らは様々な意見を交換した。そして時間となり僕らはブエノ男爵のタウンハウスを辞去することになった。同行してくれたデミアンは何も言わずに僕と一緒に馬車に乗り込んだ。


帰りの道中、道が混んでいるのか馬車の進みが緩慢になった。そしてしばらくしてとうとう止まってしまった。警護の者が先行して確認してきたようで、道の先の方で事故が起き馬車の流れが滞っていると知らせてくれた。そのために起きた渋滞が長い距離続いているらしかった。僕らは特段急いでいたわけでもなかったので、しきりにご機嫌伺いをする御者や警護の者たちに気にしないよう言って聞かせた。


僕とデミアンはぼんやりと馬車に乗ったままで、おとなしくその問題が終息するのを待っていた。


そんな時だった。近くで誰かの暴言が聞こえてきたのは。それは、一方的な物言いで、ひどく人を不快にさせる内容だった。


最初のうちは黙って聞き流していたのだが、とうとう我慢がならなくなり、そっと馬車の窓から外に目を向けると、キースがいた。


僕の表情にデミアンも窓から外をのぞき込む。僕らは二人そろってその光景を見つめていた。


僕らの視線の先で、彼らのやり取りが繰り広げられている。その不快な声が、馬車内にまで届いていた。


相手の男は本気でキースを痛めつけるためにやっているというよりは、彼の尊厳を損なうことを目的としているようで、暴言と暴力との間に何度も嘲笑が挟まれた。それはひどく侮辱的な行いだった。孤児がどうこうと、おおよそこの場に関係のなさそうなことにまで言及している。


「おい、なんか言えよ」

「こいつほんと何も言わねぇよな。まじでつまんねぇ」

「そういえば、今日、向こうの教会の噴水広場で親なしのガキどもが募金活動してるんだぜ。知ってたか?知ってるよな?なぁ、お前も昔はああいうことやってたのか?」


下品な笑いが起きた。


「なぁ。お前も今からあれに加わってきたらどうだ。いいぜ。慈善活動だ。仕事をさぼってもいい。俺が見逃してやる。行って、恵んでくださいってできるだけ哀れそうな声を出してこいよ。助けてくださいって」

「得意だろ?」

「ちげぇねぇ。学園に通う孤児の秀才様がお手本みせてやれよ。ガキどもが恵まれた暮らしを孤児院で過ごせるようにな」

「でもよぉ、俺もさっき傍を通ったときに思ったんだけどよ、ほんと役立たずのごみどもは数が多いな。どうせ孤児院を出たら俺らにこき使われるだけなのによ」

「ほんとだよな。いてもいなくても同じなのに、なんでこう貴族やお人よしどもはあいつらに金を恵んだりするんだろうな」

「代わりに俺らに寄付してくれてもいいのになぁ」

「あぁ~俺も恵んでほしいぜ。仕事はくそみてぇにきついのに、給金は安くてなぁ、やってられねぇよな」

「それな。そういえば、この前まで俺らがこき使ってやってたあの目障りなガキ、とうとう辞めちまいやがったなぁ?キース」


再び笑いが起きたが、キースは全くの無言だった。


「お前が手塩に掛けて育ててやってた孤児院のガキなのになぁ。恩知らずだよな。お前の努力も残念ながら無駄だったな」

「しょうがないっすよ。あいつはとんでもねぇ意気地なしだったからな」

「あぁ、ジルだっけ?あいつはほんと使えなかったよな。ちょっと小突いただけでバカみたいに怯えやがってよ。そんで、いなくなっちまいやがった。勝手にやめるなって話だよな。馬鹿じゃねぇの」

「それに比べてお前はほんとしぶといよな。いつになったら辞めるんだよ?」

「あぁ~、あいつがいねぇと人手が足りなくてほんとつれぇわ。いてもうぜぇけど、いなきゃいないでこっちに迷惑がかかる。ほんと孤児院出身のガキどもはつかぇねぇよな」

「ちげぇねぇ」

「そんでまたそのうち孤児のガキが仕事したいってくるぜ。あいつらウジ虫みたいにあとからあとからやってくるからな」

「おい、キース。お前がちゃんと見てねぇから、あいつらすぐにやめるんだぞ。なんとかしろよ」

「ほんと学園に通ってるくせに使えねぇよな」


何が面白いのか、また下卑た笑いが響いてきた。しかもその内容は支離滅裂だ。全く筋の通らない御託を並べたてている。僕は怒りで全身が震えるのを感じていた。


しかし、ただ言われるがままのキースは、どう思っているのかを全く窺わせない無感動な表情で、その場にじっと立ち尽くしているだけだった。


僕はいてもたってもいられずに馬車から飛び降りたかった。しかし、その時。


キースがこっちを見た。そう思った。鋭い一瞥をこちらに投げかけて、僕を見たと、そう思った。


でもそれは錯覚だったようで、依然として彼は俯いたままだった。


頭に上っていた血が落ち着いてくる。静かに息を吸う。


「どうしますか?」


こちらの意志を確認するためにデミアンが問うてきた。


「いや……。彼は僕らの助けを望んでいない」

「わかりました」


デミアンがそれきり口を閉ざした。


僕には確かにそう思われた。


きっと今僕が彼のもとへ駆けつけたとしても、彼は喜ばないだろう。それをして何になるのかと、頭の中で繰り返し僕の声が響いていた。キースの視線を受けて僕は冷静になれた。


彼を助けようとすることは逆に必死に働く彼を貶める行為ではないかと思った。今彼は助けを求めていない。その事実が重要だった。彼が助けを求めていないのに僕らが助けるのは違う。逆にそれは、彼の男としての矜持を傷つける行いだと思った。


キースはきっとこの場で僕が干渉することを喜ばないだろうことが、ありありと想像できた。


夫人の言葉が思い出される。


僕は今彼女の言葉の意味を深く理解した。


僕らはただ静かに、再び馬車が動き出すまで、彼らのやり取りを見ているしかなかった。

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