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(完結)男二人、ヤマアラシのジレンマ故に  作者: たろう


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夏の午後の日差しが屋内に入り込んでいる。それは、本の劣化を防ぐためだろう、白いカーテンによって薄く遮られ、本来のまぶしさよりもずっと目に優しい光量となって僕の手元へ届いている。


書架はことごとく季節を通じて日の当たらない建物の奥まったところに設置されていて、こうして僕が座る一般の閲覧スペースは文字を読むために大きく明かり取りが設けられている。


僕は手元の資料のページを繰る。


室内には僕のページをめくる音だけでなく、様々な人が本を開きメモを取る音がそこここで微かに響いていた。


平日であっても王立図書館は人が多い。利用する者のほとんどは貴族たちで、僕の見知った者も多くいる。それ以外には学者や学園の教師、一部の平民たちも利用しているし、勉強熱心な学園の学生も来ている。夏休み中だというのもあって、一日中僕のようにこの図書館で過ごしているような生徒も幾人かいた。制服姿で書架の間を歩き回り参考図書を探している姿を幾度と見る。


残念ながらこの図書館は貴重な書籍や資料も取り扱っているため、全ての人に開放されている施設ではない。保証金を供託できかつ身分を証明できる者と例外的に学園の生徒が利用できる。


そういった様々な者たちが、文献や過去の記録などを閲覧するためにここへやってきて、目的の本を見つけると僕のように設置されている座席で内容を読み込んだり写しをとったりする。王立図書館の蔵書は基本的に外への持ち出しが禁止されているからだ。


僕自身は持ち出しを許可されているが、貸出手続きをした本の情報に不足があったり追加の資料が必要になった場合に、王宮から再び図書館へ戻らなければならない事態を避けるために、ずっと図書館内で本を閲覧していた。護衛たちには王族専用の閲覧室を使うよう助言されたが、その部屋もまた奥まったところにあり移動の煩雑さもあって、広い簡素な一般の閲覧スペースに滞在することを選んだ。


僕はやっと集めた本の中から必要な情報にたどり着き、一読したのち手近のノートに記録内容を書き写していく。時折手近の紙に計算を書き込み、その結果と資料の記述とを見比べる。そんな地味で単純な作業だから、他の者に任せてもいいのだろうが、これは自分一人でやるべきことだと思ったので、ずっと一人で作業している。


硬い椅子にじっと腰かけてひたすら作業を進め、途中昼の休憩を挟み、午後もそのまま作業の続きに着手する。そういう静かな時間が流れていった。夏休みが始まってから、公務や人に会うの予定のないような日はほぼこんな風にして一日を過ごした。家庭教師の授業があるときは、その後にこういう時間をとって作業を進めた。


僕が座っていつものようにこの自分に貸した仕事を始めてからどれだけ時間が経っただろう。書架から持ち出した資料の二冊目の写しがちょうど終わったところだった。気づくと日は西へ傾き、橙色の混じりだした日差しを投げかけている。時計を確認すると午後の四時。


僕は凝り固まった背中を伸ばして体全体の強張りをほぐす。まるで老人になってしまったような感覚をおぼえながら、やっとのことで写し終わった資料を手に立ち上がる。


一般向けに開放されている閲覧スペースは広い。利用者は、僕がこの席に着く前よりも増えていた。それでもまだまだ十分な座席が空いている。


なんとはなしにぐるりと自分の頭を巡らせて周囲を見回すと、その中に、キースがいることに僕は気づいた。


心臓が一つ跳ねた。


僕に気付いているのかいないのかはわからないが、彼もまた書架から持ち出した本を手に作業に勤しんでいる。制服姿で顔をあげることもせず一心に、目の前に広げられた本を読んでいる。それは、あの夏の日々を僕に思い起こさせた。


僕は話しかけたい衝動に駆られたが、結局声を掛けることなく通り過ぎて新しい資料を探すために歩き出す。


夏休みが始まってから、何度もキースがこの王立図書館で調べ物をしている姿を見かけていた。彼が連日で訪れることはほとんどなく、たいていは仕事があるのだろう、僕がその姿を見かけるのは一週間で一度か二度という頻度だった。ただ、そういった日には、彼はほぼ一日中閲覧スペースに座り作業に没頭しているのが常だ。


僕の方も用事があるため、毎日来ているわけではないので、正確なところはわからない。ただ、真面目な彼のことだから、用事がない日は必ずここへ来ているのだろうと思われた。


彼を横目に閲覧スペースを出ると閉架書庫へと向かった。少し埃臭い空間には所狭しと本棚が立ち並んでいて、表の開架書庫とは違い職員の忙しく立ち働く姿はほとんど見えない。


僕は狭い本棚の間を潜り抜けて、目的のものを探した。いくつかそれらしいものを手に取って中をパラパラと見て、棚へ戻し次の資料を手に取る。学園よりも書籍が充実している分、探すのも一苦労だった。それに、僕にとって今まで馴染みのなかった分野ゆえに、調べても調べてもわからないことだらけだ。


少し前から家庭教師を増やし、その方についてもらって薫陶を受けてはいるが、新しいことを一から一人で学ぶのは大変なことだろうと思った。しかし、以前の僕が知るキースはこういったことを全てほぼ一人でこなしていたのだ。その苦労を知れば知るほど、自然と頭が下がる思いだった。


そんなふうに考え事をしながら息の詰まりそうな閉架書庫から出て開架書庫へと向かう。人の気配が戻ってくる。僕は本棚に取り付けてある案内を確認しながら目的の本がある棚の前までやってきた。


僕の思考は書籍や資料を探しながら、しかしいつの間にか再びキースのことへと移ってしまっていた。


結局僕はあれから、過去に戻ったことに気付いたあの日から、キースに話しかけることができていない。僕らの関係は、全く進展していない。僕は二人の関係を進めるための一歩を踏み出せずにいた。彼との関係が再び決定的にこじれてしまうことを恐れたということもあるけれど、本当のところは別にあった。


僕はキースに再会した日の晩、どうやってキースと親しくなるかを考えて、結局何もしないことを選んだ。


一番の理由は、僕がまだ何も為していないから。彼の心を開く資格を、僕は持ち合わせていないから。


それに、今の僕にはやりたいことがあった。僕は彼の未来を応援するということ、彼の選択が彼の目指す未来へとつながるようにしてやりたいと思った。


そう考えた時、言葉を交わすよりも、今親しくなるよりも、先に解決すべきことがあるはずだと気づいた。


そして、僕は彼に誇れる自分になろうと思った。彼がもう一度僕を好きになってくれるような。いや、違う。王子であるということ以外の、別の価値を持つ自分にならなければいけないと思った。


それに、今僕が彼に近づいても彼を困らせるだけだろうから、僕は彼と親しくなることよりも、彼にいらぬ負担を掛けないことのほうを選んだ。僕との関係を忘れてしまっている彼には、迷惑以外の何ものでもないだろうから。僕に、彼に積極的に近づく資格があろうはずもなかったから。


だから、僕らの交わす会話といったら、朝の教室でのおはようという挨拶と、放課後帰り際のまた明日という挨拶の、それだけだった。ただそれだけの関係だ。最初彼はとまどっていたけれど、最近では慣れた風に挨拶を返してくれる。


こうして改めて考えてみると、過去の自分を振り返ってみると、今の自分があまりに滑稽で、我ながら笑ってしまいたくなる。


でも、実際今の僕らはただ挨拶をするだけの関係でしかない。クラスメイトではあるけれど、知り合いというのもはばかられる距離感だ。


あぁ、それでも僕は、今はこれでいいと思っている。


夏休み前の学期末に剣術大会があった。大会の前、僕はきっとキースと対戦するだろうと思っていたけれど、実際にはそうはならなかった。大会の組み合わせ表を見たとき僕は驚いた。僕の知る過去のそれとは全く違っていたから。違うところのなかったのは、エリックが僕の枠と自分のシード枠とを交換しようと提案してきたことだけだった。


抽選で選ばれる大会の組み合わせが、時を巻き戻る前とは全く異なる組み合わせになってしまったため、僕がキースと剣を交えることは結局なかった。何故だろうと考えて、確率が大きく関与するような事象は、前回と全く同じになるわけではないのだと僕は納得した。


そして、その大会で、キースはなんと三回戦まで駒を進めた。彼の剣捌きと気迫は目を見張るものがあったが、三回戦でエリックと当たって負けてしまった。負けてはしまったけれど、彼の成績としてはすばらしいものだった。上位八人の枠に入るという結果を残した彼は、何か成し遂げたような、そんな晴れ晴れとした顔をしていた。


そして、それからしばらくして夏休みになった。


夏休み中、僕はずっと忙しく活動している。学生の僕がやるべき公務は多くはなく、また学園がない分だけ潤沢に自由な時間あったから、僕はやりたいことをやりたいだけ為すことができた。時間はあっという間に過ぎ去っていった。


僕は図書館に籠って調べ物をする以外にも、いろいろな貴族に呼ばれたりこちらから呼んだり、時には僕自身がその必要から赴いたりして忙しく社交をこなした。外国へも一度視察に出向いた。デミアンが僕が出かけるようなときにはときどき帯同してくれて、実に心強かった。隣国へも一緒に行った。


彼はそんな時、はっきりと僕に尋ねてくることは無かったけれど、もの問いたげに僕を見つめることが時折あった。忠実なる友人であるデミアンは僕と一緒に行動しながら、何故僕が急に積極的に行動を始めたことを不思議に思っているのだと思う。


その理由を僕は上手く説明できる気がしなくて、彼には、不誠実だと分かっているけれど、伝えられずにいた。それに、彼にはいつか伝えなければいけないことがあった。それをいつ話すべきなのかも僕には決められなかった。それもまた、彼には申し訳ないと思わずにはいられなかった。


それもこれも、全て僕のわがままのせいなのだ。


「キース……」


書棚の前に立って手に取った本をめくりながら知らず言葉が口から零れ落ちた。それはさほど大きな声量ではなかったと思う。


「はい」


なのに、それに応える声があった。僕の言葉から少し遅れて返事が返ってきた。


ぼうっとしていた僕は、思ってもみないくらい近くから返事が聞こえてきたために、恥ずかしいことだけど、飛び上がりそうなほど驚いてしまった。


声のしたほうを慌てて振り返ると、不思議そうに小首を傾げて僕の方をじっと見ているキースが居た。


驚きが過ぎ去ったすぐあとに僕の心に去来した、彼を抱きしめたいという気持ちを抑えるのに僕は必死だった。


そして、そんな不埒な考えを彼に知られないよう、僕は表情を取り繕いながら、なんと言葉を繋げようか一心に考えていた。ただ、キースのことを考えていたせいで知らず彼の名が口をついてでただけだったせいで、話しかけるつもりなどなかったし、まして彼が自分の傍にいるということにすら気付いていなかったのだから、上手い言葉がすんなりとは出てきてはくれなかった。


「どうしましたか?」


キースが言葉を重ねる。


僕はすっかり慌ててしまっていた。


「あ、いや、その」

「すみません。閲覧室に戻ろうと思って、適当に本棚の間を歩いていたら殿下の傍に出てしまったんです。驚かせてしまいました」


なんとも情けない。キースが僕に頭を下げた。僕はそっと息を整えると彼に向き直る。すると、キースの持っている本がちらりと目に入った。


「いや、気にしないでくれ。それより、何の本を持っているんだい?」


咄嗟に思ったままの言葉が口から零れた。僕の質問を聞いたキースが、片手に持っていた本に視線を落とす。


「あ、はい。ブエノ男爵がまとめた孤児院の健全な運営についての一考察という論文です」

「あぁ、それか。なるほど」


キースはやはりキースだった。


「ご存知なのですか?」


キースが驚きに満ちた顔で僕を見つめている。


「あぁ、うん。先日僕もそれを読んだよ。家庭教師について、色々と勉強しているんだけれど、先生がその論文の写しを持ってきてくれてね。少し前に関連した文献を読んでレポートを書かされたんだ」

「なるほど……。さすがですね。素晴らしいことだと思います」

「そんなことはないよ。誰かに影響されて読み始める僕なんかよりも、率先して読もうとする君のほうがずっとすごいことなんだ。キース」

「ありがとうございます」

「ちなみに、その本は、もしかして、来年の官吏登用試験の準備のためかい?」

「え?」


キースが驚いたような困惑したような顔をした。


「そうです。よくわかりましたね」


彼がいぶかる様に僕を見ながら言う。


しまった。この時間では僕は彼が社会福祉局へ入局を目指しているなど知るはずがないのだった。未来を知っている僕は、つい当然のように、彼が既に準備を始めて資料を集めているのだろうと決めてかかってしまっていた。


「あぁ、ええと、なんとなく、そう思っただけだよ。知り合いも来年に向けて図書館で資料集めをしているから」

「お知り合いですか?でも、貴族は平民と扱いが違うので、私のような論文の提出はないと聞いていますが」

「あぁ、うん。そうだね。図書館ですれ違った同級生に聞いたんだ。彼は今から準備しないと間に合わないと言って忙しそうにしていたので、優秀な君ならきっと彼と同じように官吏を目指しているのかなと思っただけなんだ。あてずっぽうで言ったのだけれど、当たったみたいだ」


その言葉にキースがあぁ、そうですかと納得してくれた。


僕はなんとか誤魔化すことができてほっとする。実際ここにも何人か同学年の生徒が来ているのを見かけていたから、キースもすんなり僕の言葉を受け入れてくれたようだ。


「忙しいのに声をかけてしまってすまなかった。キース」

「いえ、とんでもありません。こちらこそ、お忙しいのに私なんかにお声がけいただきありがとうございました」

「いや、そんなに畏まらなくても」


キースの言葉が胸に刺さる。


「僕らは、その、クラスメートなんだから」

「ありがとうございます。それでは」


そそくさとキースが立ち去ろうとする。その後ろ姿に僕は声を掛けた。


「また、話せるだろうか」


立ち止まったキースが振り返って僕を見た。そして少し逡巡する。


「はい。では、今度こそ失礼します」


会釈一つを残して、キースは立ち去った。その足取りは、なんら僕に思うところのない人物のそれだった。

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