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(完結)男二人、ヤマアラシのジレンマ故に  作者: たろう


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「すまなかった、キース」


そう言った時、確かに自分の口からその言葉を発したはずなのに、誰か別の者が僕の口を借りてしゃべったような、妙な違和感があった。僕はそんなセリフを言うつもりなどなかったのに、なぜかその言葉が口をついてでていた。


そう意識したとき、不意に強い眩暈を感じた。何かわからない、自分のもう一つの意識が存在しているような感覚。そして、同時に耳元で、キースの囁く声が聞こえた気がした。


それは彼があのダークドラゴンを前にして唱えた言葉、そして、最後の瞬間に呟いたことばだった。


そのまま僕は立っていられなくなって、廊下に片膝をついた。


強い酩酊感から片手で顔を覆い、その不快感に堪える。記憶が混濁を起こす。頭の中で様々なことが駆け巡って、何も考えられなかった。


時間をかけてそれは徐々に落ち着き、あるべき記憶があるべき場所へと戻っていった。しかし、存在しないはずの記憶が頭の中にある、そんな感覚があった。


僕が自分の身に起きた異変に慣れてくると同時に、周囲からのざわめきが意識されはじめる。慌てたような声が聞こえている。なんだかひどく懐かしい空気感だと感じる。


これはなんだろう。


僕はどうしたのだろう。


そして思い出す。そうだ。ここは学園の廊下だ。僕は学園に入学した。そうだった。二年生に進級した。


それから……、廊下で騒ぎがあった。次の授業に向けて廊下を進んでいるときに、デミアンが側近候補たちの声がすると言ったんだ。だから僕らは責任ある立場として、面倒だとは思ったが見て見ぬ振りもできないと思いやってきたところだった。


そう。そうだった。確かそこで、キースに……。


今度は頭痛に襲われて、思考が途切れる。


「アルベルト?」


デミアンの声が頭に響いた。痛い。


僕はその不快な感覚が去るのをじっと待った。ずきずきと頭が割れるように痛んだ。


それからしばらくあって、僕は眩暈と頭痛とで自分が長く前後不覚になってしまっていたことに気付いた。心配そうなデミアンの声に促されて、とりあえず自分の状態を確認するために閉じていた目を開く。自分の制服が見える。視界は問題なさそうだ。


眩暈もおさまってきた。良かった。


廊下の真ん中で立ち往生していてはみんなの邪魔になる。とりあえず立ち上がらないといけない。


そう思って、俯けていた顔を持ち上げた。


視線を向けた先に、キースがいた……。


驚いたように目を見開いて、僕を見ている。僕をじっと見ている。


落ち着いた茶色い髪の毛に、濃い茶色の瞳。僕はいつだって彼のその茶色い瞳が好きだった。


人はその色味がひどく地味だと言う。誰の目にも止まらない地味な色だと言う。


けれど僕には、飾り気のないその色合いが逆に好ましいように思われた。彼の飾らない純粋な人柄が表れているように思えたから。


ごてごてと派手に着飾る者たちが周囲に多いせいかもしれないと、いつだったか考えたものだった。


そして実際、僕が思ったように彼はいつだって正直だった。全く擦れていない。悪意もない。打算もない。少し僕に対して敵愾心が強いような気はするけれど。そこが彼の魅力でもある。何故なのか全く理由が分からないけれど。


いや、違う。そうじゃない。そういうことではない。


僕は脱線してしまった思考を正しい方向へ誘導する。


彼の正直さについてだ。彼が素直で正直なのは間違いではない。キースは決して僕に嘘はつかなかった。けれど、キースは、心の内を僕には見せてくれなかった。


辛いことだけれど、僕はそれを受け止めねばならない。受け止めて、前へ進まねばならない。


彼がそうした理由は分かっている。


しかし、これはどういったことだろうか。死んだはずの、もう会うことの叶わないはずのキースが目の前にいた。


僕はその疑問の答えが分からずただ茫然としていた。目の前の男をしげしげと見つめていた。


これはなんだろう。夢なのか?


そう思った。


僕が見ている夢なのか?それとも正しく現実なのか?


頭の中で答えのない疑問が渦巻いている。


なぜならキースが、懐かしい学園の制服を着ていたから。学園などもう何年も前に卒業している。


どういうことだ?


僕は思わずキースに向かって手を伸ばしてみた。


幻かどうかを確かめるために。確かめずにはいられなかった。


彼は小動物のように動かなかった。


伸ばした僕の指先がそっと壊れ物にふれるようにキースの頬に触れた。柔らかな、知っている感触。


幻ではない。


僕はますます混乱する。


どういうことだ?


僕はその感触と温もりとを確かめるように、そっとキースの頬をなぞった。彼の頬はやや青ざめていて、ひんやりとしていた。


僕の突然の行動に、キースはまだ動かない。


そんなことをしていると、後ろからデミアンが僕に声をかけてきた。急に片足をついて廊下に屈みこんだ僕を心配してくれる声だった。


彼の落ち着いた声に僕は現実に引き戻される。そして、はっと気が付いた僕は視線を持ち上げる。


いつも僕の周りにまとわりついて離れない男たちがキースの向こう側に立っていた。彼らは皆幼い顔をしていた。振り返って声をかけてくれたデミアンのほうも見る。あの頃のデミアンそのままだった。


周囲を見回す。見知った顔がいくつもある。学園でだけ付き合いのあった者たち、卒業後も付き合いのある者たち。忘れかけていた者たち。記憶にない者たち。


みんな、まだ幼さの残る顔をしていた。


そして、キースも。


よく見れば、キースの制服は濡れている。廊下にも水が広がっている。


この場面を僕は知っている。後悔の海。全ての始まり。きっかけ。最初の失敗。


僕は無意識に腰のポケットに指を忍ばせる。あった。学園時代いつも持ち歩ていたハンカチ。その絹の滑らかな手触り。


僕は現実なのか夢なのか、記憶が正しいのか妄想なのかを全ていったん頭の片隅に追いやる。今がいつなのか、どういうことなのか、そんな疑問は全て放り出す。


そんなことよりも。あぁ、僕はもうこれが夢でもいいんだ。キース、ただ君に……。


「キース。大丈夫かい?怪我は?」


僕はできるだけ落ち着いた声をだすよう心掛けた。心臓が早鐘を打っている。ともすれば心臓が口からまろび出るのではないかと、誇張ではなく、そう思った。


僕の突然の登場と、そのすぐ後に廊下に膝をついて蹲ったせいで、周囲は異様な雰囲気に包まれていた。キースにいやがらせをした四人も今は言葉をなくして立ち尽くしていた。


そんなとき、不意にキースが僕が伸ばした手から顔を逸らすと、立ち上がって無言で歩き去ろうとした。


僕は慌ててその手を掴んだ。話したいことがたくさんあった。


不意に握ってしまった彼の手はとても冷たかった。


キースは驚いたようにこちらを振り返った。


デミアンが僕に、急には動かない方がいいと声をかけてくれたけれど、申し訳ないが、今だけは彼の優しさも助言も僕には気に掛ける余裕がなかった。


「えっと、キース」


僕は何を言ったらいいのかわからず、名前を言ったあとに続く言葉が見つからなかった。


キースが怪訝そうに僕を見ている。


しかし何も言えずにいる僕にしびれをきらしたのだろう。キースが立ち去りたそうな様子を見せた。僕は慌ててしまった。


「今度、君の部屋へ僕を呼んでくれないか?」


そんな言葉が口をついて出た。


思っても見なかった言葉が自分の口から飛び出したことに僕自身が一番驚いていたけれど、発した言葉は戻らない。


勢いに任せてさらに言い募る


「いや、その!友人として!友人としてどうだろうか?いや、えっと、違う。違わない。順番が……。あぁ、そうだ。君の友人になりたいんだ。君の!」


キースが驚いたように僕を見ている。そうだろう。急にこんなことを言われて戸惑わないはずがない。でも、言わなければ。


「本当だ。嘘じゃない!」


彼との関係がこじれてしまう前に、僕は必死に言い募る。


「それで、もし良かったら、都合のいい日を教えてほしい。君にとって都合のいい日を。いつだっていい。僕はそれに合わせるから。ずっと先でもいい。君が、僕を呼んでも良いと思える日がきたなら……。そのために僕は頑張るから……。それと、それから……」


言葉尻が小さくなっていく。情けないことに僕の声は震えていた。


「……君のことを、僕に教えてほしいんだ。好きなものや、将来のことや、不安や悩みなんかを……」


僕は泣きたかった。彼をもっと知りたい。それは偽らざる僕の本心だった。


僕は彼が僕を拒絶しないことを願った。心からそう願った。


あっけにとられたキースの顔を僕は見つめている。そしてキースも僕をじっと見つめている。それは初めて見る彼の表情だった。


気づけば、みんなが僕を、僕とキースを見ていた。


キースが周囲の視線に気づいたようで、自分に注がれる視線から逃れるように顔をうつむけてしまった。彼は恥ずかしそうにずぶ濡れの自分の姿を見下ろしていた。


それを見て僕も思い出す。


「ごめん。その前にその制服をなんとかしないといけなかった。本当にごめん。水浸しなのに。僕のせいだ。すまない」


僕はこの事態を引き起こした者たちの責任者として謝ったが、自分の失態を呪った。最初に言うべきことだったのに。キースが目の前にいるということに気が動転してしまっていた。本当に僕は……。


僕は腰のポケットから彼に貸すためのハンカチを取り出すために彼の手を握る自分の手を放した。するとキースが小さく、結構ですと囁いて、そして、落ちている自分の荷物を持ち上げると振り返ることなく逃げるように廊下を歩き去って行ってしまった。


僕はそれをただ見送るしかなかった。僕は失敗してしまった……。


そして、結局そのあとは一度も話しかける機会のないまま、放課になった。


デミアンが帰り際、さきほどのやり取りについて何か問いたげだったけれど、僕には説明できそうになかったので黙ったままにした。すまない、デミアン。


それから、僕は後悔を抱えたまま王宮へ帰った。


僕は部屋に閉じこもって、今の自分の置かれた状況を整理しようと試みた。今日の予定されていた家庭教師による授業は、全て体調不良を理由にキャンセルしてもらった。デミアンの口添えもあり、僕は自室で養生することになった。


これで、じっくりと自分の考えに耽ることができる。


僕は椅子に腰かけじっと考えた。


今自身に起きていることが夢や妄想ではないと思う。夢を見ているときに感じる現実感と、今体験しているこれとでは感じ方が全く違うから。


では現実なのかと問われれば、分からないと答えざるを得ない。僕の理性はこれがあり得ないことだと訴えているが、感覚としては全くの現実なのだ。


ただ、時間がおかしい。過去を繰り返している?


そう。過去だ。過去に戻ったと言っていい。僕は今日見た人たちを思い出した。懐かしい面々。なつかしい学園。懐かしいキース。


僕はあり得ない事態にあって、あり得ない可能性について検討しつづけた。それは僕に、自分が本当におかしくなってしまったのではないかという可能性を提示し続けた。そして、唐突に以前キースと観劇した舞台の脚本のようだと思った。


そう。


時を戻った。まさにそうとしか言えなかった。鏡に映る僕も昔の顔をしていたから。使用人たちもあの当時のままだったから。


そんなことがありえるのか?


馬鹿馬鹿しいと思うが、それを僕は一笑に付すことができないでいた。


もし、本当に過去へ飛んだのだとしたら?


何故?どうやって?


その答えが僕の記憶にあるように思われて、僕は自分の中にある一番最後の記憶、つまり、キースが死んだ後の時間での最後の場面を思い出そうと試みた。


そこにこの事態に説明をつけるための手がかりがあるような気がした。


たしか、そうだ。僕は部屋から夜空を眺めていた。キースのことを思って、ふさぎ込んでいた。意図せず持ち帰ってしまった白いハンカチを握りしめながら、空を見ていた。そして……。


オーロラを見た。話でしか聞いたことのない現象で、本来はもう少し北の地で観測されるものだった。しかし僕にはすぐにそうと分かった。


青白い光が夜空に輝いていた。その美しい光景を見た。


確かにそれを見た記憶はあるのに、何故かその後の記憶がない。思い出せない。僕は起きつづけていたのか、それとも途中で眠りについたのか。


これは神の御業なのか?


何故?何のために?僕に過去をやり直せと、そう言っているのか?


答えのない問いが繰り返された。夕暮れが過ぎ去り、辺りは闇に包まれていた。部屋の中に宵闇が侵入していた。


そして、思い出す。


眩暈が起きた瞬間に、キースの声を聞いたことを。彼は言っていた。


—―優しい夢を、雪解けの予感を……


何故キースの声が耳元でしたのだろう。


分からない。わからないけれど、わかっていることが一つだけあった。


それは、キースを助けられるかもしれないということ。


その可能性に思い至ったとき、僕は震えた。


彼を孤独の暗闇から救い出したいと思った。


何を投げうったとしても。


キースの言葉を思い出す。


そうだ。僕は彼の為に、僕の持てるものを全て差し出してもいい。キースに取って代われるものなど、ありはしないのだから……。


僕はその夜、眠りにつく前に、どうやったらキースの信頼を勝ち得るのかを考えていた。そのために、明日どうやってキースに話しかけたらよいのか、そればかりを考え続けた。

やっとここまできました。だいぶ文字数が増えましたが、最初に思った通りに話が進んでいます

ここからは、ハッピーエンドに向けてアルベルトが頑張る番です

あとまた更新頻度は以前と同じくらいゆっくりになります

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