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(完結)男二人、ヤマアラシのジレンマ故に  作者: たろう


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21

朝日が森の向こうから完全に姿を現した。その陽光に、ダークドラゴンの鱗が光を反射して煌めいている。それは絶望の輝きだった。


俺たちがその存在感に動くこともできずにいると、突如視界の端、ダークドラゴンの見ていない方向からいくつかの火球が現れ、飛んでいくのが見えた。それは尋常ならざる速度で黒竜に直撃した。それは明らかにドラゴンを目掛けて放たれたものであったが、その堅固な鱗に阻まれ見た目ほどの効果は得られなかったようだった。じゅうじゅうと鱗が焦げるような音とわずかな異臭が風にのって俺の元まで届いた。


その瞬間、また別の方向から、今度は人が数人飛び出してくるのが見えた。


それぞれに武器を構え、切りかかっていく。魔法で補助された彼らの動作は常人のそれとは明らかに違う。地面を空中を、あり得ない動きで進んでいく。生き残った者たちが全力で攻撃しているのだと分かった。


しかし彼らの動きは、今までに見てきたような疾風迅雷と言うには及ばない速度だった。


襲撃に気付いたドラゴンが体を動かして迎撃する。尾を鞭のようにしならせ、或いは長い首を器用に振り回して、その硬い鱗で剣を構えてとびかかる彼らを薙ぎ払う。


巨大な質量を持つ体そのものがすでに一つの武器だった。


巨体に振り払われ、討伐隊の生き残りたちは地面へ木へ空中へはじき返される。それでも、長年の経験から上手く態勢を整え衝撃を逃がして致命傷を避ける。そうして再び立ち上がる。


態勢を立て直す時間を稼ぐように、別の魔法が飛んできて黒竜に着弾する。


見事な連携を取りながら、再び彼らは武器を構えて走り出す。


何故逃げないのか。俺はその光景を見つめながら、そんなことを思っていたが、よくよく見てみれば、彼らはみなそれぞれに深刻な怪我をしているのがわかる。ある者は折れた左腕を垂らし、ある者は制服を血で赤く染め、ある者は片足を庇いながら黒龍に詰め寄ってい行く。


それは死への跳躍。逃げることも伝令に走ることも仲間の死を見捨てることもできないと悟った者たちの最後のあがきだった。


俺たちはそれをただ茫然と見ていることしかできなかった。


「あああ……」


背後に立つマーカスが言葉にならない呻き声を漏らした。


いつの間にか魔法の援護は無くなっている。生き残っていた誰かが恐らく魔力切れを起こしたのだ。


しかしドラゴンは無力化した者にも容赦がなかった。魔法が飛んできていた方角へ向け、口から真っ黒な濁流を吐き出す。ドラゴンのブレス。


その汚泥のような粘度を持った吐息はあっという間に土や倒木を押し流しながら、おそらく潜んでいたであろう誰かを押し流してしまったらしかった。微かに叫び声が遠くに聞こえた。


力の差は歴然としていて、徐々に討伐隊員らの動きは鈍っていった。一人また一人と地に倒れ伏して動かなくなっていった。それをあざ笑うように尾で追撃して叩き潰していく。それは凄惨という言葉で言い尽くせないあまりにむごすぎる光景だった。


そして、とうとう最後の一人が羽虫のように弾き飛ばされ俺たちの方へ飛んできた。


その男が俺たちの前方少し先でこと切れる。彼の見開かれた怨嗟の瞳が俺たちに注がれている。もう瞬きをすることはなかった。


たまらずその瞳から視線を外すと、すぐそばにテリーの遺体があることにも気づいた。心臓が早鐘のように打っている。全力疾走をしたわけでもないのに知らぬ間に息があがっている。短い呼吸音が頭の中で響いている。


目を離せない。瞬きすらできない。


今やドラゴンが、こっちを見ていた。


視線がぶつかる。


そのドラゴンの向こうにまた別の見知った人影を見た。ライリーだった。動かない……。


よくよく見てみると、さらにルイスやバンの体も地に横たわっている。


「ルイス……バン……」


俺と同じ方向を見ていたのだろう、ジャンがそう呟いた。


心臓が痛いほど鳴っている。


「俺たちも死ぬんだ…」


マーカスが絶望の声を上げた。


その言葉が俺の頭の中で鳴り響く。


みんな死んだ。優秀な者たちも、未熟な者たちも、貴族も、平民も、知らぬ者も、俺の部下たちも、みんな。


俺はそっと背後を振り返った。


ジャンとマーカスがいる。まだ、生きている。彼らはまだ生きていた。


前を向く。


そしてこの光景の意味することを考える。俺にはどうしようもない。それが分かる。精鋭部隊が束になっても叶わないのだ。俺にはどうすることもできない……。


俺の部下たちを俺は守ることができない……。


無力感が全身に満ちて行く。全身の震えが止まらない。ともすれば両足は俺自身の体重を支え切れないと思えるほどだった。


俺はただガキみたいに震えていた。


「マリー……」


マーカスのあきらめを含んだ声がした。


—―本当に恐ろしいこととはなんだろうか。


ふとそんな疑問が俺の頭によぎった。


頭の片隅で、そんな問いに答えを探す俺の声がする。


死ぬことだろうか。


怖い。目の前に圧倒的な存在が立ちふさがり、もう間もなく俺たちも死ぬだろう。あのドラゴンのブレスに押し流されて命を落とすだろう。


それは想像ではない。確信だった。


俺たちではまともに逃げ切ることなどできはしない。


真に恐ろしいこととはなんだろうか。


また、頭の中にその問が響く。


ここで誰にも看取られずに朽ち果てることだろうか。


俺は想像していた。バートラムやマティウスやガスが後からやってきて俺たちの死体を見つける。彼らは俺たちに祈りの言葉をなにごとか囁いて、俺たちの遺体を回収するだろう。そして、きっと俺たちは簡単な葬式を挙げられて、どこかの墓地に名もない墓を建てられるのだ。


地の下で徐々に腐り骨になっていく自分たちを想像した。


そして、永遠に忘れ去られるのだ。


そうだ。


俺は知っている。本当に恐ろしいことというのは—―


俺は全身に力を込めて、無理やり震えを止める。二人に見せる最後の姿が、震えてる情けない俺では恥ずかしいから。


呼吸を整える。思ったように体を動かすために。


全身の魔力の流れを確認する。よし。魔力は、まだある。


体中の痛みを確認する。怪我はない。


それに、さきほどまであった疲労感は、今はもうない。


「マーカス、ジャン」


俺の口から自分でも驚くほど優しい声が出た。ついぞ彼らに聞かせたことのないほど柔らかい調子で話しかけていた。その声音は、意図せず孤児院のちびたちに話しかけるときのそれになっていた。


かすかな俺のその囁きは、しっかりと二人の耳に届いたらしい。


息をのむ音と、二人が小さく答える声がした。


俺は背中に痛いほどの二人の視線を感じていた。


俺に背負えるのはこれくらいなんだ。王や貴族や聖職者のようにはできない。俺にはこれで精いっぱいだから。


「怪我はないか?」

「え?」

「怪我はないか?走れそうか?」

「お、俺は大丈夫です」


ジャンが答えた。


「俺も平気っす」


マーカスが遅れて言った。


「良かった。これから俺の言うとおりにするんだ。俺が合図したらバートラムのところまで全力で走れ。死んでも走り切るんだ。出来るな?」

「な、何を言ってるんですか、隊長。そんなことできっこないっすよ」

「隊長はともかく俺たちじゃ逃げ切れないって」

「大丈夫だ」

「俺たちにはできないっすよ」

「あきらめるな」

「無理っすよ。隊長も見たっすよね?精鋭部隊が手も足も出なかったの。俺らじゃ無理ですよ」

「あきらめるな。頼む」

「俺たちここで死ぬんすよ……。隊長」

「頼む。諦めるな。明日を諦めてはいけない」

「……あきらめるのは昔から得意っすよ」

「馬鹿を言うな。マリーちゃんを一人にするのか、マーカス?」

「それは……」

「お前もだ、ジャン。マーカスの結婚式を俺の代わりに見届けてやって欲しいんだ」


俺の言葉に二人が黙る。


目の前で黒竜が体の向きを変えた。もう時間がない。


「あきらめては駄目だ。俺は今までずっとお前たちにそれだけを教えてきた。戦いの技術なんかじゃない。俺が教えてきた何もかもは、全てお前たちが一人で生きていけるように、未来を掴めるようにするためのものだ。俺はお前たちに立派な人間になって欲しかった。誇りをもって前を向いて生きて欲しかった。そうなる手助けがしたかった。だから、今お前たちを死なせるわけにはいかないんだ」


あぁ……、真に恐ろしいこと。


それはきっと、何もなさずに死んでいくことだ。未来に何の痕跡も残せずに死んでいくことだ。


死ぬことはもう怖くはなかった。二人が生き延びることができたなら、俺が生まれてきた意味があったということだから。


それが、俺のちっぽけな人生で唯一為すことができたと言えるものになるはずだ。


今、この辺境の地にアルベルトが来ている。慰霊祭のために。


だから、ジャンとマーカスが情報を持ち帰ることができたなら、あとはあいつがなんとかしてくれるはずだ。俺にはできないことを為してくれるはずだ。


だから、何も怖いことなどなかった。


もう震えは止まっていた。


俺は制服から階級章を取り外すとマーカスの手に握らせた。それは俺がここにきて為した全てだった。


「これをもって、バートラム隊長のところへ行け。そして、状況を詳しく伝えろ。これを見せれば話を聞いてくれるはずだ。それから、マティウス中隊長の元へ行け。中隊長にも森の奥で何が起きているか伝えるんだ。いいな?」

「そ、そんな」

「隊長はどうするんですか……?」

「できるな?」


俺が睨むように二人を見ると、彼らは俺の意図を察したように目を見開いて、恐る恐る頷いた。


「よし。あとを頼んだ。俺はライリーたちを置いてはいけない。彼らの死に報いなければいけない」


それから俺は彼らの気持ちが変わらないうちに、空に向けて二発魔法を放つ。それは軍の中での合図。危険信号。


それから遅れて遠くのほうから合図が返ってくる。おそらくバートラムの隊だ。


「あの方角へ一心に走るんだ。振り返るなよ」


その時、こちらの打ち上げた魔法による音に触発されたのだろう。ダークドラゴンが魔力を集め始めた。ブレスを吐くのだと分かった。


「ドラゴンのブレスが来るぞ!もう一度だけ魔法障壁を張るんだ。できるな?ブレスの直後隙が生まれる。その時に走れ!時間は俺が稼ぐ!来る。備えろ!」


ドラゴンの体が一回り大きくなったように見えた。それからわずかに間があって、大きく開かれた禍々しい口から宵闇の吐息が勢いよく噴出するのを見た。


「守護よ!」


防御魔法が目の前に展開される。


先程と同じように、圧倒的な勢いを持った重い奔流が俺たちの作った防御障壁にぶつかり押し流そうとしている。


二度めの魔法だ。魔力量の少ない彼らにはきっとこれが最後の魔法だ。堪えきれるかの可能性は半々だった。


そうして長い時間がたって、やっとブレスがおさまる。かの口から飛び出した混濁は空気中に雲散霧消していった。


「今だ、行け!振り返るな!」

「隊長!」

「すいません!」


二人が走り去る音がした。あとは彼ら次第。俺次第だった。


ブレスを放ったあとに隙が生まれる。ここをおいてほかにあいつを叩ける瞬間はない。


俺は即座に魔法を発動する。地面に薄氷の道を描きだす。それはまっすぐに黒竜の足元へ繋がっている。俺はその上に足をかけると、一気に滑り出した。背後から風の魔法で加速をつけていく。


あっという間に肉薄し、その四肢の間から腹の下に潜り込むと腰に佩いていた剣を抜き去って切りかかる。


硬い鱗は腹の方まで多い尽くしていて、まったく歯が通らなかった。


「だめか」


俺はそのまま氷の上を滑りドラゴンの下から抜け出す。


すると、硬直状態から脱した黒竜が俺に向かって反撃を開始する。それは一撃でも受けたらひとたまりもない攻撃だった。


俺は足元の氷の道を別方向へ曲げてその攻撃を回避する。


地上を走る氷の道を空中へと伸ばし、その上を滑りながら、どんどんと道を繋いでいく。回転し、蛇行し、螺旋を描いて道を作り、その上を滑りながら相手の攻撃を避ける。腕の一振り、体の一揺すりで氷の道は簡単に崩れ去るが、俺はお構いなしに先へ先へと伸ばしていく。


別にこいつに勝とうと思ったわけではなかった。ただ注意をしばらく俺に向けさせたかった。そして、もし可能であるのなら、自らにとって人間は少しやっかいな相手だなと、そう誤認させたかった。森の奥から出てこないように。


そのためだけに、今俺は戦っている。自分の命を使っている。そう、それでいいんだ。


繰り返される攻防。攻防と言っても攻撃するのはほとんど向こうで、こちらはただ攻撃を避けることしかできないけれど。それでいいんだ。


そうしてどれほどの時間が過ぎたのか。長いと俺には思えたけれど、もしかしたらほんの短い間のやりとりだったのかもしれない。分からないけれど、俺はついに攻撃のチャンスを見つけた。


硬く厚い鱗は俺の剣を通さない。それは分かり切っていたから。だから俺はもっとも弱い一点だけを狙っていた。そのむき出しの夜色の目を狙っていた。


そして、縦横無尽に動きまわる俺に忍耐を切らしたダークドラゴンが癇癪を起したように暴れ始める。無駄な動き。まるで駄々っ子のような。


その無駄の多い動きを躱して俺はあっという間に地上二十メートルの位置にまで駆け上がった。


もう顔は目の前だった。


行ける。


俺はその目に目掛けて剣を突き出す。全身の力を込めて突き出したそれはまっすぐに吸い込まれるように、ドラゴンの無感動な黒い目に突き刺さるはずだった。


その瞬間、限界まで俺が黒竜に肉薄した瞬間、そいつは長い首を振って頭ごと俺にぶつかって来た。逃げるのではなくこっち側へと近づく巨大な頭。俺はとっさに回避行動をとることもできないまま一瞬呆然としてしまっていた。そして、次の瞬間には強烈な頭突きが俺の胴体に入った。


骨の折れる嫌な音が全身に響き、その直後全身を雷が走り抜けたかのような衝撃と痛みが襲ってきた。


俺は感じたことのない痛みに、剣を取り落としてしまったが、そのことにその時は気づいていなかった。強烈な痛みに、俺の喉から信じられないほどの叫び声がほとばしった。自分でも叫びをあげていることに一切気づいていなかった。ただ喉が焼けるような感覚があった。


俺は頭突きを受けた衝撃そのままに、真っ逆さまに地面にたたき落された。魔法で作った氷の道が粉々に砕け散るのが目に入った。


地面にぶつかる寸前のところで、かろうじて体勢を整え風の魔法で衝撃を和らげたが、それでもなお恐ろしいほどの落下の痛みが全身を襲った。受け身などどれほどの意味があったのか。


俺は数瞬真っ暗になった視界が徐々に回復し、ぼやけた世界がやっとしっかりとした輪郭をとるようになったころ、ドラゴンが俺を見下ろしていることに気付いた。


体は痛み一切動かない。指一本動かすこともできそうになかった。


開かれた口とその中に蠢く舌が見える。それはまっすぐに俺の方へ近づいてくる。


俺は動くことも声を出すこともできなかった。


そして、ただその時を待っていた。


ドラゴンが俺をかみ砕くためにさらに顔を寄せる。くさい息が俺に吹きかかる。


がっと口を開くのが見えた。終わりがやってくる。


俺はそれを強く意識したけれど、目は閉じなかった。


そして、ドラゴンが勝ちを確信したのだろう。気を緩めたのが分かった。朝日に鳥たちが遠くで鳴いている声がし、視線が一瞬そちらの方へ向いた。


刹那。俺は全身の魔力を集める。


「ばーか」


俺は氷の刃を空中に生み出す。孤児院でちびどもに幾度となく作ってやったものだ。もう見なくても形をとることができる。


空気中に突如として現れたそれに理解が及ばないのか、黒竜は回避行動が遅れた。


俺はできるだけ巨大な氷の剣を生み出すと、その剣でもってドラゴンの左目を突き刺した。


ドラゴンの眼球から真っ赤な血が流れた。


そして、聞いたこともないような凄まじい悲鳴を上げて、黒い竜が暴れ始めた。


地を揺るがすほどの振動を起こしながら痛みに四肢をめったやたらに動かし、痛みに耐えるように暴れていた。長い首の先についた頭を狂ったように振り回して痛みを逃がそうとでもしているようだった。


乱暴に背中に生える翼を広げ振り回している。時折、それによって巻き起こされた風で体が攫われそうになるほどだった。


ドラゴンが飛び上がろうとしているように見えた。それは生存本能だったのかもしれない。危機から離れようとする回避行動。


俺は巨体に踏みつぶされないように、痛む体に鞭打つようにして上半身を持ち上げる。


早く立ち上がらなくてはいけないのに、ドラゴンが起こしていると思わしき風の圧力でバランスがうまく取れない。大地を揺るがす振動も俺の動きを邪魔している。


それでも焦る気持ちを押さえつけて、なんとか全身に力を入れて立ち上がり、その場から離れようとしたとき、黒竜が振り回す翼で俺の体は薙ぎ払われる。それと同時に、今までよりも一層強い上昇気流が生じて俺の体は宙に放り出されてしまった。


後から後から途切れなく地上から上空へ吹き上がる風が巻き起こっている。俺はその風に煽られるがままに空へ昇っていく。俺の体はもんどりうってかち上げられ、何の抵抗もすることができなかった。


そして、見ている前でそいつはひと際大きく翼を羽ばたかせると、その巨体を軽々と浮き上がらせ空へと飛びあがるのが見えた。


俺は自分の真下から上昇してくるその巨体に辛うじてしがみつくことに成功した。この高さから地上に落下してはどのみち助からない。ならば、目の前にあるドラゴに捕まる遺骸の選択肢は残されていなかったから。


俺は黒い硬い鱗に必死にしがみついていた。そしてそのまま上空へ連れ去られるがままにすることしかできなかった。

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