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「隊長……」
ルイスが情けない声をあげる。その横に立つライリーたちも不安げな顔をしていたが、ライリーはさすがに言葉には出さなかった。わかる。不安なのだ。森の奥に何がいるのかもわからないのに、突然やってきた良く知りもしない討伐隊とともに森の奥で行動を共にするなど、出来るのなら御免被りたいだろう。しかしそこは階級社会。俺ら一般兵に拒否権などない。
結局討伐隊への同行は俺の部隊から俺を含めた九名が抜擢された。俺を筆頭にジャンとマーカス。ライリーを筆頭にルイスとミヒャエル。そしてウィリアムを筆頭にバンとハンターだ。残りの隊員は塔の管理と連絡要員として残る。
さらに、近くにいた討伐隊の一団がこちらに合流し、総勢五十人となり一個小隊規模の一団になった。これを三つの部隊に分けて、別々に森の探査に当たる。
俺の班はバートラム討伐隊長の部隊に接収されることになった。すでにマーカスとジャンは討伐隊の面々とバチバチやり合っている。気に食わないからと言って、他の部隊にメンチを切る様は、申し訳ないが滑稽だからやめてほしい。
まだお互いに手は出していないようだが、既に口から相手を小ばかにするような言葉が飛び交っている。それすらも、こう、語彙力の差から、明らかにこちらのほうが旗色が悪い。
はあ。溜息しかでない。まぁ、変に緊張したり落ち込んだりしないのが奴らのいいところではある。
直接的な侮辱を吐かれたり暴力がでるようなら俺も出ていけるのだが、相手の方はそういうことを織り込み済みのようで、決定的な失態は犯さない。逆にこちらのほうがまずい発言をして足元を掬われそうで、見ている俺ははらはらしてしまう。
それからしばらく放っておいたが一向に収まらないので、俺は取り返しのつかなくなる前に、ジャンとマーカスに拳骨を食らわせて黙らせると引きずるようにしてその場を後にした。
協力して行動を始める第一日目からこれだった。先が思いやられる。
俺はライリーにルイスとミヒャエルのことを、ウィリアムにバンとハンターのことをくれぐれも気を付けて見てやるよう頼むと、緊張した面持ちで六人が頷いた。なんとか彼らも変なことに巻き込まれず無事に任務を全うしてくれるよう祈った。
森の調査はとりあえず昼間に行われることになった。夜間が脅威存在の活動時間であるため、わざわざ正体を見極める前から相手の有利な時間に活動することもない。まずは日中森の中を探索して、その存在の証拠や手掛かりとなる痕跡を見つけようということだった。
俺たちはどんどんと進んでいくエリートの後について、おっかなびっくり進んでいく。申し訳ないが俺もこんな深い森の奥での活動経験はない。部下どころか自分の身さえ守れるか怪しい状態なのだ。緊張しないではいられなかった。
その上で、マーカスとジャンの様子を見ながら周囲に気を配るのは神経が磨り減る仕事だった。
そうやって朝から日暮れ前までの間手分けしての森の探索が数日立て続けに進められた。最初のうちは日帰りの任務だったのだが、探索が森の深部へと進み、とうとう昨日から森の中で夜を過ごすようにもなった。
ロバート曰く他の討伐隊と合流する前に出来る限り情報を集めておきたいのだそうだ。情報を集め、ある程度方針が固まったら、その脅威存在を一気に叩こうという寸法らしかった。
森の中は驚くほど穏やかで道中はほとんど魔物に出会うことがなかった。これは冬が近づいていることを抜きにしても異常なことだった。魔の森で魔物に出会わないなんてこと、あり得ようはずもないことだからだ。
安全ではあったが、逆に言えば、俺たちはとんでもない脅威へと自ら近づいて行っているということでもあった。
俺たちは求められるがままに探索魔法を駆使し、相手を追いかけた。しかし、そいつは俺たちをあざ笑うかのように神出鬼没で、昨日まで居たと思しき場所から突如全然違う方向にいるなんてことがざらにあった。そのため、そいつが確かに直前までそこにいたという痕跡は発見できても本体は見つからず、徒労に終わるなんてこともあった。
そんな風にして森の中を右往左往していると、餌食となってしまった生き物の遺骸は簡単に見つかった。動物も魔物も関係なく無残にも食い荒らされ放置されたままになっている。そしてそれを食べ消化した後の排泄物も進む先々に残されていた。巨大で鋭い爪や牙による傷跡は見るも生々しく、なのに、獲物を狩ったであろう本人の体毛などは一切残されていないことが早い段階で問題になった。
これは巨人族や大きな獣がやったものではない……。みなが口々に囁き合っている。
その意味するところは、……あまり考えたくないことだった。
まだそうと決まったわけでもないのに、今日の昼間発見された巨大なトレントの枯れた残骸と、それに残る鋭い爪痕を見て誰もが、それをやってのけた存在を各々の頭の中に思い浮かべていただろう。
また、こういった捕食跡と同じくらい奇妙だったのは、見つかった痕跡のそばに生えている木々が立ち枯れを起こしていたことだった。最初隊員の誰もそのことに気づいていなかった。紅葉によって周囲の葉が赤や黄に色づいていたから、茶色く枯れかけた木々に注目が集まらなかったからだ。
誰かが最初にそのことに気づいたとき、みなが訝しんだ。自然の摂理として、植物が枯れることはいたって普通のことだったが、行く先々で繰り返し何度も見つかれば怪しいと思うものだろう。しかし、怪しいのに、そのことと俺たちが追いかけている存在との関連を問われれば、はっきりと誰にもどういうつながりがあるのかを答えることなどできなかった。
ただ何かがおかしいと言う猜疑と不安だけが募っていった。
野営を初めて三日目の夜、隊長のバートラムとロバート、そしてその腹心の部下数名で遅くまで話し合いをしていたようだった。灯した篝火でも払いきれない暗闇と十月の夜の寒さの中で、かすかな囁きが遠くに聞こえていた。
俺たちは息をひそめて夜の闇に眼を凝らし耳を澄ました。夜番の仕事だった。こんな人跡未踏の地で魔物に襲われてしまえば、甚大な被害へと繋がってしまう。それ故気の抜けない重要な仕事だった。俺たちは神経を研ぎ澄ませて周囲を警戒し続けねばならなかった。
それから特に何も起こらないまま俺たちの夜の見張り当番がなんとか無事に終わった。全身に疲れを感じながらやっと交代できた安堵感から、強い眠気が俺たちを襲う。明日も森の中を歩き回るのだ。できるだけ体力を回復させておかなければならない。
急いでカモフラージュを施したテントに入り込んで眠りについた俺とジャンとマーカスは、しかしまどろみの最中に突如として森に響いた聞いたこともない叫び声で現実に引き戻された。
森の木々に隠れるようにして眠りについていた俺たちは飛び起きるようにして目覚めると、息をひそめて一言も発さずに周囲の気配を追った。すると同じように目を覚ました者たちや見張りで起きていた隊員たちの慌てふためく声が周囲からしている。
そっとテントから顔を出すと、まだ東の空がほんのわずかに薄紫色になりかけの夜と朝との狭間の時間帯だった。四時間くらいは寝られたようだった。思ったよりも眠れていたらしい。
俺はやっと働き始めた頭でよくよく耳を澄ませると、遠くからえも言われぬ何者かの叫び声がはっきりと耳に届いた。それは今まで聞いたこともない声だった。森の奥で何かが起きている?
その瞬間、魔法が空に打ちあがるのが見えた。緊急事態を知らせる合図だ。助けを求めている。
俺は即座にライリーたちの安否を思い浮かべた。
そんな中、魔法の救難信号を見た他の隊員たちが色を失い慌てふためきただただ右往左往していた。こんな事態になっては仕方ないとは言え、エリート風を吹かせていたのに、と思わずにはおれない。そんな騒ぎ立てる集団に向かって、バートラムの怒号が飛んで、一瞬で辺りが静まりかえった。けれど、やはり遠くから尋常ではない物音と鳴き声とがここまで届いている。微かに風に乗って人の助けを求める声が聞こえた気すらした。
そんな中でもさすが歴戦の勇者というべきか、バートラムは全く動じた風もなく、大声を張り上げる。
「落ち着け!仲間を助けるために即座に行動を開始せよ!訓練と同様に荷物をまとめ、点呼を取れ。武器を持て!お前らは何者か?!誇り高き討伐隊の一員であることを思い出せ!この程度で落ち着きを失うような無能はこの部隊には不要!及び腰の臆病者は今すぐ立ち去るがいい!ただしその場合、全て今までの尾功績とこれからの栄誉を永久に失うと心得よ!聞け!顔を上げろ!周りを見ろ!仲間の顔を見ろ!慌てふためいているものがいたら笑ってやれ!地獄のような訓練を思い出せ!誇りを思い出せ!我らは辺境伯麾下の誇り高き討伐部隊だ!今こそ世に名を馳せた精鋭部隊の実力を示す時だ!」
それは闇を切り裂いて堂々と響いた。人を従わせることに慣れた者の声だった。
あっという間に混乱と喧騒は収束した。先ほどまでの様子が嘘のように討伐隊の面々は落ち着きを取り戻し、それぞれの役割を全うするために動き始める。
しかし、夜明け前の闇の中で遠くから形容しがたい喧騒が聞こえてきている。それは現実に存在している脅威の証左だった。
テントから這い出して作業をしている俺のところへバートラムがわざわざやってきた。その表情は厳しい。俺は彼の言わんとするところを察する。
「偵察が必要だ」
その一言だけだった。
「わかりました。私に部下のジャンとマーカスをつけてください。三人で向かいます」
「良し。交戦はしなくていい。遠くから魔物の確認と、被害状況などを調べたら撤退しろ」
「生存者はどうしますか」
「助けられそうなら助けてやれ。無理はするな。情報を持ち変えることが先決だ」
「了解しました」
「お前たちだけでは心もとない。こちらからも一人隊員を付けよう。誰か……」
そう言ってバートラムが周囲に視線を走らせる。すると一人の男が近づいてきた。
「私が行きます」
傍にいた男のうちの一人が名乗りを上げた。俺自身はほとんど話をしたことはないが、これまで一緒に行動をする中で、もちろん何度も顔を合わせたことのある男だった。
「テリーか。いいだろう、お前に頼んだ」
「はい。承知いたしました」
テリーと呼ばれた男が敬礼すると、それに一つ頷き、頼んだとだけ言いおいて彼は去っていった。
「辺境伯麾下バルザム子爵家次男テリー・バルザムだ。よろしく頼む」
「私はキース。この二人が私の部下のジャンとマーカスです。どうぞよろしくお願いします」
「あぁ。訳あってこの度の偵察隊に志願させてもらった。私には時間がない。早速ですまないが、すぐに仲間の元へ向かいたい。協力してくれ」
「はい。元よりそのつもりです」
「助かる。可能な限り早く向かいたい。準備が済み次第、相手までの大まかな距離と方角を教えて欲しい」
テリーは貴族としては礼儀正しく、単刀直入にものを言う付き合いやすいタイプの人間だった。これは助かる。話のできる貴族は貴重だからだ。
俺は後ろを振り返ってできるだけ軽い調子で言う。
「だそうだ」
俺の言葉に言葉を失うジャンとマーカスには申し訳ないが、軍とはそういうものだ。諦めて欲しい。
「準備はしっかりしていこう」
俺はすぐに行動を開始した。それを見て二人も慌てて準備を始めた。
それからなんとか準備を済ませてテリーのもとに集合すると、俺たちはすぐに方角や距離の測定に移る。
彼は興味深そうに俺たちのやり取りを見ていた。
手順自体は簡単だ。三人でできるだけ距離をとって正三角形の位置に立ち、手に持った水の入った容器に魔法で音波を増幅させ波を起こさせる。あとはその波の方向と三人それぞれの波の観測した時間差から大まかな距離や方角を算出するというものだ。
慣れた作業をテキパキとこなして、算出できた大まかな情報を伝えると、テリーはすぐに行動を開始した。俺たちはそれに黙って着いていく。そして、方角を見失わないように時々立ち止まって方角を再度計測し直す。音が途絶えているときは、地面を伝わる振動を利用した。
さすがエリートだけあって、移動速度が尋常ではない。俺はともかくジャンやマーカスは遅れがちだった。魔法を上手く利用して移動速度を上げる技術は、魔力の少ない彼らにはできないからだ。
苛立ちを隠せないテリーはそれでも俺たちを待ってくれた。まぁ、置いていっても途中で方角を見失っては、逆に遠回りしてしまう可能性があるのだから仕方がない。
徐々に東の空は白み始め、夜明けがやってきた。
「そろそろ着きます」
「よし、速度を落として、我々の接近を気付かれないよう静かに近づく」
「わかりました」
ジャンとマーカスはもう呼吸するだけで精一杯というありさまだった。返事もできない。俺は彼らの頑張りを褒めたいのを我慢して、視線でしばらく呼吸を整えるよう伝えるのにとどめた。
速足で目的の場所へ向けて歩き出す。森の中はどこまで行っても静かで、生き物の気配はしなかった。
もうほんの目と鼻の先だというところまで来たとき、鼓膜をつんざくような、そして地を揺るがすようなものすごい咆哮が俺たちを襲った。その次の瞬間、数人の悲鳴がはっきりと聞こえた。名も知らぬ別動隊の隊員であろう者たちが、男女の区別なく断末魔の悲鳴をあげるのを聞いた。
「マリア!」
テリーがその悲鳴を聞いた瞬間、突然全力疾走で俺たちの目の前から走り去った。それは今までの移動速度など比較にならないほどの全速力だった。彼の後姿はあっという間に木々の隙間を縫うようにして闇に消えていった。
「なっ」
「おいおい、どうすんだよこれ」
「まずくないっすか?」
マーカスとジャンが呆然とした体で呟く。俺もまさかエリート部隊の一員が勝手に単独行動に走るなどとは想定しておらず、行動が出遅れてしまっていた。
「……追いかけますか?」
ジャンがそう言った瞬間、前方から再度魔物の咆哮が聞こえ、同時に何かとてつもない魔力の気配が信じられないスピードでこちらへと近づいてくるのを感じた。その正体が何なのかは分からなかったが、それは目の前の木々の向こう、テリーの向かって行った方向から、生い茂る樹木をなぎ倒しながらこちらに迫ってきている。その轟音が前方から迫ってきていた。
「ジャン!マーカス!備えろ!訓練通り防御魔法だ!」
俺はとっさに叫ぶ。二人がそれに答えたが、あまりにも激しい轟音に二人が口を開いたことしか分からないほどだった。
「守護よ!」
三人で防御魔法を同時に展開する。隙間なく前方三方向に向けて見えない魔法障壁が生じた。それはぎりぎりだった。
その直後、目の前の木々の間をはっきりとは良く分からないもの、淀んだ川の底にある汚泥と言えばいいのか、何か濁ったような漆黒の濁流が、朝焼けの光を受けながら粘度をもって一気に押し寄せてきた。
それと一緒になってなぎ倒された木々が、その流れに呑まれて押し寄せてくる。とんでもない質量が俺たちの生み出した防御壁に最大速度でぶつかり折れ砕けながら後方へと流れて行く。
その黒い流れに触れてはいけないと、本能が告げていた。俺たちは身を寄せ合ってただただ濁流が流れ去るのを耐えることしかできなかった。
真正面からは受けられないと悟った俺は、平面だった魔法障壁を効率よく濁流を受け流せる楔形に近い形に変えた。それでも信じられない反発を受ける。
「きついっす……!」
「魔力が持ちませんよ隊長……!」
「堪えろお前ら!死にたくなかったら魔力を限界まで絞り出せ!辛いのは真正面で一番広い面積をカバーしてる俺なんだぞ!」
「でも、ほんとヤバいっす!」
「吐きそうですよぉ」
「うっせー、クソガキども!ごちゃごちゃ言ってねぇでだまって耐えろ!死にてぇのか!」
俺は二人を励ましながらじっと耐え続けた。永遠とも思える時間が経ったころ、魔法障壁にかかる圧力が徐々に収まり、ようやく全く手応えが無くなったころ、そろそろと目を開けるとそこには一面、木々がなぎ倒され遠くまで見通せる広い空間が生まれていた。
よくよく見れば、木々はなぎ倒されたものばかりではなく、枯れ朽ちて折れてしまったようなものも混じっている。さきほどの濁流によって枯死してしまったのだろうか……。
そしておそるおそる視線を上の方に、遠くの方にやると、そこには伝説上の存在と言われている生き物が堂々たる威容を誇る姿で地面に屹立しているのが目に飛び込んできた。
それは、トロールの十倍なんてそんな生易しい大きさではなかった。
全長、尾の先から頭までで優に五十メートルはくだらない巨体だった。見上げる背丈は二十メートルに達しようかというほどで、その長い首の上に小さな頭が乗っている。
全身は夜闇の漆黒。夜の気配が陽炎のようにゆらゆらと彼の体から立ち上っているのが、幻のように見えた。さらにその背には巨大な黒い翼があり、それは器用に折りたたまれてその広い背に収まっていた。
夜明けの日差しを受けて黒光りする双眸に鋭い牙。
真っ黒な口が見え、そこから同じく真っ黒な舌が覗いている。
それは、まさしくドラゴンとしか形容のしようがない存在だった。すでに薄々そうではないかと思いながら、どうか違っていて欲しいと願わずにはおれなかった魔物の王。黒竜、ダークドラゴン。それが、今目の前にいた。
「まさか……」
「本当にドラゴンなのか?」
背後で二人が震える声で言うのを、俺はただ茫然と聞いているしかできなかった。




