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俺には夢がある。
平民でも頑張れば出世して貴族にも負けない地位を築けるのだと、そう証明するという夢がある。
あんな生まれ落ちた瞬間から順風満帆な人生を約束されたような奴らなんかに負けるわけにはいかない。人を人とも思わないような奴らの鼻を明かして、俺があいつらの上に立ちたい。
そして、自分が有能な人間なのだと世に知らしめたい。
世界に、俺はそうやって抗ってやる。運命が、俺を孤児にして、不幸のどん底に閉じ込めたのだとしても、俺は自分の力だけでここから這い上がってみせる。
そして、いつか、院長先生に、恩返しをする。高給取りになって、孤児院に援助するんだ。
それが、俺のささやかな夢だ。
あの日、院長先生の勧めで学園の入学試験を受けた。孤児院を出ていかなければいけない年齢が近付いてきていた俺に、院長先生が一つの可能性を提示してくれた。全く考えてもいなかった未来。
昔から俺は勉強以外特に抜きんでたところがなくて、自らの身の振り方に悩んでいた。もうすぐ孤児院を出て自活していかねばならないという焦りもあった。
器用さはそれなりにあったけれど、孤児では伝手がないため縁故採用ばかりの家具やら金物やらの職人になることは難しかった。院長先生があちこち頭を下げて回ってくれたけど、それでも俺を受け入れてくれる余裕のある親方はあの小さい町にはいなかった。
頭の良さも孤児院の中では良いと言う程度のものでしかなくて、それすらも孤児では活かせる場所は限られていた。そもそも孤児に賢さは求められておらず、誰も俺に関心などなかった。
だから、俺が社会に出て何かを為せるとは到底思えなかった。
未来のことを思えば、当時の俺はふさぎ込む毎日だった。
だから俺はその提案に手を伸ばした。そして、何の因果か俺はそれに合格することができた。
俺が合格できたのは、第一王子と同学年になるという稀有な年であったおかげかもしれない。王子と同学年になる生徒は、賢さよりも普段の素行が厳しく評価されたらしいと、入学後に風の噂に聞いた。
自分で言うのもあれだが、俺の素行の良さが高く評価された結果だと思う。そしてそれは、一重に院長先生の描いてくださった推薦書のお陰だ。きっと内容をかなり盛って書いてくれたんだと思う。本当に先生には感謝してもしきれない。
今、こうして当時を思い返してみても、合格は奇跡だった。
入学試験は、本来なら俺程度の学力では受かろうはずもない問題ばかりだった。それは問題用紙を見た瞬間にわかった。俺のあの一年間の勉強なんて、試験にはほとんど無意味だった。この学園を受ける者からしたら、単なる基礎の部分だけを俺はずっと勉強してきたのだと問題を見た時理解していた。面接だとか書類審査だとかで、あのひどい試験の結果がどうにかなるようなものではなかったはずだ。だから、この噂はあながち間違いではないと今でも思っている。
それでも当時の俺は、ほとんど問題が解けないかもしれないという絶望と同時に、できそうなところだけはせめて解いてやろうと、必死になって解答を書き上げた。
その後に行われた面接も情けないものだったから、もっと愛想よく受け答えができていたらと、終わった後になって何度も後悔した。
帰ってきて落ち込む俺を、孤児院のみんなが励ましてくれたけれど、その優しさが俺を逆に苛んだ。慰めの言葉を聞くごとに、みなの期待に応えることのできない自分のふがいなさに対する苛立ちと悲しみが、延々と心の中に降り積もった。
受験結果が届くまでの二カ月間は、俺の十五年の人生の中でもかなり長く感じられた二カ月だった。夜ベッドに入ると、後悔と応援してくれたみんなに対する申し訳なさとが一気に押し寄せてきて、なかなか寝付けなかった。
だから、今でもあの日のことははっきりと思い出せる。真っ白で上質の封筒に、学院の封蝋が押されていた。ずしりと重い手紙を開けるときの緊張感と、合格の文字が見えたときの嬉しさを、俺は死ぬまで忘れないだろう。院長先生が涙を流して喜んでくれた日のことを、俺は絶対に忘れないだろう。
孤児院のみんなが俺を祝福してくれて、本当にうれしかった。
これが、俺の唯一といってもいい成功体験だった。
しかも、嬉しいことに生活費などは全て学園持ちだという特待生での合格だった。夢のようだと思った。
ここから、俺の人生が開けていくのだと思った。
けれど、現実はそんな甘いものじゃなかった。
明確な線引き。平民を見下す貴族の視線。何人かの教師からの差別。色々あった。
それでも、最初の一年を俺は頑張れた。平民同士で協力しあえたし、生徒を平等に扱う教師だっていた。もちろんそのほうが多かった。そして何より飯が食える。孤児院ではいつも空腹だった。すきっ腹を抱えて受験勉強をするのは本当に堪えた。孤児院の手伝いをしながら、ちびどもの相手をしながら、受験勉強をした。寝る間も惜しんで勉強した。その経験があったから頑張れた。差別など、孤児院の外にはどこにでもあったから今更だった。
そして、何よりも、院長先生の励ましがあったから。
だから、俺ならできる。
そう思って、勉強にも実技にも全力を注いだ。
見るもの聞くものやるもの全てが初めてのことばかりで、授業自体はとても面白かった。
けれど、最初のテストはぼろぼろだった。箸にも棒にもかからない結果に、悔し涙がこぼれた。同級生の貴族どもが、俺の張り出された成績を見て笑った。笑われながら俺は、院長先生にこのことをなんと報告していいのかわからず、ただ茫然としているほかなかった。
だから、次こそはと必死で勉強した。普通に授業を受けているだけではだめなのだと理解したから、空いた時間に図書館に籠り、実技練習場に籠り、平民を差別しない先生方にわからないことを質問に行ったりした。無駄な時間など一秒たりともなかった。
逆に最初のその失敗があったから俺は頑張れた。そのおかげで、テストの回数を重ねるごとに成績は上がって行った。嬉しかった。頑張れば頑張った分、上にいけることが嬉しかった。自分でも上にいけるのだと分かったことが嬉しかった。それに、学園では勝手なことをするなと怒鳴られたりはしないから、自分の思ったように行動できることが嬉しかった。
そして、一年の最後のテスト。結果がいつものように廊下に張り出されていた。
座学は、国語と数学と経済など複数科目で学年三位にまでなった。歴史と外国語は学年でやっと十位以内に入れたという程度だったけれど、それでも孤児院出身の平民が何もない状態から始めてここまでこれたのなら十分よくやったと言える。
実技においても、魔法実技は四位という好成績で、剣技もなんとか学年総合十位にかろうじてはいることができた。まぁ、馬術はほどほどの結果だったけれど。
これが俺の一年の最終テストの結果だった。試験の成績は誰もが見えるところに張り出されるため、順位や得点の内訳を誤魔化しなく確認することができたのだ。
そして、最後に総合順位を確認した。
なんと、俺はとうとう総合で学年二位にまで上り詰めていた。
夢まぼろしではない。第一王子アルベルトの次に俺の名前があった。信じられなかった。平民の俺の名前が王族のすぐ下にあるという事実。張り出された試験結果を見に集まった生徒たちから、俺の名前が囁かれるのを聞いた。俺の名が上にあることに気づいた奴らが、ちらちらと俺を見ていた。
試験結果を眺めながら俺は努めて平静を装ったけれど、内心は誇らしかった。そして、いつか、王子を抜いて一位になれたら、と夢想した。
その日から、第一王子は俺の中でライバルになった。まぁ、ライバルだなんて口が裂けても本人には言えないし、向こうは俺のことなんて歯牙にもかけていなかっただろうけれど。それでも、皆から期待され、称賛され、愛情深く大事に育てられ、傅かれ、何の苦労もなく育ったおぼっちゃんには、負けたくないと思ってしまった。
けれど、この出来事が決定打になった。俺は下手に目立ちすぎてしまった。
そして、それ以来俺は貴族連中から目の敵にされるようになった。ずっと小さな嫌がらせを受け続けている。
一番最初の悲惨なテスト結果を知っている者たちは、俺の不正を疑い、声高に侮辱した。
特にひどい嫌がらせをされるのは決まって王子の取り巻き連中からだった。俺自身は王子と挨拶以外の会話らしい会話などしたこともないし、王子に積極的に絡みにいったこともない。なのに向こうから突っかかってくる。同じクラスなのが悪い方向に働いていた。
けれど、そのせいで、俺の闘争心に火が付いた。やってやろうという気になった。あの王子を成績で追い抜いてやろうという思い付きは、いつしか本気の夢になった。気づくと、それが俺の目標になっていた。
もし王子を追い抜くことが出来たなら、もう誰も俺に文句など言うまいと、そう思った。そんなわけないと分かっていたのに。
あの澄まし顔で、他人なんて眼中にないという超然とした態度を崩したいと思った。そのためには学年一位になるしか道はなかった。そして、それは生易しいものではないということも理解しているつもりだ。
世の中に天才はいる。俺なんか及びもつかないような天才が。それは、外国語だったり歴史だったり馬術だったり魔法だったり、そういう試験の結果を目の当たりにするたびに、身に染みて実感する。俺はあの域には到達することができないと感じる。
彼らと俺の違いは、才能か、情熱か、動機か。わからない。わからないが、俺が持ち合わせていない何かを、彼らは持っている。だから勝てない。それが理解できない俺には勝てない。
だからといって、目標を投げ出そうとは思わなかった。俺は諦めが悪いんだ。
真正面から天才に挑んでも勝てるわけがない。だからささやかな作戦を立てた。まぁ、今と変わらない。各教科それぞれで一位になれなくてもいい。なる必要はない。二位なり三位なりをたくさんとって、総合で一位をとることを目指すんだ。自然とそういう戦略に切り替えていった。歴史だったり剣術だったりの天才たちも、他の科目では成績がさほどでもないことを俺は知っていたし、実際に俺が二位に食い込めたのだから、一位を取ることは全く無理なことではないように思われた。
しかし、そこでも王子は俺の前に立ちはだかった。どんなに頑張っても、いくつもの科目で王子は俺の上に居続けた。彼との差は縮まったけれど、追い抜くことができた科目が今までに一つもない。
さすがこの国の第一王子というべきか。きっと家庭教師をたくさんつけて勉強に励んでいるのだろう。
それでも少しずつ差が縮まっていく。そのおかげで、諦めることなく頑張れた。
そして、俺が成績を伸ばすに伴って、毎テストの結果が張り出された後のやっかみは、少しずつひどいものになってきている。
それを、第一王子は気づいているのかいないのか、いつも変わらぬ態度であり続けた。彼のせいで周囲で起きる諸々のことに、彼はほとんど関心が無いようだった。そういった些事など自らには関係がないのだと言いたげに、ただ、自分の道を歩いているように見えた。
くそ。こっちはお前のせいで侮辱を受け続けているというのに……。
恨み言が喉まで出かかる。しかし、よくよく考えてみれば、これは俺が平民だからってのも多分に関係があるのだろうと思う。平民なんて、貴族からしたらそこらの家畜みたいなものなんだろう。家畜が痛みを訴えたところで、聞いてやる義理も義務もない。まぁ、普通はこんなもんだよな。
そして、春先のやりとりも彼らの憂さ晴らしの延長線上の出来事。あの時は比較的苦手な剣術授業の模擬戦でたまたま調子が上振れを起こし、あの厭味ったらしい伯爵と子爵の子息に勝ってしまったせいだった。
四月は魔法実技も調子が良くて担当教師に褒められることが度々あった。そういった小さな積み重ねが彼らの自尊心を傷つけ、実力行使へと走らせてしまったのかもしれない。ただ、それは俺が真面目に授業を受けた結果であって、彼らへの仕返しのために頑張ったなどというつもりは毛頭なかった。
前回の試験結果で俺が総合二位に入ったことと、二学年に進級し調子を上げてきている俺に嫉妬や苛立ちを感じた彼らの我慢がきかなくなってきているのかもしれない。そんな下らないことする暇があるのなら努力して自分が二位に上がってくればいいのにとは思うが。ひょっとして、努力とは下々の者がする行為だとでも思っているのだろうか?
ただ自分でもまずいと思っているのは、あの嫌がらせの後にあった春学期の中間、期末と、二度のテストでも総合二位を立て続けにとったことだった。これは我ながら出来すぎていると感じてはいた。またぞろ、何か嫌がらせがあるのではないかと日々警戒している。
あぁ、どうか、俺のことは放っておいて欲しい……。切にそう願う。というのも、来年は最終学年。進路が、自分の将来が決まるから。合否にかかわらず、なんとか採用試験を終えるまでは平穏無事に過ごしたいんだ。
もちろん、それは領地を持たない貴族の子息や、貴族の次男三男以下の男たちも同様で。彼らが、国の官僚や軍部の高官としての進路を目指していることは知っている。いうなれば、俺たちはライバル同士だ。そして、その席は有限だ。貴族で数少ない席を奪い合うのに、そこに自分よりも優秀な平民が割り込むなど、彼らにしてみれば面白い話ではないし許せることではない。
だから、今後は王子の取り巻き連中以外の人間からも、なにかしらの嫌がらせを受ける可能性を考慮に入れて行動しなければならない。
はぁ。
知らずため息がこぼれる。憂鬱だ。あと、一年以上もこの状況に耐え続けなければならないのかと思うと、気が滅入る。目標のためには授業で手を抜いていられるような立場でないのだ。だが、そんな様子をおくびにも出すわけにはいかない。弱さを見せることは、付け入る隙を与えることと同義だから。
いや、今はそんなことはどうでもいい。今は別のことに頭を悩ませなければいけない。というのも、来週剣技を競う大会がありそれへの出場が確定しているからだ。夏休み前の学園きっての大きな行事であり、この大会で良い成績が残せれば、希望する道へ進む足がかりとなる。
王室の観戦試合でもあるので、外部から父兄だけでなく、王族をはじめとした貴族のお偉いさんが多数やってくる。
そのため、ここで素晴らしい活躍をすることができれば、誰かの目に留まり、直々に声を掛けられることだってあり得る。チャンスだ。
俺としては軍に進む気はないので、進路に直接この大会結果が絡んでくると言うことはない。しかし、高給取りになるために、俺の輝かしい未来のために、平民の俺には客観的に見て誰からもすごいと思われるような強みが必要なんだ。そのためだけに、全力でぶつかって、入賞を果たすつもりだった。
もちろん、勝ち上がることがどれほど難しいかというのは重々承知しているつもりだ。俺の剣術はやっと十位。ずっと十位。これ以上順位を上げるのはもはや不可能のように思い始めてもいた。好成績を残す可能性があるのは今年が最後かもしれない。来年はきっと難しいだろう……。そんな予感がある。
そもそものところ、俺には剣術の練習をお願いできる相手が教師以外いないのに、貴族なら金を払えばいつだって練習相手を見繕うことが可能なわけで。だから、俺のような平民が今の成績を維持できているのが奇跡みたいなものだと知っている。
そして、これが最も困難なのだが、俺が入賞するためには二度目の奇跡を起こさねばならない。つまり、初戦、二回戦と勝ち上がり三回戦へと進むことだ。
試合に参加するのは各学年上位三十人。二十九分の九の確率で、初戦から強者と当たってしまう。もし早い段階でぶつかれば、苦戦は必至であり、悪ければ負ける可能性だってある。この二十九分の九は少しも低い確率ではない。初戦敗退などあってはならない。さらに、二回戦目では十六人に人数が減る。勝ち上がれば、成績上位者との対戦はほとんど避けられない。もちろん、俺としては負けるつもりはないが、現実問題として、勝ち筋を事前に用意できなければ、入賞はあり得ない。
高い壁だ。それでも、未来をあきらめるわけにはいかない。逃げてはいけない。逃げるのはいつだってできる。今だけは、自分の明るい将来のために、立ち向かわねばならない。
来週の剣術大会の組み合わせが発表されるのは、今週末。
俺は必死に授業の時の対戦相手候補たちの動きを思い出しながら、対策を考え続けた。




